先週土曜の夜、NHK教育のETV特集の再放送を見た。 以前、もう一年くらい前に(実際は、昨年の10月だったようだが)この番組の一部を偶然見たが、今回は一時間半、ほぼ全部を見た。 夜回り先生は、年間300回以上の学校での講演をこなし、年間(?)3万件以上のメールにすべて答える。 夜中まで電話で子供達の相談にのり、そして夜の街を歩いて、深夜にたむろする子供達に声をかける。 全国の中高校での講演で、薬物中毒の子供、親から虐待を受けた子供の実話を交え、語るその口調はやさしく、熱く真剣だ。 13年間で接触した子供の数は計り知れないが、そのうち22人を失ったことを、水谷先生は全く自分のせいだと言う。 そしてその責めを償うかのように子供達に向かい続ける。
先生の挿話はあまりに壮絶だ。 たとえば、
- 病気の母と2人で六畳一間で暮らし、お金がなくて電気もガスも止められ食べ物にも窮して生きる小学六年生の男の子の話。 その子は、学校給食の残りのパンをもらい、何キロも離れたコンビニに余った弁当をもらいに夜中の2時に徒歩で行く。 そうして飢えをしのぐ。 しかし、やがて同じアパートの暴走族と交わり、シンナーを吸うようになる。 そして最後は、夜中にシンナーを吸って、トラックに轢かれて死んだ。 先生は、残された母親に付き添って葬儀に立会い火葬場に赴くが、シンナーに犯された遺体にはほとんど骨が残らない。 遺骨さえも残らぬ我が子の形を求めて、90度の灰に手を突っ込んで掬いとろうとする母の悲しみ。
- 小学生の時から実の父の性的虐待を受け、高校生で薬物に手をだして施設に入った少女。髪を切るのが上手で、理容師の学校に行くと水谷先生と約束をしたが、フラッシバックが強くて中々社会復帰できない。 施設内で恋人ができたが、この恋人の何気ない頬へのキッスがフラッシュパックを呼び起こし半狂乱になってしまう。 そうした自分に絶えられなくなって、首を吊ってなくなってしまう少女。
夜回り先生は、聞く人の身を捩るような悲惨な話を包み隠さずに語る。 先生は現実に立ち向かい、子供達に勇気を持つように、薬物に手を出さないように、生きることの大切さを熱く語りかける。 大人に裏切られてもすべての大人がそうだと思ってはいけない、多くの大人はいい心をもっている。 自分を信じなさい、人間を信じなさい、と語りかける。 夜回り先生のように正直でやさしい大人が存在することを知ることで、安心する子供達。涙を浮かべて聞く子供。親も同じだ。
「リストカットする子は、死にたいんじゃない、生きるためにそうするしかないからするのだ。」かつて自分自身がリスカの常習だった水谷先生自身だからわかるという。 真面目な子供ほどいい加減に出来ないから、許せないから、自分を追い込んでしまう、と先生は言う。 「昼の世界に生きなさい、夜の世界に来ちゃだめだ」と先生は語りかける。 なぜそこまでやるのか、やれるのか。 水谷先生は、子供達から「先生」と信頼して呼ばれることで初めて自分を見出す。「先生」としてしか生きられない運命を自分で感じ、「先生」としての究極の義務を自分に課し続ける。 すべての虚飾を捨てて、生身の人間として、心の問題を抱える子供たちに接する。 それは命を削るような仕事だ。 自分の命を縮めるのも構わず子供に向かい続ける水谷先生。 その言葉は、私たちの生の欺瞞や偽善的逃避を鋭くえぐる。 世の中には、こんな不幸な子供や家庭がある。 その事実を直視し、せめてそんな不幸な子供をつくらぬよう責任ある親であり大人であれと責め立てられるようだ。 こんな人が現代の日本にいることは奇跡のように思える。 まるで、「カラマーゾフ」のアリョーシャのようではないか。
