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平成19年1月31日(水)



鈴本演芸場開席150周年祝賀会


《旧暦12月13日》

※セレモニー開始前の芸妓さんの舞であります

★鈴本演芸場の150周年祝賀会へ紋付を着て出かけた。黒紋付で来た
人はヤツガレと柳亭市馬さんだけかもしれなかったなァ、男性の着物姿
は少なかっただけに黒紋付はやたらと目立った。会う人皆さんが‥‥
「余興を頼まれたの?」と聞かれて返事に困るよ\(>。<)/ギャ-
司会役の志ん輔、扇遊両師は色紋付で余興で相撲甚句を歌った市馬さん
は黒紋付だよ、誰だってヤツガレが何かをするものと思うわなァ(^^ゞ

★会場のレイアウトの割りに来客の数が多かったので音響効果が余り良
くなく全体的にザワザワとした祝賀会になってしまった。もう少し会場
の東京會舘は音響の設備に金をかけた方が良いと思ったなァ、余計なお
世話かも知れないが、世の中で誰が何を言っているのか分からないくら
い詰まらないことはない、ガッカリするもんね( ̄Д ̄;)

★さすがに料理は美味かったネ、料理の量も十分に用意をして居たらし
く、立食パーティーであったが腹一杯になったと仲間は喜んでいた。
ヤツガレも黒紋付を着ていた恩恵でコンパニオンのお嬢さん方がヤツガ
レのそばから離れないで寿司とか肉とかワインを頻繁に運んでくれたの
だ黒紋付と袴は絶大なる効果でしたヨ(◎⌒∇⌒◎) わ~い♪

★鈴本演芸場のパーティーで円楽党の圓橘、鳳楽、好楽、楽太郎さん達
に会うことが出来た。懐かしい顔ぶれだ、楽太郎さんは雑踏の中からわ
ざわざやって来て「兄さん、お久しぶりですッ!」ってんで誠に好感溢
れる挨拶をしてくれた誰だ?腹黒いと言う奴は(^∇^)アハハハハ!
芸術協会へ知らせはしたが、(社)落語芸術協会はご祝儀は差し上げま
すが祝宴はご遠慮致しますとの返事だったらしい‥‥、わだかまりは残
ったままになってる。鈴本演芸場と喧嘩別れをした芸術協会との雪解け
はまだまだ先の話になりそうだね。我々のジュネレーションになれば何
とかなると思う、米丸師匠が存命中は無理だろうね、トラブルの当事者
だもの、仲裁の居ない喧嘩はするもんじゃないと故人になった大物師匠
が愚痴をこぼしていたことを思い出した。
<木久蔵師匠と花島皆子さんにお願いして記念写真>
http://www.yanagiyakoenji.com/2006.photofile.htm#2007.01.31.suzumoto150kikuzou-minako

★円楽党の諸師は見受けたが、立川流は誰も来ていなかった、知らせな
かったのかね?折角の慶事だからすべてに声かけをして顔合わせをする
のも良いと思ったが‥‥、それぞれ事情があるので無理なんだろう。
ざわざわしていた会場だが、鈴本の社長が志ん朝師匠の遺言の話をした
時には一瞬水を打ったように静かになった。志ん朝師匠の遺言は古今亭
志ん生の名跡を鈴本演芸場の社長に委ねるというものだった。お席亭と
しては近々に古今亭志ん生襲名の大イベントを考えているそうだ。
それらしき人物は居るとのことだ、誰?誰だろうね?少なくともヤツガ
レじゃない事は確かだけどね(´・ω・`)

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コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
Unknown (勢朝です。)
2007-02-02 09:59:53
鈴本の案内・・立川流は「左談次」師あたりまでは、行っていた様です。鈴本で披露目を行ったクラスが対象では?左談次師は、鈴本での披露目のとりの日に「短くて良いよ」と席亭に言われ『大安売り』7・8分で下りて来たと記憶しております(笑)協会を離れてからも、年に数回、才賀師の背おわれ、鈴本の高座には姿は見せるものの、高座は踏まない(足は常に浮いてるので)豪の者です。空手の有段者でもある筈です。

※「志ん生」はどなたが継いでも『志ん生膨大』な披露目になる事でしょう。
 
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