小袁治の本名は関根誠と申します。
家族より『マック』と呼ばれています。
コメントはエッチ系対策で時間差有り。
日刊マックニュース
平成20年11月2日(日)
上野から浅草へ
《旧暦10月5日》 期間限定(11月16日まで)の二階建バスの大行列です
★朝6時起床、すぐさまブログの更新にとりかかる、泊まったホテルは
LANケーブルでネットにつなげることが出来るので大いに助かる。
EDGEだとスピードが亀さんなので画像を取り込むのを避けなければ
ならない、しかし、今日は大丈夫でありまぞ~(^з^)-☆
昨夜は志津川の美味いものを食すのがメインだったので色々と写真を撮
ったが、ご披露するのは別の機会にすることにした。色々と推敲してい
ると7時過ぎになったので手を休めて朝飯を食うことにした。やっぱり
宮城の新米は美味いッ♪これでおかずがよければ言うことなしなんだが
、500円で贅沢を言ってはダメですよネ(´-ω-`)スイマセン
★10時前にブログをアップして仙台駅に行き、「網焼き牛たん弁当」を
3個購入した。愚生が食べるんじゃないわが家の定番のお土産なんだ。
笹かまよりも喜ばれるのがこばやしの牛たん弁当なんであります!(^^)!
上野駅へ12時02分到着し大急ぎで拙宅に牛たん弁当を置いて、すぐさま
上野の鈴本演芸場へ代演に出かけた、代演の方が後から決まったので、
やたらと忙しいスケジュールになっちまった。早目に楽屋入りして良か
った、色物さんが連絡ミスでまだ楽屋入りしていないと言うんだねぇ、
これってコンペの前日(28日)に池袋に代演に行ったときと同じパターン
だよネ、愚生はそういう運命にあるのかいな(笑)。
★鈴本の後は浅草演芸ホールに行くことになっていた。地下鉄で浅草へ
向かったが電車は混雑している、やはり連休だけあって人出が多いよ、
いい按配であります。浅草のすしや通り脇には二階建バスの停留所があ
って、大賑わいになっていた、期間限定でカムバックしたんだよ(^ω^)
浅草演芸ホールも大入り満員でありました、昼主任(トリ)が林家正雀さ
んで夜主任(トリ)が林家いっ平さんだ、話題性があるのでお客様は沢
山入っているようだよ、まことにありがたいことです\(^▽^)/
楽屋で新前座さんの林家扇(せん)さんを紹介されたので写真をパチリ♪
扇ちゃん頑張って下さい。
★フランク永井さんの訃報はテレビのニュースで知った。76歳だったの
か‥‥、先月の27日に扇橋宗匠から俳句を頂戴したときにフランク永井
さんはお元気なのかねぇと話をしたばかりだった。まさか逝ってしまう
とは予想もつかない出来事だった。フランク永井さんの自宅は目黒だっ
たので目黒の寄席に良く来ていたことを覚えている。昔、目黒の権之助
坂に目黒名人会寄席という寄席があって愚生は前座として毎回働いてい
た。毎回働くということはどういうことかを説明しなければならない。
寄席は10日間興行で上野の鈴本が親席の芝居と新宿の末廣亭が親席の芝
居がある。上野の芝居の時は鈴本演芸場、浅草演芸ホール、そして昔は
人形町末廣があった。新宿の芝居のときは末廣亭、池袋演芸場と目黒名
人会寄席という長い名前の寄席があったんだ。前座はそれぞれアットラ
ンダムに入るのだが、愚生は目黒の寄席に入れてもらうように配慮して
もらった、理由は前座が多過ぎて高座に上がるチャンスが少ない、お囃
子の太鼓を覚えるチャンスもなかなかないので、本席でないところを希
望した次第だ。
★当時は事務員さんもおう揚というか、お席亭も望んだことなので愚生
のわがままを許す形になった。上野の芝居では仲間の林家辰平(ぎん平)
が人形町・末廣の専属前座だった。目黒で働いていて2、3ヶ月に一度
の割合でフランクさんが来ていた、客席の隅っこにひっそりと座るので
目立ってしょうがなかった(笑)、お客さんとしては隅の方は目立たない
と思いがちだが、実は隅が一番目に付くんだよ、上下を切ると視線が隅
に行くのでどうしても目に入るんだねぇ、先代の柳朝師匠は良く‥‥
『おい、マコト、客席のフランクにお茶を届けろ』ってんで小さなお盆
にお茶を乗せて柳朝師匠からですと言って届けたことがあった(^_^;)
フランクさんは「どうも…」と恐縮して受け取って、柳朝師匠が高座を
下りると楽屋へ顔を出して柳朝師匠に挨拶をし「おそばでもどうぞ…」
と楽屋の前座たちに祝儀を出していたよ(≧~≦))ププッ♪
★フランクさんは小三治&扇橋ご両師を自宅に呼んで留守番電話のメッ
セージの録音を頼んだことがあった。二人の話だと可楽師匠が大好きで
