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夢の傑作映画館・高島与一

ドラマ・映画のシナリオ、ルポ、ドキュメンタリー、構成台本、小説、エッセーなどの執筆とドラマ論、脚本指導

おじさんから若者へ

2007-10-17 03:44:29 | エッセイ
2009年、ミクシィは新卒採用を始めます。

http://mixi.co.jp/jobs/fresh/

若者よ、ミクシィに就職しよう。

そいでもって、内部告発よろしく。

悪質業者のチエック基準など教えてね。

労働組合、作ってね。

あなたに期待してます。


☆おじさんと若者の会話

若者「おじさんは、皮肉が好きだね」

与一「根性が捻じ曲がってるのよ」

若者「直せば?」

与一「昔、体操競技で空中3回転捻りをやり過ぎて、元に戻らないのさ」

若者「……」



魂の放浪者

2007-10-17 03:28:20 | エッセイ
携帯メールがエストニアまで届いちゃった…。

何でだろ~何でだろ~。

フル~!

エストニアって言えば、ほとんど忘却の彼方へ消えて行った受験勉強の詰め込み知識を総動員すると、ラトビア、エストニア、リトアニアのバルト3国の一つじゃなっかたのか…。

地図帳調べるの面、胴! って剣道か!

まあそんなことはどうでもいい。とにかく遠い海外だ。それは間違いない。おじさんが保証する。

ところがだ…そのエストニアにいる人に携帯メールを送ったら通じたのだ。

俺はメカにからっきし弱い。

携帯電話の電波が届くには、アンテナがいるのではないのか…?

俺は昔、PHSのアンテナを建てるため滋賀県のド田舎まで行ったことがある。確か200メートル間隔だったか、違うかも知れない…。

俺は何屋だ!?

PHSも携帯も同じようなもんだろ。

エストニアって、旧ソ連の西の端っこにある国だろ。今で言えば、あのでかいロシアの向こうの方だぜ。

何で電波が届いたのだ…?

そうか…奴はエストニアにいるふりをして日本にいたんだな、さては…。

俺が日本にいるふりをして兵庫県にいるみたいなもんだ。かなり違うか…。

そうか、奴はロシアの諜報部員か…。

俺がCIAのエージェントみたいなもんだ。全然違うか…。

いや、俺は単にPTAの役員だった…。

そうだ、俺はPTAの役員にもなれなかった男だ。

PTAの総会に乗り込んで、日の丸を掲げてあるのを追及して、みんなに白眼視されたんだった。

俺は祖国を持たない魂の放浪者。

地獄の季節を乗り越え、アル中の乱暴者になる。

アルチュール・ランボー。

駱駝の背に揺られ、砂漠を旅するキャラバン隊。

あそこにいるのは、星の王子様…。

大きなハットがある。

実はウワバミに呑み込まれた像…。

夜間飛行。

サン・テクジュペリ。

リンドバークは言った。

翼よ、あれがパリの灯だ…。




たかが河豚、されど河豚

2007-10-14 06:09:40 | エッセイ
今日の夕方、家族の食事会が設定されたのだ。娘二人と一緒にみんなで食事するなんて久しぶりもいいとこ。何年ぶりなんだろう。下の娘が三度目の正直で教員試験にパスしたので、そのお祝いってとこなんだろう。

ワイフが河豚を食いに行くと、恐ろしいことを言ってる。と言っても、河豚の毒が恐ろしい訳ではない。値段が恐ろしい。あんなもの、貧乏人が食うものじゃあない。身の程知らずもいいとこだ。俺は、この歳になるまで、若い時に職場の忘年会で一度食べたことがあるだけだ。自慢じゃないが…。贅沢は敵だ。撃ちてし止まん。俺は、娘に河豚を食わせるような堕落した親にはなりたくない。何の話やねん…。

