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夢の傑作映画館・高島与一

ドラマ・映画のシナリオ、ルポ、ドキュメンタリー、構成台本、小説、エッセーなどの執筆とドラマ論、脚本指導

紙芝居「約束~雲からさす光」(仮題)   

2013-06-10 23:28:05 | 芸術・文化
     紙芝居 「約束~雲からさす光」(仮題)   

 プロデューサー:YK、原案・文:高島与一、画:渡辺智教(とものり。ひかりの絵師。福島県伊達市から関西へ避難。)


◎原発反対、放射能汚染反対、ガレキ広域処理・焼却反対、被災者支援の各課題を統一的に訴える紙芝居を作成します。市民会館・区民会館・ホール、公民館などの母親サークル・子育てサークル、各種集会・アクション・講演会、公園で集まっている子育て中の母親グループ・遊んでいる子どもたち、学校・幼稚園・保育園、地域のイベントなど、どこへでも出かけて行ってアピールできるツールとして活用したいと考えました。

プロットに基づき、現在、デッサン進行中!


ご支援・ご協力をお願いいたします。

私は紙芝居屋のオッサンになりますwww


資金さえ許せば、絵本・舞台劇・映画・アニメなどへ……民衆の力で地域から子育てを、文化創造を!!! 拝金主義に抵抗する生活・暮らし・文化を!!!(言うときますけど、市会議員立候補のキャッチ・コピーと違いますので、そこんとこよろしくwww)


◎ポイント:子どもの目線で描く~小学校1年の女の子(望:のぞみ。仮名)を主人公に。紙芝居を観る子どもたち、母親たちが感情移入できるストーリー性のあるドラマ作品にする。ガレキ問題・原発問題を絵解きで説明・注入するのではなく、感性に訴える。
原発事故・ガレキ広域処理、焼却による汚染の広大は、家族や友だち関係に亀裂を生じさせたり、健康障害や不安、悲しい別離をもたらす理不尽なもの。大切な人間関係に、子や母に不安と悲しみをもたらしておいて、何が「絆」だ! これは子どもたちにも充分理解できます。子どもが心を動かせば、賢明な母親にも必ず通じます。東日本から関西へ母子避難した設定にします。

