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夢の傑作映画館・高島与一

ドラマ・映画のシナリオ、ルポ、ドキュメンタリー、構成台本、小説、エッセーなどの執筆とドラマ論、脚本指導

映画「AMゴリラもPMゴジラも大暴れ!」

2013-03-04 02:24:45 | 映画


写真説明:大阪では、ついにゴリラが暴れだした。関係筋によると、ゴジラも近づきつつある模様。


☆既成政党と違い見えず 維新、規約改正案を決定 - MSN産経ニュース http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130303/stt13030322020004-n1.htm

「新党」が「既成政党」と呼ばれるようになるには、どの程度の時間が必要か? 

「新党」の消費期限と賞味期限の問題が、食の安全の問題とともに深刻になりつつある。

とくにTPPというTPOをわきまえぬ体罰は、PTAでも問題になっている。これは、「愛の鞭」なのか「愛の無知」なのかは論争の的。

次々に「新党」を売り出さないと、消費者は厭きる。「新党」大量生産・大量消費時代。

「新党」使い捨て時代。リサイクルするか…。

政界が排出する「新党」というゴミのヤマをどこで焼却するか。有毒物質は出ないのか。

政界腐敗物質、PM2.5が含まれているという説が有力だが、未だ人体への影響は解明さ
れていない。AMは比較的マシだが、PMは用心した方がいいでしょうと、政界観測気象台は
発表した。予防原則に立つならば、強力なマスクをする方が望ましいと言う専門家もいる。

大阪からは、有権者が大量にエクソダスしており、無人の荒野となりつつある。橋下は「荒野の用心棒」なのか。はたまた、カジノのオーナーか、火事の放火魔か。ゴジラと対
決する気なのか……。新作映画が待ちどおしい。新春大公開予定。悪魔で予定。

誰が悪魔やねん!

新藤兼人「生きている限り生き抜きたい」

2012-05-30 23:52:45 | 映画
「原爆の子」「第五福竜丸」などの作品で知られる、敬愛する映画監督、新藤兼人さんが、29日逝去された。

享年100歳。合掌!

座右の銘は、「生きている限り生き抜きたい」だった。日本のインディペンデント映画のパイオニアとして、映像作家としての魂を燃焼し尽くされたと思う。

「死ぬまでは生きる」という当たり前の腑抜けた言葉と比べると、新藤さんの主体的で迫力のある人生が心に迫る。

「生き抜く」という決意。充実して生きる、激しく生きるんだとの熱い想い。

福島原発震災以降、私を突き動かす心の底から聴こえる声は、この言葉だったのだと改めて思う。

そう、生き抜くんだ…。

被災地のみなさん、生き抜こう! 

殺されてたまるか!


原田芳雄

2011-07-23 04:09:13 | 映画
原田芳雄が逝った…(写真は「竜馬暗殺」の原田)。無頼、アウトロー、アナーキー、パッション、抵抗、底辺、猥雑、野性、汗、肉体、体臭…そんな役がよく似合った。日本では、彼に類似する役者はチョッと思いつかない。それほど個性的だった。あえて言えば、三国連太郎、松田優作といったあたりか…。

濃過ぎるくらいの風貌、野太い声、「良識人」が眉を顰めそうな柄の悪さ・品のなさ…脱毛・脱臭指向の草食系男子やクールビスのひ弱なボンボン「エリート」の対極、絶滅危惧種の男。

原田・竜馬はいつもフンドシと毛脛丸出しの汚らしい男だった。“福山龍馬”にお熱をあげたおばさまたちなら、口から泡を吹いて卒倒するかも知れない。

昨日は家にあった彼の出演作品を観る。

「生きてるうちが花なのよ 死んだらそれまでよ党宣言」

旅回りのヌードダンサー(倍賞美津子)と原子力発電所を転々と渡り歩く“原発ジプシー”(原田)。この2人の過去がラスト近くで明らかになる。

70年沖縄コザ暴動に連座しヤマトに密航した2人。沖縄は当時返還前で、ヤマトへ来るにはパスポートが必要だった。当然、「普通」の職業には就けない。女はドサ回りのヌードダンサーに。男は女に寄り添うように原発を転々とする。旅先の温泉場の露天風呂で抱き合うのが2人の逢瀬。

