
華山頂上から京ケ嶽(668)を望む
10月28日(日)、所属の山の会(さんゆう山の会)の定例山行に参加いたしました。目的の山は下関市の華山です。「華山は東西の2峰からなる美しい峻峰である、またこの山は朝鮮遠征の途上で倒れた、仲哀天皇の殯葬地(ひんそうち)とされ、古代史の壮大なロマンをくすぐる山である」。とN副会長から配布されたガイドブックのコピーに書かれてありました。
会所有のマイクロバスにて、佐世保市役所を6時に出発、途中で数名の参加者が乗者(私も)、参加者18名。武雄のコンビニ(毎回立寄る)で買い物を済ませ、いざ出発。武雄北方ICより長崎自動車道にのる。関門海峡を渡り九州と別れて9:33神上寺(じんじょうじ)駐車場に到着。N副会長の指導でストレッチ体操を行い、9:56出発。

神上寺
山門をくぐって苔むした石段を一歩々登る。

頂上へ向かって懸命の登坂 出発してから40分経過地点
登山道は中国自然歩道に指定されているので、よく整備されている。
標高差約610mの登りでしたが、空気は乾燥していてとても爽やかなので、汗は かくけれど順調に高度を上げる。30分に5分休憩のリズムで頂上に11:47到着。

ノギク 頂上にて
天山と違って山野草はまったく少なかった。 天山を思い出しています。

何の実か不明 頂上にて

ススキの華山頂上からの展望

下山準備中のメンバー
弁当を食べ12:30出発。同じコースを下山、岩屋観音、神上寺で参拝等をすませ、駐車場に1:47着。2:08出発。
帰路の途中「サンクリーン菊川」(入浴施設)にて汗を流し、すっきりしたところでいざ佐世保へ。3:00出発。車窓からの夕日が見事でありました。佐世保に6:30着。
みなさん大変お世話になりました。
団体登山は楽しいですね。天山と同じように、あっというまに頂上に着いた感じでした。
ところで佐世保ではほとんど見られないヤブマオの群生に出会いました。似たもので佐世保でよく見かけるものにカラムシがあります。(写真なしです)
10月28日(日)、所属の山の会(さんゆう山の会)の定例山行に参加いたしました。目的の山は下関市の華山です。「華山は東西の2峰からなる美しい峻峰である、またこの山は朝鮮遠征の途上で倒れた、仲哀天皇の殯葬地(ひんそうち)とされ、古代史の壮大なロマンをくすぐる山である」。とN副会長から配布されたガイドブックのコピーに書かれてありました。
会所有のマイクロバスにて、佐世保市役所を6時に出発、途中で数名の参加者が乗者(私も)、参加者18名。武雄のコンビニ(毎回立寄る)で買い物を済ませ、いざ出発。武雄北方ICより長崎自動車道にのる。関門海峡を渡り九州と別れて9:33神上寺(じんじょうじ)駐車場に到着。N副会長の指導でストレッチ体操を行い、9:56出発。

神上寺
山門をくぐって苔むした石段を一歩々登る。

頂上へ向かって懸命の登坂 出発してから40分経過地点
登山道は中国自然歩道に指定されているので、よく整備されている。
標高差約610mの登りでしたが、空気は乾燥していてとても爽やかなので、汗は かくけれど順調に高度を上げる。30分に5分休憩のリズムで頂上に11:47到着。

ノギク 頂上にて
天山と違って山野草はまったく少なかった。 天山を思い出しています。

何の実か不明 頂上にて

ススキの華山頂上からの展望

下山準備中のメンバー
弁当を食べ12:30出発。同じコースを下山、岩屋観音、神上寺で参拝等をすませ、駐車場に1:47着。2:08出発。
帰路の途中「サンクリーン菊川」(入浴施設)にて汗を流し、すっきりしたところでいざ佐世保へ。3:00出発。車窓からの夕日が見事でありました。佐世保に6:30着。
みなさん大変お世話になりました。
団体登山は楽しいですね。天山と同じように、あっというまに頂上に着いた感じでした。
ところで佐世保ではほとんど見られないヤブマオの群生に出会いました。似たもので佐世保でよく見かけるものにカラムシがあります。(写真なしです)
車の心配がなく、団体登山の楽しさもあり
いいですね~
華山の頂上からの眺めがきれいです。
この景色を見るために登っているようなものですね。
登りやすい山ですか?
お疲れ様でした。
華山頂上からの眺めですが、これは素晴らしかったです。素晴らしい景色を眺めながらの弁当は、格別に美味しかったです。
登山道はよく整備されていて、登りやすかったです。
ぜひ一度リーフさんもお登りください。
良い眺めが伝わって参ります。
またみんなで行きたいですね。
昔、読んだ外国の童話にイラクサがありました。魔女の魔法で兄たちが鳥になってしまい、その呪いを解くにはイラクサでセーターを編まなければならない妹姫。イラクサの茎を蒸して繊維にする所から始めて、草色のセーターを12枚?も仕上げて、飛んでいる兄さん鳥にさっと投げ掛けるのです!するとたちまち人間に戻ったというシーンは強烈に残っています。山に登り始めてイラクサを知った時、その物語が浮かびました。
またいつかご一緒したいですね。
日本では、上杉謙信がイラクサの栽培を奨励し、反物を織らせ、外国との交易で相当の利益を上げてた、とありました。 まためずらしい情報がおりまましたなら、お教え頂きたいと思います。