『麗しのヤマト~黒猫大和ラブ・ソング〗 作詞:阿倍乃工房

2013-03-05 03:34:13 | 芸術・文化



『麗しのヤマト~黒猫大和ラブ・ソング〗 作詞:阿倍乃工房



アジアの東端 ジパングに

起こりし 悲しき物語

浮ぶ要塞 不沈の空母

戦破れて 山河なし

揺らぐ地の底 大地の怒り

原子の暗雲 空おおい

黒い雨降り 悪魔の仕業

天の神さま 夏休み

核の傘かよ 破れ傘

傘の柄を持つ ウチナンチュウ

相合傘かよ マックとミカド

原始 あなたは太陽か 

垂直に飛ぶ 雄プレイ

母なる島よ 琉球弧

爆発するは 科学の粋

溶け落ちるのは アトムかウラン

燃料切れたか 鉄腕アトム

浮遊するのは 無主物ばかり

放射性物質 ホームレス

行方不明の 家なき子

風に流れて 西東

見捨てられしは 奥の細道

六ヶ所訪ねて 右左

探し物なら CIA

友だち作戦 司令官

仏の顔も 二度三度

抜け殻魂 無縁墓地

逃げ惑う民草 根無し草 

奪われし故郷 蝦夷はるか

望郷の叫び こだまして

ヤマト出陣 サクラ散る 

号泣するのか やおよろず

日はまた昇るか 風見鶏 

会議は踊る 午睡どき

文殊の智恵は 鼻提灯

まつりごとなら 空騒ぎ

踊り明かそう バーチャルに

ニッポン・ゴールド 金メッキ

ジャパン・シルバー 高齢者

ジパング 銅にかならんのか

格差 底辺 三角形

偏差値 ソロバン 偏西風

乱塾 爛熟 習い事 

子どものことなら 皆殺し

体罰なんぞ 生ぬるい

愛のムチ無知 パープリン

非国民など 木に吊るせ

13階段 行列だ

踊るガイコツ 晴れ舞台

時は止まって 骨董品 

歴史の終焉 崖っぷち

それでも地球は 回るのか

汚れちまった 悲しみに

今宵も滂沱 涙する

飲み干すべきか 毒杯を

10万年の 不眠症

未来と希望の 訪ね人

希望 絶望 迷い道

地獄 天国 酔っ払い

千代に八千代に さざれ石

ああ宅配の ヤマトは何処

屋根の黒猫 ラブ・ソング

天下泰平 ああ無情

天下動乱 最終戦

天下分け目の 関ヶ原

ああ麗しきかな ヤマトンチュウ

ああ惜しきかな 山途中

山途中 山途中     

ものみな、歌で始る

2013-03-04 03:16:42 | 芸術・文化


☆たった一人でも、その気になれば、ギターを持ってステージに立つだけで、軍隊をこの世界から一掃できるんじゃないかなんて考えていた。~ボブ・ディラン~(ニューヨーク。1985年)

【写真】たった一人でも、その気になれば、ギターなしで路上に立つだけで、原発をこの世界から一掃できるんじゃないかなんて考えている。~グリーン・マン(アマガサキ。2012年)

ものみな、歌で始る。初めに歌ありき。人生はミュージカル。

ホンモノの詩人

2013-03-03 22:24:40 | 芸術・文化


詩を書くからといって必ず詩人ってわけじゃない。

ガソリンスタンドで働いている人の中にも本物の詩人はいるよ。

(ロサンゼルス。1965年)

【ボブ・ディラン「自由に生きる」。イースト・プレス】

『酒と泪と男と女』

2013-02-17 23:04:46 | 芸術・文化


『酒と泪と男と女』(1975年。唄:河島英五)
http://www.youtube.com/watch?v=v0t--pFDTBE

『ガレキと焼却と市民と橋下~母のブルース』(2013年。未完成)

忘れて~しまいたい~ことや~どうしょうもない~不安に~包まれた~時に~母親は~線量を~測るの~でしょう~

焼いて~焼いて~ガレキ~焼いて~焼いて~焼き続けて~撒き散らすまで~焼いて~やがて~汚染は~静かに~広がるの~でしょう~ 


またひとつ~市民の方が~偉く思えて来た~

またひとつ~橋下の狡さが~見え~て来た~私は~母親~許すなんて~できないよ~ 

今夜も~子どもを~守って~眠りに~つかせるのさ~


私は~母親~不安を見せるなんて~できないよ~

泣いて~泣いて~ひとり~泣いて~泣いて~泣きつかれて~眠るまで~泣いて~

やがて~私は~静かに~決意するの~でしょう~





ベジキャラ・マーチ

2013-01-06 05:21:29 | 芸術・文化


謹賀新年! 私は、「禁ガ・レ・キ信念」の方です。

誕生日のお祝いを下さった皆さん、どうもありがとうございます。私は、出ベソが直角に曲がっていまして、まったく素直じゃない困り者ですが、素直にありがとうございます。

4日、大阪市役所前で「ベジタブル・キャラバン2013」のアクションがあったのですが、当日の進行表と「ベジキャラ・マーチ」の最終校正が朝方5時半頃までかかっていまい、メール送信を終えたあと、眠ってしまうと起きられないのが分かっていましたので、そのまま起きていようと思ったのですが、あまりにもシンドイので、床の上に横になったら眠りこんでしまい、参加できませんでした。

私が声かけして参加して下さった仲間の皆さん、ホントに申しわけありませんでした。なかなか楽しいアクションになったようで、ホッとしています。ご協力いただいた皆さん、ありがとうございました。まだ、第2弾もやるようです。

