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夢の傑作映画館・高島与一

ドラマ・映画のシナリオ、ルポ、ドキュメンタリー、構成台本、小説、エッセーなどの執筆とドラマ論、脚本指導

『フクシマを歩いて~ディアスポラの眼から』(徐京植)

2013-04-15 03:31:06 | エッセイ


『フクシマを歩いて~ディアスポラの眼から』(徐京植)は、毎日新聞社から2012年3月に発行された本。

作者の徐京植(ソ・キョンシク)は、1951年、在日朝鮮人(韓国籍)二世として京都市に生まれる。

ディアスポラ(離散の民)のアイデンティティをめぐる諸問題について多様な角度から考察することを研究テーマとしている。

本の帯封の文章を紹介する。

【以下、転載】

☆苦しみへの想像力

戦争や植民地支配によって離散者(ディアスポラ)となった人びとの声を刻み続けてきた著者が、原発事故で生活を破壊された人びとと向き合う。

現代史の様々な苦難との関連のなかで福島の惨事を語る、3・11以後の思想的結晶!


……被害の中心から遠い人々ほど被害の真実にみずからの想像力を及ぼそうと努めなければならず、被害の中心に近い人々ほど勇気をもって苛酷な真実を直視しなければならない。ひどく困難なことだが、目の前で起きている事態がそのことを私たちに要求している。私たちの想像力が試されているのだ。……「地上の有力者よ、新たな毒の主人たちよ」より

(以上、転載おわり)


ミサイル騒動で浮き足立っている人たちにこそ、この本を読んで欲しいと思う。ミサイル・スキャンダルが福島の現実を隠蔽するからというだけの理由からではない。

離散者は内部に存在する外部である。内部に取り込まれてしまわない客観的な眼を持ちやすい。もちろん、これは可能性の問題であって一般化はできないとしてもだ。これも一般論だが、内部にあって想像力で外皮を食い破って外部からの眼を獲得するには、修練がいる。

離散者とは、福島や東日本から西日本への避難者、離散者しかり。

内部とは「近代国民国家」の内部という意味である。想像力において「近代国民国家」からの離散者になることは至難の業と言わねばならない。もちろん、その場合には、「非国民」というレッテルや非難が待ち受けている。

「ガンバロウ! 日本」のスローガンから距離を置ける人たちは、どれだけいるのか……。


現実と非現実の逆転現象ということを長年考え続けている。

きっかけは、1995年だった。もう18年も経過してしまった。

阪神淡路大震災とオウム事件の年。どちらもが、想像を絶する出来事だった。どんなに優れた小説家や脚本家であっても、この現実以上の虚構的真実を創作することができるのか……? それがちっぽけな創作者としての自己への問いかけだった。

そして時代はネット時代、バーチャル・リアリティ爛熟時代へと突入していく。

世紀が改まり2001年。ニューヨーク、ツインタワーへの飛行機突入、崩落。ペンタゴンへの謎の飛行物体の突入。世に言う「同時多発テロ」の発生。ちなみに、この事件の真実はアメリカ政府の公式見解にも関わらず、未だ未解明である。

ある日本の新聞に、一人の映画監督が「映画のような現実」というような表現の寄稿をした。まさに現実が映画(非現実)を模倣したかのようだったのだ。本来、小説や映画などのフィクションは現実の模倣であるはずなのに……。映画が、どれだけ巧みに作られたかで、「リアルだ」とか「リアリティがある」とか評価されてきた。

私は、このとき、何年後かにこの事件が必ずハリウッドで映画化されるだろうと予測し、うんざりした。非現実を現実が模倣し、それを非現実が再び模倣することによって、真実はますます隠蔽されていく。

現実を超えるフィクション、虚構の中で現実の人間と社会の真実を描くことは、最早不可能な時代なのか……。

私は、創作不能者に陥ったままだ。創作は絶望に至る想像力の中からしか生まれ得ないのか……。

私的言語と政治言語

2013-03-20 06:10:53 | エッセイ
中学生の時に、私的言語を作ろうと思ったことがある。実際に少しだけ作ってみた。

私的言語というのは、個人的に作った言語のこと。極私的言語だ。文章ではなく、言語そのものを独自に創作してしまうのである。だから、誰にも意味が通じない。他人とコミュニケートできない言語だ。その言語の意味を誰か一人に教えれば、その人とだけは意味が通じる。

