おざわようこの後遺症と伴走する日々のつぶやき-多剤併用大量処方された向精神薬の山から再生しつつあるひとの視座から-

大学時代の難治性うつ病診断から這い上がり、減薬に取り組み、元気になろうとしつつあるひと(硝子の??30代)のつぶやきです

「ここでも起こりうる」かもしれないこと

2024-06-28 06:56:18 | 日記
シンクレア・ルイスが『It Can't Happen Here(ここでは起こりえない)』を出版してから80年以上が経ってから、再びベストセラーになっているのは、当然のことかもしれない。

芸術が人生を模倣するように、人生が実際に芸術を模倣することがある。

バズ・ウィンドリップのほぼ生き写しや、ヒューイ・ロングの再来とトランプは恐れられているようであるが、本当に恐れるべきは、彼の台頭に映し出されている私たちの精神ではないだろうか。

トランプは、唯一無二の例外的な人間であって、アメリカ国民やアメリカの民主主義を反映した存在でない、と考えることは気休めにはなるだろう。

しかし、彼の台頭は全く予測出来なかったことではなく、私たちの精神を映し出したものであったのである。

さて、ルイスの小説『ここでは起こりえない』(1935年)は今(2024年)読んでも十二分に恐ろしい。

やり手のカリスマ扇動政治家バズ・ウィンドリップが、恐ろしい不景気を産む土壌が十分に整っていた中で、驚異的な経済的利益の獲得という、大げさな約束を掲げ、有権者の怒りと恐怖を煽り、
さらに、愛国心や、伝統的なアメリカの価値観、ユダヤ人や外国人に対する嫌悪の念に訴えかけることによって、アメリカ大統領に当選する。

その後、ウィンドリップは、民兵の後ろ盾を得て、独裁的な権力を振るうのである。

ルイスは、ヒューイ・ロングの人格と野望をもとに、ウィンドリップを描いた。

ヒューイ・ロングは、大恐慌時代のルイジアナ州で活動した大衆的な扇動政治家であり、アメリカの歴史上、最もトランプを彷彿とさせる人物かもしれない。

ロングは、自らを「キングフィッシュ」と名乗り、
「誰もが王様」
というスローガンを掲げていた。

既に、ルイジアナ州知事として、ほぼ独裁的と言ってもいい権力を振るっていたが、上院議員に選出されてからも長くその姿勢を維持していた。

1935年に暗殺されるまで、ルーズベルトに最も嫌われ、大統領選のライバルと恐れられていた。

(→ちなみに、ルーズベルトには個人的な、ロングをヒトラーに例えていた)

ロングの支持基盤は、トランプの場合よりもずっと組織化され、その分だけ規模も大きかった。

驚くべきことに、750万人の「富の共有」クラブ会員、2500万人のラジオ聴取者を従え、支持者から1週間に6万通の手紙を受け取っていたのである。

トランプと同様に、ロングも選挙集会での聴衆からの追随と、盛り上がった集会の雰囲気を堪能していたのかもしれない。

そして、トランプと同じく、自らの野心を満たすために、国民の味方を演じていたのではないだろうか。

ルイスは、ロングが暗殺されず、1936年の大統領選で、ルーズベルトに勝利した場合に、アメリカで起きることを想像してフィクションを描いたのである。

フィリップ・ロスの著書『プロット・アゲインスト・アメリカ』も同種の物語であるが、その設定は、1940年のアメリカ大統領選挙でリンドバーグがルーズベルトに勝利する、というものである。

ルイスは、扇動的に大衆の気を引くロングの振る舞いと、当時、ドイツやイタリア、スペインで権力を握ったファシスト政府とを重ね合わせることで、アメリカが架空のファシストに支配されることを想像したのである。

ニーチェは、
「狂気は、個人にあっては稀有なことである。
しかし、集団・党派・民俗・時代にあっては通例である」
と述べている。

トランプが大統領に再び就任する世界を私たちは恐れるのではなく、彼の健在な力やその背景、それを恐れる世界に映し出された私たちの精神を見つめ直す時期に、また、来ているのかもしれない。

ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。

明日から、また、数日間不定期更新となりますので、よろしくお願いいたします( ^_^)

今日は、トランプ氏とバイデン氏のテレビ討論会ですね^_^;

......今回こそは、まともな議論を期待していますが、まさか、同じ2人だとは4年前、ほとんど想像していませんでした(・_・;)

今日も、頑張りすぎず、頑張りたいですね。

では、また、 次回。


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