残念なのは、せっかく完成した「ベジキャラ・マーチ」をご披露できなかったことです。メール送付していましたので、誰かが代わりに歌ってくれたかなと思ったのですが、芸達者が多かったようで、未発表に終わったらしいです。それで、ここで発表させていただきます。

「べジキャラ・マーチ」 

1.幸せは 歩いて来ない
  だから歩いて行くんだね
  一日一歩 三日で三歩
  三歩進んで 二歩下がる
  人生は ワンツーパンチ
  汗かき ベソかき 歩こうよ
  あなたが つけた足跡にゃ
  キレイな花が 咲くでしょう

腕をふって 足をあげて
休まないで歩け
ソレ、ワン、ツー、ワン、ツー
ワン、ツー、ワン、ツー

2.ベジタブルは 歩いて来ない
だから丹精こめるのさ
一日一歩 半年でべジポ
一年耕し 草を取る
百姓は いのちを守り
汗かき ベソかき 進むのさ
わたしが 耕す畑には
安心野菜が できるでしょ

腕をふって  足をあげて
休まないで歩け
ソレ、キャベツー、キャベツー
ニンジン、ダイコン

3.収穫は 歩いて来ない
だから野良仕事してるのさ
百日百歩 千日千歩
種を蒔いては 水をやる
人生は 百姓仕事
未来に向かって一歩ずつ
みんなで耕す社会には
あったかいお陽さま 照らすでしょ

腕をふって 胸を張って
休まないで 歩け
ソレ、キャベツー、ハクサイ
ナスビー、キューリー
 キャベツー、ハクサイ
ナスビー、キューリー
 キャベツー、ハクサイ
ナスビー、キューリー
 休まないで 歩け

私は最近、休み過ぎています(笑)

今、保育所・幼稚園で流行っている童謡

2012-11-28 22:56:02 | 芸術・文化


♪「橋下さんちの徹くん」(本歌:「山口さんちのツトムくん)

橋下さんちの徹くん

この頃少し変よ

前から変よ

ガレキを受け入れるなって言っても

汚染を止めろって言っても

いつも答えは同じ

燃・や・す

フザケンナッ!


☆明日29日~30日大阪市此花区舞洲清掃工場で100トンの放射能・有害重金属で汚染されたガレキが試験焼却されます。

童神

2012-09-20 02:27:15 | 芸術・文化


原発震災以降、私は何でもそこに発想が結びついてしまいます。

この歌を聴いて、これは脱原発の「子どもを守れ!」とのシュプレヒコールの心そのものではないかと感じてしまう私がいます。

沖縄の「命どぅ宝」、命こそ宝物との優しい文化が見事に歌われています。
「子どもを守ろう」なんて当たり前のことを叫ばないといけない事態に、世の中の狂いが如実に現れています。

疲れた時にこの歌を聴いて、シミジミと亡き母を想い、我が娘たちを想い、放射能汚染ガレキ焼却・埋め立てに反対して闘っているお母さんたち、原発再稼働に抵抗する母たち、鬼となった「福島の女たち」に想いを馳せ、また明日からの運動への励みにしたいと思うのです。

「被災地ガレキ受け入れ」8・30大阪市民説明会の会場前で、関東から母子避難されて来た女性がマイクで叫びました。
「橋下市長、あなたもお母さんの子宮から生まれて来たんでしょ! お母さんの言うことを聴きなさい!」

大抵の男性政治家は、そのことを忘れていますね。そこに思いを致せば、こんな酷い政治など、できる訳がないのですから……。


◎童神  夏川りみ

http://www.uta-net.com/movie/124863/

危険な生活

2012-07-25 07:03:45 | 芸術・文化
学生の10分脚本で、「世界を変える」「現実を壊す」という表現にぶつかり、拘りが生じてしまった。

2人の学生の別の作品だが、主人公は15~16歳の設定で共通。偶然に銃を手にすることも共通。この手にした銃で万能感を得て、「世界を変える」「現実を壊す」行動に出ようかと葛藤するのだ。その行動の方向は、犯罪的行為だ。

