おざわようこの後遺症と伴走する日々のつぶやき-多剤併用大量処方された向精神薬の山から再生しつつあるひとの視座から-

大学時代の難治性うつ病診断から這い上がり、減薬に取り組み、元気になろうとしつつあるひと(硝子の??30代)のつぶやきです

「アメリカ」という理想が今までに経てきたこと(後編)-私たちが直面していることについて考えるⅡ⑫-

2024-03-15 06:38:03 | 日記
アメリカ例外主義は、アメリカ特有の現象である。

2016年のトランプの大統領選出や今(2024年)の大統領選について、十分に理解したいと思うとき、私はアメリカ例外主義の起源、またアメリカ例外主義の高潔な部分も不名誉な部分も理解したいと思うようになった。

「例外」という言葉をアメリカに対して初めて使ったのは、1830年代にアメリカを訪れていたアレクシ・ド・トクヴィルであった。

トクヴィルは、(当時の)アメリカ人が異常なまでに営利の追求に熱を上げ、文化的なものに興味が無いことに対し、著書『アメリカのデモクラシー』では、皮肉を込めて
「アメリカ人の状況は、まったく例外的である......彼ら/彼女らの起源はまったく清教徒的であり、商売一辺倒、ヨーロッパと隣り合っているために、彼ら/彼女らは、学問、文学、芸術研究をせずとも野蛮に帰らなくても済むようになっている......数多くの要因が与って、アメリカ人の精神を純粋に物質的な事柄を考えるように異様なまでに集中させた」
と述べている。

トクヴィルは、アメリカの悪い部分だけでなく、善い部分にも目を向けていた。

当時のアメリカ人は世界が不愉快になるほど他を押しのけながら、貪欲に働き、貯蓄にいそしんでいたのかもしれない。

しかし、その一方で、当時のアメリカは世界の希望でもあったことにトクヴィルは目を向けている。

アメリカは、アメリカの独特の歴史、国土の広さ、国民の多様性、豊富な天然資源、地理的な独立性、民主主義、自由な経済活動、個人の自由、個人主義、新たなアイデアや発明に対する寛容さ、少ない事業規制、豊富な商取引経験、機会均等という点で例外的な存在であったのである。

リンカーンは、アメリカ例外主義のより高尚で、向上心にあふれた側面を、最もよく体現した人物のひとりであろう。

リンカーンは、国民は、自分の生活を模範的なものにするだけでは十分ではなく、自分たちがよりよい世界への道標となる光を灯そうとする決意を、ゲティスバーグの演説で、
「戦死者の死を決して無駄にしないために、この国に自由の新しい誕生を迎えさせるために、そして、人民の人民による人民のための政治を地上から決して絶滅させないために、私たちが、ここで、固く決意することである」
というように表明している。

歴史の皮肉が当てはまるという点では、リンカーンも同じだった。

1863年11月におこなわれたこの演説は、アメリカが不当な動機で残酷な内戦を戦った、流血の戦場の一角であった場所で行われた。

このときのアメリカは、よりよい世界を目指す手本とは言い難かったが、リンカーンは決して希望を捨てなかったのである。

リンカーンは、ひとたび各州が結束すれば、アメリカという国は、やがて戦争の傷を癒し、高い道徳基準を取り戻し、人々を救いに導くと考えていたのである。

彼は、宗教にとらわれずに演説をし、人間とアメリカが抱える実に悲しい欠点を常に認識していた。

しかし、リンカーンは、常に人間の善き本性を探し求めていたし、頻繁にそれを見出してもいたようである。

彼からすれば、アメリカ国民はある意味選ばれた者であり、選ばれた者であるなら、貪欲さではなく、善良さにおいて「例外的な」存在とならなければならなければならなかったのである。

しかし
「過去は消して死なず、過ぎ去ってもいない」
のであった。

奴隷を許したレイシズムは決して滅びることはなく、その様相が微妙に変わっただけであった。

歴史にも、「もし」は無いが、もし、リンカーンが生きていて、アメリカという国の再建を指導していれば、彼が思い描いていた「もっと公正なアメリカ」が実現していたのかもしれない、などと想像するのも虚しいことなのかもしれない。

