goo blog サービス終了のお知らせ 

徒然なるままに……日々の出来事を

身の回りに起こる驚きや、小さな発見

東海道あるき旅⑦(藤沢~茅ヶ崎)

2015-03-08 | 東海道あるき旅

 藤沢は、日本橋から12里18町(約50Km)離れた所にあり、

鎌倉時代以来、遊行寺の門前町として発展してきました。

交通の便もよく、八王子・厚木・江の島・鎌倉・大山への通り道として、多くの人々が訪れ賑わいました。

藤沢宿の概要は、以下の通りでした。

 本陣1軒  脇本陣1軒  旅籠45軒  問屋場2軒  総家数919軒  人口4089人  / 天保14年(1843年)時

 

 今回は、遊行寺を出てすぐの所にある遊行寺橋から出発しました。

 
         遊行寺橋・・・・赤い欄干が目立ちきれいでした。

 
      高札場跡・・・遊行寺橋を渡ってすぐの所にありました。

 

しばらく進むと豊島屋本店とラーメン屋「小松屋」が見えてきました。

鳩サブレで有名な鎌倉の豊島屋は、こちらの豊島屋さんの分家だそうです。

小松屋は、昔、小松屋源蔵が営んでいた旅籠(飯盛旅籠)小松屋があった所で、今はラーメン屋さんになっていました。

屋号だけはそのまま受け継がれているようです。

  
  豊島屋本店                                     ラーメン「小松屋」

 

 

  
問屋場跡(人馬の継立を行う宿場の重要な役所です。               蒔田本陣跡
       馬100疋、人足100人が常置されていました。)

 

★  常光寺

   浄土宗のお寺。境内には天然記念物のカヤの木がありました。

  県の名木百選にも指定されているそうです。

 
カヤの木

 

★  永勝寺

  宿場の旅籠には、飯盛女のいる旅籠(飯盛旅籠)と飯盛女のいない旅籠(平旅籠)、それから木賃宿の三種類がありました。

 飯盛旅籠と平旅籠は1泊2食付で、木賃宿は自炊の薪代を払って泊る宿です。

 永勝寺には飯盛旅籠「小松屋」の主人・小松屋源蔵の墓があり、主人の墓を囲むように39基の墓石が建っています。

 小松屋で働いていた飯盛女たちのものです。彼女たちの多くが30歳未満でなくなっています。

 飯盛女たちは亡くなると、宿場の外れにある投げ込み塚に放り込まれるのが普通でした。

 このような形で葬られている例は見当たらず、小松屋の主人の温情が偲ばれるということでした。

 でも、生きる為とはいえ苦界に身を落とした娘たちの短い人生が哀れでなりません。

 

 

 

 

 

★  義経首洗井戸

 
奥州平泉で敗死した義経の首が、平泉から鎌倉へ送られ、首実検の後、片瀬の浜へ捨てられました。その首が境川をさかのぼって、
この辺りに漂着しました。里人が拾いあげこの井戸で洗い清めたと伝えられています。

 

★  白旗神社

   宝治3年(1249年)義経の首が合祀されて以来、源氏の白旗に因んで白旗神社と称したと伝えられています。

  かなり広くて大きな神社でした。

 

 

  
源義経公鎮霊碑                   弁慶藤と芭蕉句碑                  庚申塔群

 

★  おしゃれ地蔵

 メルシャンワイン藤沢工場のすぐ近くの道路脇に、おしゃれ地蔵がありました。

 「女性の願い事なら何でもかなえて下さり、満願のあかつきには、白粉を塗ってお礼をする」と伝えられているそうです。

 本当に、お顔には白粉と口紅が塗られていました。いつまでも美しくいられますようにと、皆真剣にお祈りしていました。

  
                                                        メルシャン工場からワインの香りが漂ってきます。

 

★  四谷大山道標・辻堂一里塚跡

   東海道から大山道が分岐する四谷の追分に建てられている道標です。

  この先に13里目の辻堂一里塚の碑があります。

  
この先大山道、大山まで6里です。

 

★  二ツ家稲荷神社

   この辺りに二軒の立場茶屋があったので二ツ家と呼ばれるそうです。

  境内には庚申供養塔がありました。

 

 
庚申供養塔

 

      

 いよいよ、茅ヶ崎市に入ります。

この辺りは、松並木が続き、東海道を歩いているという感じがします。これで富士山がみえれば申し分ないのですが・・・・

昔は遮るものもなく、左手には相模湾も見え、きっと素晴らしい景色だったのではないかと思います。

 

 

★  上正寺

 

 

★ 海前禅寺

  

  

 

 

★  茅ヶ崎一里塚

   日本橋から14里目の一里塚です。

  道の南北に塚があり、南には松、北にはエノキが植えられていました。

  現在は南側のみ残されています。

  平成22年、北側の塚も”平成の一里塚”としてエノキが植えられるなどして整備されました。

  何年か後には、りっぱな南と北の塚が見られるかもしれませんね。

 

 
                                                 平成の一里塚

 

 茅ヶ崎は、藤沢宿と平塚宿の間にあって「間の宿」と呼ばれていました。

宿泊のできる茶屋や荷物の運送ができる荷宿があり、宿場の機能を有していたからです。

大きな立場が三か所もあり、茶屋が建ち並び商店や駕籠屋もあり、賑やかな繁華街だったようです。

 

この辺りまで来ると、所々に松並木も残っていて昔の旅人の気分に浸ることも出来ます。

それにしても京都は、まだまだ遥かかなた。

さて、いつになったら行き着く事やら

   

  

 


東海道あるき旅⑥(戸塚~藤沢)

2015-02-26 | 東海道あるき旅

 一か月くらい前の雨の降る日に、JR戸塚駅から藤沢駅まで歩きました。

前日の天気予報では、未明から雪が降り、関東地方では多い所で5cmの積雪が見込まれるとのことでした。

どうしようか迷いに迷った末、参加することにしました。

雪の中を歩くなどという事は、滅多に経験することが出来そうもなく、

かえって、忘れられない思い出になるのではないかと思ったのです。

朝、少し降った雪は雨に変わってしまいました。雪の中を歩くというロマンチックな気分は吹き飛んでしまいましたが……

雨にもめげず参加者は多く、シニア世代の頑張りに驚きました。

 

  戸塚宿

  戸塚は、江戸から10里あまりの所にあり、東側に権太坂、西側に大坂があるので、体力の弱い人や女性などが宿泊しました。

また,大山への参拝客や鎌倉を訪れる旅人も加わっておおいに賑わったそうです。

現在は、往時の面影は全く残っていませんでした。

 

 ◇ 澤邊本陣跡

 

 