既存の諸言語の壁を超えて、誰にでも通じる言語を創造しようとエスペラントができた。世界共通言語を持ち出さなくても、近代国民国家の成立時には、方言による壁を克服するために、共通語=標準語なるものが考案されたりした。

どうして誰にも通じない言語なんか考える必要があるのか。そんな必要はない。ひょっとすると、国民的統合を忌避したい潜在意識が働いていたのか。そんなこともないだろう。

「必要は発明の母」とか言うから、必要のないことをするのは、単なる遊びにしか過ぎない。必要に迫られての行為ではないので、すぐに止めた。

私的文字までは考えなかったので、カタカナ表記にした。使用していない言語を、何十年も経過して忘れていないのは不思議だが、老化現象が昂進している昨今のこととて、この先いつまで覚えていられるか保証の限りではないので、この際、書きとめておくことにした。

と言っても、これだけである。

イッチン チャッチン チャガラカ ロッパ シギリキ ムギリキ ウントコ ベッチャン チロリン キュウ

意味は教えない。教えると通じてしまうので。

権力者の言語だって、民衆には通じないのだから、同じようなものである。通じない言語を操っている彼らは遊んでいるということなのか。正確には、言葉をもてあそんでいると言えばいいのか。とりあえずは日本語のようだったりするので、勝手に意味を解釈してくれる人がいたりするだけのことである。

私の私的言語の意味も勝手に解釈してくれたまえ。どっちみち大したことは表現されてはいない。意味がよく分からないと、何か深遠なことを語っていると錯覚してしまう「哲学書」なんかに幻惑されないことだ。

そういう意味では、権力者の言語と似たりよったりである。

筆一本

2013-03-03 22:54:38 | エッセイ


◎写真:なぜ、「たばこ」の看板はひっくり返っているのか? 現実とは、このようにウソみたいなのだ。


2007年12月02日07:26 【再録】

 オレはライターとして、いろんな仕事をしたもんだ。筆は一本、箸は

二本、所詮かなうものではない、と斎藤緑雨先生が言われたそうだが、

筆一本で飯を食うのは至難の技だ。と言っても、オレはパソコン一台で

飯を食っている。食い難いの何のって…。そう、食いかねて、こんな人

生を悔いている。国公立大学受験を通算六回も落ちたのが、そもそも人

生の躓きの始まりなのだ。その上、学費滞納で除籍になったのだから世

話はない。

 とにかく、オレは貧乏人のボンボンで、ガキの頃からご馳走を食った

ことがない。それが、グルメの取材などやらされるのだから、迷惑千万

なのだ。《激安、激旨、劇的究極の回転寿司開店》という、何のことか

さっぱり分からない、さっぱりした味の寿司屋を取材したことがある。

驚いたのなんのって…。楕円形のカウンターに鮨が並べてあって、その

周りに座った客の椅子がカウンターの周りを回転しているという次第

だ。これじゃあ回転寿司じゃなく、回転椅子じゃないかと思ったが、オ

ヤジにはそんなことは、これっぽっちも言わなかった。まあ、《回転ラ

ーメン》と言って、遊園地にある回転木馬に乗ってラーメンを食う店も

あったことだし…。

               つづく
               


コメント

U 2007年12月02日 11:41

回転椅子の寿司屋さんに回転ラーメン

あわわ そりゃ 眼ぇ回りますよね。

で お酒でも飲もうものなら 大変です。

べろんべろんに 酔っ払いそうです。

確かに 筆一本は難しいし パソコン一台でも・・・
私ゃ ピアノで飯食ってますから もっと難しいです。
ほんと でかくて 重くて 大変ですぅ

C 2007年12月02日 14:28

回転椅子の寿司屋 なんて本当にあるんですか?行ってみたいです。
 
人は、パンを得るだけが働く目的ではない と思いつつ現実は厳しいですね。

Y 2007年12月02日 18:39

筆一本で立つ!

