ルクノス ~ともし火~

日本聖公会 北関東教区 宇都宮聖ヨハネ教会のブログです。

顕現後第5主日

2006年02月05日 | ショートメッセージ
今日の福音書(マルコによる福音書1:29-39)で描かれている、
イエス様が生きていた世界について私達の想像をめぐらせてみたいと思います。

イエス様はどのような場に身を置いておられたのでしょうか?
今日の聖書箇所はそのことを象徴的に伝えているような気が致します。

マルコによれば、この物語は、シモンの家での出来事の直後のこととされています。
多くの病人や悪霊に取り付かれた人々を癒すという激しい、
そして、厳しいお働きを終えてのちのことです。
「朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、
そこで祈っておられた」のです。
活動後の休息と祈り。よくそのように解釈されます。

しかし、わたしたちはここでいわれている「人里離れた所」に注目したいと思います。
はたしてそれはイエス様にとって休息の場であったのでしょうか。
イエス様がただ単に休息のために「人里離れた所」に出て行ったのではないことは、次の箇所からもうかがえます。
「近くのほかの町や村へ行こう。そこでもわたしは宣教する。
そのためにわたしは出て来たのである。」
はじめからほかの町や村へ行くおつもりだったのでしょう。
おそらく、イエスの生き方が一都市に留まるようなものでは
なかったからだと思われます。
どこの町や村であったところで、およそ人々が生活している「場」においては、
どこにでも見捨てられ追いやられて
生きて行かねばならない人々とその生活があるのです。
そのためにもイエス様は決して一都市に留まるわけにはいかなかったのです。

「そこでも、わたしは宣教する。そのためにわたしは出て来たのである。」
イエス様の宣教への決意に、わたしたち自身が倣うように
うながされているのではないでしょうか?

執事 マタイ金山昭夫 《2006.2.5 週報より》

最新の画像もっと見る