 ◇ 八坂神社・高札場跡

   戸塚宿の鎮守、地元では「お天王さま」と呼ばれ親しまれているそうです。

   八坂神社の前の道は鎌倉道の分岐点で高札場がありました。

 

 
毎年7月14日に行われる「お札まき」は横浜市指定無形文化財。拾ったお札を戸口や神棚に貼り、厄除けとするそうです。

 

★  富塚八幡宮

   前九年の役を平定するため、源頼義・義家親子が奥州に向う途中この地で露営し、

   その時見た夢により戦功を得たとして創建されました。

   夢に現れたのは応神天皇・富属彦命(とつきひこのみこと)で、富属彦命の墳墓といわれる塚を富塚と呼んでいたことから

   戸塚という地名が生まれたと言われているとのことです。

   

 

 

 

★  上方見附跡・大坂

  
上方見附跡の碑がある、その先の坂道が大坂と呼ばれ、昔は荷車や牛馬車の後押しをする商売があったほど、きつい坂だったそうです。

現在は、さほどきつい坂とは感じませんでした。

 

 

★  原宿一里塚跡

  日本橋より11里目。

 

 

★  浅間神社

 

 
古くからの原宿の鎮守社です。中世以降に流行した富士信仰をもとにし、各地に見られるようになった浅間神社のひとつです。

 

 

                                                                           

 

  
藤沢市の手前に”鉄砲宿”という変わった地名がありました。ここを過ぎてしばらく行くと”藤沢市”に入ります。

 

 
昔は、みごとな松並木が続いていたそうですが、現在では無残にも大半が枯れてしまっています。

 

 

★  諏訪神社

   遊行寺と道一本を隔てた向い側にあります。

 

 

 

 

 

★  遊行寺

  時宗の総本山で、時宗とは一遍上人によって開かれた浄土宗の一派です。

  一遍上人が念仏をとなえ、お札を配りながら全国各地を布教のために遊行したところから「遊行宗」とも呼ばれているそうです。

  その教えは、「信仰の有無にかかわらず、南無阿弥陀仏を唱えれば、阿弥陀仏が衆生を救ってくれる。」というものだそうです。

  とても立派なお寺で、境内もすご~く広く、大きな銀杏の木もあり歴史を感じました。

 
  本堂

 
                                   一遍上人の像

  

  
梅の花が咲き始めていました。                                      大きな銀杏の木

  
   冠木門様式の山門                             いろは坂と呼ばれる48段のなだらかな石段が続いています。

 

 

                                                             

  雨に降られながらの一日でした。

 着られるだけ着込み、カイロを貼って行ったので、寒さはあまり感じませんでした。

 晴れた日とはまた違った感じで、参加者皆との距離も近くなり連帯感も生まれたような気がします。

 でもでも……やっぱり次回は晴れますように!

 

 


東海道あるき旅⑤(保土ヶ谷~戸塚)

2015-02-09 | 東海道あるき旅

 今回は保土ヶ谷から戸塚までを歩きました。

お天気に恵まれ、冬だというのに歩き始めると汗ばむほどでした。

JR保土ヶ谷駅を出てすぐ左に曲がり、東海道保土ヶ谷宿に入ります。

江戸を出て最初の難所といわれる「権太坂」の手前にある宿場で、

当時の旅人はこの保土ヶ谷宿で休息し、鋭気を養ってから坂越えに挑んだそうです。

この宿内には金沢八景・浦賀へ通じる金沢道が分岐していて、その四つ角を「金沢横町」と呼んでいたそうです。

金沢道からは梅の名所の杉田梅林、景勝地の金沢八景、名所旧跡の鎌倉江の島弁天参詣などへ

江戸や近在から多くの人々が訪れ、また、そうした人々によっても保土ヶ谷宿は賑わっていたようです。

日本橋から8里9丁(約33Km)、泊るにはやや近いけれども、

次の戸塚宿で泊まらせまいと、夕方には旅籠屋の前に、顔を真っ白に塗り紺の前垂を締めた客引きの女「留女(とめおんな)」が、

大勢立って客を引き込んだと言われています。当時の保土ヶ谷宿の賑やかさがしのばれます。

  
  道標4基がありました。
  右から・・・「円海山之道」  「かなさわ かまくら道」  「程ヶ谷の 枝道曲がれ 梅の花」  「富岡山芋大明神への道」

 

 ★  本陣跡(軽部家)

  軽部家は問屋と名主を兼ねた宿内の有力者です。

  現在は、門が残るのみですが、ご子孫が今もお住まいになっていらっしゃるようです。

  
          現存している門

 

 

 ★  保土ヶ谷一里塚跡

  日本橋から8里目になります。

  京都側の出入り口となる上方見附もこの近くにあったみたいです。

 

 

 ★  外川神社

 

 

 ★  樹源寺

  日蓮宗のお寺。身延山久遠寺の末寺として開山されました。

 

  
        静かなたたずまいの境内                            日蓮宗の紋

 

 保土ヶ谷宿をすぎいよいよ”権田坂”にさしかかります。

 江戸を発ってから東海道は海沿いの平坦な道が続いていましたが、 

 ここから本格的な長い傾斜のきつい坂道となります。

 昔は、道の両側に鬱蒼とした松の木が立ち並び、旅人にとっては最初の難所になっていたようです。

 どんなに急で長い坂道かと期待していたのですが、思った程ではありませんでした。(期待し過ぎてしまいました。)

 

 「権田坂」の由来には二つの説があるそうです。

 ・「老人の返事」説・・・ある時、旅人がこの坂で近くにいた老人に坂の名をたずねた所、その老人は自分の名前をきかれたと思い込み、

              「ごんたです。」と答え、その名が坂の名になったという事です。

 ・「本当は権左坂」説・・・昔、権左衛門という人が代官の指図によりひらいて出来た坂道「権左坂」が、

                いつのまにか「権田坂」と呼ばれるようになったという事です。

 さて、どちらを信じますか?と、書かれた説明板が、権田坂小学校の前に建っていました。

 

 
      権田坂の入り口

 
   坂を上り終え、少し行った所。     雪の富士山が遠くに見えました。

 

 ★  投込塚跡

  病や疲労のため、行き倒れた旅人を葬り埋めた塚。

  宿場の外れにはこのような無縁仏を葬る塚があったようです。

  やはり、昔の旅が過酷であったということだと思います。

 

 

 ★  境木立場跡

  権田坂を登ったところが武蔵国と相模国の国境で、”境木”と呼ばれていたそうです。

  境木には”立場”があり、権田坂を登ってきた旅人が一服しながら、名物の牡丹(ぼた)餅をたべたようです。

(立場とは、宿と宿の間にある旅人の休憩所で、数件の掛茶屋があったそうです。杖を立てかけて休む場という意味から立場と呼ばれました。)