水谷先生のホームページの掲示板には、子供達からのメッセージが載せられている。 「番組を見ました、体調悪そうだけど心配です。」 「先生の本を読んで、自分よりもっと辛い子がいっぱいいることがわかった、自分が恥ずかしい、これからはしっかり生きます」等等。 「夜回り先生」は25万部売れたという。 NHKの番組のDVDで出ている。 http://www.sanctuarybooks.jp/mizutani/ 先生は一人でしか行動しないそうだ。 大人が2人いれば子供は警戒するからだという。
先生の挿話はあまりに壮絶だ。 たとえば、
- 病気の母と2人で六畳一間で暮らし、お金がなくて電気もガスも止められ食べ物にも窮して生きる小学六年生の男の子の話。 その子は、学校給食の残りのパンをもらい、何キロも離れたコンビニに余った弁当をもらいに夜中の2時に徒歩で行く。 そうして飢えをしのぐ。 しかし、やがて同じアパートの暴走族と交わり、シンナーを吸うようになる。 そして最後は、夜中にシンナーを吸って、トラックに轢かれて死んだ。 先生は、残された母親に付き添って葬儀に立会い火葬場に赴くが、シンナーに犯された遺体にはほとんど骨が残らない。 遺骨さえも残らぬ我が子の形を求めて、90度の灰に手を突っ込んで掬いとろうとする母の悲しみ。
- 小学生の時から実の父の性的虐待を受け、高校生で薬物に手をだして施設に入った少女。髪を切るのが上手で、理容師の学校に行くと水谷先生と約束をしたが、フラッシバックが強くて中々社会復帰できない。 施設内で恋人ができたが、この恋人の何気ない頬へのキッスがフラッシュパックを呼び起こし半狂乱になってしまう。 そうした自分に絶えられなくなって、首を吊ってなくなってしまう少女。
夜回り先生は、聞く人の身を捩るような悲惨な話を包み隠さずに語る。 先生は現実に立ち向かい、子供達に勇気を持つように、薬物に手を出さないように、生きることの大切さを熱く語りかける。 大人に裏切られてもすべての大人がそうだと思ってはいけない、多くの大人はいい心をもっている。 自分を信じなさい、人間を信じなさい、と語りかける。 夜回り先生のように正直でやさしい大人が存在することを知ることで、安心する子供達。涙を浮かべて聞く子供。親も同じだ。
「リストカットする子は、死にたいんじゃない、生きるためにそうするしかないからするのだ。」かつて自分自身がリスカの常習だった水谷先生自身だからわかるという。 真面目な子供ほどいい加減に出来ないから、許せないから、自分を追い込んでしまう、と先生は言う。 「昼の世界に生きなさい、夜の世界に来ちゃだめだ」と先生は語りかける。 なぜそこまでやるのか、やれるのか。 水谷先生は、子供達から「先生」と信頼して呼ばれることで初めて自分を見出す。「先生」としてしか生きられない運命を自分で感じ、「先生」としての究極の義務を自分に課し続ける。 すべての虚飾を捨てて、生身の人間として、心の問題を抱える子供たちに接する。 それは命を削るような仕事だ。 自分の命を縮めるのも構わず子供に向かい続ける水谷先生。 その言葉は、私たちの生の欺瞞や偽善的逃避を鋭くえぐる。 世の中には、こんな不幸な子供や家庭がある。 その事実を直視し、せめてそんな不幸な子供をつくらぬよう責任ある親であり大人であれと責め立てられるようだ。 こんな人が現代の日本にいることは奇跡のように思える。 まるで、「カラマーゾフ」のアリョーシャのようではないか。
水谷先生のホームページの掲示板には、子供達からのメッセージが載せられている。 「番組を見ました、体調悪そうだけど心配です。」 「先生の本を読んで、自分よりもっと辛い子がいっぱいいることがわかった、自分が恥ずかしい、これからはしっかり生きます」等等。 「夜回り先生」は25万部売れたという。 NHKの番組のDVDで出ている。 http://www.sanctuarybooks.jp/mizutani/ 先生は一人でしか行動しないそうだ。 大人が2人いれば子供は警戒するからだという。