余程、立派なものを持っていないと無理だよね。

オイラは…。まあ、やめとく。

筆で立つなんて、夢のまた夢だ。

国公立大学受験を通算六回も落ちたって、その根性に負ける。小生だったら、1回、落ちたら、もう、めげるに決まっている。立ち直れないかも。

とにかく、プロってすごいよね。尊敬してます。

夢野傑作映画館 2007年12月02日 23:55

すいません。これも虚実入り混じっておりまして…

完全にフィクションかと言うと、そうでもない訳で…

本当のところ(実)もありまして…

どこが嘘で、どこがホントか推理するのも楽しいかと…

楽しくないよ!!!

すいません 小説家や脚本家は、いかにも本当らしい嘘を吐くのが商売なもんで…

「与一の法則」というのがありまして、「現実は、ほとんど嘘臭いものだ。フィクションは、現実を超えて真実に迫る」というようなものです。これは、日頃のニュースを見てもらえば分かるように、信じられない嘘のようなことばかりです。政治面から社会面、芸能などに至るまで。身の回りを見渡しても、「嘘やろ! こんな人がおる」という人物だらけ。かように、現実は嘘臭いのであります。

優れたフィクションは、「作り物」ではありますが、「いかにも本当らしく」社会や人間の真実を描き出すものなのです。ですから、単なる「作り物」ではなく、真実を創造する「創り物」なのです。

「回転寿司屋」や「開店ラーメン」は、僕の創作ですが、世の中には、金儲けのために「他より目立つ、奇抜な、インチキ臭い」商売は溢れかえっています。僕自身が、そういう商売を体を張って体験し、取材もして来ました。これらは、僕が創作した「嘘」でありながら、しかし現代社会の「真実」を表現しようと意図しています。

国公立大学に通算6回滑ったのはホントです。しかし、これにもカラクリがありまして、6年間受験浪人したのではなく、昔は一期校、二期校、さらに中間校というのまであり、一年に国公立大学を最大3校まで受験可能だったわけです。だから、2年間で6回滑るという離れ業を演じたのであります。イナバウアーの3回転ジャンプ級なのです

自慢そうに言うな!!!

すいません

高校3年間、スポーツクラブにはまり切り、成績は超低空飛行というアクロバット演技だったのです。

エエように修飾するな!!!

せやから、物書きは「どもならん!」

最後は大阪弁で…。

種明かしを致しましたが、これに懲りず、「つづき」など読んでやってください。それだけを楽しみに生きている人種ですので…。

夢野傑作映画館 2007年12月03日 00:00

筆で立つなら、剣より強い筆でないとな…。

そうありたいと切に願うが…。

呟きです…。

T 2007年12月03日 02:28

こんばんわ、足跡帳ありがとうございました。

ライターっていう職業にあこがれていました。
いつか、自分の言葉で書きたい…

でも、自分をさらけ出す勇気も覚悟ももてないので諦めました。

つづき、楽しみです。

夢野傑作映画館 2007年12月03日 05:06

>自分をさらけ出す勇気も覚悟ももてないので諦めました。

確かに、作家は書いているものがフィクションであっても、すべてが虚構というわけではなく、必ず「自分」が出るわけで、自分をさらけ出す勇気と覚悟が必要ですね。

僕は、小説家や脚本家の仕事は「心のストリップ」と読んでいます。女優がヌードシーンが嫌だと言ったら、プロの女優が務まらないのとある種似ていると思います。


T 2007年12月04日 01:28 心のストリップですか…
印象的な言葉ですね。
裸の心をさらけ出す勇気を持てるライターさんは、素晴らしいです。

時々お邪魔してもいいですか?

よろしくお願いします。

夢野傑作映画館 2007年12月04日 01:55

こちらこそ、よろしくお願いします。

Y 2007年12月04日 04:47

小生、以前、文を書くとは恥を掻くことって、口癖のように言っていた。

でも、夢野傑作さんのようなプロの前じゃ、それこそ気恥ずかしくなるね。

ホント、文章を書くって、自分で恥さらしをやっているようなもの。

どんなCTスキャンでも心の中は見えないけど、文章は見え見えだ!