ところが、主人公の眼に映っている「世界」や「現実」とはどんな姿をしているのかが、まったく描かれておらず抽象的なのだ。作者と作品の主人公は同じではないが、作者の眼に映じる「世界」や「現実」が獏としていたとしたら、当然ながら主人公もその制約の中の人物になってしまう。

主人公が社会一般に対する漠然とした不満・不安を感じているらしいのは、それとなく分かるのだが…。

念のために言っておくが、主人公が犯罪行為へ走ろうとすることを問題にしている訳ではない。そこに必然性が描かれてあれば、作品として評価はする。ドラマは「道徳」の教科書ではないし、そうあってはならない。

この主人公たちの発想・行動を作者が客観化し、突き放し、批評的に戯画化しえているか、あるいは共鳴しているかが問題となるが、どうも後者らしい。もちろん、どちらでもない可能性も高い。つまり、「ただ面白い(と作者が感じる)」お話を作ったに過ぎない可能性も高いのだ。

この作品の実習をどう行うか…。

抽象論・一般論で論じることも可能だが、元々抽象的にしか考えられない学生に対して説得力はない。抽象論に抽象論を対置しても、大抵が水掛け論で終わってしまうことが多いのだ。恐らく「抽象的想念」に絡め獲られ、それを頑固なまでに金科玉条とし、具体的「世界の現実」に目を向けず、あるいは目を閉ざしているのだろうから。

自己の「抽象的想念」の虜になっていて、他者の論に素直に心を開くような柔軟性が欠落しているのだ。あるいは壊れ易い「ちっぽけな自我」の殻を被って他者(客観的な世界の現実も)の侵入を撥ね返している。もちろん、そのことに対する自覚はなく、「ちっぽけな自我」が自己の中で無限大にまで膨張している。新興宗教の教祖のようなものだ。世界の現実・他者の入り込む余地などない。

このことをもう少し平たく言うと、大人の世界の話に直すなら、「イデオロギーに凝り固まっている」と言うことになる。自己のイデオロギーの無謬性を信じて疑わないのだ。具体的な現実を遮断していたら当然そうなる。

一方で、脱原発闘争の中で(それには限らないが)、世界の現実と対峙し、それと切り結んでいる若者たちとも接しているだけに、これらの「抽象的想念のお化け」のような若者の存在は気になる。

それが、自分の仕事の場での関係だけに無視して済ませることはできない。

ひとつの方法としては、現場のフィールドワークであろうが、私の授業は「社会学」を担当しているわけではなく、制約も多い。具体的現実を知らせると言っても、馬を水辺に無理やり引き連れて行くことはできても、無理に水を飲ませることはできないとの譬えのように、内的モチベーションが不在では教育効果はあまり期待できないし、そこに教育という営みの難しさがある。「福島へ行け!」と言い放って解決するような問題ではない。

私は、「ある現実」として、「3・11以降」の現実を示した。福島や福井で撮影した映像や写真を見せつつ、話を交えて、この学生たちの抽象的作品と異なり、「既にどれだけ現実の世界は壊れてしまっているか」を指し示した。

ドラマの脚本演習に、なぜこのような授業をするのかの説明は一切しなかった。私の長年の教育実践の中でも異例であり冒険であった。極端に言うと、クビがかかってしまう暴挙であったのかも知れない。

2コマの授業だったが、一人の男子学生は、1限目の授業の終わりに「次の時間も、これを続けるのか?」と質問して来た。面食らったのだろう。ドラマの脚本の授業と、今展開されている講義の関連を思考する姿勢が彼には無かった。多分、それは無理な注文なのだろう。彼には「ドラマの脚本の授業は、ドラマの脚本の授業であって、それ以外ではありえない」のだ。

