フランス革命は、政治的事件であると同時に、思想的事件でもあった。
それは、簡単に言えば「個人」を構成単位とする近代国民国家国家の誕生である。
これは、ただの暴動・反乱ではなく、
「旧体制から個人を解放せよ」という革命の思想が伝染し、さらに伝播する可能性があった。
だからこそ、フランス革命は否定し、潰さなければならない、と、周辺諸国は団結し、軍を送り込んだのである。
しかし、これに対して、フランス側は、ヨーロッパ史上初となる「国民軍」でこれを迎え撃った。
1792 年、ヴァルミーの戦いでフランス国民軍を見たゲーテは、有名な
「この日、この場所で、新しい世界史が始まる」
ということばを記したとされている。
ゲーテは、国民軍の思想的意味を直感したのであろう。
革命は、やがて、ナポレオンの登場を生む。
コルシカ生まれの将軍に率いられたフランス国民軍の大進軍は、「個人」を解放する思想の伝播でもあったのである。
若きヘーゲルも、この思想運動に熱狂し、自らは難解な観念論哲学を大衆に分かりやすく説き、ドイツにおける啓蒙活動に邁進した。
このような思想の大転換は、芸術家にも影響を与えた。
ヘーゲルと同じ年のベートーヴェンも、例外ではなかった。
ベートーヴェンの生涯は、難聴となり、 自殺を考え、1802年頃に「ハイリゲンシュタットの遺書」を書く前と後に分けて考えられることが多い。
「ハイリゲンシュタットの遺書」を書く前のベートーヴェンは、モーツアルトやハイドンといった先輩音楽家に忠実に、すなわち、旧来の音楽形式に真面目に従って作曲を行っている。
しかし、作曲家として、致命的な難聴を患い、絶望し、「ハイリゲンシュタットの遺書」を書きながらも、ベートーヴェンは、外に聞こえる音に拘泥せずに、自分の内面に耳を傾け始めたのである。
このことは、当時の社会情勢とも相まって、ひとりの人間ベートーヴェンが生き、作曲する意味を根底から考え直させた。
「『新しい世界史が始ま』ったのならば、そこに生きる人間に相応しい音楽が、新しい形式が、必要である。」
と心に決めたベートーヴェンは、もともとの激しい気性をもって、猛然と新しい音楽を書き始め、「ハイリゲンシュタットの遺書」を書いた後の1802年頃から10年ほどの間に次々と傑作を生み出していったのである。
従来の古典派の音楽形式は吟味され、拡大構成され、巨大な「ソナタ形式」となった。
交響曲第3番「英雄」や第5番「運命」で、私たちが耳にするのは、ベートーヴェンが、苦悩と努力によって鍛え上げた新しい時代の形式なのである。
交響曲は、多くの聴衆、すなわち新時代の大衆に向けて書かれたが、パトロンである旧時代の貴族向けにも作品は書かれ、献呈されている。
そこにも、ベートーヴェンの新しい精神は活き活きと躍動している。
「ワルトシュタイン」は、ベートーヴェンのパトロンの貴族の名であり、彼に献呈されたために、このように呼ばれているのだが、ワルトシュタイン伯爵に献呈された曲は、たくさんある中で、この曲の特異性、重要性のため、特に名前が冠せられているのであろう。
打楽器的な和音の連打で始まる第1楽章は、ベートーヴェンが当時完成させつつあった巨大なソナタ形式の実験である。
意外な転調、展開を見せるが、何よりも、その音楽自体が堂々とした自信、風格を漂わせ、さらに優美ささえ兼ね備えている。
第2楽章も、当初は、長大なものが用意されていたが、あまりに全体が長すぎてしまうため、この楽章は外され、代わりに現在の短い、内面に向き合うような楽章が配置されたのである。
このことは、結果的に、斬新で、それまで誰も聴いたことのないピアノソナタの姿を生み出したのである。
それは、他人に向かって演奏するというよりも、孤独の中で、自らと対話するような思索が、そのまま、音となったような音楽である。
孤独な思索は夜の闇に似ているが、明けない夜はない。
夜の闇に、曙光が指すかのような明るい第3楽章が始まる。
朝霞の中から、壮麗な城が、その威容を現すかのように、音楽は、その壮大な姿を徐々に現してゆく。
さらに、第1楽章の主題も回帰してくるのであるが、ここにて、曲全体のドラマ性が明確になる。
それは、第2楽章という孤独の中から、再び人間が輝かしく、自信に満ちて立ち上がるという、再生のドラマなのである。
そして、この再生は、「人間ベートーヴェンの再生」であり、さらには、「新しい時代の新しい人間の誕生そのもの」であるのかも、しれない。
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