夢野傑作映画館 2007年12月04日 09:15

谷崎潤一郎が、何故物書きは原稿料を貰っていいのかについて書かれています。

普通の人は、人に知られたくない恥ずかしいことを隠して生きているものだが、物書きは、恥を世間に晒して生きている。だからその対価だというような趣旨です。


☆再録しながら読んでいて思った。SNSが流行って、誰でもが「日記」を公表するようになった。そのことの評価は、みなさんにお任せする。


古きを訪ねて

2013-02-26 01:51:59 | エッセイ


2010、7月10日 「参院投票日」(再録)

参院選の投票日だから、ちょっとマシなことを書こうと思ったけど、なんかシラケさせる内容になりそう。

国政がどうでもいいということじゃないですが、自治体が大事だなと思うのです。

最近、68年に書かれた羽仁五郎「都市の論理」を再読していて気づいたことです。

書かれてある問題が、現在とほとんど同じで、ということは40年間にわたり何も解決されてこなかったということです。

自治体は首長まで直接選挙で選べます。国より民主的な制度です。首相は直接選べません。

「地方自治体」という言葉は誤りだと羽仁さんは言ってます。つまり中央政府からみて「地方」になるわけです。これは明治政府が作った中央集権国家の下請け・末端行政機構としての地方自治体の概念だと。

敗戦後、自治体警察・地方教育委員会公選制など極めて民主的な地方自治制度ができたわけだけど、それが中央集権に逆転させられた。これにより中央官僚は敗戦後に占領軍に解体された(典型的には内務省)権力基盤を復活させていく。独立行政法人・公社・公団を作っていくのも単に天下り先の確保だけに止まらず、自治体に力をつけさせないための手段だった。中央官僚が地方行政末端までを支配下に置くということ。

日本の国民が徹底的に「お上頼み」の発想に骨がらみマインド・コントロールされてしまったのは、明治以降の教育を含む国家システムによってなのだ。なぜなら、明治初頭に近代国家として徴兵制・義務教育を実施しようとしたが、農民なんかは(まだ近代労働者はいないので、国民といえば圧倒的に農民)お上に子弟が取られることに相当抵抗感があったらしい。農民はお上なんて信用していなかった。だって、明治維新までは、農民は村でちゃんと自治をやっていたのだ。年貢は取られていたけど。 それも気に入らなければ命がけで一揆を起こした。

だから、明治維新の竜馬だなんだをヒーロー扱いするなってこと。菅が郷土の高杉晋作にちなみ「騎兵隊内閣」と呼んで欲しいだって。アホか! 日本人は、大企業の経営者から中年サラリーマンから末端庶民、さらには歴女まで登場して、幕末の志士が大好き。そんな奴が現代政治の指針にもならないし、アイドルにするなって! 明治政府が、歴史教育の中で、彼らをヒーローにし、小説・講談あれこれの「文化人」が追随したんじゃないのか。維新の下級武士で貧農の解放を考えていたデモクラットがいたのかよ。高杉だって自分の野心のために農民を利用しただけだろ。手前は、いつも祇園でドンちゃん騒ぎしてたじゃないか。現代保守政治家の料亭政治の基を作ったのが幕末の志士、明治の元勲たちだろうが。

自治体とは本来、国家の末端機構ではなく住民自治が理念だから、より直接民主主義の機能を持つものだ。住民が自ら統治する自主・自立・自律の行政ということ。当然、立法・司法権も持つ。

封建時代でも、京都や大阪の堺は自治の町であった。中世のイタリア諸都市もそうであった。中央の権力からは完全に独立してるわけです。住民自治だから自治体であって、「地方自治体」というように「地方」と「自治体」をくっつけるのは概念として間違っていると羽仁さんは言うわけです。「中央」から見た末端の「地方」というやせ細った概念ではないと。

凄いことが書いてあったんだと感心しました。

「地方分権」「地域主権」などと各党が言うけど、理念が間違っているわけだ。もちろん、大阪府の橋下知事を初め、自治体首長も同様なのだ。

現実を見ても、沖縄の県や市は自治体として反基地で中央政府に楯突いて屈服しないわけです。ちゃんと住民自治が機能している。こんな自治体をあちこちに作れば中央政府の悪政は貫徹しないです。沖縄の国会議員は与野党関係なく基地反対を言わなきゃ当選できなくなっている。党中央の支配が効かない。最大党派・与党民主党が参院選で候補者すら立てられないわけでしょ。これはもう中央政府への反乱ですよ。

徴税権も自治体が奪ってしまうんです。現行法では違反だけど、やってしまったらいい。国は自治体首長を提訴するだろうけど。そのくらいやらないとね。オレたちで自主管理するって。税金の使い道は自分たちで決めますって。国費部分も軍事力や思いやり予算なんか止めないと上納しないって拒否するの。

