松江市の隣に安来市があります。「ドジョウすくいの安来節」で有名な街です。
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その安来市の奥に「広瀬町」と「大塚町」があります。広瀬町は戦国時代中国地方 十一ヶ国(出雲、石見、隠岐、伯耆、因幡、備前、備中、備後、播磨、安芸、美作)を治めた中国地方の雄 尼子氏三代の居城 富田城が会った場所です。
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先日母親の両親の仏前に御参りし、仏壇の中の過去帳を見ていたら、私の爺さんの、12代前の御先祖様が、富田城で尼子の家臣としてお勤めしていたと聞かされ、今で言うサラリーマンだった 約500年前のご先祖様が毎日通勤していた広瀬町を 一度訪ねてみたくなりました。
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道の駅「広瀬、富田城跡」にある記念碑です。左奥に城があった月山(がっさん)の模型があります。
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本丸跡はこの模型地点からさらに月山を頂上まで登らなければならず、山歩きの服装をしてこなかったので、今日は登城するのはやめ、次回に登城し、ご先祖様の通勤した風景を確認しようと思いました。
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尼子義久に仕えた、山中鹿之助は「われに七難八苦を与え給え」と月に祈ったことで有名です。
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尼子三代のあとは、戦に負けた相手の毛利元就が城主となり、続いて秀吉に任命された吉川拾広家、家康に任命された堀尾吉晴と戦のたびに 城主は変遷しました。
堀尾吉晴が松江城を築いたあと、富田城は廃城となりました。
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広瀬町の帰りに、安来市大塚町を通りました。たくさんの旗が道沿いにはためいていて、いま人気の「ゲゲゲの女房」の生家が今も酒屋さんを営んでいる大塚に立ち寄りました。
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昭和初期にタイムスリップしたような 大塚の町並みです。
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このお宅が水木しげるの奥様 武良布枝さんの生家だそうで、今も酒屋さんを営んでおられます。
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「ゲゲゲの女房資料館」もあり奥様や街の昔の資料写真が展示されているそうです。(入りませんでした)
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回り近所の家も、「ゲゲゲのみやげ物屋」と看板を出していて、町中が「ゲゲゲ一色でした。
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