*殻便*[カ・ラ・ダ・ヨ・リ]*2004-2005

コリアン・ディアスポラ・アーティスト Yangjah の日々の旅をおすそわけ。

春にむかって

2004-12-21 | ひびのたび
今日は冬至。

ちょうど昼と夜が半分ごっこの日。

なんだか今日は希望がからだにあふれている。

いろんなモノのバランスがうまくとれる日なのかもしれない。

自分の中の陰陽がすっと見える日なのかもしれない。


*Journey*

2004-12-17 | ひびのたび
きのうは久々にEagle Tribeのワークショップへ。
ネイティブアメリカンのシャーマニズムに伝わる一種の瞑想方法みたいなもの。横たわり、シンプルなドラムのビートをからだ全部で感じながらjourneyと呼ばれる旅をする。

去年の秋ごろからちょこちょこ顔を出していたのだけれど、夏頃から時間ができず、数カ月ぶりに参加した。今年最後のjourneyだと知ってなんとか時間をつくって出かけていったのだ。

いつからか、いろんな縁でアニミズムやシャーマニズムに興味を持つようになっていた。
原始的なちからに敬意を感じるようになった。
自分がちっぽけな存在で、それでも世界をかたどるひとつなのだということ。

きのうはまず一回目のjourneyで「遠くにいる人を援助する」というテーマを選んだ。
気にかかる友達に今できることはこれかなと予感したから。

まずは蝋燭だけが灯る部屋に横たわって、ドラムの音をからだ全体で感じる。
そして友達が横たわっている状態をイメージする。
彼女はなぜか水たまりのようなところに横になっていた。
なんだか浮かんでいる感じ。
今の彼女の状態を知っているだけに、水がきれいか濁っているかどうかは怖くて目をそらした。

次に、下の世界(lower world)に降りて行く。
わたしは石垣島の海岸の崖っぷちをいつもイメージする。
ばしゃんと飛び込んで水中にもぐるとトンネルの入り口がある。
その闇を通り抜けると光が差してくる。
光に向かって、すぽんとからだを下の世界へとまかせるのだ。
下の世界は、今の世界とは違う次元らしく、人を守ってくれるパワーアニマルという動物たちに会える場所なのだ。

下の世界につくと、時空を越えて到達したので、しばらく自分がどんなところにいるのかわからなくなる。
きのうは森の香りがした。湿り気のある香り。
そして、自分は小人か虫にでもなったみたいに、小さな葉っぱが頭上にあった。

横たわっている友達に持って帰ってあげたいものは、直感で葉っぱに宿る雫だと分かった。雫を持っていくのはむつかしいので、葉っぱを拝借して、その上に集める。

そして横たわる彼女の上に葉っぱをのせる。
後は自分自身を下の世界と葉っぱをつなぐパイプのようなものだとイメージする。
そうするといつのまにか雫をしたためたたくさんの葉っぱが彼女を囲み。重力を失ったように浮かんだり、移動しはじめた。
なんだか祝福されていて自由な感じがしたからほっとした。
きっとうまくいったんだな。


2回目のjourneyは「2004年を振り替える。2004年の意味」という共通のテーマで。

ドラムの音に身を任せ、下の世界へと降りて行った。

まず到着した世界は、私には珍しく無機質な世界だった。
ガラスか雪の壁や地面を感じた。
不思議と冷たかったり淋しい印象はしなかった。
ただただ純白というか透明というか、うつくしい世界。

いつのまにか、そのガラスか雪の壁や天井がわたしのからだに押し迫ってきた。
「ああ、今年の始めはこんな感じだったかなあ」と客観的にみつめた。
そうするとあっという間にその箱のようなものは急速に広がって、もう見えないくらい大きな世界になった。

今度は思いきり駆け出したくなった。
目的もなく。
子どもみたいに。
走っては止まり、走っては止まり。

すぐにそれにも飽きてただその時空に身を任せていると、自分のからだが卵みたいに包まれた。
閉鎖的な殻ではなく、守ってくれるシェルターのようなもの。
他の存在も同じように包まれていて、お互いの一部が重なり合ったりもする。
触れあう、理解しあうってこういうイメージなのかなと実感。
そう感じるといつのまにか、たくさんの卵がぷかぷか浮かんでいた。
はっきりは見えないけど、人だけじゃなくて動物やいろんな存在がいる。
なんだかとても安心できる空間だった。