昨日、パリ・コミューンのことを書いたけど、あれも中央政府に対して、パリの労働者・民衆が勝手に自治政府つまりコミューンを作ってしまったわけです。民主主義の内実はどれだけ直接民主主義を貫徹させるかです。ロシア革命の「ソヴィエト」というのも労働者・農民・兵士が直接行政を担うという直接民主主義の理念が元々あったわけでしょ。それが中央政府・共産党官僚に無視されて行ったんです。自治体の議員や公務員も狭い地域で選挙で選ぶシステムに変える。だから道州制なんて分権でもなんでもない。怪しからんわけ。自治体住民の目の届く範囲で仕事をさせる。公務サービスを専門にやる人間は必要だけど、特権を与えないのよ。そして常に住民が仕事ぶりを監視・チエックする。レーニンも言ってるけど、公務員の賃金が一般の労働者より高くてはいけないってね。議員もそうだ。彼らは特別公務員というけど公務員なんだ。

国会議員の年収が先日発表されてたけど、ボーナスを300万円から240万円くらいに減額したって話。驚いたね。減額されて240万円だよ。ボーナスだよ。年収が240万円以下の貧困層がいっぱいいてさ、よくそれで減額したって言うよと。

国家財政が苦しいとかいうなら、民主党みたいに比例の議員の数を減らすなんてインチキ言う前に、議員の歳費をバッサリ削れっていうんだ。議員になったら儲かるというシステムをすべてブチ壊さないと。議員が金儲けになるシステムでは、ロクな奴は出てこない。そのくせ消費税だろ。冗談じゃないよ。厚顔無恥だね。「恥を知れッ!」って怒鳴ろうぜ。

議員活動を民衆のためにマジメにやってくれる人には、個人献金が集まるから活動に支障はないよ。できの悪い議員にまで税金から高い歳費を払う必要はないのさ。どっちみち活動なんかしてない奴、いくらでもいるじゃない。国会でも居眠りしに行ってる奴。

金儲けにならないけど、ホントに市民・民衆のための仕事がしたいという人しか出たがらないシステムにしないとね。公務員だってそうだよ。就職までに、ちゃんと社会活動やボランティア活動をしてた人しか採用しないようにすればいい。ペーパーテストなんか要らないよ。

ついでに、タレントだって議員になっても構わない。ただ立候補するなら、それまでどんな社会活動して来たのか公表しろってこと。選挙の前になって急に政治に目覚めたなんて話は通用しない。有権者を舐めるなってこと。

まあ、そんなこんな、少数派の変人の意見だけど。

みんな沖縄を模範にしないとね。 でなきゃあ日本の夜明けは来ないよな、クソ竜馬! 鼻クソばっかりほじってないで、何とか言え! 汚いな、鼻クソを袴に擦り付けるな!

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ゆうじ 2010年07月11日 17:04 大いに賛同します。これって正に正論ですね。日本の政治の堕落は一向によくなりません。議員になって蓄財する輩が政治の表舞台にごまんといます。
気長に一人一人剥がしていく必要があります。 大 2010年07月11日 19:35   変人でもなんでもありません。

 当たり前のことが書かれています。昔なら異議なーし。という所ですね。

  夢野傑作映画館 2010年07月11日 20:24 さあ出口調査だよ。

投票所の入り口にマスコミのアルバイトのお姉さんがいたけど、オレに声をかけなかった。

何が出口調査だよ。日本の労働者・民衆は袋小路に追い込まれていて出口なんか無いんだ!!!


お母ちゃんたちは抵抗してます。

http://www.youtube.com/user/hakunamatataTJ

メシ食うわ…。 夢野傑作映画館 2010年07月11日 21:45 思い切りネジレたらいいと思う。

目一杯ネジレたら、ぶちきれるから…。



まあ、シバラクは夏休みしよう…。

「アイヤ、シバラク!」


なんのこっちゃ。


シー・ユー・アゲイン

感謝

西澤 博君へ

2010-07-08 03:46:05 | エッセイ
連絡先を知らせてくれとのことでしたが、ネット上に個人情報を不用意に書くことができないので困っていました。

方法がありました。

mixiにとりあえず入会してください。私のアドレスは以下です。

http://mixi.jp/show_profile.pl?id=14249195&from=navi

ハンドルネームは「夢野傑作映画館」です。これでも検索できます。

会員同士になればメッセージを送りあうことができますので、住所や電話番号を個人的にお知らせすることが可能になります。

以上の方法でお願いします。

ブタがいた教室

2008-11-22 04:45:20 | エッセイ

20日、気分転換のため久しぶりに大阪へ出て、日本映画「ブタがいた教室」を観て来た。18年前、大阪の小学校の新任教師が、ブタを飼育して、それを自分たちで食べようと提案して実践した実話がもとになっている。

