今日の日経に、佐々井秀嶺の記事を見る。私の古いブログを探すと、5年前に『破天』で佐々井のことを書いている。
ヒンズー教の圧倒的なインドで、アンベードカルの後継者として、仏教への帰依を勧める老僧は78歳とある。今回まだ健在と知ったし、2009年、その後、震災の後にも来日したと書いてあってさらに驚く。
佐々井は表向き無くなった差別制度=カーストの根強く残るインドで、最下級層=不可触へ仏教への帰依を勧めている。基本は「平等」だ。
話は飛ぶが、偶然読んでいる『日本を救うC層の研究』(適菜 収著)には、「権力は腐敗する」で有名なアクトン卿が、「左派系メディアが金科玉条としてきた平等主義、理想主義を根底から批判した・・・・」、「平等を求める貧困層の熱情が暴政を正当化し、自由社会の息の根を止めてしまった」とある。「三権、二院制」も肯定する。さらに、モンテスキューの「低レベルな人間に投票権を与えるな」も紹介。先の参院選挙で、マスコミは盛んに「ねじれ解消」を訴えたが、ねじれが無ければ二院制も無意味なのに、低レベルな国民は鵜呑みにする。馬鹿なマスコミに馬鹿な国民。あ~あ。さらに、日本では、パープリン歌手集団の総選挙に熱中するメディアがあったり、適菜が痛烈に批判するデマゴーグ橋下が一時人気になったり世も末な状況。
その日本でも「平等」がひとリ歩きし、左も右も、改革・革命を旗印にする。自由・平等・博愛と言うが、いかなる状況でもそれらすべてが正当化されるべきとは限らない。
11月25日は三島由紀夫の命日だが、「狂人」だ「右翼」だと表面的に言われている三島由紀夫の思想をきちんと自分なりに総括してみたい。