はっと我に帰って、テーマが今年を振りかえることだと思い出し、もうちょっと具体的にイメージしてみようと思った。
すると、自分を取り巻くエネルギーが渦を巻いて、すっと細い形をつかさどった。
そして、あっという間に縮んだり、伸びたり、不思議な運動を繰り返した。
時間と空間の不可思議さを感じた。

なんだか全体的に明るいjourneyだった。
不安な感じはこれっぽっちもなかったからだ。
そして、からだの隅々までエネルギーが満ちあふれるのが感じられた。
ちょうどいいからだの重力感で存在してる確信がした。


今年最後のjourney。
みんなでそれぞれのjourneyをシェアしあった。
他の人のjourneyの体験を聞くことで、なんだかエネルギーをもらえる。

ちょうどきのうはスタッフのaakoさんの誕生日。
先生がケーキを買ってきてくれたので、みんなでいただく。
おめでとう!



こころの波乗り

2004-12-15 | ひびのたび
今日は気になってる大切な友達と会う約束をしていたけど、出かける準備をしても、どんよりした顔から抜け出せない自分がいて、どたキャンしてしまった。ごめんなさい。

今日のわたしはかなりのエネルギー不足だった。

早朝バイトでもなんだかイライラしてる瞬間が多かったし、おかしかった。

こんな日には電車を乗り継いで、京都まで出かけるのは一大決心がいる。

気のめぐりがちょっとでもよくなるように足元をぬくめながら横たわったり、
着たきりスズメだったのを気分だけでもおしゃれしようと心掛けたり、
戸を開けて明かるい日差しとあたたかな空気を確認したり、
自分を盛り上げようとした。

だけど駄目だった。

思いきって、キャンセルのメールを打ったら、なんだかほっとした。

今日はひきこもりたい日だったんだなって分かった。
ううん、知ってたけど、無視してただけかな。

それから話したいことがある友達に電話をして、ここ数日の出来事を話した。
自分ひとりで抱え込んでいたら、いつのまにかゆがんでいくこと。
さらっと人に話すだけでただそれだけの事実として存在し、一人芝居をしなくてもすむこと。
いろんなことを再確認した。

そしたらなんだか元気が出て来て、溜まっていた用事をしようって気になったり、ひとりで好きな音を大音量でアホ踊りしたり(ああ、最高!舞台の踊りとはまた違うのだ!自分だけのためのダンス!)

なんだろな、なんだろな。

こんな風なこころの波乗りがわたしの日常です。

!?混乱!?虫!?

2004-12-15 | ひびのたび
師走の波にのまれて、なんだかバタバタに押しつぶされそうになっていた。
もうなにがなんだかよくわからない状態。
感情は一刻一刻変化するものだけど、最近の変化の流れは妙だ。

きのうは快気法の個人操法ってのを受けたんだけど、
左の肩甲骨の奥の痛みが消えてはどんどん出てくる。
暴れまくって、先生の反抗して、泣いて、むちゃくちゃだった。
うーん。
激しいなあ。
もうひとりの自分が現れて消えて。

それでもこの前のパフォーマンスの写真のデータを受け取りに写真家の人のオフィスに行ったり、芦屋のa-space newnewさんのグル-プ展の初日に顔出して、久々に友達と会ったり。

そんな自分の状態を話し、人の話を聞き、なんだかシンプルなことなんだけど、ちょっと落ちついた。なんだろなあ。

わたしの中の虫は冬眠中なのか?それとも地下活動をしているのかな?

田口ランディさんのブログを見て、ふむふむと…。虫の話5

2004-12-11

2004-12-15 | Performance
福本卓道さんの月例ライブで踊りました。
写真/CLIP 山下一夫さん

[hao pong]初出展!

2004-12-09 | ひびのたび
Yangjahと好好みつこのユニット[hao pong]が
a-space newnewで初出展するグループ展の案内です。

ちょっとしたプレゼントにぴったりの品々があふれる空間にどうぞ!


★★EXHIBITION/coming soon!-グループ企画「newnew冬のギフトサロン展」-

12/14(tue)~25(sat) 12:00~19:00 (最終日は17:00迄)(12/20はお休み)

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浅田としこ  浅山美由紀  石田敬一朗  いしだゆみこ いっちょん  きしきょうこ
北山 智子  小阪 裕子  コリノ    たぶちくみこ つづみさおり 久本 直子
堀 智美   前田 明子  山本めぐみ  横森おはよう 吉澤いずみ  [hao pong]
nana     poyapoya文庫 reve dore   TOSHIKO   yuki knit