学力問題を年内に連載する予定だし、ぜひとも観たかった映画だ。パンフの冒頭、「これは教育? 素晴らしい授業! 賛否両論を呼んだ実話の映画化」とある。「子どもたちの痛いほど真摯な瞳、言葉、そして強い思いは、時代が“いのち”、“食”、“教育”に改めて目を向けている今だからこそ、私たちの心を揺さぶらずにはおかないだろう」と書く。

子どもたちが、ブタのPちゃんを「食べる」「食べない」で真剣な議論を続ける。必死になって思いを表現しようと言葉を探す。子どもたち一人ひとりの言葉に力があり重みがある。麻生さんの言葉の軽さとは対極に位置するものだ。政治家には、全員この映画を観てもらいたい。民主主義とは…、教育とは…、命とは…。

映画ジャーナリストで現在小学校一年生の母親である金原美佳さんは「Pちゃんの処遇を巡る決断に対し、モデルとなった黒田先生は今でも良かったかどうか、判断ができないという。答えがない授業。そういう授業に子どもを委ねる覚悟があるか」と問う。

今の日本の与党の政治にも答えはない。だが、問題は、政治選択に国民を委ねる覚悟を持つかどうかだよ、麻生さん。

料理研究家の村上祥子さんは、「Pちゃんの命について子どもたちが自ら考えて真剣に事態に向き合う姿は、求心力を失ったかにみえる日本の人にぜひ!伝えたい」と書く。

久しぶりに感動の涙を流した。

未読ですが、黒田先生の実践記録は『豚のPちゃんと32人の小学生 命の授業900日』(ミネルヴァ書房)です。

ちなみに、この映画は「文部科学省選定」になってます。笑ってしまいますわ。


未曽有の頻繁な踏襲

2008-11-19 05:48:36 | エッセイ
麻生総理は漢字力が弱い。

未曽有(みぞう)を「みぞうゆう」、頻繁(ひんぱん)を「はんざつ」、踏襲(とうしゅう)を「ふしゅう」と読み間違えたらしい。

しかし、そんなことは気にすることではない。日本の学力全体が低下しているそうだから、当然の結果なのである。漢字練習ドリルを買って、しばらく飲むのを控えて稽古すればいいだけのことだ。

だが、問題は「漢字の読み間違い」ではなく、「政局の読み間違い」の方で、こちらの方は深刻だ。

自公政権の総理は、安倍、福田と二代続きで、一年程で政権を投げ出した。

麻生内閣の閣内不統一は異常であり、最早、内閣は融解しつつある。麻生さんは、何とか政権を浮揚させ、解散のタイミングを模索しているが、余程、神風のようなものが吹かない限り、難しいだろう。

麻生では、解散総選挙が戦えそうにないとなれば、自民党内から麻生降ろしが起こり、彼は退陣に追い込まれる可能性さえあると言える。

これを政権投げ出しの「未曽有の頻繁な踏襲」と言うのだ

「鉄腕アタマ」

2007-10-31 10:28:10 | エッセイ
僕の母方の祖母は、晩年軽いボケが出ました。でも愉快なボケでした。

昔、アメリカ製のテレビドラマに名優、フレッド・マクマレー主演の『パパ大好き』というのがありました。広い庭のある一戸建ての家に電化製品が揃っていて、絵に描いたような幸せな愛に溢れる家族のホーム・ドラマ。当時の日本人の視聴者は、そんなアメリカの豊かで民主的家族に憧れ、高度経済成長をひた走ったのであります。しかしそのことは本題と関係ありません。

祖母の話でした。祖母はカ子(片仮名のカに漢字の子で「かね」と読みました)は、その『パパ大好き』のことを「パパ大介」と言うのです。
加藤大介は黒澤明監督の『七人の侍』の一人で日本の名優ですが、『パパ大好き』はフレッド・マクマレーであって加藤大介ではありません。

