7時半に携帯が鳴った。
発信人を見るとスタンレーである。香港から国際電話をかけてきた。
「もしもーし、スタンレーか?」
「そや。元気かぁ」
こっちはアンテナがばっちり立っているが、いつになく音声が悪い。
「麻麻地(まーまーでい)やなぁ」
広東語で麻麻地とは、「あんまり良くない」ということである。
「きちんと食事して静養してんのか?」
「食欲はあるし、家でのんびりしてんねんけどな。どうも慢性肺炎の方がなぁ、うまいこといけへんねん」
実は私は1月に心臓の手術をして、退院後免疫力が弱まっている時にリハビリに精を出しすぎたのが裏目に出て、慢性的な肺炎にかかってしまった。またこれがしつこいのである。
「あんな、栄養つけんとあかんで。滋養のあるスープ作って飲むねんで。今度作り方教えたるわ」
またこれだ。中国人は何かというと身体のために「湯」、つまりスープを作って飲めという。しかし、困ったことに日本人は伝統的に長時間ぐつぐつ煮込んで栄養を煮出したスープを飲むという習慣がないから、作る根性がない。医食同源というのはよくわかっちゃいるんですけどねえ。
普通中国人の友人はこまめに連絡はしてこない。会った時はこれでもかというほど面倒見がいいが、平時の連絡はまめじゃないのだ。しかし、スタンレーはさすが敬虔な仏教徒だけあって慈悲の心が強い。私が病気してからは度々様子うかがいの電話をかけてくる。
入院中は花を贈ってくれたし、手術前にはお経の入った掌サイズのラジオのようなレコーダーを送ってきて、それで気持ちを落ち着けて手術へ備えよ、とのありがたい心遣いである。今は全世界に花を送れる会社があるようだ。もちろん、香港で注文を出し、それを日本の会社が請負う形をとっているのだろうが。
その上、手術の時間に合わせて、跑馬地にあるお寺で私のために読経をして、手術成功の祈願するよう手配してくれた。そのせいかどうか、手術は成功し、まぁこうして生きているわけである。
お経の方は聞いてみたところ、抑揚のあるなかなか聞かせる音楽みたいなものだった。中には女性コーラス風のもあって聞いていると眠くなってくる。精神安定剤である。
こんな風にスタンレーは究極の善人で、博愛主義者だから気の使い方も人一倍だ。ただ、自分が善人だから他人もみな善人だと思っている節がある。いつか商売で失敗しないか、と私も友人として一抹の不安を禁じえない。
「あ、そやそや。漢方やったらええんや。西貢にええ漢方医さんがいてんねん。紹介するわ」
とスタンレーが言った。
「さいこん?さいこんって、あの新界の海鮮料理の西貢かいな?」
いわば漁村で、海鮮料理屋がたくさん並んでいる。店の前の生簀の中から魚や蝦蟹を選んで調理してもらって食べるのだが、最近では結構観光客も多くなって値段も安くはないらしい。20年前は穴場だったが、今ではもう南Y島か、長州島ぐらいまで船で行かないと安い海鮮料理のねらい目はないだろう。
いや、話がそれまくってるが、スタンレーの電話だった。
「俺もな1年前調子悪うて、そこで診てもろうて薬調合してもろたら、調子ようなったわ。2週間に一遍行って、それで薬もろうて帰って毎日家で煮て飲んだんや」
「なら、一回行って薬作ってもろて、日本へ持って帰って自分で煮たらええわけやな」
「いや、そらあかんわ。漢方医ちゅうんはな、脈診たり、症状見てから薬を調合するんやで。一回目の薬が合わんかったら、次にまた患者の様子見て調合を変えたりせなあかんやん。1ヶ月か2ヶ月くらいかかるわな」
をいをい、そんな長い間そっちに住めるか。善人の考えることは時として常人の常識をあっさりと乗り越える。
しかし、どうも電話の向こうの周囲が騒がしく、スタンレーの声が聞きとりにくい。どこかの酒楼(レストラン)でかけてるんだろう、と思って聞いた。
「今どこにいてんねん?」
「電車の中や」
「それでかぁ、えらい騒がしいなぁ。そっちの声がはっきり聞き取れんわ」