 

 ★  境木地蔵堂

  武蔵国と相模国との国境の峠の頂上にありました。

  

 

焼餅坂は、坂の傍の茶店で焼餅を商っていたので名付けられたようです。

 

 

 ★  品濃一里塚

  日本橋から9里目の一里塚です。

  今でも、道の両側の塚がほぼ当時の形で残っています。両側とも残っているというのは、滅多にないとのことです。

 

 明治初期の品濃坂の写真があったのでアップしてみました。

 現在とあまりにも違うのでビックリです。

 

 
      品濃坂を下ると東戸塚の街が見えてきました。環状2号線を渡ります。

 

 

 
  東海道から分岐し、大山に向かう道(追分)の入り口です。大山詣でに向う人々が通りました。

 

 
  益田家のモチの木。県の天然記念物で神奈川名木百選にも選ばれています。今は誰も住んでいないようでした。

 

 ★  齋藤家と赤レンガ倉庫

  明治14年頃、齋藤家が日本人として初めてこの場所でハムの製造を始めました。

  当時、戸塚は鎌倉郡に属していたので、「鎌倉ハム」と称して全国的に知られるようになりました。

  今でも齋藤家の自家用貯蔵庫として、現役で使われているそうです。

 

 

 ★  戸塚宿の江戸方見附跡・戸塚一里塚跡

 
               ダイエー戸塚店の前に建っています。

 
        見附跡の先、吉田橋との間に10里目の戸塚一里塚がありました。

 

 ★  吉田大橋

   広重の「東海道53次 戸塚」には、この吉田橋と橋の袂にある旅籠の様子が描かれています。

   
    現在の吉田橋辺り

 

                                                                       

  昔の人は、一日に30~40Km歩いたと言われています。京都まで、平均12泊13日で歩いて行ったそうです。

やっと、江戸時代の人々の一日分の距離を歩くことができました。

昔の旅の過酷さ、水杯をかわして大勢のお見送りを受けて出発するというのがよくわかります。

またその過酷さ故に、めったに行くことが出来ない旅に対する憧れは、

今の人々よりも強かったのではないでしょうか?

この後のあるき旅も頑張りま~す。

       

 


シンガポール・マレーシア旅行 その四

2015-01-26 | 旅行

  シンガポール観光として、最後に行ったのがボタニック・ガーデンです。

鮮やかな熱帯植物でいっぱいの国立植物園です。特に世界最大級のラン園「ナショナル・オーキット・ガーデン」は素晴らしかったです。

52haという広大な広さの園内には、さまざまの植物が植えら、観光客だけでなく市民にも憩いの場として愛されているようです。

芝生でくつろぐ多くの人々を見かけました。

園内の道路は整備されていて歩きやすいのですが、あまりの広さに全部見て歩く事はできませんでした。

たくさんの花が咲き乱れた小道や、珍しい熱帯植物の生い茂る中を歩いていると本当に心から癒されます。

  
 入り口ゲイト                     ヤシの木が南国らしい            芝生と池           

   

  

  

 

  

  

  

   

  

 

  

 

  

 

園内はどこもみなよく整備されていて、本当にきれいでした。

残念なことに、半分も見られず、ごく一部だけでしたが十分に楽しむことが出来ました。
      (四分の一くらいかも?)

   

                                                               

 

 この旅も、これで終わりです。

熱帯の真夏の国から真冬の日本へ帰ります。

 

  


シンガポール・マレーシア旅行 その三

2015-01-24 | 旅行

    熱帯モンスーン気候に属しているシンガポールは、年中高温多湿ですが、その気候は雨季と乾季に分かれています。

 10月~3月は雨季で雨が多く、気温もいくらか下がりしのぎ易くなります。本当に、いつ雨が降るのか分からず、傘を手放せない毎日でした。

 クアラルンプールに出発する日も、朝早くからスコールのような激しい雨が降っていました。

 MRTに乗ると、濡れた傘を持っている人があまりいません。本当に局地的な雨だという事がわかります。

 雨降るチャンギ国際空港から、いよいよマレーシアの首都クアラルンプールに向け出発です。

                                                               

 1時間ちょっとのフライトで、無事にクアラルンプール国際空港に着きました。


 クアラルンプール国際空港に着くと、イスラム式のスカーフを被った女性の姿が目立ちました。

 空港内はクーラーが、よくきいていて寒いくらいでした。

 空港から市内までは、鉄道で移動です。途中、ヤシの木が植えられた畑が延々と続き、

 それが、森の様に見え、いやがうえにも異国情緒を感じさせられてしまいました。

 到着駅クアラルンプール(KL)センター駅には、日本語表記の案内板がありビックリしました。訪れる日本人が多いのでしょうか

 駅は、明るく開放的な感じで、大きなショッピングモールへと繋がっていました。

  

 
 ショッピングモール・・・近代的でシンガポールにいるのではないかと錯覚してしまいそうでした。

 
 モール内の本屋さん。とても広く、日本のアニメも翻訳されて並べられていました。

 

 
                          駅のすぐ前には、ヒルトンホテルがありました。

 

 このモール内の行列が出来ていたお店で、食事をしました。インドネシア系のお店らしく、とても人気が有りそうな感じです。

 入り口で注文をして店の中に入るのですが、中は女性客が多く賑やかな事と言ったらありません。

 女性のおしゃべりは、万国共通でした。  お料理はとても美味しく、お店の人も優しく好印象でした。

 

 ホテルに行く前にクアラルンプール鉄道駅に行きました。

この駅は、KLセントラル駅がオープンするまで鉄道の玄関口として使われ、今もマレー国鉄の一部の列車が停車し、駅として営業されています。

錫で栄えた当時の面影が残る駅舎。古い昔のマレーが想像され、子供のころ見たテレビドラマ”快傑ハリマオ”を思い出してしまいました。

  

  
        とても長く、解放的なホーム    

 
    白亜の宮殿のようなクアラルンプール駅     マレー鉄道事務局ビル・・アジアとヨーロッパの建築様式が見事にミックスされています

 

夜、クアラルンプール随一の繁華街ブキッ・ビンタンに行きました。

通りには大きなショッピングセンターやレストラン、カフェなどが建ち並び、大勢の人々で賑わっていました。

そこから一本隔てた通りには、ズラリと屋台が並び、都会的な雰囲気から一転して、庶民の生活感漂う街が続きます。

あまりにも多くのお店や屋台があるので、どこに入ったらよいのか分かりません。威勢のよい呼び込みの声が飛びかっています。

その中の一軒のお店で夕食を食べました。メニューを見て注文するのも一苦労です。

どんなお料理が目の前に来るのかハラハラドキドキです。

 