意図が伝わらなかったら、一般的に言って失敗であり、「何故、こうするか」の意図を明示するのは、講義の常識であり、親切な授業とされている。そのことは、私にも分かっている。

それは「講義の仕方」に止まらず、「創作の仕方」「新聞記事の書き方」「会議の持ち方」「営業の仕方」等々、あらゆることに通じる「常識」として広く伝播しており、そういうマニュアル本やスクールも巷に蔓延している。

マニュアル通りに暮らすことが大嫌いで、常に破壊衝動に駆られるような私には鬱陶しい世間様だ。

わざと意図を示さず、先入観を与えずに、「ある現実」を「素材」としてぶつけることで、学生たちの「常識の混乱」→「混沌」→「思考」のプロセスを狙ったのだから、あえて意図は示さなかった。「常識的」に言うと、不親切な授業を敢えてやったのだ。私は、普段は「親切な授業」を心がけている。

一人の女子学生は、1時限終了後、「気分が悪くなった」と告げ早退した。原因は分からない。あまりにも、死の話と放射能汚染の話をしたからだろうか…。

おそらく、私の実験的授業は「失敗」に終わり、学生の困惑と不満と失望と生理的不快をもたらし、大学当局から落第講師の烙印を頂戴するような結果だったのだろう。

また、やってしまったな…。あるメーリングリストで夜中に脱原発関連の書き込みをして、「あなたの言うことは分かるが、私は明日も仕事なのだから、夜中にメールしないで」と婉曲な拒否に直面した時のように。

原発崩壊、放射能汚染という社会の崩壊の危機に直面している時に、「面白おかしいドラマを作りましょう」という自己の世界に閉じこもれない私は、発言し行動を続ける。

「安穏な楽しい日々」を送りたい人たちに、シビアな「世界の現実」をメッセージし、啓して遠避ざけられる。

大飯原発4号機がフル稼働したそうですよ。「何? そんなこと聞きたくない」。ごもっとも…。

「明るい未来」と「生活と精神の安定」のため、あなたは「見ざる、聞かざる、言わざる」を選択し続けられる…? ごもっとも…。それが、「世間の常識」と言うもの。「お幸せに…」と呟くのみ。

「世界の現実」をシャットアウトし、「ロンドンオリンピック開幕」なんてことを喋っているのが楽しい。ごもっとも…。「思考停止」は精神安定の本ですよね。

私には呟くことしかできません。「原発は爆発。オスプレイは墜落。爆発するのは、芸術だけにしてくれ…」。墜落して、爆発もできない芸術に、どんな意味があるのですか…?

思考停止で明るい未来。思考停止を分かり易く譬えると、「ボケ老人」のようなもので、現実が遮断されているため悩むことは少ない。

つくづく嫌な性格だ。





新藤兼人

2012-06-21 23:03:27 | 芸術・文化
5月29日に、映画監督・脚本家の新藤兼人さんが100歳で逝去された。

敬愛する監督だった。

私が教える若い学生たちは、新藤さんの名前さえ知らないかも知れない。

ぜひ、学生たちに新藤さんの偉大さを伝えておかねばならないと思った。

新藤さんの映画を、まず観てもらおう。

作品は何にするか?

同時に、私には一つの悩みがあった。

若い学生達に、現実に起こっている原発問題に向き合ってもらいたいとの思いだ。

ただ、私が教えているのは、映像ドラマの脚本創作であって、社会学や政治学などを担当している訳ではない。

担当している科目と原発問題との接点、切り口が掴めず悶々と時間が経過して行った。

だが、新藤作品の中に接点があった。

『第五福竜丸』を上映しよう。

ビキニ環礁での水爆実験で被ばくしたマグロ漁船の乗組員の話だ。

現実社会に生きる人間と、それを取り巻く社会を直視することなく、ドラマを創作することなんかできないという新藤さんの信念を、若い学生たちに伝えることができるか?

課題は重いが、切り口を与えてくださった新藤さんに感謝。