なぜなら、彼のあとを引き継いだうちの数人は、解放を台無しにするようなことをしてしまったからであり、その結果は、今日もはびこるレイシズムにはっきりと見てとれてしまうからである。

約160年前、黒人は文書の上では自由とされたが、
まず、厳しい人種隔離政策であるジム・クロウ制度によって、暴力にさらされ、投獄され続けた。
現在も、また、さまざまな部分で人種的・経済的な不公平をもたらす仕組みのなかで生きることを強いられている。

アメリカで最も偉大な作家のひとりであるマーク・トウェインが書いた、アメリカ小説の中の最高傑作のひとつである『ハックルベリー・フィンの冒険』は、
「black lives matter(黒人の命は大切である)」として、白人の偽善を打ち砕いた。

しかし、アメリカ初の映画大作『國民の創生』は、KKK(クー・クラックス・クラン)の価値を高め、ある意味トランプはその類の熱狂的な支持を集めて大統領選に勝利したと言えるかも知れない。

「すべての人間は生まれながらにして平等」、だが、奴隷を除くという但し書きがついているという、独立宣言の偽善に取って変わったのは、黒人の生活に対する日常的な偽善であったのである。

実際は、黒人はたびたび隔離されてきたし、よく不平等な扱いを受け続けていて、十分に大切にされているとは、言い難い状況のように見える。

南北戦争は終わってなどいなかったのかもしれない。

トランプの選出により、南部連合軍が、このたびの戦いに勝ったかのようにすら、思えてくるのである。

マーク・トウェインは、宗教に名を借りた
「明白な運命」や
「文明化の使命」という宗教的偽善に隠されたアメリカの帝国主義を嫌っていた。

彼が嫌っていたのは、すべての人間は生まれながらにして平等ではあるが、アメリカ人は他者を征服する特権を神から与えられている、あるいは、そうした役割を自ら任じている、という考えである。

そして、そのような考えから、アメリカ人は西部への移動を阻むネイティブ・アメリカンを殺害し、メキシコ人を倒して広大な土地を得、アメリカが作り上げたスペインとの戦争で植民地を獲得してきたのである。

ジャクソンから、ポーク、セオドア・ルーズベルト、ブッシュに至る大統領たちは、進んでアメリカの主税を行使し、アメリカの願望を限界まで追求してしまった。

マーク・トウェインは、セオドア・ルーズベルトのことを
「南北戦争以来アメリカに降りかかった最も恐ろしい災難」と評し、
「神はアメリカ人が地理を学べるように戦争を生み出した」
とまでに痛烈な冗談を飛ばした。

多くのアメリカ人が、ベトナム戦争、アフガニスタン、イラク......と終わりの見えない戦争をアメリカがしていることを疑問に思うのと同様に、
トウェインはアメリカがフィリピンで戦争をしている理由など理解できなかったのだと思う。

アメリカ例外主義は、アメリカが関わったあらゆる戦争を、アメリカ人に対して、 正当化するための手段に使われるようになってきている部分は否定できないものがあるだろう。

アメリカだけでなく、どの国も例外主義のなかで生きているのかもしれない。

私たちは、物事とをあるがままに見ず、見たいように見ている。

それは世界共通の人間の性のようである。

また、私たちは、あるがままに物事を見ない代わりに、商業的感心というレンズを通して、さらに私たち自身の貪欲さを理想主義の薄い膜で覆い隠しながら物事を見ている、と、私は、思うのである。

ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。

おかげさまで、「アメリカ」という理想が今までに経てきたことが、今回で(後編)と出来、終わることが出来ました^_^;

アメリカには、最近、よく触れてきたので次回からは、出来るだけ日本やロシアに触れてみたいと思っています。

また、よろしかったら、次回からも読んでやって下さいね( ^_^)

拙い文章が続きますが、よろしくお願いいたします(*^^*)

今日も、頑張りすぎず、頑張りたいですね。

では、また、次回。


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