声色でメッセージを入れたそうだよ。小三治師の「すっかりコンペ」は
フランク永井さんの影響を受けているんだ、まだ小三治兄さんがリウマ
チが発症する前に羨ましそうに「マコトよ、フランクさんは仕事の休み
のときに何日も連続でスタッフと一緒にゴルフ三昧をするそうだよ…」
と、目をキラキラと輝かしながら喋ってくれた、夢が叶う前に病魔に襲
われ、今のすっかりコンペはリハビリのコンペになってしまった(^_^;)
★小三治兄さんがオートバイに夢中になっている頃、フランクさんがマ
ジに心配して、バイクは身体を冷やすし、喉にあまり良くないから控え
目にした方が良いのでは?と、お内儀さんにアドバイスをしたそうだ、
ストレートにこのことを伝えたらフランクさんじゃなくてお前が思って
いることをフランクさんにかこつけてるんじゃないかと、不機嫌になっ
ていたが、後にフランクさんが本当に心配していることが分かり恐縮し
ていたなぁ。フランクさんはそういう優しい人だった。
★愚生の親父はフランクさんの大ファンだった、家には大きな電蓄があ
っていわゆるSP盤のレコードが沢山あった、そのほとんどはフランク
さんのレコードだった。羽田発7時50分、ABC・XYZ‥‥ってェ
のは西銀座駅前という歌だった。俺は淋しいんだ、夜霧に消えたチャコ
というレコードを聴かされたもんだよ、ヒットした有楽町で逢いましょ
うは愚生が初めて覚えた歌謡曲だ。電蓄ってぇのは若い人にはちょっと
分かりにくいがレコードの針は鉄だった、竹針ほど古くはない(笑)。
★それから何度もフランクさんの実演に付き合ったなぁ、愚生のガキの
頃は浅草の映画館で実演を良くやって、紙テープを投げたことを覚えて
いる、七色のテープを手にして唄う姿は当時は当たり前だった、懐かし
いよ。歌で1万3千8百円ってぇのは昭和30年代の大卒初任給の平均
額だったように記憶している。仙台で仕事をするようになってフランク
さんは清酒「一ノ蔵」でおなじみの松山町出身であることを知って、な
んともいえない親しみを感じたなぁ、そうだよフランク永井は東北出身
なんだねぇ、何となく分かるような気がする、小三治兄さんは東京と宮
城県の岩沼市のハーフであると自負していたけど何となく通じるものを
感じたなぁ‥‥。
フランク永井さんのご冥福をこころよりお祈り申し上げます 合掌
<ひっそりと逝った巨星 フランク永井さん>
http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2008/11/03/01.html
<巨人3x―2西武> 西村、越知両投手が素晴らしかった!
★サヨナラ勝ちでした \(^▽^)/ ラミちゃんのお蔭です♪♪♪
高橋尚成投手も頑張ったが、中継ぎの西村さんと越知さんは完璧だった
よ、ここ一番で踏ん張ってくれたのは好材料だネ。西武ドームでも活躍
してもらいたい。なにしろ西武のバッターはコンパクトで鋭いスイング
をしている。デーブ大久保コーチの指導が素晴らしいからだろうねぇ、
トップスイングから打ち下ろすタメがゴルフのスイングに似ているとこ
ろがあるんだ。最短距離で確立の高い軌道を描いているんだ。打ではわ
が愛するジャイアンツはやや劣勢の感がある‥‥、これは考えすぎかも
しれない(´-ω-`)スイマセン
<尚成危機救った!越智、健太朗の完全方程式…日本S第2戦>
http://hochi.yomiuri.co.jp/giants/news/20081103-OHT1T00039.htm
<サヨナラ弾は喜ぶべきことだが…変わるかシリーズの流れ>
http://www.sponichi.co.jp/baseball/flash/KFullFlash20081103002.html
≪追伸≫
★石川遼くんが勝ちましたよ、大したものでありますネ\(^▽^)/
見事に見せるゴルフをしてくれました、見せるというよりも魅せるゴル
フと言いたいですよ、愚生も久し振りに興奮しました。
<遼くん貫いた攻撃ゴルフ!涙のプロ初ツアーV>
http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2008/11/03/01.html
※コメントの書き込みはエッチ系対策ですぐにはアップされませんので
ご理解の程よろしく宜しくお願いします。
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