松江市美保関町にある「美保神社」は言代主(コトシロヌシ別名エビスさん)を祀っていて、全国のエビス神社の総本社です。
強大な国家になった「出雲王朝」に対し、「大和やまと」から再三「国譲り」を申し入れてきたが、埒が明かない。業を煮やした大和は武闘派のタケミカヅチを送り込む。
刀を抜いて迫るタケミカヅチにオオクニヌシは「息子のコトシロヌシに聞いてくれ」と言う。急の知らせの舟が出雲から日本海を早漕ぎで美保関まで行き、ちょうど釣りをしていたコトシロヌシに知らせた。
コトシロヌシは早漕ぎの舟で急ぎ稲佐の浜にかけつけて、「この国を大和の天子に譲ろう」といって、舟をひっくり返してその中に隠れてしまったという。
※記紀による
この時の故事にちなんだ神事が「諸手舟神事(もろたぶねしんじ)」であり
諸手舟という丸太のくりぬき舟を美保湾で早漕ぎする神事である。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
紀元前2世紀末に当時の出雲王朝に秦国から 徐福がやってきた。
徐福は秦の始皇帝の命を受け、和国に不老不死の薬を探しにやってきた
という。しかも枯れは事前に手下の「穂日」を出雲王朝に使わして、上陸の
許可を得るという 周到な準備をしていた。
徐福、穂日、穂日の息子夷鳥(ひなどり)及び沢山連れてきた海童たちと
ともに 謀をされ出雲王朝第8代主王「役職名は大名持」の八千矛(記紀では
大国主と書かれた)を出雲の猪目洞窟に幽閉し殺害した。
そして穂日や海童たちは続いて 美保関の屋敷に妻の「沼川姫」と一緒に
居た大8代副王「役職名は少彦、または少名彦」の八重波都身(記紀では
言代主と書かれた)を誘い出し、中海の粟島洞窟に幽閉し殺害した。
大国主の死を 言代主へ知らせる早舟を この神事は現しているという。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
何人かの歴史作家が書いているように「オオクニヌシは徐福らにだまし討ちで殺されて、おびき出されたコトシロヌシも殺された。壮大な出雲大社はオオクニヌシの怨霊封じである」
という意見に共感を覚える。この時代怨霊や祟りほど怖いものはなかったはずだ。失意のどん底で死んだ「菅原道真」の怨霊を鎮める為に、全国に「天神さん」がつくられたように。
また歴史の勝者藤原不比等が書かせたという「記紀」では、「ゑびす」(コトシロヌシ)の弟タケミナカタは最後まで抵抗したので、追い詰められて諏訪湖まで逃げ延びたが、そこで殺されたという。
まさにでたらめな作り話だと思う。言代主の奥方「沼川姫」は夫の死後、
息子の「タケミナカタ」とともに 故郷の越の国に帰った。そしてタテミナカタは
諏訪地方に移住し、その開拓に大きな功績があったからこそ、諏訪大社の
主祭神として祭られているのである。その偉大なタテミナカタを弱者として
書く事で、不比等らは勝者としての自分たちを強調したかったのだろう。
※斎木雲州著 「出雲と大和のあけぼの」、「古事記の編集室」ほか
いずれも大元出版、今井印刷
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
美保神社の拝殿です。全国の恵比寿神社の総本社だけあり、立派です。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
奥の本殿にコトシロヌシが祀られています。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
エビスさんは海上安全の守り神としても、信仰が厚い。昔からいろんな人が奉納しています。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
祭りに先立ち、神前で「神くじ」が引かれ、祭りの参加者が選ばれます。
当たった人は「ウォー」と大きな声を上げていました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
境内では、地元の人たちが「美保音頭」を唄い踊ります。何故か男の人は顔に白粉を塗り、頬紅をさしています。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
港では、出番を待つ諸手舟。よく見るとくりぬき舟であるのが分かります。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
激しい雨にもかかわらず、たくさんの観光客やカメラマン。遠くから観光バスも何台か来ていました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
いよいよ漕ぎ手が舟に乗り、掛け声も勇ましく、漕ぎ出します。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
沖合いから帰ってきました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
桟橋で反転するとまた沖合いへ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
帰ってきた二艘の舟は、こぎ手が互いに水を掛け合います。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
何度かこの所作を繰り返した後、船頭らしき二人が、神官に何か「祝詞」を奏上します。神官はこれに大声で応えていましたが、よく聞き取れませんでした。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
その後神官は退場し、漕ぎ手も舟から下りてきました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
周りの人たちから「寒いのにご苦労さんでした」と声がかかります。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
漕ぎ手たちは寒さで唇も紫色でした。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
地元のテレビやNHKのテレビも来ていました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
この神事は、釣りをしていたコトシロヌシに急を知らせる早船なのか、はたまた急を聞きつけて、稲佐の浜へ急ぐコトシロヌシの早舟なのか、いずれにしてもも「古代出雲王朝」の大事件を思わせる、なにか暗いイメージがしてなりませんでした。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
松江の四季トップページはこちらです。 http://yochanh.sakura.ne.jp/matsuesiki/index.htmlーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「古代出雲王朝ゆかりの地を尋ねて」トップページはこちらです。 http://yochanh.sakura.ne.jp/kodaiizumo/index.htmlーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ウエブのトップページはこちらから戻れます。 http://yochanh.sakura.ne.jp/ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー