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平成21年2月10日(火)


禍を転じて福となす

《旧暦1月16日》 このカバンはマギー隆司さんの鞄です

★禍を転じて福となすということがあった。ヤマトの送り状ソフトB2
のグループ管理の扱いをしくじって落胆したけど、手直しをしている内
に入力ミスが判明した。小袁治の後援会名簿を参照してデータを入れて
いたらB2に登録していない会員さんが二人いたんだ\(>。<)/ギャ-
嗚呼、ここで気がついてよかったよ、削除のチョンボがなければ入力ミ
スに気がつかないままだった。神様ありがとうございました\(^o^)/

★本日は先代の柳亭燕路兄さんの命日だ。燕路兄さんが本牧亭で自分の
会をまだやっていた頃、医者をしてい同級生と久し振りに会って‥‥
『おい、黒田ッ!お前、すぐ入院しろッ!』と、言われたそうだ。
燕路兄さんは数日後に行われる本牧亭の独演会が済んだら診察を受ける
と言い張ったが、ダメだった。同級生の見立てでは即入院ということだ
った。肝臓の調子が悪く、黄疸が出ていたらしい、有無を言わさず独演
会は休演ということになってしまった。重症だったのだろう、即日入院
することになった。肝硬変がだいぶ進んでいたらしい。以来、入院が済
んだ後に病院通いをすることになった。毎日のように通院するのは楽じ
ゃない、それこそ入院していた方がいいくらい病院に通っていた。

★入院した当時、愚生は燕路兄さんの代演をつとめたことがある。芸名
が小袁治なので、燕路の弟子のようでいい按配だというんだねぇ(^ω^)
医師の診断書を携えて兄さんの代演を済ましたけど、プログラムとメク
リを見たら柳亭小燕路になっていたなぁ。主催者には事情を話したが、
お客さんはマジに柳亭燕路の弟子で小燕路だと思っていたようだ(^_^;)
退院して、遠い病院に通うのに電車賃とか治療代が大変だろうと思って
いたら、兄さんは笑いながら『マコっちゃん俺は身体障害者なんだよ』
と障害者手帳を見せてくれた。

★学究派の噺家として色々と落語に関する本を何冊も上梓していた。
噺家の系図なども詳しく、愚生たちが真打になるときにどのような芸名
があるものか教えを乞うたことがあった。鶴枝、枝太郎など候補があっ
たけど、現在の小袁治に決めることにした。燕路兄さんのところへ何度
通ったか分からない。平成2年の2月に風邪をこじらせて、あっけなく
亡くなってしまった。学究派とは言うものの燕路兄さは逸話の多い人
で、ブログでは紹介できないような珍談・奇談があるのだが‥‥、別の
ところでいたしましょう。

★池袋演芸場の夜席の代演を頼まれたが、矢崎滋さんの代りだった。
なんとご丁寧に矢崎さんから電話が入り恐縮をした。矢崎さんはどのよ
うに挨拶して良いものやら、困っていたようだ(笑)。そりゃ、そうでし
ょう初めて寄席に出演して初めて休演したのですからねぇ(^_^;)
千秋楽の池袋演芸場は大入り満員でありましたよ、愚生はヒザ前なので
主任(トリ)の市馬さんと会話を交わしたけど、千秋楽にとうとう終演時
間のことを念押しされたようだ。池袋演芸場は終演時刻に厳しい寄席な
んだねぇ、これは主任(トリ)を取っている人にとっては厳しい事なんだ。
愚生も3月23日の自分の会の時に、終演時刻を守らなければならない訳
なんだねぇ‥‥、つらいことです。詳しいことはMIXIにでも載せます。

<注>ヒザ前:主任の前に出る芸人膝代り(ひざがわり)の前の出番。

≪追伸≫

★楽屋でマギー隆司さんの準備する姿を撮りました。小さな鞄一つでOK
なんだから軽くて良いですよね(笑)。曲独楽の紋之助さんは隆司ちゃん
の10倍は持ち歩いていますよ。準備もすぐに済んじゃうというのは面白
いですねぇ、旅の仕事でも増えたのは衣類でした(≧~≦))ププッ!


■頑張れジャイアンツ!俺たちが付いているぞ~! 2009.03.13.(金)
■柳家小袁治の会in池袋 ゲスト:昔昔亭桃太郎  2009.03.23.(月)
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