 

  

 
                   帰り道、 ライトアップされたツイン・タワーが見えました。とてもきれいでした。

 

★  ペトロナス・ツイン・タワー

  クアラルンプールの近代化を象徴する建物として街のシンボルになっています。

 日本と韓国の建設会社によってそれぞれ建てられ、ツインタワーとしては世界一の高さだそうです。

 この二つのビルは、41階のスカイブリッジで結ばれていて、86階のオブザベーションデッキとともに一般公開されています。

  
 余りにも高すぎて全体を写す事が出来ませんでした。           模型のツインタワー

  
                                                     二つのタワーをつなぐスカイブリッジ

 

KL ツインタワーからの景色

 クアラルンプールの緑豊かな街並みが見えます。

所々、工事中の場所や建物が見え、この町は、今なお進化し続けているという事がわかります。

ツインタワーの下には高級ブランド店や伊勢丹、紀伊国屋などが入ったショッピングセンターがありました。

 

    
                               大きなクリスマスツリーが飾られていました。

 

 

★  マスジット・ジャメ

  クアラルンプールの名前の由来となったクラン川とゴンバック川の合流地点に建つ、市内最古のモスクです。

 1909年にイギリス人建築家によって建てられたものだそうです。

 インドのムガール建築の影響を受け、白いタマネギ型のドーム屋根、素焼きれんがの壁、白大理石の床、アーチのある柱廊など、

 本当に美しい寺院でした。

 フードの付いたガウンのような赤い上着で全身を包み、靴を脱ぎ素足で見学します。

 特に、女性はフードをしっかりと被り、頭を隠さなければいけないようです。

 寺院内にはイスラム教についての説明と、質問に答えてくれる人がいました。

 誠実そうなその方の説明で、イスラム教に対する見方も少し変わったような気がしました。

 

  

   

 

この後、歩いてチャイナタウンへ向かいました。

暑いからか、歩道橋や道端で寝転んでいる人を見かけました。

ホームレスという感じではありませんでしたが、少しぎょっとしました。

KL チャイナタウン

 

チャイナタウンにはヒンドゥー教寺院や中国の関帝廟がありました。

 

★  スリ・マハ・マリアマン寺院

  1873年に建てられたマレーシア最大のヒンドゥー教寺院です。

  カラフルなヒンドゥーの神々やヒンドゥー神話の美しい展示が、寺院のまわりを取り囲むようにかざられていました。

  やはり、ここも門を入る前に靴を脱ぎます。

 

 

  

  

 

★  関帝廟

  熱心にお参りしている人々の姿が、見られました。

 

  
                     内部には、お参りに訪れた信心深い人々によって手向けられたお線香の煙が充満していました。

     

 

★  バトゥ洞窟

  クアラルンプールから北へ約10Kmの所にあるヒンドゥー教の聖地である洞窟です。

  電車で約1時間。駅を降りると、もうすぐ目の前に高い崖が見えます。

 

  

 

 

 

インドの音楽に合わせてダンスショウーが行われていました。本当に、インド映画でよく見かける様なシーンです。

 

 

洞窟にはカラフルな神様や神話の壁画が飾られていました。

暑い日中なので、洞窟に入るとひんやりとして気持ちよかったのですが、ヒンドゥーの神々についての知識がないので、

展示物を見てもよく分かりませんでした。きっと、ありがたいストーリーがあると思うのですが……

   

  

 

バトゥ洞窟メインの所にやって来ました。

272段の階段を上ると巨大な鍾乳洞があり、ヒンドゥーの神々が祀られています。

また、一番上、奥の所には寺院があり、聖者スブラマニアンが祀られていました。

階段周辺には、野生のサルが沢山いて、元気に歩きまわっています。

長い階段を上りきれるかどうか心配でしたが、なんとか汗ビッショリになりながら一番上迄たどり着く事が出来ました。

 

  

   

   

  
              下り……上から見たところ

 

今迄経験したことがない異文化に触れあう事ができて、本当によかったと思います。

テレビや映画の映像で見た事があり、なんとなく分かっているつもりになっていても、

直に接して感じるのとは随分違うと思いました。

やはり自分で経験し納得するという事は、大事なことだと思いました。

 

       ❀        ❀        ❀        ❀        ❀        ❀        ❀        ❀        ❀

 

最後にお世話になったホテル

  

  

 ホテルの皆さん、とても親切で居心地がよっかたです。    感謝、感謝で~す。

 


シンガポール・マレーシア旅行 その二

2015-01-17 | 旅行

  多民族国家シンガポールにはいろいろな人々がいます。

その民族ごとに集まって、その民族独特な文化を持った街が、造られています。

その中のひとつ”リトルインディア”に行ってきました。

駅を出ると、そこはもうシンガポールにいるのを忘れてしまうくらいエキゾチックでカラフルなインドそのものでした。

活気に溢れたアジア独特の喧騒が、感じられます。

    見たことのない珍しい野菜や果物は、見て歩くだけでも楽しいです。

特に目をひかれるのは、カラフルで美しいお花をつないだレイの数々です。

このレイは、ヒンデゥーの神に礼拝する時に、首にかける為のもののようです。

 

  

  

 街並みもカラフルで、”金のアクセサリー”を扱う宝飾屋さんや色鮮やかなサリーを売っている洋服屋さんが目立ちました。

 

  
 この写真のお店でカレーを食べました。 観光客は見当たらず、地元の人だけという感じでした。

メニューを見せてもらっても全然わからないので、どのくらい辛いのかを店員さんに聞いたのですが、全部辛いという答え。

仕方なく、とりあえずオーダー。 思ったより辛くなく美味しくいただきました。 ナンは米粉を蒸して作ったもので、あっさりしていました。

飲み物はマサラティー。とても甘いのですが、カレーによくあって美味しかったです。

私達はスプーンとフォークを使いましたが、まわりのテーブルの人達は、皆手で食べていました。

お店には手洗い場があり、そこで手を洗ってから食べるようです。(納得しました~。) もちろん、食べ終わった後も洗いますけれどもね。

 
 ヒンドゥー教寺院・・地元の信者でいっぱいでした。     郵便ポスト・・投函口はシンガポールとシンガポール以外に分かれています。

 

          ❀        ❀        ❀        ❀        ❀        ❀        ❀        ❀

次に向ったのはチャイナタウンです。

シンガポールの75%は、中華系の人々が占めているだけあって、街並みはとても立派でした。

この街も、活気に溢れていて、皆生き生きとしている感じがしました。

シンガポール チャイナタウン

 