この2人に心優しき“落ちこぼれ”教師(平田満)が絡む。

沖縄、原発、崩壊した教育、出稼ぎ外国人…85年の作品だが、現代ニッポンそのままではないか…。時代としてはニッポンがバブルへ突入して行く頃。「ジャパン、アズ、ナンバーワン」の声が聞こえて来るかという頃…。何がナンバーワンだったのか…。

あれから26年が経過するが、既にニッポンが深部で腐っていたことがよく分かる。

と言っても、この作品は決していわゆる“社会派”ドラマではない。“はみ出し”人間たちのエネルギッシュな人間喜劇である。民衆の中の猥雑なバイタリティ。

オレも実は「生きているうちが花なのよ 死んだらそれまでよ党」の“党員”である。


コメント
イイネ!(5) ひとりぼっちの船乗り 旅ガラス おやぴょん 村hito モリピー
コメント


馬占山(Ma Zhanshan)2011年07月21日 12:08
わしは
「生きているうちが花なのよ 死ぬのは嫌だよ党」
の“党員”でがんすw
“LET'S SURVIVE” PARTY
でがんす!




そう! “「もののけ姫」の“生きろ!”

オレは、もののけになっても生きぬくぞ!!!

原発労働者は言った。「ユッケが怖くて原発に入れるか!」

映画の中で原田は言う「オレたちは特攻隊だ…」

まさにそう! 戦時の特攻隊と同じく、原発労働者は平時にも事故時にも“いのち”を売っている。違いと言えば、特攻隊は「お国のため」という「愛国幻想」で粉飾されているというだけ。特攻隊は、美しき「愛国幻想」と命を取引する。原発労働者は、“食う”ために命を差し出す…。

放射能のわらにまみれて…。

わらにまみれてよ~育てたベコが~今日は場へよ~曳かれてく~オーラオーラ達者でな~風邪ひくな~流す~涙の~震え震え~る~ぜ~(「達者でな」三橋美智也)

“殺処分”…嫌悪をもよおす言葉だ…。

民衆は権力の“家畜”じゃない!

民衆を“殺処分”しようとする奴らに鉄槌を! 

生き抜け!

踊る大捜査線は……

2011-02-28 23:36:30 | 映画
 先日、借りたかったDVDが、まだだったので、ハリウッド映画「Mr.&Mrs.スミス」を観ました。

 それなりにバックストーリーは散りばめてあるんですが、スピードが速すぎて、とてもじゃないけどついていけない。逆に言うと、違和感なんて感じている暇もないんです。アレッ!なんて感じる暇もなくストーリーは疾走する。

 テーマは分かりました。「夫婦というものは、常に離婚の危険と背中合わせ。お互いに解っているつもりでも、本当は相手のことが解っていないものだ。結婚生活が長続きするには、適度の刺激が必要」という昔からある陳腐なラブストーリー&ホームドラマなんです。お互いが殺し屋であるため、お互いを殺しあう羽目に陥るとの荒唐無稽なプロットを仕立て、後は超特急のアクション映画に仕上げただけのこと。スクリューボール・コメディの形をとってもいますが、ハッピー・エンドで終わるのだから、大衆は超非日常の世界を楽しんで、それで後味が悪くなることもない。

 それを観た男性も女性も、ちょっと相手に刺激を与えてみるかなんて思って、服装のことや下着のことやに思いを巡らす。あるいは大人のおもちゃ屋さんに立ち寄って(いや今はネット販売か…。そんなことは、どうでもいいですね)、帰宅したらママゴトやお医者さんごっこやコスプレや女王ごっこに打ち興じる。まあ、あれだけ暴力と破壊が炸裂する映画なのに、結論は「夫婦円満にね」という微温的なところに落ち着く、まったく毒の消去されたもの。無菌映画です。離婚率がアップするご時世なので、「社会の安定は夫婦円満から」と啓蒙する「癒し系道徳映画」なのか。日本なら「文部科学省特選」も頂ける代物なのです。
 
 どれだけ人が死のうが、自動車が破壊されようが、建物が爆破されようが、はたまた、どれだけ世界で戦争が続こうが、社会の格差・貧困が蔓延しようが…夫婦円満ならそれでいい。メデタシ、メデタシ…。すべてを忘れ、夫婦円満のみに専心せよ! なんかこれって、USAの国策映画じゃないかしら。考えすぎか…。

