松江の四季

松江市の四季折々の風景です。

美保神社諸手舟神事 言代主(恵比寿さん)の死を暗示 2009年12月5日

2009-12-05 22:31:56 | 松江市の四季の風景

松江市美保関町にある「美保神社」は言代主(コトシロヌシ別名エビスさん)を祀っていて、全国のエビス神社の総本社です。

強大な国家になった「出雲王朝」に対し、「大和やまと」から再三「国譲り」を申し入れてきたが、埒が明かない。業を煮やした大和は武闘派のタケミカヅチを送り込む。

刀を抜いて迫るタケミカヅチにオオクニヌシは「息子のコトシロヌシに聞いてくれ」と言う。急の知らせの舟が出雲から日本海を早漕ぎで美保関まで行き、ちょうど釣りをしていたコトシロヌシに知らせた。

コトシロヌシは早漕ぎの舟で急ぎ稲佐の浜にかけつけて、「この国を大和の天子に譲ろう」といって、舟をひっくり返してその中に隠れてしまったという。

                                ※記紀による

この時の故事にちなんだ神事が「諸手舟神事(もろたぶねしんじ)」であり

諸手舟という丸太のくりぬき舟を美保湾で早漕ぎする神事である。

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紀元前2世紀末に当時の出雲王朝に秦国から 徐福がやってきた。

徐福は秦の始皇帝の命を受け、和国に不老不死の薬を探しにやってきた

という。しかも枯れは事前に手下の「穂日」を出雲王朝に使わして、上陸の

許可を得るという 周到な準備をしていた。

徐福、穂日、穂日の息子夷鳥(ひなどり)及び沢山連れてきた海童たちと

ともに 謀をされ出雲王朝第8代主王「役職名は大名持」の八千矛(記紀では

大国主と書かれた)を出雲の猪目洞窟に幽閉し殺害した。

そして穂日や海童たちは続いて 美保関の屋敷に妻の「沼川姫」と一緒に

居た大8代副王「役職名は少彦、または少名彦」の八重波都身(記紀では

言代主と書かれた)を誘い出し、中海の粟島洞窟に幽閉し殺害した。

大国主の死を 言代主へ知らせる早舟を この神事は現しているという。

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何人かの歴史作家が書いているように「オオクニヌシは徐福らにだまし討ちで殺されて、おびき出されたコトシロヌシも殺された。壮大な出雲大社はオオクニヌシの怨霊封じである」

という意見に共感を覚える。この時代怨霊や祟りほど怖いものはなかったはずだ。失意のどん底で死んだ「菅原道真」の怨霊を鎮める為に、全国に「天神さん」がつくられたように。

また歴史の勝者藤原不比等が書かせたという「記紀」では、「ゑびす」(コトシロヌシ)の弟タケミナカタは最後まで抵抗したので、追い詰められて諏訪湖まで逃げ延びたが、そこで殺されたという。

まさにでたらめな作り話だと思う。言代主の奥方「沼川姫」は夫の死後、

息子の「タケミナカタ」とともに 故郷の越の国に帰った。そしてタテミナカタは

諏訪地方に移住し、その開拓に大きな功績があったからこそ、諏訪大社の

主祭神として祭られているのである。その偉大なタテミナカタを弱者として

書く事で、不比等らは勝者としての自分たちを強調したかったのだろう。

※斎木雲州著 「出雲と大和のあけぼの」、「古事記の編集室」ほか

いずれも大元出版、今井印刷

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美保神社の拝殿です。全国の恵比寿神社の総本社だけあり、立派です。

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奥の本殿にコトシロヌシが祀られています。

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エビスさんは海上安全の守り神としても、信仰が厚い。昔からいろんな人が奉納しています。

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祭りに先立ち、神前で「神くじ」が引かれ、祭りの参加者が選ばれます。

当たった人は「ウォー」と大きな声を上げていました。

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境内では、地元の人たちが「美保音頭」を唄い踊ります。何故か男の人は顔に白粉を塗り、頬紅をさしています。

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港では、出番を待つ諸手舟。よく見るとくりぬき舟であるのが分かります。

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激しい雨にもかかわらず、たくさんの観光客やカメラマン。遠くから観光バスも何台か来ていました。

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いよいよ漕ぎ手が舟に乗り、掛け声も勇ましく、漕ぎ出します。

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沖合いから帰ってきました。

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桟橋で反転するとまた沖合いへ。

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Photo

帰ってきた二艘の舟は、こぎ手が互いに水を掛け合います。

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何度かこの所作を繰り返した後、船頭らしき二人が、神官に何か「祝詞」を奏上します。神官はこれに大声で応えていましたが、よく聞き取れませんでした。

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その後神官は退場し、漕ぎ手も舟から下りてきました。

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周りの人たちから「寒いのにご苦労さんでした」と声がかかります。

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漕ぎ手たちは寒さで唇も紫色でした。

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地元のテレビやNHKのテレビも来ていました。

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この神事は、釣りをしていたコトシロヌシに急を知らせる早船なのか、はたまた急を聞きつけて、稲佐の浜へ急ぐコトシロヌシの早舟なのか、いずれにしてもも「古代出雲王朝」の大事件を思わせる、なにか暗いイメージがしてなりませんでした。

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