たかが河豚、されど河豚…。嗚呼、悩ましい…。




『居酒屋』、ゾラとクレマン

2007-10-14 00:03:01 | エッセイ
以下は、マイミクのちあきさんのミクシィ日記。これに、もの凄く触発されてしまいました。

>>エミール・ゾラの「居酒屋」を読んだのは高校の頃。
そして、昨晩NHKBSにて、ルネ・クレマンが映画化した「居酒屋」を観る。
主人公を演じたマリア・シェルの憂いを含んだ悲しげな瞳に魅せられ 
ず~と一度は観たいと思っていた作品のうちの一つだった。

大抵の場合中高生の頃に読んだり、観たりした作品は時を経て再びひもとくと違った感動やら、理解できなかった事が解ったりするものだが、この作品に関しては、未だよく理解いや納得できない。
ゾラは何を訴えたかったのだろう。
人間がひとたび理性というベールを脱いだ時の弱さ、醜さなんだろうか?

19世紀のパリ 貧困の中で夢と希望を持ちたくましく生き抜いていたはずの女主人公は、二人の男に翻弄され、ついには生きる希望を失ってしまう。
どうしてここまで、身を粉にして働き続ける人間にこんなむごたらしい仕打ちができるものかと、私だったらあの二人のずるい男達をぶっ殺してやるなんて 昔も今も同じ事を考えていた。
一つだけなんとなく解ったのは、彼女の夫が、彼女の元彼を一緒に住まわせていた理由である。
きっと、彼女にまるで寄生虫のように付きまとう事の罪悪感には
共犯者が必要だったのかもしれないと。
そう思うとなんと 哀れな男共だ。でもやっぱり許せない。
彼女には天使のような優しさがある。これもまたきっと罪な事なんだろうと思う。

映画でのラストは居酒屋の片隅 生きる屍のようになった主人公がテーブルの上のワイングラスを、焦点の定まらないうつろな目で眺めている
そのようなシーンで、終わっているが、原作は 彼女はひとかけらのパンもなく“餓死”するのである。


今更ながらであるが ルネ・クレマンは「禁じれられた遊び」にしろ
この作品にしろ すごい人 である。

                (引用、以上)


自然主義、リアリズムの作品、作家の凄さは、社会とそこに生きる人間をリアルに凝視することで、社会批判の意図が仮になくても、訴えたいテーマ意識がなくても、鋭い社会批判の作品になってしまうことがありえるという点だと思うのです。

当時の欧州の貧困や男性に従属しなければ生きていけない女性像を、作者の意図はどうであれ活写してしまった。優れた作品とは、作者の思想やテーマ意識と相対的に別個に成立するものだと考えています。一般的に、作者が必ずしも明確なテーマ意識を持っているとは限らないと思うのです。

スタンダールの『赤と黒』は、確か当時実際にあった事件をヒントにした大衆小説だったと思うのですが、今や文学の古典ですよね。立身出世主義の醜さ、非人間性を抉っています。日本では近松門左衛門の心中物も、実際の心中事件を題材にした際物ですが、現在においても傑作です。男女の自由恋愛が許されなかった封建制道徳を鋭く抉っている。でも、近松にはそんな意図はなかったのではないかと推測します。

文学史を勉強しているわけではないので、アバウトですが、西欧の自然主義はブルジョワ社会の発展、産業社会の発展の中で、人間がそれまで自然を眺めていたのと同じ様に、社会や人間を物質的にリアルに眺めるようになった結果、生み出された文学潮流ではないでしょうか…。遡れば古代ギリシャの古典主義リアリズムに起源が求められるでしょうが、長い中世のキリスト教支配からブルジョア市民が相対的に独立し、産業を飛躍的に発展させたことによって生み出されたように感じます。

日本には、明治期に西欧文学潮流が古いのも新しいのも、同時に入って来て、社会的必然性による文学の変化、発展とは無関係に模倣しました。その結果、自然主義文学が、作家の身辺の瑣末な日常を模写するような「私小説」に矮小化されてしまい、社会性を持ち得なかったと思います。