自分の広東語のまずさを棚に上げてそう言ってやった。こういう風に書いているといかにも私が広東語がぺらぺらみたいだが、なに、友達同士だから要点さえ聞き取れれば話は通じるのである。
それと、香港の公共交通機関は携帯電話の会話はOKなのだ。だからみんな自由に携帯をかけている。ある時など、座席に坐って独り言を言っている女性がいて、ちょっと不気味な人なのかと思ったら、実はフリーハンドの携帯で話をしていたのだった。けれど、たまに本当に変な人が独り言を言っていたりするので、話がややこしい。
しかし、せっかくの厚意からの言葉である。欧米人のようにはっきりとNO!と言えない日本仔(やっぷんちゃい)としては、無下に断るのも気が引けるので、婉曲にごまかすことにした。
「うん、また明日も検査があるから、それからゆっくり考えてみるわ。」
ということで、電話を切った。
あれ?今日は仕事のはずで通勤は車で行っていたはずだが、何で電車なんだ?昔はBMWに乗っていたが、3年前からベンツに乗り換えていて何度か送ってもらったことがある。まさか事故って修理に出してるんじゃなかろうな。
家は半山区の大坑道で、会社は地下鉄なら杏花邨で降りて、歩いて10分くらいのところだ。杏花邨なんて20年以上前は、東の果て柴湾の手前で何もなかったところで、トラムかバスしか通っていなかったが、今はもう地下鉄の駅ができ、駅前には背の高い小ぎれいなマンション群が建ち並んでいる。
駅中もショッピングモールやきれいなレストランがあり、何だかそこら一帯に中産階級的風情の臭いが漂っている。そう考えると、香港の変化のひとつの象徴のような場所だ。
スタンレーは最近よく30年来の友達やんか、と言う。正確に言うと26年くらいなんだが、そこら辺は大ざっぱなのが中国人だ。それに四捨五入すると30年になるのは間違いない。30年かぁ。ふと武田鉄矢の「思えば遠くへ来たもんだ」という歌が頭をよぎった。
発信人を見るとスタンレーである。香港から国際電話をかけてきた。
「もしもーし、スタンレーか?」
「そや。元気かぁ」
こっちはアンテナがばっちり立っているが、いつになく音声が悪い。
「麻麻地(まーまーでい)やなぁ」
広東語で麻麻地とは、「あんまり良くない」ということである。
「きちんと食事して静養してんのか?」
「食欲はあるし、家でのんびりしてんねんけどな。どうも慢性肺炎の方がなぁ、うまいこといけへんねん」
実は私は1月に心臓の手術をして、退院後免疫力が弱まっている時にリハビリに精を出しすぎたのが裏目に出て、慢性的な肺炎にかかってしまった。またこれがしつこいのである。
「あんな、栄養つけんとあかんで。滋養のあるスープ作って飲むねんで。今度作り方教えたるわ」
またこれだ。中国人は何かというと身体のために「湯」、つまりスープを作って飲めという。しかし、困ったことに日本人は伝統的に長時間ぐつぐつ煮込んで栄養を煮出したスープを飲むという習慣がないから、作る根性がない。医食同源というのはよくわかっちゃいるんですけどねえ。
普通中国人の友人はこまめに連絡はしてこない。会った時はこれでもかというほど面倒見がいいが、平時の連絡はまめじゃないのだ。しかし、スタンレーはさすが敬虔な仏教徒だけあって慈悲の心が強い。私が病気してからは度々様子うかがいの電話をかけてくる。
入院中は花を贈ってくれたし、手術前にはお経の入った掌サイズのラジオのようなレコーダーを送ってきて、それで気持ちを落ち着けて手術へ備えよ、とのありがたい心遣いである。今は全世界に花を送れる会社があるようだ。もちろん、香港で注文を出し、それを日本の会社が請負う形をとっているのだろうが。
その上、手術の時間に合わせて、跑馬地にあるお寺で私のために読経をして、手術成功の祈願するよう手配してくれた。そのせいかどうか、手術は成功し、まぁこうして生きているわけである。
