松江の四季

松江市の四季折々の風景です。

和鋼街道を行く 踏鞴(たたら)と鍛冶と刀のふるさと街道を行く 1  2020年9月9日

2020-09-24 23:32:27 | たたらと鍛冶と刀のふるさと街道

和鋼街道を行く たたらと鍛冶と刀のふるさと街道を行く  

その1 広瀬町(広瀬町は現在は島根県安来市広瀬町となっています)

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広瀬町では月山富田城に登った後 広瀬町役場(安来市役所広瀬支所)にお邪魔して いろいろ鉄に関するお話を伺いました。

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月山富田城七曲りから見た 広瀬町の町並みです。

 

実は私のご先祖で 私の十七代前の人が 月山富田城に勤めていた 勘定方のお侍で 尼子の殿様に仕えて

毎日富田城へ通勤して、給金を頂き家族を養っていました。

そのおかげで 今の私があるのですが 生きているうちに一度そのご先祖様の通勤した道を歩いてみたいと

思い続けてきました。

そして今日あるいたのです。詳しくは

「島根の山を歩く」に載せています。http://yochanh.sakura.ne.jp/shimanenoyama/shimaneyama1.html

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富田城の本丸から二の丸越しに 広瀬町の町並みを見たところです。

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広瀬町のまちから月山富田城をみたところです。

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話は変わりますが我が家に伝わる日本刀です。

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警察の許可証更新時に 島根県教育委員会の鑑定があり、教育委員会の人が

「広瀬町に住んでいた 雲秀という刀匠が昭和の初期に作った刀で、これは郷土の宝です。

大切にしてください」とおっしゃいました。

 

そこでいつかは広瀬町に行き 雲秀の事を聞きたいと思っていました。

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この後 下山してから広瀬町役場へお邪魔して要件を言うと

文化財課へ通されて 主査の方がご親切にいろいろと教えてくださいました。

 

その方は 元和鋼博物館の学芸員をされていた方で 道理で鉄に詳して方でした。

突然訪ねた旅行者にご親切に説明していただきありがとうございました。

このあと その方に教えて頂いた 鉄の道を走り踏鞴の町奥出雲町へ向かいます。

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刀剣の町 広瀬町

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戦前は 広瀬町に刀剣製作工場が2社あったそうです。

一つは「出雲刀剣株式会社」でこれは帝国陸軍が創設したもので もう一社は

「村上刀剣株式会社」でこれは 帝国海軍が設立したものだそうです。

陸軍と海軍は仲が悪かったので 別々の工場を作ったそうです。

 

そして雲秀さんの事もいろいろと教えて頂きました。

広瀬町は今も有名な鍛冶屋さんが何軒かあるそうです。

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これは広瀬町にある 有名な「鍛冶工房 弘光」さんのホームページです。

今もいろいろと刃物を製造されています。こちらが そのサイトです。

https://kaji-hiromitsu.com/

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広瀬町西比田 金屋子神社へ

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広瀬町の町並みを出るときれいな棚田が続きます。奥出雲の亀嵩「かめだけー松本清張の

砂の器の舞台となったところです」へ向かう道です。

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たたらと鋼の神様が シラサギに乗りこの地の桂の木に降り立ち この地にたたら技術を広めたとされています。

踏鞴(たたら)には 火災から高殿を守る神、炉に風を送る神、方位を守る神、と「たたら製鉄」には多くの

神様たちが参加したと言われています。

 

この神様が一緒だと質の良い鉄が産み出される、と「たたら師」たちの間に金屋子信仰が起こり、たたら場には必ず

金屋子神が祀られ、「桂の木」が植えられました。


 その後、たたら集団の拡散と共に全国に広まり、現在では1200社を数える金屋子神社の総本山だそうです。

春秋の大祭には、鉄工関係業者をはじめ県内外の参詣人が多く訪れているそうです。

 

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金屋子神社の神門をくぐります。

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正面に立派な拝殿があります。

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本殿はさすがに「大社造り」です。

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建物の説明看板です。

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神社に奉納された 踏鞴から出た 鉧(けら)です。

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金屋子神社の隣には 金屋子神話館があります。

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金屋子神にまつわる神話をいろいろと説明するモデルがあります。

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金屋子神はシラサギに乗ってこの地の桂の木に降り立ちました。

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踏鞴の説明看板がありました。

踏鞴だけでも20~30人以上の人が働き、そのほかに砂鉄を採取する人、運ぶ人、木炭を作る人、運ぶ人

などを入れると大きな経済体ですね。

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和鋼街道 その2へ続く

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和鋼街道を行く 踏鞴(たたら)と鍛冶と刀のふるさと街道を行く 2  2020年9月9日

2020-09-24 23:31:08 | たたらと鍛冶と刀のふるさと街道

和鋼街道を行く たたらと鍛冶と刀のふるさとの鉄街道を行く  

その2 奥出雲町

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奥出雲町も踏鞴と刀の町です。

日刀保(にっとうほ)たたらは 戦前戦中の「靖国たたら」が敗戦のためアメリカ軍に刀の製造を禁止されたため

廃炉になりました。しかし戦後 美術刀剣(日本刀)の製造のために 日本美術刀剣保存協会が復元再開

させたもので 日本刀の材料の玉鋼はほとんどここで生産されたものです。

中には有名な刀匠は自分の踏鞴を持っている方もいるそうですが。

 