*****a-space newnew*****
〒659-0083 芦屋市西山町2-4
phone/fax 0797-38-1772
http://www.taniai.net/~newnew/





ヒネクレモノ

2004-12-09 | ひびのたび
なんだかやっぱりわたしはヒネクレモンなのかなあとしみじみ感じる瞬間が最近多い。

なんだかその場になじめなかったり、他の人たちと同じように感じていない自分がいたり。
「なんか嘘っぽいよなあ」なんて感じてしまって、溶け込めないのだ。

子どもの時からそうだったし、今さらなんだけど。
まわりの大人からはかわい気がない、子どもらしくないと言われていたし。

この間「わたしは内向的だ!」発言を電話で友達にしたら、かなり受けて
「それは人のことが見え過ぎてたからやろ?」と直球で言われて納得。

そうなのかもしれない。

本人よりもその人のことが見え過ぎて、いろいろぐるぐる考えてしまって、どう接したらいいのかわからなくなって、距離をおいてしまうのかもしれない。

でもそれはちょっと完璧主義なわたしがいるのかなとも思える。

いちばんいい方法なんてないのに、それじゃなきゃ嫌だと固執してるのかもしれない。

とりあえずその時に何かを選ばないといけないのに。
そして、どれを選んでも、どうにかなっていくのに。

最近はやっぱり自分の直感を信じるしかないなと思う時が多い。
それでも本能で「ちょっとなんか違うな」とか「きっとうまく行かないな」と感じながらもすでにそこに関わっている自分がいるので、なんとかその直感を受け入れながらいいものが生まれることを強く願って動いていくしかないと思っている。

ヒネクレモノなのはいいことだなんて開き直ったりもしている。
だって社会や世間とかなんだか実態のあるようでないものに操られてしまうことが美徳だと子ども心に刷り込まれていたから。
今はちがうと分かった。
そしたら、なんだか生きることがちょっと楽になって、毎日の一瞬一瞬がきらめきを放つようになった気がする。

ヒネクレモノ万歳!



今日はビデオで「夜になるまえに」と観た。
「バスキア」の監督の作品。
主人公レイナルド・アレナスという作家は、ある意味ヒネクレモノで素敵だった。
そうです。社会にヒネクレモノであるということは、自分や生きることにまっすぐなのですね。はい。

今朝の流れ

2004-12-06 | ひびのたび
今朝は日の出の光を浴びた。

早朝バイトへと静かな闇の中を自転車で駆ける。
闇と言っても、これから朝に向かう闇。
闇の頂点を越えた静けさが漂う。
月や星のひかりが夜明け前には都会でもくっきり存在を表しているような気がする。

バイト中は屋内でも壁がないので、ちょうど朝に向かって行く空の様子がみられる。
仕事の合間に目を空にやる。
ビルの谷間から変わり行く空の色が刻々と伝わる。
今日はすっきりと晴れ渡った空に朝日が顔をのぞかした。
朝日のまぶしさはちょうどいい。

バイトからの帰り道はもうすっかり朝の景色。
出勤、通学の人たちとまったく違う流れを走る。
いつもなんだか得をした気分になる。

そんな気持ちのいい朝でも、うれしいこととへこむことの両方がわたしの中で巡る。


十三の月の暦

2004年12月6日

クジャクの月/倍音の月
何も「しない」こと。人は、いつも「する」ことばかりに慣れている。することと同じくらい、しないことも大切。ただ、しない。

KIN 132:黄色い月の人
☆今日は、自分が不安になっても、それを当然のこととして受け入れる日。知恵を生きることと深く関わっている日。生きることは、不安や動揺を意識することから始まる。


ああ、お告げのようだなあ。

冬眠のいちにち

2004-12-03 | ひびのたび
きのうは急きょ冬眠の日。

久しぶりに友達と会って民博に行く予定だったけど、どたキャン。(ごめんね)
風邪気味には寝ることがいちばん!と早朝バイトから戻り、布団に戻った。

ひだまりに包まれて眠るのはしあわせ。
夜の闇に溶けて眠るのとは何かがまた違う。

ずっと連絡しようと気になってた友人と長電話。
今までに数度しか会ったことしかないのに、なんだか姉妹のように感じられる人。
大切なのは一緒に過ごす時間の長さではないなとしみじみ感じる。

区役所に寄ってから、仕事着を買いに商店街へ。
いつもは綿、絹、毛の素材のものをできるだけ買うのだけど、
ほとんど野外に近い職場なので、今年はさすがにナイロン素材のものを手に入れる。
なんでこんなに安いんやろうとびっくりする。