 夫婦の危機を描いたスクリューボール・コメディでも、以前観た「ローズ家の戦争」の方は、相当毒がきつかった記憶があります。大衆娯楽に毒はいらないという発想が、ますます深く静かに進行しつつある。現実の世界が毒と菌に満ちているから、映画の中では、そんな現実を忘却し癒されたい…。

 脚本家が人物プロフィールやバックストーリーを創ってあっても、そういうところは削られてしまうのではないかと推測したんです。映画を娯楽として観る多数の人には、何かしら爽快感さえあればいいんだとプロデューサーは思っているような気がして。どっちみち大衆はテーマなんて考えないだろうし、ディテールなんかに拘らないだろうから、感覚的、刹那的に楽しませたらいいんだという大衆を舐めきった制作態度。昔からあったとは言え、映画の二極分解がますます激しくなっているのかなという気がします。昔の映画は大衆娯楽作品であっても、相当丁寧に脚本は作られていました。

 大衆社会が成立して、映画とラジオが大衆娯楽の王者になったわけです。だから、もともと映画は大衆娯楽であって、その中でも作家性の強い人が関わった映画が賞を取ったりして、歴史的名作などと呼ばれるようなっただけだと思うのです。まあ言ってみれば、大衆娯楽の中のいくつかの作品が権威を得、芸術と呼ばれアートだと奉られるようになり、映画の二極分解が始まるわけです。

 今は、権威狙い、賞狙いのような作品と観客動員が自己目的化された作品とのギャップが激しくなっているのではないでしょうか。映画制作開始の段階から「狙い」は厳密にどちらかに絞り込まれているのでしょう。もちろん「狙い」は、時として外れますが。ビジネスとしては、監督も脚本家も観客動員できる映画に関わらないと次がない。それで実績を作って初めて、作家性を押し出した映画が作れるようになるのだと思います。賞を取れば、少しは職業として安定に近づくというわけです。もちろん一寸先は闇である状況は変りませんが。

 ハリウッドの場合は、脚本制作中でも、ドンドン人が変えられていきます。途中で交代させられたらクレジットさえ、されない人もある。プロット・ライターとダイアローグ・ライターの分業も進んでいます。

 最近の日本映画では、膨大な制作費をかけるような作品の広告などには、脚本家の名前が消えています。ブラックに言うと、近未来には監督の名前すら消えるかも知れない。業界の人は、「ドラマで一番大事なのは脚本ですよ」と口では言うのですが、それは建前だけで言ってるような気もします。「脚本なんか、どうでもいい」なんて口走ったら「この人、大丈夫?」と思われますもんね。これもブラックに言うと、近未来には「脚本なんかに拘泥していたら、面白い映画は作れませんよ」という業界人が多数派になるかも知れない(笑)。

 現在、ハリウッド映画の脚本を書いているような世代が、どの程度の人で、どんな修行をしてきたのか知りませんが、はたしてシド・フィールド(ハリウッド映画のヒット作を分析して、その構成上の秘密などを解明した。)なんかを読んでいるのだろうかと考えてしまいます。読んでいたとしても、主にプロデューサー、さらには監督によって細部のリアリティや伏線などが削られ、テンポ良くラストまで引っ張っていけばそれでいいとの作りになっているのかなと思ってしまいます。最近のハリウッド映画は、ほとんど観なくなっていますので、一般化はできませんが。

 学生たちの書いてくる作品を観ても、バックストーリーと人物プロフィール作りの手抜きが目立ちます。ほぼ共通の弱点とも言える。これがハリウッド映画や、それに引きずられた日本その他の国の多数の映画による影響だとしたら、映画の将来が気になります。

 そんな問題意識で「『踊る大捜査戦』は日本映画の何を変えたのか」(幻冬舎新書)を読んでみました。プロデューサーが、犯人のバックストーリーなんかいらないというようなことを言ったそうなんです(笑)。どういうつもりで言ったのか…。それが映画よりサスペンス(笑)。

 「第三の男」の「バラの蕾」に並び得る謎に満ちた「名台詞」ですね(号泣)。


真昼の暗黒

2011-02-19 02:28:38 | 映画
 裁判員制度がスタートし、うまいこと行ってんのかどうか……。裁判員が判決後に身をさらし、マスコミに意見を述べることに胡散臭さを感じてしまう。案件が複雑だったり、偽装、脅迫、事実誤認などが絡んでくると平易には片付かないだろう。少年犯罪に対する偏見は眼を覆うばかり。