お経の方は聞いてみたところ、抑揚のあるなかなか聞かせる音楽みたいなものだった。中には女性コーラス風のもあって聞いていると眠くなってくる。精神安定剤である。
こんな風にスタンレーは究極の善人で、博愛主義者だから気の使い方も人一倍だ。ただ、自分が善人だから他人もみな善人だと思っている節がある。いつか商売で失敗しないか、と私も友人として一抹の不安を禁じえない。
「あ、そやそや。漢方やったらええんや。西貢にええ漢方医さんがいてんねん。紹介するわ」
とスタンレーが言った。
「さいこん?さいこんって、あの新界の海鮮料理の西貢かいな?」
いわば漁村で、海鮮料理屋がたくさん並んでいる。店の前の生簀の中から魚や蝦蟹を選んで調理してもらって食べるのだが、最近では結構観光客も多くなって値段も安くはないらしい。20年前は穴場だったが、今ではもう南Y島か、長州島ぐらいまで船で行かないと安い海鮮料理のねらい目はないだろう。
いや、話がそれまくってるが、スタンレーの電話だった。
「俺もな1年前調子悪うて、そこで診てもろうて薬調合してもろたら、調子ようなったわ。2週間に一遍行って、それで薬もろうて帰って毎日家で煮て飲んだんや」
「なら、一回行って薬作ってもろて、日本へ持って帰って自分で煮たらええわけやな」
「いや、そらあかんわ。漢方医ちゅうんはな、脈診たり、症状見てから薬を調合するんやで。一回目の薬が合わんかったら、次にまた患者の様子見て調合を変えたりせなあかんやん。1ヶ月か2ヶ月くらいかかるわな」
をいをい、そんな長い間そっちに住めるか。善人の考えることは時として常人の常識をあっさりと乗り越える。
しかし、どうも電話の向こうの周囲が騒がしく、スタンレーの声が聞きとりにくい。どこかの酒楼(レストラン)でかけてるんだろう、と思って聞いた。
「今どこにいてんねん?」
「電車の中や」
「それでかぁ、えらい騒がしいなぁ。そっちの声がはっきり聞き取れんわ」
自分の広東語のまずさを棚に上げてそう言ってやった。こういう風に書いているといかにも私が広東語がぺらぺらみたいだが、なに、友達同士だから要点さえ聞き取れれば話は通じるのである。
それと、香港の公共交通機関は携帯電話の会話はOKなのだ。だからみんな自由に携帯をかけている。ある時など、座席に坐って独り言を言っている女性がいて、ちょっと不気味な人なのかと思ったら、実はフリーハンドの携帯で話をしていたのだった。けれど、たまに本当に変な人が独り言を言っていたりするので、話がややこしい。
しかし、せっかくの厚意からの言葉である。欧米人のようにはっきりとNO!と言えない日本仔(やっぷんちゃい)としては、無下に断るのも気が引けるので、婉曲にごまかすことにした。
「うん、また明日も検査があるから、それからゆっくり考えてみるわ。」
ということで、電話を切った。
あれ?今日は仕事のはずで通勤は車で行っていたはずだが、何で電車なんだ?昔はBMWに乗っていたが、3年前からベンツに乗り換えていて何度か送ってもらったことがある。まさか事故って修理に出してるんじゃなかろうな。
家は半山区の大坑道で、会社は地下鉄なら杏花邨で降りて、歩いて10分くらいのところだ。杏花邨なんて20年以上前は、東の果て柴湾の手前で何もなかったところで、トラムかバスしか通っていなかったが、今はもう地下鉄の駅ができ、駅前には背の高い小ぎれいなマンション群が建ち並んでいる。
駅中もショッピングモールやきれいなレストランがあり、何だかそこら一帯に中産階級的風情の臭いが漂っている。そう考えると、香港の変化のひとつの象徴のような場所だ。
スタンレーは最近よく30年来の友達やんか、と言う。正確に言うと26年くらいなんだが、そこら辺は大ざっぱなのが中国人だ。それに四捨五入すると30年になるのは間違いない。30年かぁ。ふと武田鉄矢の「思えば遠くへ来たもんだ」という歌が頭をよぎった。