おざわようこの後遺症と伴走する日々のつぶやき-多剤併用大量処方された向精神薬の山から再生しつつあるひとの視座から-

大学時代の難治性うつ病診断から這い上がり、減薬に取り組み、元気になろうとしつつあるひと(硝子の??30代)のつぶやきです

「アメリカ」という理想が今までに経てきたこと(中編)-私たちが直面していることについて考えるⅡ⑪-

2024-03-14 06:47:47 | 日記
多くの人たちがヨーロッパから上陸する前から、北アメリカ大陸がどの程度よい場所になるのかについては、対照的な見方が在ったようである。

16世紀初頭に、トマス・モアは楽観的視点から、「新世界」でさらに良い社会が出来ることを望んでいた。
(それから1世紀後、ウイリアム・シェークスピアは、例え住む場所を、変えたとしても、人間の本性にある欠陥を消し去ることは出来ない、と悲観的に予言した。)

モアは、コロンブスが亡くなってから10年後には、もう「ユートピア」という言葉を造り、直前に発見されたアメリカの沿岸部に近い架空の島をその場所として選んだのである。

今でこそ、よく、しかも自然に使われているが、「ユートピア」という言葉は語呂合わせである。

古代ギリシア語で「どこにもない場所」という言葉の音に似た「Eu-topia」が「よい場所」を指すことから生まれたものなのである。

モアは、自分が理想とする共和国は、「旧世界」のどこにも絶対に存在し得ないと解っていた。

しかし、モアは、「新世界」では、そのような国が確立されることを願っていた。

モアの理想の「アメリカ」像である「ユートピア」は、秩序が在り、平穏で寛容な場所であった。

秩序がなく混乱したイギリスのチューダー朝とは全く対照的であるといえよう。

(ちなみに、間もなくチューダー朝では、モアの友人であり、またモアを大法官に任命したヘンリー8世の命令で、モアは突如、反逆罪で処刑されてしまうのである。これらを知っているシェークスピアがのちに著した『テンペスト』は、モアの『ユートピア』を見事なまでに痛烈に皮肉っていた作品となっている。)

モアの理想のアメリカ像である「ユートピア」では、腐敗しきったヨーロッパから逃れてきた人が、名誉を回復し、さらに完璧な社会を造るチャンスを与えられいたので、そのような新世界に住む人々は、自由選挙で指導者を選び、不適切に権力を奪い取った者はいかなる者でも免職にする権利を持っており、さらに、外交術により戦争をする必要がない。

また、人口は注意深く抑えられ、本土から行き来する移住者の数を調節することによって均等に分散される。

さらに、どんな宗教の信者も受け入れられ、平和に暮らしていおり、財産は共有で、そこから得られる利益は自由かつ均等に分けられる。
全員が生産性のある仕事に就いているが、労働時間は1日に6時間なので、余暇と勉学のために十分に時間がある。
医療費は無料である。
女性の権利は、現代ほど十分ではないが、当時の基準をはるかに上回るものであった。

そしてモアは、中世カトリック教会の守護者であったために命を落としたにもかかわらず、物語の中では現在のカトリックの教義に全く反する離婚や安楽死、司祭の結婚を認めている。

モアは、またユートピアに法律家は必要ないとした。
ユートピアにおける法律は、とても単純だったので、誰にもよくわかるものであり、皆がそれに従っている、というのである。

私は、トマス・モアは、歴史上きわめて偉大な法律家のひとりであると思う。
『ユートピア』の決まり事の随所にモアの法律に対する、心を打つような、現実離れをしているかもしれないが、素晴らしい自己犠牲の精神がうかがえる、と、私は、感じるのである。

「アメリカ」がモアの夢を実現していたならば、本当に例外的な国≒「ユートピア」になっていたであろう。

ところで、
アメリカ建国の文書である「独立宣言」の冒頭に
「私たちは、以下の事実を自明のことと信じる。
すなわちすべての人間は、生まれながらにして平等であり、その創造主によって、生命、自由、および幸福の追求を含む不可侵の権利を与えられているということ」
ということばが在る。

