徒然なるままに……日々の出来事を

身の回りに起こる驚きや、小さな発見

東海道あるき旅⑬(三島~沼津)

2015-06-28 | 東海道あるき旅

  今回は三島から沼津まで歩きました。約9キロの平坦な道なので気分的には楽勝です。

 三島までパスモを使って乗車してきましたが、熱海からはJR東海になるとのことで、改札で精算し直さねばなりませんでした。

 あ~、やっと関東を脱出して東海地方に来たのだという実感を味わう事が出来ました。

  
         三島駅前は、土曜日という事もあり、人々がのんびりとくつろぎ、長閑な感じがしていました。

 

  東海道からは少しそれるのですが、まず駅近くの「楽寿園」に行きました。

 ここは、明治維新に活躍された小松宮彰仁親王が明治23年に別邸として造営したものですが、

 明治27年より三島市が管理運営しているとのことです。

  園内には、約1万年前の富士山の噴火の際に流れ出た溶岩(三島溶岩)の上に生えた樹木や、

 富士山の雪解け水が湧きだす池や瀬があります。

 以前、これらの池や瀬は常に満水の状態だったそうですが、上流地域の地下水汲み上げ量の増加と供に、

 ここ4~50年は、地下水位が年々低下し、現在は一年のうち大半は渇水した状況だそうです。

 湧水は、滅多に見られず、満水になるのも7~8年に一度くらいだそうです。

          楽寿園正門           

 
                                       溶岩の上に根をはる樹木

  
                    渇水の ”小浜池”……池底の溶岩がすっかりと見えています。       

 

三島 「楽寿園」

  

 

 次に、東海道沿いにある三島大社にむかいました。

★  三島大社 

    境内はとても広く立派で、桜の名所としても知られているそうです。

   源頼朝が源氏再興を祈願し、旗挙げをしたことでも有名です。

 

  
  池には、沢山の鯉がいました。亀ものんびりと甲羅干しをしています。             厳島神社

 
          総門                                 芸能殿(旧総門)

  

 
      神門                               樹齢1200年 天然記念物に指定されている ”金木犀”

  
                                    本殿

 

 

★  三島市内

   
    この道路沿いを少し進んだ所に「三島宿問屋場跡」 「樋口本陣跡」 「世古本陣跡」 がありました。

  
    市内にはうなぎやさんが何軒もあり、うなぎのいい匂いがしています。行列のできているお店もありました。

 

 

 三島広小路の踏切を渡ると道は二手にわかれています。左側の道が東海道です。

 道なりにしばらく進むと、柿田川湧水へ行く道がありました。前に行った事が有るので、今回はパスすることにしました。

 

 これより清水町になります。

 この辺には伊豆・駿河の国境にあたる境川にかけられている、”千貫樋(せんがんどい)”があります。

 千貫樋とは、楽寿園小浜池の湧水をかんがい用水として清水町に送水するための掛樋です。

 創設については諸説がありますが、天文24年(1555)の今川、武田、北条三家の和睦が成立した時に造られたというのが、有力だそうです。

 はじめは木製であったそうですが、大正12年関東大震災の際壊れてしまったので、コンクリート製のものに造り替えられたそうです。

 命名の由来は   1  架設が巧なため銭千貫に価する。

             2  この用水が高千貫の田地を潤している。

             3  建設費が銭千貫を費やした。

 などと伝えられていますが、この疎水により清水町は多大な恩恵を受けることができたので、 2の説であると思いたいですね。

 

★  常夜燈

   弘化3年(1846)、名主をはじめ村人が防災の願いを込めて造ったものです。

   均整のとれた美しい姿の石灯籠です。きっと、東海道を行きかう旅人の安全も見守っていたのでしょうね。

 

 

★  伏見一里塚

  日本橋から29番目の一里塚。

  宝池寺一里塚と向かい側にある玉井寺一里塚で対をなしています。

 
      宝池寺境内には立場(茶屋)があり、道ゆく旅人に湯茶のサービスをしていたといわれています。

 

 

★  八幡神社

   境内には、頼朝と義経が対面した時に腰かけたといわれる”対面石”がありました。

 

 

 

 