日本文学の場合、資本主義の矛盾の顕在化と、社会主義思想の流入という二つの条件によってプロレタリア文学が起こったことで、文学の社会性が成立したような気がします。

『居酒屋』の主人公が男どもをぶっ飛ばすような行動に出るとすれば、当時の社会・思想状況においてはリアルではなくなるでしょう。ウーマン・リブやフェミニズム思想を体験してしまった現代女性から見れば、女主人公の人生は、かったるく感じるでしょうが、それは歴史的条件の違いというものです。

これを書きながら、歴史上で、初めて女性の自立を描いた小説と映画は何だろうと考えていたのですが、どうも思いつきませんでした。ゴーリキーの『母』以前に、ロマン・ロランの『魅せられたる魂』以前に、何があるのだろう…。

もし、気づいた方がおられましたら教えてください。

なお、文学史については浅学のため、間違っていましたらご指摘をお願いいたします。

でも、すごく触発された有意義な日記の交換でした。楽しいな…。


マリア・シェルの弟が、『ニュールンベルグ裁判』のマキシミリアン・シェルでしたよね、確か。


マルチ~ン!

2007-10-11 08:11:26 | エッセイ

米寿の婆ァでございます。大正8年に愛媛県の宇摩郡で生まれました。

この歳でまだ売れない女優をいたしております。

孫娘からミクチーに入ると、在宅教という有難い宗教に入信できると聞き、年甲斐もなく参加させていただきました。

毎朝、仏壇のご先祖さまに手を合わせ、「在宅副収入楽して稼ごう」とお経を唱えております。

検索とかいうもので、教祖さまがお誘いくださると聞きましたので、何遍もお経を唱えさせていただきます。

「在宅副収入楽して稼ごう 在宅副収入楽して稼ごう 在宅副収入楽して稼ごう~」

マルチ~ン!

 

草枕

2007-10-11 07:35:49 | エッセイ
<<前の日記へ次の日記へ>>智に働けば編集する 2007年10月05日00:56 mixiをしながら、こう考えた。

智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎

角にmixiは住みにくい。

住みにくさが高じると、安いところへ引っ越したくなる。どこへ越して

も住みにくいと悟った時、詩が生まれて、画が出来る。



そうだったよね、夏目先生…。


表現者として~昇華

2007-10-11 06:50:34 | エッセイ
☆これはミクシィでフランスの歌手、ジョルジュ・ムスタキのコミュに書いたのを転載しました(一部修正)。

かなりミクシィに疲れきってしまい、リセット・リフレッシュのため一旦退会しました。

退会に際して、このコミュのみなさまにご挨拶もせず失礼いたしました。

ミクシィの利用も、このコミュのようにアットホームな趣味の一致する場所や、仲良しのミク友さんと愉快な会話を楽しむことに限定していれば、とても心が安らいで有意義なんですが、政治問題・社会問題に関心が強いため、そういうことを日記やコミュに書いて熱くなり、論争したりで疲れてしまったのです。

ムスタキも『ヒロシマ』がそうであるように、とても政治・社会に深い関心を持っている人物であり、それを詩に表現している歌手だというところに惹かれるんです。それだけではありませんが…。

でもムスタキはアーチスト・詩人・ミュージシャンとして、彼の政治的・社会的問題意識をストレートにアジテーションするのではなく、芸術的言葉に昇華しているところが素晴らしいと感じます。表現された詞の意味が深くて含蓄があり、それを理解できる人には、凄いメッセージを送っています。

僕も表現者の端くれとして、ミクシィの日記で政治・社会問題をストレートに訴えだけではなく、作品に昇華しなければダメだとは思っています。あえて言えば、表現者に成り切れていないのです。頭では分かっていながら、問題意識をじっくりと熟成させ発酵させて作品に昇華させる時間を保たず、焦ってアジテーションをやってしまうのです。それだったら、表現者じゃなく政治家・社会運動家をやればいいんですよね。