なんだかだらだら食べてばかりでカラダが重かったので、ひさびさに公園を走る。
日暮れの薄闇の中を走ると、カラダもほぐれてココロも落ちついてくる。
ほんの少しの時間軽く走るだけで、気分の切り替えができるのはうれしい。

ハンマの部屋でごろごろする。
ひさしぶりにどうでもいいテレビを観る。
いつのまにかハンマの布団で寝ていた。

コンタクトレンズを取り自分の部屋で寝る準備を整える。
布団の中で本を読んでいると、友達から電話がかかってくる。
帰り道の電車に乗り換えながらかけてきてくれる。
自分のことならモンモンと悩んでしまうけど、人のことならよく見えるから正直な思いを直球で伝える。まわりに振り回されずに、自分の内側の声を大切にしてほしいから。

ざあっとだけど、杉浦康平の『宇宙を叩く』を読み終える。
わたしがいちばん好きだとも言える楽器、太鼓について書かれていた。
自分の視点を大切に様々な資料を集めて、いつも興味深いテーマを提供してくれる。
本の装丁も素敵だなと思うと、彼の仕事であることが多い。
ずっと尊敬してる人。

また闇に溶けるように、冬眠の続きへ。


ハンマのように

2004-12-01 | ひびのたび
今日から師走。

最近なんだか焦っている。
呼吸が浅い分、腰に余裕がなくなっている。
脳が酸欠だ。
あぁぁ。

なんでこんなに焦る必要があるのかな?
おかしい、おかしい。

今日も色んな作業や仕事をこなした一日だったけど
なんだかどの一瞬も浮かんでこない。

こんなゆとりのない自分にいつもゆるやかさをもたらしてくれるのが
ハンマ(おばあ)だ。
(注)標準語の韓国語では「ハルモニ」済州島の方言では「ハルマン」うちでは色々混ざってる。

どんなささいなことにもおおらかにハハハと笑っている。
テレビのニュースに「アイゴ、アイゴー」と身内のことのように悲しんでいる。

感情に密着しすぎるとまわりまで見えなくなるから、こころにとらわれすぎないように近頃はこころがけていたのかもしれない。
それもそれでいい。
でもからだが酸欠を訴えてくる。
もっと遠回りしてもいい。

ハンマのように、今この瞬間に素直に一喜一憂するほうがいい。

てしごと

2004-11-30 | ひびのたび
おとつい、きのうは[hao pong]の共同制作日。

相棒のみっちゃんが京都から来阪。
庭師をしている友達からおすそわけしてもらった材料を手に遠くからきてくれた。

a-space newnewでのグループ展の搬入展示日は来月の13日だけど、みっちゃんは他にも制作しなくてはいけないし、わたしもパフォーマンスがあるしで、ちょっと早めの制作をすることに。
ドタンバじゃないなんてめずらしい!?

お互いが大切にしていること、
いいなと感じるもの、
そういうものたちをあ・うんの呼吸でわかりあえるので、仕事がはかどる。
変な気遣いをしなくてもいいから。

そのかわり姉妹だからこそ、
ナアナアの関係にならないように
心配りをしなくてはいけないんだろうなあ。

ふたりで部屋にこもって制作する。
(何をつくったのかは、展覧会での乞うご期待!)
とにかくひたすら手をうごかす。
(口も!?)

ふと思い出した写真があった。

たぶん中東の地域で女性たちが土壁でできた部屋でパンをこねている写真。
とても美しい空気が流れていた。
目をひくような色彩はまったくない。
皆が床に座ってシンプルな手作業をしている。
どこか修道院のような雰囲気まで漂ってたともいえるかもしれない。
もっと素朴な感じで、暮らしの中に人と一緒にてしごとをする豊かさがあふれている写真だった。
ただただうらやましいと感じた。

夢中になる時、
太陽の照りつけるような情熱で動く時と
月がしんと輝く夜のように静かな意志で動く時がある。

どちらも欠かせない。

だからこそ、カラダで表現することだけではなく、手を動かしてモノが生まれてくる瞬間とも共にある生き方を選んでいるのだろうな。
そうすることで少しは自分のバランスをとることができるみたい。

オ・ド・リ・マ・ス

2004-11-25 | Performance
2004年12月11日(土)
18:30開演 18:00開場

卓道Me You House 月例ライブその4

福本卓道(尺八)
サカキマンゴー(イリンバ)
はくさん(ディジュリドゥー)

Yangjah(舞踏)
miki lyn taylor(舞踏)