手塚治虫さんの虫プロ制作の日本最初のテレビアニメ『鉄腕アトム』。主題歌は詩人の谷川俊太郎さん作詞の名曲です。ご存知でない若い方がおられましたら、今度カラオケに行かれた時、一度かけてみてください。アトムのアニメ映像も流れます。

ところで、アニメ版アトムに先立つこと?年、実写版の『鉄腕アトム』がテレビで放映されたことをご存知の方は、もっと少ないでしょう。人間の役者がアトムの扮装をしていたのです。これにもテーマソングがありました。この歌を覚えておられる方は、日本人口1億3千万人の中で、私一人ではないのかと想像するのです(そんなことないか…)。

書いておきましょう。


「僕は無敵だ鉄腕アトム 良い子のために 戦うぞ

勝ったつもりか 負けはしないぞ

さあ来い悪者 やって来い

ジェット推進10万馬力 僕は鉄腕アトム

七つの威力を持っている」


しかしそのことは本題と関係ありません。

祖母の話でした。そう、カ子祖母ちゃんは『鉄腕アトム』のことを「鉄腕アタマ」と言うのです。どうして腕が頭なんですか…。シュール過ぎます。人間はボケるとシュールになるのでしょうか…。

祖母はお祭りになると、盥一杯にちらし寿司を作り、ご近所に配っていました。この味が絶品でした。

歌好きの祖母で、民謡なども自然と祖母が歌っているのを聴いて覚えました。僕の歌好きのルーツかも知れません。

取れ日あん!

2007-10-20 22:55:05 | エッセイ
某シナリオ学校の講師は8月末で辞めたが、もう一つの某専門学校の方は一年契約の更新なので来年3月までは続けないといけない。と言っても、1月中旬までに通常授業は終わり、後は進級・卒業作品制作過程になるので、担当外の僕は1月中旬でお役ゴメンになる。

 来春以降のことは、まだ決めていない。今年高卒で入学した学生の早行きの生徒は平成生まれだ。来春高卒で入学して来る学生たちは丸ごと平成生まれになる。アンビリーバブルである。団塊オヤジの僕には宇宙人みたいなものだ。もうそろそろ潮時かなとも感じる。こんなことを言うと、宇宙人・エイリアンばかりを相手にしている中学や高校の先生に申しわけないが…。『未知との遭遇』を楽しむ心の余裕でもなければ、とても続けられそうにない。問題は、そんな余裕のある心境になれるかどうかだ。

 昨日は、生徒のシナリオ実習をしていた。高卒で4年間ニートをしていたオタクの社長息子が、オタクの神様と尊敬されている人物との出逢いで、父の社長が不治の病で亡くなる直前に社長を継ぐ決意をし、ラストは社長秘書を伴ない父の墓に参るというストーリー。社長2世が社長を継ぐということは実際に多いが、父社長の会社で経験を積んで役職も上昇していって社長になるのであり、高卒後4年間ニートだった職業経験・社会経験の全くない22歳の若者が、いきなり社長になることにリアリティがないと指摘した。まあミクシィの笠原社長は東大在学中に起業したけどね…。日本人が一億人以上いるのだから、日本国中探せば、どんな変った特殊な人間も現実にはいる。しかし、ドラマの中の人物は個性とともに普遍性が必要なのだ。ドラマはフィクションで虚構であり作りものではあるが、ドラマ的真実性=いかにもタコにも本当らしい、こんな奴おりそうだと観客・視聴者に感じさせることが重要。これドラマの要諦。最近は、ドラマの傾向が変質しつつあり、「こんな奴、おらんでェ~! 嘘ばっかり!」と、その嘘っぽさに突っ込みを入れて、ドラマを玩具にして楽しむようになっているのかも知れない。嘆かわしい。現代のシナリオライターは玩具製造メーカーなのか…。

