【以下、「さいなら原発尼崎住民の会」メーリングリストへの投稿。転載】
みなみなさま
言葉、表現に対する人間の感受性は確かに多様です。当事者(これも10人10色なんですが)が不快と訴えられることについては、たとえ一人の意見であっても私は尊重したいと考えます。
ネット社会に遅れて参入し(6~7年でしょうか…?)、ネット用語に慣れるまで戸惑って来ました。「拡散」もネット用語として溢れかえっており、私も情報を広める手段として、とくに考えることなく、コピー転載を含めて今まで多用して来ました。
今回の問題提議を受けて、私自身は使用しないようにしています。なるほどと思う指摘だったからです。これは、あくまで私個人の受け止めであって、個々がどう感じ、どう対応するかの問題だろうと思います。もちろん議論も自由でしょう。
私は、個人間であれ、多人数に対してであれ、不快と感じさせる可能性がある表現については、イマジネーションを働かせる努力はしたいと考えます。指摘されてから気づくことは、もちろん多々ありますが…。
私自身は、表現者の端くれにおりますので、不特定多数を対象に表現する場合も、とても「言論・表現の自由」と「差別されたくない、不快に感じさせられたくない権利(言葉がこなれていませんが)」との間で、悩みます。
「言論・表現の自由」は、基本的人権の重要な構成要素ですが、そのすべてではないと考えています。権力者に対しては、この権利を最大限行使し、権力側からの言論規制には抵抗したい所存ですが、民衆・人民の間においては、最大限の配慮をしたいと考えています。「言論の自由」は、「誰に何を言っても良い自由」とは考えていないからです。
とくに、政治家や上級官僚の粗雑で無責任極まる言辞に対しては、最も厳しい批判を展開する必要があると考えます。
私は、ブラック・ユーモアが好きで、反原発の「毒舌コント」をネット上に書いたりしています。友人から、「ふざけ過ぎだ」と忠告されたりしています。被災された方々の心情に想いを馳せる努力はしてはいますが、現実には不快感を感じておられる方もあり得ます。
福島県浪江町の方(避難しておられます)が、留守宅の戸に、「放射能体験ツアー大募集中!! 東電セシウム観光 先着100名無料」と自筆の落首を貼り出しておられます。私の「毒舌コント」をふざけ過ぎと言っていた友人のところへ、その写真が送られて来ました。私は絶句しました。当事者が、自ら置かれた境遇を、強かに辛らつに笑い飛ばす精神力…。(私自身は、昨年4月末に友人たちと浪江町へ行き、線量計が25マイクロシーベルト超を表示するのを見た途端に気分が悪くなったような人間です。)
しかし、だからと言って、この精神力を全ての原発震災被災者に求めるのは、酷というものです。福島を中心とする放射能汚染に日々悩む方々の心痛は、なかなか想像力の及び難い状況にあると思います。ただ、少しでも理解しようとする努力、受け止めようとする努力は、できるだけ続けたいです。
以前、週刊誌で紹介された福島第一原発で事故処理作業にあたる下請け・孫請け労働者の写真を見た時にも絶句しました。防護服の背中に、「ユッケが怖くて、原発へ入れるか!」と言うような落書きを自らされていたのです。当事者が自虐的に、こう書くことはできても、その恐怖の当事者でない私が、そのように表現することはためらいます。と言うより、当事者のみが表現できる重い言葉です。私にできるのは、「このように書かれていた」と紹介するくらいです。
以下、10日に撒く予定のビラには、浪江町の落首の写真は貼って紹介するつもりです。
以下、ビラの一部です。
「震災から1年が過ぎましたが、放射能で汚染された福島は、全くといって良いほど変わっていません。浪江町の今野秀則さんの手紙には、モデル的に行われた家の放射能が少し下がったとありましたが、それは、ほんの一部で家の周りの山や林などの除染をしない限り、再び汚染されてしまうであろうと書かれていました。そしてもう戻れないのではという思いがよぎり、たまらなく辛いとありました。政府は、未だに放射能に汚染された土などの最終処分場を決められずにいます。
下の写真は、浪江町の家の窓に張り出された落首(落書の歌)。原発事故に対する沸々とした怒りを、苦い皮肉のユーモアに包んで表現されたものもありますが、どこかに、何かにぶつけないではおられない福島現地の方の心情が伝わって来ます」。
今後も、悩みながら、考えながら、権力者に突き刺さるような表現や、民衆の生活に根ざす喜怒哀楽の表現を目指し、努力をして参りたいと考えます。
問題提議、ありがとうございました。猫背の背筋を少しばかり伸ばしていただきました。長文、失礼します。