もちろん、表現者であっても、一人の市民としては、社会運動・市民運動に可能な限り参加することは必要であると思います。もちろん、発言する必要もあります。

一市民として活動することと専門分野で活動すること、この両方ともを忘れてはいけないんですね。

亡くなった小田実さんのことを思います。彼は小説家でありながら、一市民として市民運動に奔走した方でした。


ミクシィでの素晴らしい出逢い

2007-10-11 06:37:01 | エッセイ
「マイミクシィ最新日記」の一覧を見てショックを受けた。ここには30の日記一覧が載っている。それをジッと凝視していても、下記の()内の消えたハンドルネームが一体誰であるのか分からなかったのだ。

>2007年10月08日 17:47 ぐっどばいミクシィ ( )

この行だ。「ぐっばいミクシィ」のタイトルの後のハンドルネームが( )のみで消えている。つまりマイミクの一人が昨日の夕方17:47直後にミクシィを退会したのだ。

僕は、この日記を読んでいなかった。読んでいれば誰だか分かっただろう。しかし、そうだとしても、現状30数名のマイミクの中から誰がいなくなったのかが分からない自分自身が情けなかった。僕は、その程度にしかミク友を意識に止めていない人間なのか…。自己嫌悪。

考えて考えて、やっと分かった。「ゴオ」というハンドルネームの高校3年生の男性だ。この前の日記は読んでいた。受験勉強にもう一つ身が入らないという趣旨のことを書いていた。何か励ましのコメントを書いてあげようかなと思いながら、書かずに済ませてしまった。書いておくべきだった。それが、彼への最後の僕の言葉になったかも知れないのだから。もう彼とはこのまま接することはない可能性の方が大きいだろう。

「一期一会」という言葉を大切だと思いながら、自分自身がどれだけこの言葉の意味することを大切にして実践してきたのか…。

僕は9月で一旦ミクシィを退会して、復帰した人間だ。退会しますと日記に書いて、みなさんの目に止まるよう数日間の猶予期間は置いた。100数十名いたすべてのミク友さんに挨拶のメッセを送るのがしんどくて、いくらかは送ったが全員には送っていない。

だから、この最後の数日間にログインしなかったり、僕の日記を見なかったマイミクさんは、このゴオさんのケースのように、僕が退会してしまってから突然いなくなったことに気づいていたことになるのだ。ショックを受けた方がおられたことだろう。申し訳ない気持ちで一杯になる。僕のことを大切に思ってくれておられた方に、とんでもないことをしてしまったことになる。少人数でファミリー的にやっていたコミュのみなさんにも挨拶さえ残さなかった所があった。

気紛れに沢山のコミュを作り、退会によって管理人を抜ける時、アリクイさん、やいっちさん、NAZADONさん、すずみんさんを初め多くのマイミクさんが文句のひとつも言わずに、後を引き継いでくださった。僕は、この一年間のミクシィでの出逢いの中で、素晴らしい友人に恵まれて来た。今、感謝の気持ちで一杯だ。ありがとう。

復帰したが、だからと言って、挨拶も届けずに別れてしまったミク友さんともう一度マイミク関係を復活していただけるかどうか分からないが、時間がかかっても退会に際して挨拶もしなかったことはお詫びして、復帰したことを報告だけはしなければいけないと思う。



迷曲『ヘドロ』

2007-09-23 00:02:39 | エッセイ
(以前、mixiに書いたもの)