★  長沢の松並木

   当時の東海道をしのぶことが出来る松並木。道の片側だけに残っています。

 

 

★  黄瀬(きせ)川

   黄瀬川は御殿場市を源流とし、沼津市のほぼ中央を流れている狩野川に合流します。

   川を渡ると、いよいよ沼津市です。

  

   

 

★  傍示石

  江戸時代、水野出羽守忠友が城主であった頃の沼津領東端を示しています。

 
      「 従是西 沼津領 」

 

  しばらくは、狩野川に沿って歩きます。

 

 

★  川廓(かわぐるわ)通り

    川廓通りは、狩野川と沼津城の間に、城郭に沿って通っていた東海道です。

   狩野川に舟運が開かれていた頃の舟着き場に隣接し、物資や人々の交流が盛んに行われるなど、

   江戸時代の宿場町、城下町であった沼津の中心的な地域として位置ずけられていたそうです。

   現在は、ひっそりとした静かなたたずまいですが、昔をイメージして整備された石畳が当時を偲ばせてくれます。

 

 

 

 

 沼津市でみかけたアートの数々

  

  

 

 

★  三枚橋城外堀跡

    三枚橋城廃城の跡地に沼津城が築城されたそうです。

 
            外堀の石垣                            外堀跡

 

 

                                                                      

 

 なんとか、沼津にまでたどり着くことができました。

 これから先も、楽しいことにいっぱい出会えますように!  良い旅となりますように!

 

  


東海道あるき旅⑫(箱根関所~三島)

2015-06-02 | 東海道あるき旅

   今回は、箱根関所から三島までを歩きました。 

 前日の天気予報では、ほぼ100%雨とのことでしたので、濡れた時のためにタオルや靴下、雨合羽などを用意して行きました。

 そして、なるべく荷物を軽くするために、帽子は必要ないと思い持っていきませんでしたが、

 いざ歩き始めると、雨が降るどころか薄日がさしはじめてきました。本当に、帽子を持ってこなかったことを後悔しました。

 万全の備えをしたつもりが、何処か抜けているという・・・・・・悲しい結果になってしまったのです。

    (なぜか他の人達は、皆~んな帽子を持ってきていました。)

 

  少し暑いくらいです・・・・が、 気をとり直して、箱根宿を出発で~す。 

 
                  芦ノ湖です。山の後ろに富士山が少し見えていました。

           
          テレビでよく見る箱根駅伝の往路到着地点。思っていたのより狭い所でした。

 

 

 
       昔、この辺りには、楓並木があったそうです。       当時、本陣があった所は 現在の箱根ホテルの所です。

     

 箱根宿は、小田原宿・三島宿から人々を半強制的に移住させて開いた宿だそうです。

 気候は寒冷で厳しく、平坦地に乏しく田畑がないので、住人の8割は宿泊業・往還稼ぎ・飛脚業・山稼ぎを生業としていました。

 しかし泊まり客は少なく昼の休憩が主だったので、生活は苦しかったようです。

 現在と違い街並みはひなびて粗末な造りで、湯本や畑宿の立場には及ばなかったようです。

      

★  駒形神社

   箱根神社の末社。箱根宿内の鎮守の神として信仰されていました。

 

 

 

 

  いよいよ、旧東海道に入ります。

   

 
 入口付近には「芦川の石仏群」と呼ばれる、数多くの石仏・仏塔がありました。

 

 この後、箱根峠まで急坂が続きます。

 

 

 

 

 

 

★  箱根峠

   標高846メートル。 相模国(相州)と伊豆国(豆州)の国境で境木がありました。

 ここから湯本側を東坂、三島側を西坂と呼びました。

 
                           現在は、神奈川県と静岡県の県境となっています。


  

 再び、箱根旧街道を歩きます。                                         

  
                                 萌えるような緑          「是より江戸二十五里、京都百里」の道標

  
                                 まるで、トンネルの中を行くようです。

  
   道の両側には篠竹が覆い被さるように生い茂り、なかなか風情がありました。

 

 

★  山中新田一里塚

       日本橋から26里目。 片側の塚が残っていました。

           

 

 