みなみなさま
言葉、表現に対する人間の感受性は確かに多様です。当事者(これも10人10色なんですが)が不快と訴えられることについては、たとえ一人の意見であっても私は尊重したいと考えます。
ネット社会に遅れて参入し(6~7年でしょうか…?)、ネット用語に慣れるまで戸惑って来ました。「拡散」もネット用語として溢れかえっており、私も情報を広める手段として、とくに考えることなく、コピー転載を含めて今まで多用して来ました。
今回の問題提議を受けて、私自身は使用しないようにしています。なるほどと思う指摘だったからです。これは、あくまで私個人の受け止めであって、個々がどう感じ、どう対応するかの問題だろうと思います。もちろん議論も自由でしょう。
私は、個人間であれ、多人数に対してであれ、不快と感じさせる可能性がある表現については、イマジネーションを働かせる努力はしたいと考えます。指摘されてから気づくことは、もちろん多々ありますが…。
私自身は、表現者の端くれにおりますので、不特定多数を対象に表現する場合も、とても「言論・表現の自由」と「差別されたくない、不快に感じさせられたくない権利(言葉がこなれていませんが)」との間で、悩みます。
「言論・表現の自由」は、基本的人権の重要な構成要素ですが、そのすべてではないと考えています。権力者に対しては、この権利を最大限行使し、権力側からの言論規制には抵抗したい所存ですが、民衆・人民の間においては、最大限の配慮をしたいと考えています。「言論の自由」は、「誰に何を言っても良い自由」とは考えていないからです。
とくに、政治家や上級官僚の粗雑で無責任極まる言辞に対しては、最も厳しい批判を展開する必要があると考えます。
私は、ブラック・ユーモアが好きで、反原発の「毒舌コント」をネット上に書いたりしています。友人から、「ふざけ過ぎだ」と忠告されたりしています。被災された方々の心情に想いを馳せる努力はしてはいますが、現実には不快感を感じておられる方もあり得ます。
福島県浪江町の方(避難しておられます)が、留守宅の戸に、「放射能体験ツアー大募集中!! 東電セシウム観光 先着100名無料」と自筆の落首を貼り出しておられます。私の「毒舌コント」をふざけ過ぎと言っていた友人のところへ、その写真が送られて来ました。私は絶句しました。当事者が、自ら置かれた境遇を、強かに辛らつに笑い飛ばす精神力…。(私自身は、昨年4月末に友人たちと浪江町へ行き、線量計が25マイクロシーベルト超を表示するのを見た途端に気分が悪くなったような人間です。)
しかし、だからと言って、この精神力を全ての原発震災被災者に求めるのは、酷というものです。福島を中心とする放射能汚染に日々悩む方々の心痛は、なかなか想像力の及び難い状況にあると思います。ただ、少しでも理解しようとする努力、受け止めようとする努力は、できるだけ続けたいです。
以前、週刊誌で紹介された福島第一原発で事故処理作業にあたる下請け・孫請け労働者の写真を見た時にも絶句しました。防護服の背中に、「ユッケが怖くて、原発へ入れるか!」と言うような落書きを自らされていたのです。当事者が自虐的に、こう書くことはできても、その恐怖の当事者でない私が、そのように表現することはためらいます。と言うより、当事者のみが表現できる重い言葉です。私にできるのは、「このように書かれていた」と紹介するくらいです。
以下、10日に撒く予定のビラには、浪江町の落首の写真は貼って紹介するつもりです。
以下、ビラの一部です。
「震災から1年が過ぎましたが、放射能で汚染された福島は、全くといって良いほど変わっていません。浪江町の今野秀則さんの手紙には、モデル的に行われた家の放射能が少し下がったとありましたが、それは、ほんの一部で家の周りの山や林などの除染をしない限り、再び汚染されてしまうであろうと書かれていました。そしてもう戻れないのではという思いがよぎり、たまらなく辛いとありました。政府は、未だに放射能に汚染された土などの最終処分場を決められずにいます。
下の写真は、浪江町の家の窓に張り出された落首(落書の歌)。原発事故に対する沸々とした怒りを、苦い皮肉のユーモアに包んで表現されたものもありますが、どこかに、何かにぶつけないではおられない福島現地の方の心情が伝わって来ます」。
今後も、悩みながら、考えながら、権力者に突き刺さるような表現や、民衆の生活に根ざす喜怒哀楽の表現を目指し、努力をして参りたいと考えます。
問題提議、ありがとうございました。猫背の背筋を少しばかり伸ばしていただきました。長文、失礼します。