 ★  新加坡佛牙寺龍牙院

  チャイナタウンの中心部にある巨大な仏教寺院です。

  唐王朝時代の建築様式で建てられ、2007年に完成したばかりの絢爛豪華なお寺です。

  ミャンマーの寺院で発見された仏陀の歯を納めるために建てられたそうで、中華系シンガポーリアンの篤い信仰を集めています。

  

 

 
 左右の壁には、1000体の仏像が祀られていて その周囲には、さらに極小サイズの仏像が無数に並べられています。 すご~い~の一言

  

 地元の人とおもわれる人々もかなりいて、熱心にお祈りしている姿が印象的でした。

 

  ★  スリ・マリアマン寺院

  なぜかチャイナタウンにヒンドゥー教寺院がありました。

  シンガポール最古のヒンドゥー教寺院だそうです。

  屋根は、ヒンドゥー教の神々の彫刻像や他の人物像、装飾品などで豪華に飾りたてられています。

  入り口のドアーはかなり大きくて、格子模様に配列された小さな金の鐘が散りばめられています。

  信者や観光客が通る時に、この鐘が鳴るようになっているのだそうです。

  中に入るには、靴と靴下を脱いで素足にならなければなりません。

 

 

    

 

チャイナタウンの中にある”チャイナタウン・ヘリテージ・センター”に行ったのですが、改装工事中とのことで見学することが出来ませんでした。

チャイナタウンの歴史が展示してある所なのです。本当に残念でした。

中国人のこのエネルギーが、どの様にして生まれて来たのかを知る事が出来たかもしれませんのにねぇ~

 

      *       *       *       *       *       *       *       *       *       *

 この後、アラブ・ストリートへいきました。

 MRTのブギスという駅から歩いて10分弱くらいの所にアラブ・ストリートがありました。

  
 ブギス駅前                                                       アラブ・ストリート

         ( アラブストリートには、布を売っているお店と絨毯を売っているお店が多くありました。)

 

 ★  サルタン・モスク

  巨大な金のドームがあるイスラム寺院。アラブストリートのシンボルとなっています。とても立派で美しいモスクでした。

  お祈りの時間は、観光客は入場できませんが、それ以外の時間は大丈夫です。

  入場する人の名前・国籍・人数を記帳ノートに書き込んで、肌の露出が目立つ人はガウンを借りて入ります。

  もちろん靴は脱いで素足になります。私たちが日本人だとわかると受付の人が日本語で話しかけてくれました。

  とても嬉しかったです。

 

  

 

 
  内部は広く神聖な雰囲気でした。お祈りしている人々が沢山いました。       コーラン・・世界中の言語に訳されています。
  観光客は回りの廊下から見学させてもらいます。                           日本語訳のもありました。

 

       ◇       ◇       ◇       ◇       ◇       ◇       ◇       ◇       ◇       ◇

 ナイトサファリに行く前に、オーチャド・ロードに行きました。

 

 ★  オーチャド・ロード

   クリスマスの日のオーチャド・ロードはすごいことになっていました。

   通りでは何か催しがあるらしく、大勢の人がいて歩くのも大変なほどでした。

   大きなクリスマスツリーが飾られ、若者で溢れかえっていました。

   有名ブランドのお店が並び銀座や新宿と少しもかわりません。高島屋、伊勢丹もありクリスマスセール真っ只中です。

 

 
                                              高島屋と伊勢丹が隣り合ってあります。人気があるようです。

 
 高島屋のクリスマスツリー

 

この後、いよいよナイトサファリです。

ナイトサファリはシンガポールが世界に誇る夜の動物園です。

チケットは事前に購入してあったので、予約時間30分前くらいに行ったのですが、

すでに、ものすごい人々が並んでいて本当にビックリしてしまいました。

クリスマス休暇中なので特に混んでいるようです。動物園という事もあり子供連れの人も多く、特に小さい子供さんのいる方は大変そうでした。

1時間ちょっと並び、やっとトラムに乗り込むことが出来ました。このトラムに乗って、動物園内をめぐるのです。

柵のない夜の動物園。ミステリアスな感じがし、周りの誰もがドキドキしているという感じがします。

フラッシュは絶対にたかないようにという厳重な注意があったので、残念ながら写真は撮れませんでした。

 
 ナイトサファリ入り口・・・入場を待つ大勢の人々が見受けられます。ここから、延々と行列が続きます。 いたる所、 電飾がきれいです。

 
 フラミンゴの群れ・・・かろうじて1枚だけ撮れました。         ナイトショー・・・司会者の話術が面白かったようです。観客のノリも最高

 

資源のない国シンガポールが、これだけの繁栄をしている理由が解ったような気がしました。

こんなにも多くの観光客を呼び込むだけの力があるのだから・・・・・・

 

次回はマレーシア・クアラルンプールへ行く予定です。

 

 


シンガポール・マレーシア旅行 その一

2015-01-12 | 旅行

 新しい年・2015年が始まりました。

今年も、元気で平穏無事に過ごせますように 

そして、このブログも無理のない範囲で続けられますように 加油,加油!

 

昨年のクリスマスから年末にかけて、シンガポールマレーシア(クアラルンプール)に行ってきました。

例年にない寒さに見舞われている日本から、赤道直下の国シンガポールへ。さて、どんな驚きが待っているのでしょうか?

 

今回は、羽田空港からの出発です。

学校も冬休みに入り、国際線出発ロビーは大勢の人々で賑わっていました。

日本人が、青色発光ダイオードでノーベル賞を受賞したからなのでしょうか、空港の電飾も青色一色でした。

  

  
           行ってきま~す!!

  
      機内食・・・おやつ(あられ)、    食事(洋食と和食から選べます。これは洋食です。)     軽食(パン)

 

 約7時間半のフライトで無事シンガポール・チャンギ国際空港に着きました。日本との時差は1時間です。

空港からはMRTで移動しました。MRTとはMass Rapid Transitの略で、シンガポールの公共交通機関のことです。

市内では地下を、郊外では地上を走っています。駅構内も電車内も、近代的で、清潔感に溢れていました。


多民族国家だけのことはあり、電車内の表示も英語・中国語・マレー語・タミル語と多彩です。  禁止事項の表示もちゃんとありました。

 

翌朝、市内の様子を見るために路線バスに乗りました。

MRTもそうですが、シンガポールでは時刻表がなく5~6分おきに来るバスに手を上げて乗ります。

バスは、車内アナウンスも有りませんので、観光客にとっては少々ハードルが高いです。

でも、2階建てバスの一番前の席に座れたので見晴らしは最高でした。

 

路線バスからの眺め

 