独立宣言の起草に当たって、トマス・ジェファーソンは、モアの『ユートピア』から強い影響を受けていた。

しかし、ジェファーソン自身が奴隷所有者でもあったために、自分の現実が理想にかなうまでには至らないと分かっていたであろう。

奴隷制を擁するアメリカで、
すべての人間が
「生まれながらにして平等」
であることは、決して当たり前の話ではなかった。

また、ジェファーソンの個人的な経験からも、彼が独立を宣言した新しい国の経験からも、
すべての人間が生まれながらにして「不可侵の利益」を与えられていることを示すものは全く存在していなかったし、ジェファーソンお気に入りの私邸「モンティセロ」では、奴隷の権利が著しく侵害されていたともいわれている。

「アメリカ」は、高尚なユートピア的理想とともに生まれたが、その理想は常に日々の厳しい現実に裏切られていたのである。

「幸福の追求」という表現を誤って解釈したことも、今日まで、アメリカ例外主義の価値をおとしめてきた。

独立宣言の100年近く前に、哲学者ジョン・ロックは著書『統治二論』で

「何人も他人の生命、健康、自由あるいは所有物を侵害すべきではない」
「幸福の追求の必然性は自由の基盤である」
と述べた。

ジェファーソンはロックから、「幸福の追求」という概念を借用したのである。

「幸福」という言葉はロックやジェファーソンにとって特別な意味合いを持っていた。

彼らにとって幸福の追求は、より善い人間になることであり、もっと責任感のある市民になることを意味した。

個人の快楽や喜びではなく、
勇気、節制、正義という市民の徳を指した、古代ギリシャ哲学における「幸福」ということばを彼らは使ったのである。

アリストテレスは『ニコマコス倫理学』で
「幸福な人間は善く生き、善きことをなす。
なぜならば、私たちは幸福を事実上ある種の善き人生とか善き行為と定義づけてきたからである」
と述べている。
また、ロックは『人間知性論』で、さらに明確に
「私たちは、自分たちの最大ぜんとしての真の幸福を選択し、追求する必然性によって、個々の場合の欲望の満足を停止しないわけにはいかないのである」
と述べている。

つまり、人を惑わす幸福感は「真の堅固な」幸福ではないのである。

アメリカ独立宣言に盛り込まれた幸福の追求が「自由の基盤」であるのは、それがまさに個人の欲望の奴隷となることから解放され、よりよい市民となることを狙いとしたものだからである。

ジェファーソンが言ったように
「最大の幸福は、運命によって私たちが置かれる生活状態によって決まるのではなく、良心、健康、職業、自由を全力で追求した結果得られるもの」
なのである。

以来、確かにアメリカ人はひたむきに幸福を追求してきた。

しかし、それはアリストテレスやロック、ジェファーソンが考えていた市民の徳をだったのではなく、いつの間にかマスコミが宣伝する安直な幸福の追求になってしまった部分も在るように見える。

常に現実的だったベンジャミン・フランクリンはこうなることを見通していたかのように
「憲法は幸福追求の権利を与えているだけである。
幸福は自分でつかみ取らなければならない」
と述べている。

今、これまでにもまして、アメリカに限らず、世界中で、私たちが偽りの儚い消費の快楽にとらわれ続けることなく、持続可能な世界で、どうすれば真の幸福を最善のかたちで追求できるかについて真剣に考えるべき局面に来ていることだけは、確かなようである。

ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。

「アメリカ」という理想が今までに経てきたことの(後編)ではなく、中編)をお読み下さり、ありがとうございます^_^;

実は、前編と後編の予定を変更いたしましたm(_ _)m

次回こそ(後編)の予定です。

勝手な変更ですが、どうぞよろしくお願いいたします。

今日も、頑張りすぎず、頑張りたいですね。

では、また、次回。


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