お代1800円(予約)2000円(当日)(1ドリンク付き)
1000円(極貧の方要事前承認)

古本喫茶 伽羅3F「MeYouHouse」
大阪市北区中津1-13-10

予約 takudoo@d1.dion.ne.jp
詳しくは http://www.d1.dion.ne.jp/~takudoo/syousoku.htm

「カピウソ工房」版画教室

2004-11-24 | ひびのたび
きのうは大正区のブリコラージュへ。
「カピウソ工房」の宮本一さんと市居みかさんの「一日木版画教室」に行ってきた。

葉書大の作品を一日で完成させるとあってドキドキ。

「カピウソ工房」のおふたりの作品はそれぞれの個性が素敵で、どこで見ても「あっ!」っとうれしくなるものたち。

10時から始まり、まずは
其の1、下絵を描く。 宿題だったけれど、木版画向きの絵はどんなのがいいかよくわからなかったので(言い訳?!)即興で描く。

其の2、下絵を版木に映す。

其の3、その上に色をのせる。

ここまで終わるとランチタイム。

そうです。たった3行程でもかなり大変なのです。夢中になるけどね。

 
お昼ごはんはギャラリーの方がつくってくださいました。
肉じゃがに五目ひじき、さっぱり野菜の酢の物(?)、たくあん、野菜たっぷりのみそ汁、そしてごはん。ほんわかおいしかったです!


そしてお昼の行程へ。
みんなお腹いっぱいおねむモード。
それでも夢中にすすめていきます。

其の4、彫り

其の5、仮刷り

其の6、本刷り(多色刷りもどき!?)


彫りはとにかく彫っていくのみ!
テーブルが低いと、腰の強いわたしもさすがに腰痛に。
無駄な力が入ってるんやろうなあ。
それでも同じテーブルの北村さんにお借りした上等な彫刻刀はかなり彫りやすく、助かりました。(帰りには分けていただきました。感謝!!!)

なによりも以外にむつかしいことを発見したのは、刷りです!!!
紙の質、絵具と水の量、のせ方が絶妙のバランスなのです。
修行しなくては!

6時すぎまでひたすら版画一色の世界でした。
ひさしぶりに集中して、ぐったり。
帰りの自転車で、腰痛はすぐ治りましたが。やっぱり股関節を動かすのみ!

彫刻刀もいただいたし、また彫リます!刷ります!

今日の写真は、彫りの説明をしてくれる宮もっちゃんです。
するっするっと彫っていくのです、すごい!!!

『その名にちなんで』

2004-11-20 | ひびのたび
うつくしい「流れ」の小説にであった。
ジュンパ・ラヒリの『その名にちなんで』

今までにであったマイノリティー(ここではディアスポラという意味)をなんらかのカタチでテーマにあつかった作品に、わたしのこころの琴線に触れるものはなく残念な想いを抱いていた。そんなわたしのこころの霧を晴れやかにしてくれた作品である。

この作品では、名前がキーワードになっている。
世界中に存在する少数派の民族にとって、「名前」はなんらかの意味を持つ。
主人公のゴーゴリは著者と同じベンガル系のアメリカ人。両親がインドから移民してきたのだ。彼自身はアメリカ生まれのアメリカ人。
そんな彼は名前を変える。

わたし自身が19歳4か月ごろ、名前を変えた。

理屈っぽい大人たちの言いなりになって、民族名に変えるのは嫌だった。
なにかが違うと直感が静かに主張していたから。
18年以上もつきあってきた日本名と、民族名(パスポートや外国人登録などの公的な氏名は生まれた時から民族名)の両方を日常生活の中で使おうと試してみたこともあった。
もうなんだか面倒になってきた。
なによりも昔から、自分の日本名の「音」が好きではなかった。
名前の響きはわたしのからだに直接届く。

わたしが19歳の終わりに日本を飛び出しタイで1年を暮らした時、アフリカ系アメリカ人の男性に出逢った。一般的なアメリカ名を生まれた時から持つ彼は、30代からモロッコ、ネパール、タイと様々な地域で暮らしていた。わたしが最近名前を変えたという話にいたく感心していた。そして数年前、彼も名前を正式に変え、次はアフリカのギニアで暮らしはじめた。彼の名前はアフリカ名ではない。彼が夢の中でみた名前。彼自身がオーナーの本屋さんの店名でもある。