バスを降りて市の中心部に来ました。

美味しいと地元の人々にも有名なお店で、朝ご飯を食べました。

肉骨茶(バクテー)といって、シンガポールの鍋料理です。豚肉のスペアリブにニンニクとスパイスを加えて煮込んだものです。

お肉もやわらかく、スープも優しい味で、本当にとても美味しかったです。しかも、その上安いのです。

   

 
                                             厨房の中の様子  皆、生き生きと働いています。

  
    オープンテラスふうの店内の様子・・・朝早くから大勢の地元の人々で満員でした。

 

この後、市内観光へ

 
 国会議事堂                                     最高裁判所

 

★  教会(セント・アンドリュース・カテドラル)

 

  
             南国らしく白を基調とした素敵な教会でした。      クリスマスの準備をしている真っ最中でした。
                            

    

 

★  ラッフルズホテル

あの有名なホテル。格式高そう~。

 

 

★  シティー・ホール

 
  残念ながら工事中でした。

 

★  シンガポール川の辺

  シンガポールの創設者、トーマス・スタンフォード・ラッフルズの像がありました。1819年にこの地に来たようです。

 

 

 

★  マーライオン

 

 
 人気の高いマーライオン、いろいろな国の観光客で賑わっていました。対岸にマリーナ・ベイ・サンズが見えます。

 

★  マリーナ・ベイ・サンズ

  3棟の高層タワーからなる複合施設で、その頂上部分をつないだ船型庭園は、某コマーシャルでも有名ですね。

  ホテル・カジノ・大規模ショッピングモール・ダイニング・シアターなどが揃っています。

  本当に、よくこんな形を思いついたものだと感心してしまいました。

 

お昼ご飯は、マリーナ・ベイ・サンズのフードコートで名物のチキンライスを食べました。

とても混んでいたので、席を見つけられるか不安だったのですが、従業員の人のきびきびした働きで、

食べ終わった食器は直ぐにかたずけられ、テーブルもきれいに拭かれ、次の人の為に席が用意されるのです。

まさしく、ここはアジア。皆、勤勉だなーと思いました。 お料理が美味しかったのは、いうまでもないですが……

 

 

 

マリーナ・ベイ・サンズ展望台からの眺め


  曇っていたので、景色がかすんで見え残念でした。 海には、沢山の船が浮かんでいました。

  本当に、ここはアジアの十字路なのだと実感しました。

 

 

 
  マリーナ・ベイ・サンズの内部。いろいろなブランドを揃えたもっと賑やかなショッピングモールもありました。

 

★  セントーサ島

 セントーサ島へは、最寄りの駅までMRTで行き、そこから島まではロープウェイに乗りました。

 25年位前に家族旅行でセントーサ島に行った事があったのですが、今回はロープウェイ乗り場がわからず、ショッピング・モールの中を

 ぐるぐると歩き回ってしまいました。折しもクリスマス・セール真っ只中、半端ない人々でごったがえしていたので、

 案内表示がよくわからなかったのです。

 

  

★  水族館


    勘違いして、新しく出来た水族館に行けませんでした。 昔、来たことがあった動く歩道付きのトンネル型の水族館です。

    とても、空いていて貸切状態でした。

 
  水族館を出た所にあったフルーツジュース屋さん・・・少し高かったけれども本当にフレッシュで美味しいジュースでした。

 

 

 

 
  夕方、急に空が暗くなり雨が降り始めました。シンガポールへ来てから初めてのスコールです。

 

市内に戻って、地元でも美味しいと有名なお店で、チリクラブを食べました。

これが、またとても美味しいのです。カニを食べ終わった後に残ったソースは、炒飯にかけて全部いただきました。

 

 

 

 食べ終わって外に出ると、雨はすっかり止んでいました。

 お店の前には順番を待つ長い行列が出来ていました。

 

 川沿いには、多くの飲食店が軒を連ねてあり、川面にはイルミネーションが映り、とても素敵でした。

 そんな中、日本のお店を見つけました。

 

 なぜか、日本頑張れ!と、心の中で叫んでいました。

 いろいろな国の人が、いっぱいいるシンガポール。食べ物も美味しく、治安もよく清潔できれいな街。

 この後の観光も楽しみになって来ました。

 

 


東海道あるき旅④(神奈川~保土ヶ谷)

2014-12-20 | 東海道あるき旅

 今回は、JR東神奈川駅(京急では仲木戸駅)から歩き始めました。 

神奈川宿は、江戸から三番目の宿場として開設されました。

現在でも神奈川県の県名として残っているこの宿場は、海沿いに約2Kmの町並みが続く長い宿場町でした。

諸国の廻船が出入りし、物資の集散地としてにぎわい、西の高台は富士山や房総の山々を望む景勝地で、 

料理茶屋が並び多くの人々で賑わっていたようです。

”滝の橋”を挟んで2軒の本陣・問屋場・高札場がありました。

 

幕末、日米和親条約締結の場となり、ついに日本は、下田と函館を開港し、長かった鎖国に別れを告げたのでした。

条約締結後、宿内の寺院は諸外国の公館として利用されました。

 

☆  金蔵院

  
神奈川御殿(将軍上洛時の宿泊所)が造営されるまで、将軍の宿泊所として使われていたお寺です。

 

 

  熊野神社     

 
     慶應4年の神奈川大火、昭和20年の戦災で火を被ったけれども、見事に蘇った大銀杏の木が境内にありました。

 

 

  高札場


かなり大きな高札場でした。神奈川地区センター前に復元されていました。

地区センター内には神奈川宿の模型も復元されていて、海沿いに町が続き、沖には台場が造られている様子がよくわかります。

西の方は高台になっている地形もよくわかります。

 地区センター前の通り、 松並木が素敵でした。

 

 

☆  成仏寺

 

 

  慶運寺

開港当時はフランス領事館に充てられていました。

幕末に、火災で廃寺となった観福寺から、浦島太郎が乙姫様からいただいたとされる浦島遺品を

譲り受け保存しているそうです。別名・”うらしま寺”とも言われているようです。

                               
                                                             お寺のすぐ横に電車が通っています。

 

 

☆  浄瀧寺  

  

 

 

☆  神奈川の大井戸

 

東海道の名水として有名だったそうです。

井戸の水量が増えると翌日の天気が良くなるといわれ「お天気井戸」とも呼ばれていたそうです。

 

 

  宗興寺

ヘボン博士が当寺院に診療所を開設し、日本人の多くの患者を無料で診察したそうです。

 

 

 

☆  神奈川台場跡

台場は、海に突き出た神奈川沖に造られていましたが、今では石垣の一部が残るのみでした。

埋め立てにより、周りには高いビルが建ち、海は全然見えませんでした。

  

