5月22日に吉田秀和氏が亡くなった。
ちょうど六本木でやっているセザンヌ展に家族で行き、「セザンヌ物語」を20年ぶりに引っ張り出した矢先のニュースだった。
2007年のNHK ETV特集「言葉で奏でる音楽」を見てから、いつかはこの日が来るのだろうと思ってはいたのだが。とうとう生前にお目にかかることはもとより、お便りをする機会さえ逸してしまった。 逝去されたのが残念なのはこの上ないが、全集を含む多くの著作と、肉声を残していただいたのだから、これからもそれを味わうことにより、吉田さんの精神に触れることができるから、それは幸せだと思う。
今週末に放映されたETV特集の再放送は、しっかり録画して見た。
吉田さんの仕事については、これから追悼特集などでたくさんの人が文章を寄せたりするだろうし、その存在と功績については、いまさら論じることもないほど確固としている。 日本の「近代」の風景を纏った最後の評論家といってもいいだろう。 クラッシック音楽の普及に果たした役割は測り知れないし、近年では確かに「日本音楽会の守護神だった(茂木健一郎)」というのも、最っもだと思う。 まさに、多くの日本人が、吉田さんの言葉を通じて音楽の楽しみや喜びを発見し、作曲家や演奏家への知的興味をそそられ、最上の音楽の感動へと導かれていった。
若い頃、吉田さんの指導を受けた小澤征二や中村紘子など日本を代表する音楽家は、その語学力や教養の深さに圧倒され、厳正な言葉と向上心の高さに触れて畏怖したようだ。吉田さんの音楽評論を文学的すぎるとする声も一部にあり、確かに処女作の「主題と変奏」などはそうした傾向もあるが、吉田さんの音楽と人間への飽くなき探究心と、幅広い教養と知性に拠った評論は、レコードやCDの普及とともに一般の人にも身近になった、名曲や名演奏を聴くという文化的体験のかけがえのない道先案内人になった。
吉田さんを評論家として非凡な存在たらしめたのは、常に「自由に、公平に」書こうとしたからだ、とある新聞のコラムにあった。近年、文学においても、評論というものがほとんど衰退し、小説なども読まれなくなった理由のひとつには、評論がつまらないということもあるだろう。小林秀雄まで遡らないにしても、江藤淳や加藤周一以後、本当に読者が全幅の信頼をおいて読むに値する評論家は見当たらない。商業主義に毒された毎月の評論は言うに及ばず、インテリと思われる評家たちも、なんらかのバイアスが気になるか、既に小説なぞを評することに興味を失ったかに見える。 吉本隆明が今年3月に亡くなったが、独創的な評論を行う人やその活動は、メディアからは中々視界に入ってこない。
吉田さんの評論が優れて読者に支持されたのは、「自由に、公平に」に考えるという最も困難な作業の成果を、誇張のない正直な言葉で表現したからであろう。 自由で、公平で、正直であること。 つまり自分の言葉で考え、探求し、それを他人と共有することこそ、人生において最大の目標であり、人間に自信と幸福を与える源であるはずだ。吉田さんの批評を通じて、そのことを私は教えられたと思う。
吉田さんの隠れた才能を発見する能力(?)は有名だが、ご本人は「沢山の魚のなかから、本当に良いものを見つけること」は愉しみであると同時に、「でないとそうした才能が死んでしまう」と、評論家としての責任も強く感じておられたようだ。 グレングールドに「新しいバッハの叙情性」を発見し、それを強く推奨したからこそ、日本人は今日世界でも有数のグールド王国になったし、83年のホロヴィッツの「ひびの入った骨董」という辛辣な演奏会評は、5万円も出してチケットを買ったファンや、「伝説の巨匠、初来日」に沸く当時の風潮に対して、本当のことを言わずにはおれなかった責任感から出たはずだ。 吉田さんが、「一枚のレコード」などで毎月紹介した演奏家は、極上のソムリエが推奨するワインのように、時間のない音楽ファンが安心して頼れる道しるべになった。
「すべてのものには終わりがある」と番組のどこかで吉田さんがつぶやいていた。 有限な命を生きる人間は、誰もがこれが真実だと知っている。 だが、人間の創造した芸術のうち、文学でも絵画でもなく、音楽こそが、二度と繰り返されることのない時間の中に存在する。言葉も繰り返し使われ、磨かれることによって、中枢神経に即座に反射するくらいになるとしても、人間は言葉を習得する以前に、声唄や楽器で感情を表現し、音の呼び覚ます特別な感興を味わっていた。 音楽は、常に生まれては消えていくものであるからこそ、永遠への憧憬とロマンを湛えて、我々を魅了し続ける。 吉田さんは、その豊かさ、その味わいが、無類のご馳走だということを我々に教えてくれた恩人であった。
「名曲のたのしみ」を担当するプロデューサーは、吉田さんの亡くなる当日に電話で打ち合わせをしたという。そして、自宅からは放送20回分以上の草稿が見つかり、NHKは年内、番組の放送を続ける。 吉田さんが、「描いて、描いて、永遠を想うにいたった」セザンヌの晩年ほどではないにしても、98年の長きにわたり、精力的に執筆され続けた。 最近の作品は透明すぎる感じがして、まだあまり読んではいないのだが。
ともあれ、近年ほとんど聴いていなかった「名曲のたのしみ」で吉田さんの肉声にまだ触れることができるし、未読の著作に触れたり、かつて読んだものを読み返したりする愉しみを残してくれた吉田さんに改めて深く感謝し、ご冥福をお祈りしたい。