北の野鳥散歩道

水彩画と絵手紙の空間というブログでしたが、タイトル名を2023.4.17から北の野鳥散歩道に変更いたします。

ロドヒポキシス

2010年09月09日 | 水彩画
昨日は、長い記事だったので今日も長く行きます。「なんでやねん」 

実は昔トイレ(当時は便所)は汲み取り式で、汲み取った物を桶に入れて
坂道を登り、2km位の先の畑まで担いで種をまいた後、肥やしとして耕していました。
お袋と二人で、確か小学校の高学年の時だった記憶があります。
妻に言うと「え~信じられない」「戦時中じゃないのに・・・・」

でも実際にあった話です。

こないだ実家に帰った時、お袋と、そうそうと昔話が弾んでいる時
兄が、知らないしやった事も無い。・・・・・・と

兄は家の事は何もしなかったというより、親がさせなかったと思います。

漬け物を漬けるときや、鶏の餌作り、水道が無いため水汲み等
私の役目でした。

当時兄は成績がよく賢かったので、勉強ばかりしてました。
私は頭が悪いので、勉強しないで家の事を手伝ってました。
頭が良くて、喧嘩も強い兄には何をやっても敵いませんでした。

私が近所の悪ガキにいじめられて泣いて帰っていくと
兄が必ず仕返ししてくれました。
すると次の日また悪ガキに私がいじめられ、兄が仕返し・・・・・
なんか私が一番損してるので、兄にもう止めてと頼んだ気がします。

今思えば、苦いけどいい経験をしたと思ってます。

ひとつ自慢出来るとしたら、当時卵は高級品でした。
我が家は鶏10羽くらい飼ってたので毎日生みたてをを
食べていました。

残ったのは玄関に卵を置いて、横に空き缶を置いとくと
近所の人が勝手に持っていき空き缶に10円入れて
くれました。

たしかそれが私の小遣いだった気がします。

あと鉄屑を集めて雑品屋に売って小遣いにしてました。

服やズボンは兄からのお下がりで、破けたらつぎはぎして
はいてましたよ。

当時の写真を見て、今じゃ考えられませんが貧しくとも
豊かな経験をさせてもらった事に感謝してます。

やっぱり長くなりました。