 

 

☆  洲崎神社

宮前商店街を入ってすぐの所にありました。(宮前商店街の所から、街道は海べりをそれ内陸の方へ入っていきます。)

この辺りも、昔は海の近くだったのですが、全くその面影はありませんでした。

 

 
                             静かで凛とした素敵な神社でした。

 

 

  本覚寺

京急神奈川駅のすぐ横の青木橋を渡ると本覚寺が見えてきます。

このお寺も電車からよく見かけていたお寺です。横浜駅周辺の高層ビル群がもうすぐ傍に見えます。

アメリカ総領事・ハリスの希望により4年間アメリカ領事館として使われていたそうです。

 

 

 

 

 

☆  台町茶屋街跡

緩やかな登り坂を行った辺りが台町です。、昔は料理茶屋が並び、広重の錦絵にも描かれているように、

海が見える景色のいい所だったそうですが、現在は、高いマンションなどが建ち並び、海も見えず昔の面影は全く感じられません。

坂本龍馬の妻・おりょうが働いていたことで有名な”田中家”と”滝川”(昭和になってからできた)が、当時をしのばせるのみでした。

 

 

 

 

横浜駅の近くでお昼ご飯(中華)をたべました。

 

 

  神奈川台関門跡

横浜開港後、横浜在住の外国人の安全を守るために神奈川台に関門を設け警備を強化しました。

 

 

  浅間神社

昔は、境内の崖に富士山に通じる人穴と信じられた穴があり、東海道神奈川の名所になっていたそうです。

戦後の調査で横穴古墳とわかったそうです。

  

 

 

☆  芝生の追分

追分とは、街道の分かれ道のことです。    

芝生村で、東海道と八王子とに分かれる所です。

横浜開港後は八王子方面から輸出する絹を運んだので「絹の道」とも呼ばれていたそうです。 

 

 

天王町の近くの松原商店街の中に保土ヶ谷宿の江戸方見附跡がありました。

 

 

 

☆  橘樹(たちばな)神社

 

 

 

 

☆  旧帷子(かたびら)橋跡

相鉄線の天王町駅南側の広場に、旧帷子橋の記念碑がありました。

広重によって描かれた「東海道五十三次 保土ヶ谷」は、この帷子橋あたりなのです。

 

 

 

☆  神明社

 

 

 

約10Kmを歩いて、神奈川宿から保土ヶ谷宿まで来ました。

ほとんどのお寺や神社には、大きな銀杏の木があり、その黄色くなった葉っぱが美しく

地面にはまるで黄色の絨毯が広げられているようでした。

自然を感じながら、江戸時代の人々におもいをはせる事が出来、よかったです。

昔、賑わっていた神奈川宿よりも後から開港された横浜のほうが、現在は栄えているという現実。

また、昔は街道沿いで栄えていた保土ヶ谷や戸塚。

本当に時の移り変わりは面白いと思いました。

あと100年後、横浜の街はどう変わっているのでしょうか。

 

 


東海道あるき旅③(川崎~東神奈川)

2014-12-01 | 東海道あるき旅

大勢の人々でごったがえす川崎駅を出て、市内へと向かいました。

市内の大きな通りの両側には、黄色く色づき始めた銀杏の木が植えられ、落ち着いた雰囲気がかもしだされていました。

川崎の街を歩いたのは初めてでしたが、さすが政令指定都市だけのことはあり、素敵な感じでした。

最初に、東海道を少し海側にそれた所にある稲毛神社に行きました。

ここは、平安時代後期に川崎庄の鎮守として建てられたと伝えられている古社です。

境内には樹齢千年と推定される御神木の大銀杏がありました。

 

 

 

稲毛神社を後にしてから、再び東海道に戻りいよいよ東海道あるき旅の開始です。

この川崎宿は、53次中の52番目に出来た宿だそうです。品川宿と神奈川宿の距離が五里(19.6Km)と離れていたので、

伝馬継立ては往復10里(約39Km)になり過重な負担となる為、幕府はその中間に位置する川崎に宿駅を作ったのだそうです。

川崎宿は財政基盤が弱いうえに、富士山の噴火や大火事による被害を受け窮乏していましたが、

田中本陣当主・田中休愚の尽力により、六郷(多摩川)の渡しの経営権を幕府より譲り受けることが出来、

財政を立て直すことが出来たそうです 

 

☆  佐藤本陣跡

 川崎宿上本陣と呼ばれていたそうです。田中本陣より京都に近いので”上”を付けて呼ばれたようです。

佐藤本陣の子孫・佐藤惣之助は作詞家で、その主な作品には「赤城の子守唄」「人生劇場」「新妻鏡」「六甲おろし」などがあるそうです。

 

  川崎宿京方見附

 川崎宿の京都側の出入り口で「京方見附」とか「上方見附」と呼ばれていたそうです。

江戸側の出入り口は「江戸方見附」と呼ばれ、両見附の間が宿場の範囲となります。

  
関札……実際の関札を複製したもので「加藤遠江守宿」と書かれています。
      大名などが宿泊するとき宿泊する宿の前に掲げられた木札です。

 

  芭蕉句碑

 

元禄七年、松尾芭蕉が江戸深川を発ち郷里の伊賀へ向かう途中、川崎まで見送りにきた弟子たちとの別れの時によんだ句です。

  『麦の穂を たよりにつかむ 別れかな』

芭蕉は、この年の10月に大阪で亡くなってしまいました。

この時もうすでに、体が弱っていたのではないかと思えるような句ですね。

 

  八丁縄手(畷)

 縄手(畷)とは真っ直ぐな細長い道のことをいうそうです。八丁は長さを表し、1丁(109m)×8で約880mになります。

川崎宿京方見附から市場村入り口まで田畑の中を8丁続く一本道が続いていて、両側は松並木になっていたそうです。

現在は京浜急行の駅名として残っています。

 

 

☆  市場一里塚跡

 ここは、日本橋から数えて5里目になります。

徳川家康は、日本橋を起点に五街道に1里ごとに塚を設け、街道の整備をしました。

塚は直径5間(約9m)、高さは1丈(約3.3m)ほどの大きさで頂部に樹木を植え、街道を挟んで両側に設けられていたそうです。

ちなみに、1里は約3.9Kmです。

 

 

 

☆  鶴見川

 

 

  鶴見橋関門跡

 鶴見川をわたり終わってすぐの所に、鶴見橋関門跡の石碑がありました。

横浜開港の後、外国人に危害を加えようとする尊皇攘夷派の人々の通行を厳しく取り締まるために設けられたのだそうです。

 

 