★  接待茶屋跡

   昔の旅人にとって、箱根の山越えはとても大変な事でした。

  箱根を往来する人や馬の苦難を救うため、人には湯茶・粥、馬には飼葉を無料で与えた所だそうです。

  寒い時期には、人足や貧しい人々にも粥を与え、焚火をして暖をとったりもしたようです。

 

 

 
            かぶと石                                      念仏石

 

 

       ◇         ◇         ◇         ◇         ◇         ◇         ◇         

 

 

  

 

 

★  雲助徳利の墓

   墓石に徳利と盃を浮き彫りにした風変りなお墓。    

   西国大名の剣道指南役だった人が、大酒飲みのためお酒で失敗し、藩外追放となりました。そして、箱根で雲助になったそうです。

  元来、教養があり剣の腕が立つことから多くの雲助に慕われたそうです。お墓はそうした多くの仲間達によって建てられたようです。

  雲助というと悪人というイメージがありますが、

  往時の雲助とは箱根の坂を登れない老人や弱い女性、病人の荷物などを運んだ人足のことで、

  決して悪い人ではなかったようです。

         

 

 

★  山中城跡

     永禄年間(1558~70)、小田原に本拠を置く北条氏康が築城した山城です。

   400年前の遺構がそのまま復元されている山城は全国的にも非常に珍しく、堀や土塁が良く残っています。

   箱根山の自然の地形を巧みに取り入れた山城の作り方には目を見張るものがあるそうです。

            
            宗閑寺は山中城三の丸跡にあります。

 

  
              三の丸堀


        

        
         特長のある”畝堀”と”障子堀”・・・ここは用水池も兼ねた水堀で、山城では非常に珍しいものです。

          

 

        

 

                              素晴らしい眺めでした。 
                             

     

        

 

 

 

★  富士見平と芭蕉句碑

      富士見平は、今も昔も富士山を望む景勝地と言われています。貞享元年(1684)、芭蕉が箱根越えした時に詠んだ句です。

 
 「霧しぐれ  富士を見ぬ日ぞ  面白き」              富士見平近くからの富士山

 

 

★  笹原一里塚

     日本橋から27里目。坂の上に左側の塚が残っていました。

 

 

 

★  こわめし坂

   あまりに坂が急なので背負った米が旅人の汗の蒸気で蒸されて、ついに強飯のようになってしまったという長い急坂です。

 本当に、ものすごく急な坂でしかも延々と長いのです。坂の両側には家家が並び人々が暮らしています。

 少々の坂では驚かない私でも、この坂にはビックリしてしまいました。

 坂を下ることに一生懸命なあまり写真を撮ることさえ忘れてしまいました。

 

 

★  松雲寺

   参勤交代で往復する西国大名や朝鮮通信使が休息する寺となり、寺本陣と呼ばれたそうです。

 

  
                             明治天皇お腰掛け石          お腰掛け石からの眺め→富士山が見えます

 

 

だいぶ、下ってきました。  もう少しです。  頑張りましょう!

 

 

 

★  初音ヶ原の松並木

   三島市内に残る唯一の旧東海道の松並木です。両側に約1キロ続いています。

 

 

 

★  錦田一里塚(にしきだいちりづか)

    日本橋から28里目。初音ヶ原の松並木の途中にあり、左右両側の塚が残っています。

  
              南側の塚                                         北側の塚

 

 

★  新町橋と三島宿東見附跡

   大場川に架かる橋。昔も今も富士山の見える景色の良い場所です。

  橋を渡った所に三島宿東見附があったそうです。

 
                                                     新町橋からの富士山

 

 

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   今回のコースは、いつもより距離が長く、

  しかも途中工事中のため迂回しなければならなかったりして、更に歩く距離が伸びてしまいました。

  箱根宿を出てからほとんどが下りの道なので、上りの時より楽なのではないかと思っていましたが、

  そんなことはなく、結構疲れてしまいました。

  でも、今迄に箱根から三島に抜けたことがなかったので新鮮な感じがして楽しかったです。

  とりわけ良かったのは、大きな富士山を歩きながら何度も見ることができたことです。

  そして、その度に疲れがとれたように感じられ、頑張ろうという気持ちになるのです。

  本当に、昔から人々に愛された不思議な力を持った山だと思いました。

  富士山 バンザイ です。