おざわようこの後遺症と伴走する日々のつぶやき-多剤併用大量処方された向精神薬の山から再生しつつあるひとの視座から-

大学時代の難治性うつ病診断から這い上がり、減薬に取り組み、元気になろうとしつつあるひと(硝子の??30代)のつぶやきです

人間の非特異性の苦しみにレッテルを貼って理解するフリをした結果から

2024-06-26 07:02:06 | 日記
神経衰弱、ヒステリー、多重人格障害(MDP)は19世紀末に見られた3つの流行であり、どれもカリスマ性に富んだ神経科医であったビアードとシャルコーが、患者の多くに見られた不可解な非特異性の症状を説明しようとしたため、発生したと言っても言い過ぎではないだろう。

なぜ、3つの流行が、一斉に始まったのか?

なぜ、3つとも神経科医が発生させたのか??

これは、神経科学のめざましい発見が、一部の未熟な臨床現場の発想に不相応な権威を与えかねないという、今日では非常に的を射た教訓物語となっているようである。

注目したいのは、
「当時の状況は、現在の状況と似ていた」ことである。

当時も、脳の仕組みに対する理解が大変革を迎えつつあったのである。

当時は、神経細胞が発見されたばかりであり、科学者は、シナプス結合の複雑なネットワークを辿るのに忙しかった。(→現在は、脳内の「化学的不均衡」を辿るのに忙しいが......。)

そして、脳は電気機械であって、ちょうどその頃に発明され、日常生活の表舞台に登場しつつあった数多くの新しい電気機器よりはるかに複雑であるが、根本は変わらない、ということが明らかにされたのである。

脳の新しい生物学は、それまで神学者の抽象的な世界に属すると見做されていた行動を説明するものであった。

だから、人間の魂の深奥を探るのは不可能であっても、人間の脳の具体的な構造や電気的結合を理解するのは可能なはずであると考えられた。

例えば、症状は、悪魔憑きや呪いや罪や吸血鬼やタランチュラの産物ではなく、脳とい機械の配線に不具合が起こっているのだと解釈出来る、と考えたのである。

確かに、これは、当時から現在に至るまで、有力で妥当なモデルになっている。

しかし、問題は、今日と同じで、この恐ろしく複雑な機械の秘密を探ることが、どれほど難しいのか、甘く見られていたことであった。

そして、神経科学の抵抗しがたい権威は、さして意味のないであろう薄っぺらな臨床現場の概念にまで、不相応な箔をつけてしまったのである。

このようにして、「神経衰弱」「ヒステリー」「多重人格障害」の3つの流行は生まれたのである。

3つともそれぞれ異なる形で、人間の非特異性の苦しみにレッテルを貼って、理解したフリをしようとするものであった。

結局のところ、どれも有益ではなかったし、ある意味では、どれもが有害であった。

原因についての説明は誤っていたし、推奨された治療はせいぜい偽薬効果が望めるくらいであり、治すつもりの問題をなおさら悪化させることも多かった。

しかし、これらのレッテルは説得力があるように聞こえ、さらには、新興の神経科学の大きな権威を拠り所にしていて、カリスマ性のあるオピニオンリーダーが後押しし、説明を求める人間の欲求にも適ったために、何十年も広く使われたのである。

こうしたことは、現在にもそのまま当てはまるように思えるし、重要な教訓を与えている。

それは、実にもっともらしいが、不正確で、有害なレッテルと原因理論が、世界で最も賢明な医師と最も賢明な患者を欺いた、ということである。

最も有力だった斬新な説が、実のところ完全な間違いだったということである。

おそらく、今日の説の多くとて、同じ道を辿るのではないだろうか。

さて、前回までに3つの流行のうち、神経衰弱と多重人格障害(MPD)については触れたので、「ヒステリー(現在は転換性障害のひとつとされている)」についても描いてみようと思う。

ヒステリーは、シャルコー、ジャネ、ブロイアー、フロイトという、当時、最も有名な神経科医4人が広めたものである。

ヒステリーは、神経系の配列や既存の神経系の病気に起因しない、不可解な神経症状を呈している患者を指して使われた。

最もよく見られたのは、麻痺、感覚の喪失、異常知覚、不自然な姿勢、失声、喉の詰まり、痙攣、めまい、失神であった。

シャルコーは、ヒステリーに取り組んだが、その常軌を逸したとも言える熱中ぶりや才気走った彼の姿勢に、人々はもっと警戒の目を向けて然るべきだったのかもしれない。

シャルコーは、とても暗示にかかりやすい患者と大勢の学生を引き寄せた。

ちなみに、フロイトもそのひとりであった。

学生たちは、ヨーロッパ中からパリに来て、師が実演するところを見学した。

それは、非常に劇的で、派手で、大人数を集めた。

.....足の不自由な人に催眠術をかけて症状を改善することが出来たようであるし、健常者に催眠術をかけて足を不自由にすることも出来たようである。

患者の多くは、同じ家に滞在し、シャルコーが見ていなくとも、互いが互いの症状を忠実に模倣したのである。

......。
どういうわけか、シャルコーは、こうしたことの重要な意味を見落としていたのである。

暗示の力とシャルコーを喜ばせたいという気持が、ちょうど、シャルコーもそうであったように、「患者」を「役者」に変えていたのである。

シャルコーは、結局、「自分が原因だと気が付かぬまま、脳疾患の曖昧な理論を展開した」のだが、おそらく、その理論は、人をさらに催眠術にもヒステリーにもかかりやすくするという弊害を生んだだけであっただろう。

シャルコーの催眠術がそうであったように、患者の暗示のかかりやすさに基づいて症状が消えたり現れたりし、医師と患者が強固な関係を結ぶときは、暗示が重要な要素になることは明らかだった。

フロイトは医師が患者から親のような役割を与えられることに対して、「転移」という語を使った。

転移によって患者は医師に結びつき、その影響をとても受けやすくなる。

しかし、フロイトは、精神分析では、暗示も非常に大きな役割を演じることを理解していなかったのである。

彼は、精神内部の葛藤を理解したが、過大評価し、現在の人間関係は理解出来ずに過小評価したのである。

精神分析は転換性障害の治療には役に立たなかったのかもしれないが、催眠術と同じく、転換性障害を広めことに寄与したのである。

皮肉な話だが、精神分析医よりシャーマンの方がうまく治療出来たのではないだろうか、という事例は散見される。

それは、シャーマンならば、患者の症状をメタファーとして理解し、それを取り除くもっと有効な方法を見つけたはずだ、と思える事例においてであるように思う。

神経衰弱と同様に、転換性ヒステリーも、助けを求める患者たちの主治医が神経科医から精神科医に替わると、消え去った。

神経科医のところに来る暗示にかかりやすい患者は、神経性の症状を患っていたため、精神分析医のところでは、もっと情緒や認知に関わる症状を訴える。

転換性の症状は、精神医療従事者が少なく、身体に症状があったほうが助けを求めやすい地域で、今も、見られる。

ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。

私自身が、長い闘病生活から這い上がってきているので、なかなか暗い文章になっているかもしれません^_^;

でも、良かったら、これからも、読んでやって下さいね( ^_^)

今日も、頑張り過ぎず、頑張りたいですね。

では、また、次回。


最新の画像もっと見る