 作者の彼女は漫画の影響ですと応えた。これには感心した。僕は漫画を読まない。最近のテレビの連ドラや映画には漫画原作のものが多い。これも観ない。観ないのにどうして分かるのかとお叱りを受けそうだが、あまりに荒唐無稽でリアリティが欠落していると感じるのだ。漫画とそれを原作にしたドラマとゲームで育って来た生徒たちにリアリズムを理解させることの困難さを日頃痛切に感じている。しかし、彼女は自作ドラマのリアリティの欠落を、漫画の影響であると客観化できている。自己を客観化することほど難しいことはない。そこからしか進歩はないのだが…。この言葉を居直りと取ることも可能だ。だが、僕は素直に感動した。捨てたもんじゃあない。

 最近はストレスと疲れが溜まっている。帰りにいつも寄る中華料理屋の中国人のマスターと日中交流政治談議をし、不条理な社会への怒りを炸裂させ、日本企業の売国奴ぶりとブリの照り焼きをぶった切り、庶民の生活感覚が分からない、分かろうともしない政治屋どもをこき下ろし、大根おろし、レジに近所のマッサージ屋の500円サービス券が置いてあったのでマッサージに寄る。梅田まで地下鉄で帰り、阪急電車に乗り換えるのだが、街をブラブラした。阪急電車の茶屋町口乗り場の近くにイタリアンの店がある。以前から一度入ってみようかなと思いながら、機会を逃していた。若い女性とデートでもするなら行くのだが、おっさん一人ならやはり馴染みの居酒屋の方へ脚が向いてしまう。イタリアンに脚を向けては眠れない。どこで寝るねん!

 モスコーミュールを頼んだ。なんでイタリアンでモスコーだ。白身魚のナンタラカンタラを食べた。客はほとんど若者ばかり。やはり、オジサンはこんな店には来ない。入り口近くのケーキケースの横の席だった。ケースの中に緑色が見えた。俺はグリーンに弱い。だからゴルフはしない…抹茶が大好き。お兄さんに「あれ何?」と訊くとやはり抹茶ケーキだ。小型だ。その小型ケーキに種類があって、2~3個セットで選ぶらしいのだが、もう一つのチーズケーキと二つしか残っていなかった。抹茶ケーキ一つだけでも注文できるのかどうか、そのお兄さんは親分に訊きに行ってオッケーが出た。ここはイタリアン・マフィアの店か…。ドン・コルレオーネ…『ゴッド・ファーザー』…。こいつが絶品だった。抹茶ケーキの話よ。ちょっと抹茶。ついでにイタリアンコーヒー…名前忘れた…も飲んで、大満足。しかしあのコーヒーは量が少ないな。イタリア人は、あんなもんで満足しているのか、と不満を言っておりますが…。

 ひとりでぼんやり、こんな店でゆったりとした時間を持つのもいいもんだ。

 遅く帰宅して、パソコンメールを見ると、Hメールのテンコ盛り。Hメールの寄せ鍋風。そろそろ鍋の季節だな…。漢和辞典…緩和…緊張と緩和…枝雀師匠は凄かった…枝雀以前に枝雀なく、枝雀以後にも枝雀なし…閑話休題…及第点々…。同じのが2つも3つも入っている。これは迷惑至極に存じ上げ奉り候なのだが、一つだけ愉快なのがあった。「グレコローマン・ぺック」さんから『老婆の休日』だって…。ヒロインはヒップバーンね。取れ日…トレビの泉でトレビアン!…Hメールでもユーモアのセンスがあれば許しちゃう。文面は、あまりに「お上品」過ぎて、それまでコピーすると、またマイミクさんに尊敬されてしまうので書かない。ご想像にお任せ…。もう一つ荒唐無稽なのがあった。「インカ帝国より愛をこめて」だって…。007の『ロシアより愛をこめて』を捩ったのだろう。あの映画のダニエラ・ビアンキの美貌には痺れた。思わず俺も諜報部員になってロシア美人と恋をしようかと考えたくらいだもの…。このメールの文面が、「13世紀にケチュア族の生み出したインカ文明最高傑作の性交スタイルが今ここに!」だよ。どんなんだろう…? 俺もダニエラ・ビアンキみたいな美女とインカ文明最高傑作の性交スタイルをやってみたいもんだ。いかん、こんなことを書いていたら、またマイミクの尊敬を集めてしまう。いかん! いかん! 『コンドルは飛んで行く』のだ。コンドームじゃないので、そこのとこヨロピク、ピク…。

 なんか、今日は珍しく日記みたいになってしまった。って…そもそもこれは日記なんだよな…。俺、いつも何を書いていたんだっけ…???