この辺りには、鶴見名物の「よねまんじゅう」を出す茶店が軒を連ねていて、鶴屋と亀屋が有名だったそうです。

「お江戸日本橋」の唄・二番に「鶴と亀との米饅頭」と唄われています。

現在では、鶴見駅の近くの和菓子屋さんで復活して売られていました。

江戸時代は塩餡入りの大福に似た品だったみたいですが、現在のものは、ほんのり甘く小形で食べ易いものでした。

 

鶴見をぬけ生麦にさしかかると、みちの両側に魚屋さんが増えてきました。

 

☆  生麦御菜ヶ浦

 この辺りは、江戸城に新鮮な魚介類を供給することの見返りに、

漁場の独占など特権を与えられた御用漁村だった所だそうです。

多くの魚屋さんが軒を連ねていたのですが、午後だったのでほとんどのお店がもう商いを終え閉店していました。


唯一開いていたお店に、新鮮そうな貝だけが残っていました。

 

 

☆  道念稲荷神社

 

 

 

 

☆  生麦事件現場跡

 あの有名な生麦事件の起こったところです。

これがきっかけとなって薩英戦争がおこり、その結果、外国の武力の現実をしった薩摩藩は攘夷を捨てたのでした。

 

 

                ◇      ◇      ◇      ◇      ◇      ◇      ◇      ◇            

 

キリンビールの工場前をとおりすぎ、しばらく行くと神奈川宿江戸方見附跡にたどり着きます。

この辺りは、京急神奈川新町駅の近くで、電車の中から見たことがある見覚えのある公園でした。

まさか、そんな歴史に関係ある所だとは、思ってもいませんでしたのでビックリしました。

 

☆  オランダ領事館跡

 

 

幕末、横浜が開港されると、神奈川宿内の寺院は諸外国の公館として使われたそうです。

 

 
良泉寺……横浜開港当時、諸外国の領事館に充てられるのをまぬがれるため、
        住職は、本堂の屋根をはがし、修理中であることを口実に、
         幕府の命令を断ったといわれています。

 

 

  笠のぎ稲荷

 

 

 

                                                                      

 

お天気に恵まれ、少し汗ばむほどの陽気でした。

紅葉も少しづつ始まっていて、あちらこちらで、赤や黄色に色づいた綺麗な景色をみることが出来ました。

いよいよ次回は神奈川宿に入る予定です。

どんな歴史が待っているのかとても楽しみです。

                         

  


東海道あるき旅②(品川~川崎)

2014-11-24 | 東海道あるき旅

 今回は、品川から川崎まで約12Kmを歩きました

まず、品川駅を出発し東海道線の上に架かっている八ツ山橋を渡りました。

この辺りは高台で、江戸初期には将軍の鷹狩時や、幕府の重臣を招いての茶会などに使われた御殿があったので、

御殿山」と呼ばれるようになったそうです。桜の木が植えられ花見の名所でもあったようです。

今は、山も削られ地名のみが残っています。

 

 

 

京浜急行線を渡ると、いよいよ品川宿の始まりです。品川宿の家並みの裏は海で、かつては船着き場(河岸という)があり、

三大将軍・家光が東海寺を訪れた帰りに、見送りにきた沢庵和尚とした有名な問答があるそうです。

   将軍 「海近くして東(遠)海寺とはこれ如何に」

   和尚 「大軍を率いても将(小)軍と言うが如し」

  

 
  台場跡

 
  鯨塚

 

☆  品川宿本陣跡

 現在は公園になっていました。

 

☆  荏原神社

目黒川のほとりにあり、ここまでが北品川となり、川を渡った先は南品川となります。

 

 

 
                                 問屋場跡 (旅行者の荷物を運ぶ人足や馬を交代する人馬の継所跡)

                                 貫目改所跡 (運送する荷物の重さや数量が書状や規定以内に
                                                        守られているかを検査する役所跡)

 

☆  品川寺(ほんせんじ)

 品川区内一の古刹。寺の入り口には大きな地蔵菩薩坐像がありました。江戸六地蔵のひとつだそうです。

境内には樹齢約600年といわれている銀杏の木があり、黄色く色づいたらきれいだろうなと思いました。

 

 

 

☆  海雲寺

 火と水の神である千躰荒神様が祀られている。台所の神様として江戸時代から信仰を集めているそうです。

 本堂にある大願成就の納額と、格天井がみごとでした。

 

     
(小さい写真はクリックすると大きくなります。)

 

☆  涙橋(浜川橋)

 鈴ヶ森刑場の手前にある橋で、罪人と縁者が涙ながらに別れた所なので涙橋と言われているそうです。

今は、何事もなかったように人々の生活の為の橋として使われています。

 

  鈴ヶ森刑場跡

 首洗い井戸や、ひげ題目の碑、火あぶりに用いられた鉄柱の丸穴石、磔(はりつけ)に用いられた木柱を立てた角穴石などが残っていました。

昔は、本当に残酷な殺され方をしたんですネ

 

☆  磐井神社

 

 
磐井の井戸 (万病に効く薬水とされ、飲む人の心が正しければ清水に
          よこしまなら塩水になると言われていたそうです。)

 

  梅屋敷跡

 梅や椿が植えられ、休み茶屋もあり江戸の名所だったようです。

江戸時代の人々の楽しみといえば、お花見・紅葉狩り・月見・潮干狩りなど現代にも引き継がれているものが沢山ありますが、

何処に行くにも歩いて行かなければならないというのは辛いですよね~

 

 

☆  六郷神社

 六郷の渡しの近くにある神社です。境内には保育園があり子供の声が響きにぎやかでした。

 

    

   

                                                               

 

いよいよ多摩川を渡り川崎へと向かいます。向こう岸には川崎の高いビル群が見えてきました。

いつも電車でしか渡った事がないので、周りの景色がとても新鮮に感じられました。

 

 

 

          ◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇         

 

 

☆  川崎宿田中本陣跡

 8代将軍・吉宗の頃の本陣当主・田中休愚は川崎宿の財政立て直しのために、

幕府が持っている六郷川渡船経営権を川崎宿に移すよう交渉し、成功しました。

これにより川崎宿は潤うことが出来たそうです。いつの世も、しっかりしたリーダーがいると人々は幸せになれるんですね。

 

田中本陣跡の近くに「東海道かわさき交流館」がありました。

閉館時間まであまり時間がなかったので、詳しくは見る事が出来なかったのですが、

江戸時代の川崎宿の様子や当時の旅の紹介がなされていて、おもしろい所でした。

そこで、しばらく休ませてもらってから、名物の「なら茶飯」を買って帰りました。

まだ食べていないので、どんな味なのかわからないのですが……

楽しみで~す