コッコッコッコ~コケッコ~コッコッコッココケッコ~

私はミネソタの~タマゴ売り~

町中で一番の人気者~

産みたてタマゴはいらないか~

タマゴに黄身と白身がなけりゃ~

お代はいらないコッコッコッココケッコ~


◎オモロイ歌でしょ…。

ミネソタのタマゴ売りは、マルチ商法はやってなかった

んだろうね、多分


在宅ワークで副収入を得たいあなたへ。哀を込めて…

私のマンションは4階建てで、1階は某銀行だ

私は3階に住んでいる。私はお金の上で暮らしているよ

うで、精神的にとてもリッチなのだ。ただ、難点はそれ

が他人の金だということだが…

我が家の真下の2階の部屋が空き室になっている。

在宅ワークで副収入を得たいと、得体の知れない

足跡をmixi内で付け回っているあなたに、そっとお教え

しよう。もっと儲かる在宅ワークを…

ただし、在宅の「宅」を私のマンションの2階の空家に

変更してもらわないといけない。つまり、早い話が、ウ

チの真下の部屋に引っ越して来るのだ。

そこは、銀行の大金庫の真上なのである

さて、あなたは毎日、在宅でどんなワークをすればよい

か…

もう、みなまで言わなくても…頭の良いあなたに

は、おおよその察しがついて…いないのかよ、オイ、頼

むぜ

とりあえず、電気ドリルを買っていただく。コンクリー

ト用だよ。そいでもって、毎日数分だけ床を掘っていた

だく。

何日か、何ヶ月か、何年か後に、その穴は銀行の大金庫

の天井を突き破ることであろう

これは、副収入どころではないぞ

その穴から伝って降りる縄梯子と、穴を埋めるセメント

を用意されたし。

早い者勝ちだよ~

メッセ待ってま~す


★グラシェラ・スサーナの名曲『アドロ』。 

アドロ 灰色の街
   夜の不思議な出逢い
   アドロ あなたの瞳
   幸せのとき 突然私に

   アドロ 微笑むあなた
   夜の優しい言葉
   アドロ あなたの匂い
   接吻(くちづけ)のとき 突然私に
   
   死んでもいいわ
   あなたの腕に抱かれて 私は炎
   あなたは火の鳥 燃やして 燃やして
   すべてを わたしのすべてを

   アドロ あなたの吐息
   甘いあなたの唇
   アドロ あなたのうなじ
   陶酔(ときめき)のとき もう一度私に

名曲『アドロ』の替え歌、迷曲『ヘドロ(マルチ)』

   ヘドロ 灰色のネズミ
   日々の小まめな足跡
   ヘドロ 在宅ワーク
   巧みな誘い 突然私に

   ヘドロ ほくそえむあなた
   副収入巧みな言葉
   マルチ 楽して稼ごう
   入会のとき 突然奈落に

   クリックだけでいいの
   あなたは腕によりかけ 他人を騙す
   あなたは虚言を 尽くして 尽くして
   すべてを 他人のすべてを

   
   ヘドロ あなたの囁き
   甘い あなたの勧誘
   マルチ あなたの魂胆
   ばれるとき あなたはドブネズミ

   消えてもいいわ
   あなたミクシィを去れ 私は怒る
   あなたは詐欺師 騙され 騙して
   失う あなたのすべてを

   ヘドロ あなたの吐息
   軽いあなたの財布
   マルチ あなたの強欲
   時めきのとき もう過去のことなの 


最近、新しいソフトを開発しました。

良からぬ業者が、邪な足跡を付けると、それを

自動的に識別して、相手のプロフも日記も爆発させてし

まう優れモノの自動地雷ソフトです。『悪徳業者撲滅自

動地雷ソフト~地雷を踏んだらさようなら』という長っ

たらしい名前です。もちろん無料で提供いたします


オーシャン(オッサン)と13人の仲間が、味方に加わ

ってくれたため、悪質業者が12人をアク禁にして何と

かこちらの攻撃を凌ごうとしても、防衛しようとして

も、13人目が決定的な攻撃を仕掛けるようになってい

ます。

最早、彼らは袋(小路)のネズミ(講)なのです



赤と白の配合

2007-09-01 04:52:50 | エッセイ
バラの花一滴の雫白い絵の具の中に赤い絵の具を一滴落とすと、ピンクに変化する。落とす赤い絵の具の量によって、ピンク色の濃さは千差万別になるだろう。限りなく白に近いピンクから、限りなく赤いピンクまで…。

私は白い絵の具の中に落ちる一滴の赤い絵の具になろう…。

一滴の雫が、やがては大河になるように、赤い絵の具のチューブが集まれば、たとえ真紅ではなくてもカンバスに赤い薔薇の花が描けるだろう。

無数の愛と平和のバラの花を世界中に届けよう…。