小説に話を戻す。
1世、2世間のギャップの描写が自分の体験と重なって微笑みがもれた。(私は3世だが)
例えば、ゴーゴリの実家でパーティが開かれる時は、母が数日前から料理を仕込み、友人をこころおきなくもてなす。
それに対して、ゴーゴリーが付き合ったアメリカ人の彼女の家に招待された時、シンプルな接待といつものままの食事に驚く。心地よく驚く。何の飾りも力みもしていない家族たち。
私が日本で感じることも似ているかもしれない。
とはいっても生まれ育った場所ではない韓国でももちろんギャップを感じる。

ゴーゴリが結婚した相手は、ひとりでパリに暮らしていた時がいちばん自由だったという。
その感覚はわかる。
アメリカではアメリカ人になりきれなく、ベンガルではベンガル人になりきれなく。
わたしも20代は自分の暮らしていく場所を探すのに必死だった。
外国を旅したり暮らしてきたのも、今思えば楽しんでいうよりは、自分の全存在を賭けていたかもしれない。今はもう疲れから一種の明るいあきらめが生まれたので、以前よりは生きやすくなったけれど。
ボヘミアンのような生き方を否定する必要はない。
浮き草のようでもいい。
毎日が旅なのには変わりはないから。



ジュンパ・ラヒリの作品については
ジュンパ・ラヒリ作品のページ
『その名にちなんで』ジュンパ・ラヒリさんに聞く

初「樸木」さん

2004-11-19 | ひびのたび
きのうは奈良の「樸木(アラキ)」さんへ行ってきました。
ずっと行きたかったお店。
わたしが大学を卒業してすぐに友だちと箕面で町屋カフェをするきっかけになったお店、大正区のカフェ「チャイ工房」ではじめて食べた「樸木」さんのパン。
法隆寺のほうでパンやさんとカフェをしているとはうわさには聞いていたけどなかなか行けないままでした。

8周年を区切りに法隆寺近くの田舎に小屋を建て、去る11月3日に移転オープンしたそうです。
「樸木」さんの姉妹は、わたしの両親のお店「金剛園」の設計もしてくれた「北村建築研究工房」のおふたりとその仲間たちと一緒に今回のお店をつくりました。
自家製天然酵母パン・ケーキ ベジタリアンごはんの店なのです。

きのうは母と京都に住む妹の3人で行こうと計画していたのですが、
前日に樸木さんに問い合わせてみると、JR法隆寺駅からバスがあるらしいが、お客さんはみな車で来るとのこと。バスの時刻表を調べてみると、1時間に2本あっていいほう。駅から歩くと40分はかかるそうで、道の説明はことばではできないそう。とほほ。

しかし!!!
ちょうど出発15分前に、父が車で一緒に行くと言ってくれたのです。わあい!母とふたり大喜び!
雨の日の外出は出かけるまでがとても憂鬱だったのです。

ちょうどお昼ごろ到着。
青い屋根のかわいい小屋。
外にはパン釜が。
横は田んぼと畑。
ちょうど土壁に空いた窓から、田んぼと大きな木がのぞき見できるのです。

「樸木」のロゴマークは友達の版画作家市居みかちゃんの作品。大きなパンを手にバンザイをする小人(?)さんと麦穂が彫られたまあるい作品です。なんだか大地のエネルギーがパンのいい香りとともに押し寄せてきそうな版画ですよ。

わたしたち家族は「玄米菜食セット」3人前と、「豆カレーセット」一人前を注文しました。
肉食動物(魚食?)の父もグルテンカツをもくもくと食べてましたよ。


デザートにハーブティ、カボチャのタルト、豆乳のティラミスを女三人でいただきました。
どれもほっぺがおちそうにおいしくて、しあわせな心地が中からむくむく湧きあがってくるような味なのです。

2時頃には建築家の北村さんたちが来るということで、自分たちの家のごとくくつろがせてもらいました。薪ストーブの調子を見に来てくれるとのこと。
その日は電気カーペットをあたためてくれていたので、ぬくぬくでした。

北村さんたちが到着するとますます大興奮のわたしたち。
それまで女性パワーに圧倒され、人見知りモードに入っていた父まで、北村さんを目にすると饒舌に変身!

みんなでシフォンケーキなどをいただき、これ以上のしあわせがあるかな!?

北村さんがすぐに調子のよくなった薪ストーブに火をつけてくれると一気にお店の中はあったかくなりました。

結局4時間以上もゆっくりさせてもらったのでした。

今度は天気のいい日に行けるといいな。



今回の写真は、樸木の「玄米菜食ランチ」です。
いちばん気に入ったのは、さつまいもとモチキビのグラタンです。
ほっとする味ですよ。