「日刀保踏鞴」、「踏鞴と刀剣館」はまだ訪れていません。次回に行こうと思います。

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元 松江藩鉄師頭取 絲原家」

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島根県観光案内の絲原家の説明です。



 絲原家は中世武家の一門で、初代 善左衛門が江戸時代初期に備後国(広島県)から郡内大馬木村に移住。

帰農して間もなくたたら製鉄も始め、江戸時代中期に9代忠三郎が現在地にたたらの主力工場である高殿(鉄穴鈩)

と居宅を移し、今日に至っています。


 藩政期には松江藩の5鉄師の一人に任ぜられ、鉄師頭取も務めました。大正時代後期に、洋式製鉄の普及により

約280年間燃やし続けて来たたたらの火を消し、家業を山林業に転換しました。

その間、12・13代武太郎は貴族院議員として国政に参画し、国鉄木次線(現JR)の開通に尽力しました。

また14代義隆は半世紀にわたり地方自治にたずさわりました。約400年の歴史をもつ絲原家です。

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絲原家の門です。

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玄関です。この衝立の絵画も相当なものなのでしょうね。

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奥座敷です。もちろん上がれませんが 玄関先からのぞけます。

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天井が無く 屋根を支える梁がみえるばしょもあります。江戸時代のものらしいです。

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梁には 駕籠(かご)が吊るされていました。この駕籠に乗って当主が踏鞴をみまわったのでしょうか。

殿様ですね。

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ダイニングルームです。時代はわかりませんが、江戸末期か明治初期でしょうか。

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この辺りまでは見学できるのですが、向こうの木製ドアから先は 今も住んでらっしゃる生活の場

です。娘さんが たしか高校が私と同級だったような気がしますが、定かではありません。

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巨大な蔵です。すごいお宝が 収められているでしょうね。

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蔵の横には 御成り門があり、藩主、皇族が出入りするそうです。

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広い庭園です。見学の順路まで書いてあります。

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絲原家の茶室 「庭玉軒」です。本家は京都紫野の大徳寺にありますが それと同名で

全く同じものが建てられています。そういう事は普通の人にはできませんが ある人の仲介です。

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あの 近衛文麿がここに遊びに来た時に 口利きしたそうです。

近衛文麿と言えば 天皇制を千年にわたり利用して 政敵を抹殺し、ひたすら私腹を肥やし続けた

あのずるがしこい不比等に始まる藤原家の末裔です。

 

近衛文麿は自分たちの始めた戦争の戦況報告を昭和天皇に奏上するときに 足を組んで説明したそうですね。

天皇制を利用しまくって太ってきた奴が 天皇に対して 完全に上から目線ですね。

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敷地内には 鉧(けら)が安置されていました。製鉄王の家ですから、当たり前ですが。

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御屋敷の隣には「絲原記念館」がありましたが 残念ながら時間切れになり

次回のお楽しみに取っておきます。

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武漢チャンコロナ禍の 秋の松江の風景 2020年9月9日

2020-09-21 21:26:29 | 松江市の四季の風景

秋の松江の風景

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朝起きて宍道湖へ散歩に出かけました。あちこちにたくさんのシジミ舟が出ています。

一時は宍道湖産のヤマトシジミが激減して、頭を痛めた漁協が組合員に出漁の割り当てをしたりして

保護に努めた結果 生息数が回復したのでしょう。

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よく見ると湖底を歩きながらシジミを採っている人もいます。

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「大仏の 寝たる姿や 嵩和久羅」と呼ばれた和久羅山(わくらさん 右の頭部)、

嵩山(だけさん、左の胸部分から左)がよく見えます。以前、松江にいたときは

毎日のようにどちらかに、時には両方登っていましたが 今回は多忙で時間がないので

登るのは無理のようです。

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今日は20㌔以上離れた出雲市街がよく見えます。

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ふと見るとアオサギ青ちゃんがじっと魚を狙っていました。

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右の白い建物は私が泊まった宿泊施設、その左の工事中の建物は左隣のホテル一畑

の増築工事です。結構なことです。この時期にホテルの増築工事をするなんて。

負けるな、武漢チャンコロウイルスに !

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お城も散歩しました。正面の歴史資料館は 誰も入る人がいません。

まだ早いせいか、それともチャンコロウイルスで観光客が激減しているのか。

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しばらく見ていましたが 堀川遊覧船は全然見ませんでした。

やはり観光客が減っているのかなあ。

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楽山公園にも行ってみましたが 紅葉にはまだ早いようです。

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少し歩いてみましたが 前回お会いした松江城主松平不昧公のご子孫は 

今日はいらっしゃいませんでした。

不昧公ご子孫の記事は前回の記事に載せています。

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待ち合わせの時間に少し余裕があったので 朝酌川の川沿いを散歩しましたが

無風状態で 太陽がジリジリと照り付けるので倒れそうになりました。

今日は真夏日ですね。

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道の駅 秋鹿(あいか)渚公園へ行きました。車は満車ですが 歩いている人はまばらです。

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ふと見ると宍道湖の渚で 黙々と作業をしている人がいます。

その人に話を聞くと

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先日の台風で大量に打ち上げられた湖の水草を 集めているところでした。

ほっておくと お客さんが滑るし、藻が腐ると悪臭を放ちお客さんに叱られるし

集めて乾燥させて償却処分するそうです。嵐のたびに大量の藻が打ち上げられるので

焼却せずに産廃処理すると莫大な経費がかかり 大変だからできないとこぼしていました。

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ふと足元を見ると 黒い堆積物が延々と続いていました。これを聞くと

「斐伊川が宍道湖に運んだ奥出雲山中の砂鉄です」といわれてびっくり。

これがあの日本刀の原料となる玉鋼の材料なのです。

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