 いまだ、取調べの全面可視化が実現しない状況下、警察、検察の自白偏重が改まらない中で、裁判員裁判制度が直ちに司法の民主化・公平化を保障するものではない。

 ましてや、警察、検察権力によるえん罪ともなれば……。

 映画「真昼の暗黒」(橋本 忍 脚本、今井 正 監督)は、えん罪に苦しむ人々に光をあたえる画期的なもの。裁判員に携わる国民は必見の作品だ。そして、検察も、弁護士も、裁判官も……。

 1951年発生した山口県八海の老夫婦惨殺事件が背景。

 真犯人の逮捕後、地元警察は複数犯行のシナリオに基づき、犯人のチンピラ仲間と前科のあった一人、計4人を共犯として逮捕した。真犯人に、共犯者を白状すれば「死刑を無期懲役にする」との甘言を弄して。

 無実の「共犯者」にリンチを加え、前科のあった植村(映画では主人公。草薙幸二郎、演じる)は主犯だとゲロッた。無実を主張する4人は、戦後民主主義もクソも関係のない拷問に屈し、ウソの自白をおこなったのだ。

 第一審は死刑、無期、長期刑。若者たちは差別と偏見に満ちた状況に取り囲まれる。親たちや恋人はその底で生きぬかねばならなかった。

 映画は係争中の事件を、単独犯行、その他はえん罪、無罪説の立場によってリアルタイムで描ききった。

 ラストシーン。

「お母さん、最高裁がある!」の悲痛な絶叫。

 映画に魂があったころの話。



 八海事件に関わった後藤昌二郎弁護士、永眠。合掌!





シェルブールの雨傘

2011-02-14 20:04:17 | 映画
過渡リーヌ・ドヌー部が若かった頃の映画。全編、台詞がすべて歌。笑った! いや、喜劇じゃないっす。メロドラマです。

雨が降り、カラフルな傘が開いて……。それを真上から、つまり天から映している。ムムッ! これは、どうやって撮っているのだ……なんて思った若いころ。クレーンに乗って撮影するなんて知らなかったもんね。

ここは、シェルブールのあまがさき(尼崎)。近畿は久方ぶりの大雪降りで、雨傘ならぬ雪傘。

バレンタインは雪が降る~チョコレートは来ない~

雪が降る~暗い心に~

バレタ!イン。娘がチョコチョコっとくれました。

「ドドスコスコスコ Love注入」て書いてあった。

ワケワカメ汁で、ついていかれへん……。

ついておいでよ~夜霧の私~

イタリアで首相退陣を求めて100万人集会だって。エジプトも凄いけど、外国では政権に腹を立てるとデモや集会をする。

我がニッポンでは、ブツブツ、ボヤクだけ……。エジプトもイタリアも反政府行動にネットが活用されたらしい。ニッポンのネットは、実は繋がってないんだな。みんな繋がってると思わされているだけ。やっぱり、さっぱりガラパゴス。ドスコイ! ドスコイ! ドドスコスコスコ!

この美しき八百長世界に乾杯!



スパルタカス

2011-02-09 00:55:51 | 映画
自由を求めて闘った作家、ドルトン・トランボへ、そしてスパルタカスへ…。


バリニアが、十字架に掛けられ、虫の息のスパルタカスに赤ちゃんを示して。

「あなたの息子よ 息子は自由よ 

自由なの 自由よ 自由よ

あなたを忘れないわ 私が教えます

父の名と 父の夢を

私の愛する人

さようなら私の命 

いとしい人

私の命…」
 


アラバマ物語

2011-02-08 02:40:15 | 映画
「死の床には食物を 

病床には花を

隣人達は真心を贈り合う

ブーも隣人だった

私達に人形を 

壊れた時計と鎖 ナイフ

そして命をくれた

アティカスは言ったものだ

人を理解するには

その人の靴をはいて歩けと…」


痺れる女優

2011-01-16 01:58:51 | 映画
「痺れる女優」ったて、河豚を食ったわけじゃないのよね。

クラクラっとする女優のことだけど、立ちくらみじゃないのよね。

「モンパルナスの灯」「男と女」のフランス人女優、アヌーク・エーメ。

<ええ眼>してますよ。あの眼で見つめられたら、オシッコ漏らす。

アテンドしなはれ!

それに、「第三の男」「かくも長き不在」のアリダ・ヴァリ。そんなんアリだ!

どうして、オレはかくも渋好みなのか…。渋茶でも飲もう。ジジイか!