おざわようこの後遺症と伴走する日々のつぶやき-多剤併用大量処方された向精神薬の山から再生しつつあるひとの視座から-

大学時代の難治性うつ病診断から這い上がり、減薬に取り組み、元気になろうとしつつあるひと(硝子の??30代)のつぶやきです

日本は「アメリカ例外主義」とどう付き合ってゆくのか-私たちが直面していることについて考えるⅢ⑦-

2024-04-10 06:47:17 | 日記
アメリカ例外主義は、アメリカ特有の現象である。

それは、
「三塁ベースで生まれた国であるが、三塁打を打ったかのように振る舞うことがよくある」
と表現されたこともあった。

アメリカ合衆国の種は、類をみないほど豊かな天然資源に恵まれた広大な土地に蒔かれた。

そこは、疫病により先住民が衰退し、「空地」になってしまったかのような場所であった。

アメリカは、ヨーロッパ勢力による侵攻の脅威に直面することがほとんどなく、その一方で、西欧のテクノロジー、思想、資本の恩恵を十分に受けていた。

世界の多くの国々は、何百年、あるいはもっと長い間、成功と失敗を繰り返し体験してきたため、権力の行使に慎重であり、自国の限度をある程度は知ってはいるが、同時に、懐疑的で悲劇的な世界観を持ちがちな面がある。

一方で、アメリカは比較的若い国であり、さまざまな点で偉大ではあるが、同時に、未熟で衝動的な面があり、結果を顧みることなくリスクを冒しがちな面がある。

「例外」ということばを、アメリ化に対して初めて使ったのは、1830年代にアメリカを訪れていたアレクシ・ド・トクヴィルであった。

彼は著書『アメリカのデモクラシー』で、アメリカ人が異常なまでに利益の追求に熱を上げ、文化的なものにはあまり興味がないことを、皮肉を込めて、

「アメリカ人の状況は、だからまったく例外的であり、彼ら/彼女らの起源はまったく清教徒的であり、習慣は商売一辺倒、ヨーロッパと隣り合っていることが、学問、文学、芸術研究から、彼ら/彼女らの知的関心をそらせている。......数多くの要因があって、アメリカ人の精神を純粋に物質的な事柄を考えるように異様なまでに集中させた」
と述べている。

もちろん、トクヴィルは、アメリカのよい部分にも目を向けている。

トクヴィルが見た当時のアメリカ人は、他者を押しのけながら、あくせくと働き、貪欲に資金を貯めていたが、その一方では、アメリカは世界の希望でもあったのである。

なぜなら、その独特の歴史、国土の広さ、国民の多様性、豊富な天然資源、地理的な独立性、民主主義、自由な経済活動、個人の自由、個人主義、新たなアイデアや発明に対する寛容さ、少ない事業規制、豊富な商取引経験、機会均等という点で、例外的な存在だったのである。

さて、アメリカ例外主義は、確かにいつもある程度は正しく、アメリカ(や世界)によい結果をもたらすことも多かったことは、事実であろう。

アメリカは、国土の広さ、資源、富、営利企業、生産能力、押し寄せる移民たちを引きつけ、融合させる能力という点で、他に例を見ない。

そして、アメリカ例外主義は、アメリカを偉大にし、結束させる野心と楽観主義をもたらしたのである。
(→この中には2度の世界大戦から旧世界を救い、個人の自由と経済繁栄の手本を示した、という考え方も入っている)

しかし、アメリカ例外主義が、アメリカはもちろん、世界に重い荷物を背負わせており、世界におけるアメリカの立場をもはや正しく繁栄していないことを、アメリカも世界も、もちろん日本も、もっと早く認めるべきであった。

かつてアメリカの工業生産高は世界の半分を占めていたが、今や20%ほどにまで減少している。

まだまだ大きなシェアではあるが、もちろん、支配的というわけではなくなり、ヨーロッパ連合や中国より少なく、これから先を考えたとき、未来の現実的なリスクから目をそらして、これまでのような日米同盟で済むというような楽観的な予測をしている余裕は、私たち日本人にはないのかもしれない。

世界が、山積している難題に対処していくためには、今や「独りよがりの例外主義」は自滅的であるということ、また、「独りよがりの例外主義に追随すること」も自滅的であるということを認め、
さらに、「独りよがりの例外主義」が、アメリカにとって、また「独りよがりの例外主義にただ追随すること」日本にとっても、悪であり、世界にとっても悪であることを、アメリカも日本も意識しなければならない。

アメリカが合衆国になってから、95年後にイマヌエル・カントによって『永遠平和のために』が著された。

一見すると、前向きにみえるタイトルとは裏腹に、突き詰めればカントの人間に対する懐疑と風刺に満ちた内容想い出し、暗くなるが、
それからたいして変わってはいないのだが、今、やはり、世界各国が、本当の意味での「国際連合」とならなければ、世界は人類生存に関わる難題にまったく対応できないであろう。

また、アメリカがアメリカの、日本が日本の、それぞれの国がそれぞれの困難を解決しなければ、世界も世界が抱える困難を解決することは、到底出来ないのである。

アメリカは、世界の問題にきわめて大きく関わり、問題解決の担い手として、世界にとっても、日本にとっても非常に重要な存在であることには変わりない。

また、どの大統領になろうと、本当の愛国心は、決して「自国が正しいか、間違っているか」で語れるものではない。

日米首脳会談がはじまる。

さまざまな歴史をみているとき、いつであれ、どこであれ、ただ単なる卑屈な忠誠心は、現実に目を向けた建設的な批判よりも、自国を思う度合はずっと低い、と、私は思う。

もし、今、日米どちらの過ちをも、見抜いて正せなければ、その過ちはずっと続き、さらにそれを悪化させることになってしまうだろう。

実りの多い会談を期待したい。

ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。

総理が訪米し、日米首脳会談が行われるので、シリーズをいったん元に戻しました^_^;

「闘病生活で考えたこと」シリーズは、また、数回後に復活させる予定です......相変わらずふらふらした日記で本当にすみません^_^;)

こんな日記ですが、良かったら、お時間のあるときにこれかも読んでやって下さいね( ^_^)

今日は、何だか綺麗に晴れた朝で嬉しいです(*^^*)

今日も、頑張りすぎず、頑張りたいですね。

では、また、次回。


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