「指導者は、どの程度歴史の流れを変えるのか、それとも、指導者は、歴史の流れを示す存在に過ぎないのだろうか。」
3400年前のトゥキュディデスの時代から、歴史学者たちは、「優れた指導者が歴史を作るのか」あるいは、「歴史が優れた指導者を作るのか」という議論を続けているように思う。
つまり、指導者が偉大に見えるのは、単に、彼ら/彼女らが地理、人口、気候、社会がもたらす計り知れない力の波に乗っているからなのか、それとも、彼ら/彼女らが歴史を動かす自立した力を発揮できているからなのか、という議論である。
しかし、アメリカ大統領選を前に、歴史学者たちと同様だが逆向きの冒頭に挙げたようなふたつの疑問が、私の頭の中に渦巻く。
ふたつの疑問に対して、私は、いつも、
「長期的に見れば歴史に存在する力がその流れを変えるが、短期的に見れば、指導者が歴史を変えるのであろう」という、とりあえずの答えに行き着いてしまうのである。
アメリカ大統領選を前にして、どのような指導者であれ、眼の前にある深刻な問題たちや、資金豊富な政治的反対勢力、人間の心に元来備わっている欠陥、ますます壊れやすくなる地球環境に直面すると、失敗は避けられないであろう、と、考えてしまう。
しかし、歴史には、政治の面で、希望を与えてくれる前例があるものである。
アメリカ国民の姿勢を変え、アメリカ合衆国が進むべき新たな方向性を示した、時代の変化をもたらす大統領たちの存在である。
ワシントンの統率力がなければ、アメリカという国は存在しなかったかもしれなく、存在したとしても、現在のような形の国ではなかったであろう。
それから、70年、
リンカーンの統率力がなければ、国民は、アメリカという国を存続させることは出来なかったであろう。
さらに、それから、70年、
ルーズベルトの介入がなければ、大恐慌の規模は、ずっと大きくなっていたであろう。
ルーズベルトが、大統領に就任したとき、アメリカは、現在よりもはるかに深刻な問題に直面し、今よりもずっと大規模な制度の変更を必要としていた。
世界中の株式市場が暴落し、貿易が行き詰まった。
労働者の4分の1が失業し、人々が飢えに苦しみ、経済およびその中で生きる人々すべてが、麻痺してしまったかのようであった。
しかし、このようなことに対して、ルーズベルトは、くじけることはなかった。
彼は、自信に溢れており、皆に自信を抱かせる方法を知ってもいたのである。
「唯一恐れなければならないのは、恐怖そのものだ」
という、大統領として彼が発した最初のメッセージは、全米に響き渡った。
その後、彼は「炉辺談話」を通じて、アメリカ国民と深い心の繋がりを築き上げたのである。
アメリカ経済の落ち込みを癒すには、まず、アメリカ人の心の落ち込みを癒さなければならないことを、ルーズベルトはわかっていたのである。
それから、70年、
アメリカ国民の多くは、オバマも変革をもたらす大統領になると期待した。
選挙運動における、彼の
「Audacity of Hope」
や
「Yes,We Can」
というキャッチフレーズは、ルーズベルトの精神を取り入れたものである。
オバマは、アメリカ大統領のなかでも、賢明で、論理的であり、公明正大で、客観的であり、独善的なところがない人物であると言えるかもしれない。
また、アフリカ系アメリカ人が、大統領に選出されたことは、リンカーンの時代以降、人種問題が前進していることを示す心強い証拠であった。
最も重要なことは、社会の幻想がもたらすあらゆる危機をオバマが深く理解し、そのような危機を避けるための最も合理的な提案をしていた点にある。
彼のビジョンに従い、その政策を実行していたならば、アメリカと世界は、持続可能性に向かって、今よりもずっと先に進んでいたかもしれない。
......。
オバマはブッシュから、急激な経済の落ち込みと勝つことが出来ないふたつの戦争という、酷いとしか言いようのない手札を引き継いだ。
しかし、オバマは、自分に配られた悪いカードで、慎重かつ上手にプレーした。
経済を回復させ、さらなる外交の失敗をほぼ回避したのである。
しかし、偉大な大統領になる可能性を秘めて就任したものの、オバマは、大半で失敗をし、そして、明らかに変革をもたらさず、大統領として退任した。
オバマは、共和党の反対や、自分の人柄がもたらす限界にも苦しんだ。
彼は、ごく普通の人間であり、人がよすぎたのである。
彼の大統領としての弱点は、人間としての彼の長所に在ったのである。
皮肉なことに、彼の謙虚さ、あらゆる問題を両面から見る能力、冷静で控えめな態度、感情に流されない客観的な判断力が、あだとなったのである。
最も変革をもたらす大統領というものは、良かれ悪しかれ、並外れた自己愛の持ち主であることが多かった。
つまり、普通のいい人、ではなかったのである。
歴史の進路を変える、あるいは少なくとも、その進行を先延ばしにする能力は、とてつもなく大きな自我と、非現実的とも思える夢、そして、大衆の本能的な感情を非常に深いレベルで惹きつける、持って生まれた才能によって、決まるのではないだろうか。
個性という、単純な力によって、彼らは、山をも動かし、これまで、社会の大原則だと思われていたやり方を変えることが出来たのである。
ルーズベルト、レーガン、クリントンは皆、その政策に賛否はあるであろうが、明らかに前世紀の政治の形を変えた。
残念なことに、オバマは、変革という点では、彼らと同じ功績をあげることは出来なかった。
ただ、複雑で、かつ、不思議な思いになってしまうのだが、トランプにはそれが出来る、のである。
これまでの自己愛の強い大統領たちとは、また異なる形で、良かれ悪しかれ、トランプは、すでに歴史上で、最も変化をもたらした大統領のひとりとなっている。
国の指導者とは、自己愛が強い者であり、人柄のきわめてよい人ではない、と考えるべきなのかもしれない。
問題は、指導者たちが、自分の自己愛を国民のために利用するか、それとも国民の意志に反する形で利用するか、ということではないだろうか。
ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。
毎日、暑いですが、夏野菜が美味しい季節になりましたね( ^_^)
最近は、夏野菜の料理に、下手ながら、ハマりだしております(*^^*)
今日も、頑張りすぎず、頑張りたいですね。
では、また、次回。