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伝説のブログ

スポーツや音楽、社会批評など、感じたことを語ります。

右打者最高のアベレージヒッター 内川聖一

2015-05-05 23:20:20 | Weblog
 内川が右打者最高打率.378を残したのは、2008年のシーズンだ。そのうち落ちてくるだろうと思っていた打率がほとんど落ちずにシーズン終了を迎えたときは、ラッキーが続いたからだと思った。
 しかし、内川は、翌年以降もずっと3割を打ち続け、パリーグへ移籍しても、飛ばないボールになっても3割を打ち続けた。
 バットをラケットのように使って広角に打ち返す技術は、もはや史上最高と言ってもいいだろう。
 愛子様が内川のファンになったのも、その打撃技術を高く評価されたからであろう。
 ホームランバッターではないので目立つことは少ないが、イチローに匹敵するバッターだ。おそらく通算で残る打率やシーズン3割の記録は、プロ野球史に長く残るであろうから、今のうちに内川の打撃をしっかりと見ておくべきである。

伝説のプレーヤー
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一見の価値がある神主打法 中村紀洋

2015-04-22 22:36:52 | Weblog
 中村紀洋の去就が今だ決まらない。2000本安打、400本塁打を達成した大打者であり、まだまだ1軍で通用する実力を持っているだけに、まだまだ現役を続けてほしいものである。

 中村紀洋のバッティングは、一見の価値がある。バットを前に出して大きく構える神主打法からときに豪快に、ときに技術で流し打つ打法は一見の価値がある。最近の選手では、ノリの打ち方が最も現役時代の落合に似ているため、私は、ノリが好きだ。

 ノリは、気さくでファン想いの人ではあるのだが、自らのやり方にこだわりが強すぎるため、首脳陣を批判する発言をしてしまい、世間に悪いイメージを与えてしまっている。そういった素直さが野球少年のままで、私は好意を持っているのだが、彼をうまく使いこなせたのは梨田と落合だけだった。
 そんなノリにはファンも多く、プロ野球球団にとって最も必要な観客動員やグッズ売り上げも見込める。何とか現役で契約を結び、有終の美を飾ってもらいたいものである。

中村紀洋 記録と伝説
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バットを持った侍 小笠原道大

2015-04-12 14:11:28 | Weblog
 精悍な風貌にひげを伸ばし、腕を伸ばしてバットを立てて構える神主打法。小笠原の構えは、まさに現代の侍である。
 そして、粘り強い下半身と渾身のフルスイングから繰り出される打球の鋭さもまた剣士の刀さばきを思わせる。

 日本ハム時代、巨人時代は主軸としてチームを優勝に導いてきた小笠原も、現在は、一振りにかける代打の切り札が主な役割となった。
 しかし、そんな役回りにもしっかりと対応して結果を残し続けるところは、技術の高さと準備の周到さをうかがわせる。

 ここぞの場面で小笠原が打てるかどうかで何勝もの勝ち星に差が生まれてくる。それだけに、小笠原のバッティングが中日の成績を左右すると言っても過言ではない。
 リーグ優勝、日本一に導く一打を今年は期待したい。

小笠原道大 記録と伝説
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選挙候補者の会社訪問は取り締まらないのだろうか

2015-04-11 21:06:53 | Weblog
選挙運動期間中は、会社に議員候補者が会社を訪問してきて迷惑を被ることが多い。
呼び出され、仕事の手を止めて、ありきたりの話を聞かされると、投票する気が失せてしまう。
どうやら候補者が会社訪問して、自らに投票を呼び掛ける行為は、法律違反のようだが、どうして公然と行われているのだろうか。
日本政治の質がその程度なのだ、と言われてしまえばそれまでなのだが、何とか取り締まってほしいものである。

当分超える投手は現れないであろう守護神 岩瀬

2015-04-11 20:37:59 | Weblog
 岩瀬を超える投手は、当分現れないだろう。抑え投手は、3年持てば充分とかつて言われたように、過酷なポジションである。
 9回は、打者の集中力が7回や8回とは別次元であるし、先発投手と違っていつ出番があるか分からない。
 剛速球投手を適任とするチームが多いのは、圧倒的な球威で抑え込むだけの力が必要と考えられている証でもある。

 しかし、岩瀬は、低めに集まる絶妙のコントロールと鎌のように曲がるスライダーでその座を守り続けてきた。
 球威のある投手は、故障のしやすさというリスクをはらんでいるのだが、岩瀬の場合は、故障しにくい投球で抜群の安定感を発揮した。
 名球会に入った3人のリリーフ投手のうち、岩瀬と高津の2人が後者というのが興味深い。

 打てそうに見えるけど打ちにくい抑え投手。それを作り上げた球団は、おそらく常勝チームを作り上げることができる。しかし、かなり困難であることも確かだ。

 岩瀬には、肘の故障を完治させて500セーブまで記録を伸ばしてもらいたい。金田のような不滅の記録とはならないだろうが、当分破られることはないはずである。

岩瀬仁紀 記録と伝説
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比例代表制の改正が不可欠

2015-04-05 13:40:14 | Weblog
上西議員の疑惑だらけの国会欠席問題は、国会議員の比例代表制の問題を浮き彫りにした。
大阪維新代表の橋本徹が迅速に出した除籍という判断は、これまでの政党にはなかった英断ではあるが、除籍しても比例代表制で選出された議員が辞職をしなくれ済むというのは矛盾した制度である。

資質のない人物を比例代表制で選出してしまえる制度とともに、資質の欠如が周知の事実となった場合に、何の処分も行えない国会議員の身分制度に大きな欠陥がある。

比例代表制は、知名度の低い優秀な政治家を国会議員に選出できる制度であるが、現実は、知名度の低い無能な政治家を生み出す温床になっている。

少なくとも、所属政党が除籍処分を行えば、自動的に議員辞職とし、比例代表名簿でぎりぎり落選していた所属議員が復活当選する制度に改正することが不可欠である。

少年法に思う

2015-03-22 15:23:57 | Weblog
ここのところ、凶悪な少年犯罪が目立っているため、少年法の改正が現実味を帯びている。
現在の少年法は、20歳未満を過剰に保護しすぎているためだ。

インターネットの発展やスマホの普及によって、社会状況はこの10年、20年で激変し、子供でも大人では知りえない複雑な社会を構成している。

日本国憲法では、法の下の平等を謳ってはいるが、差別を受けないのは人種や信条や性別や社会的身分や門地や政治的関係、経済的関係、社会的関係であって、そこに年齢が入っていない。

つまり、年齢による差別は、存在し続けている。
確かに少年法という法の下にあっては平等かもしれないが、その法自体が平等でない以上、不平等なのだ。

中学生にもなれば、善悪の判断はつく。体もほぼ大人と同じような体格になり、横暴な犯罪もできてしまう。
それゆえに、中学生以上においては、重大犯罪なら大人と同じ法の適用が必要である。
そして、それとともに重大犯罪がいかに自身の将来や周囲、社会に大きな影響を及ぼすかを想像させる教育を施すことも必要だ。

優勝チームに名捕手あり 伊東勤

2015-02-20 18:37:12 | Weblog
 「優勝チームに名捕手あり」という言葉を定着させたのは、伊東の功績である。現役期間中、14回のリーグ優勝、8回の日本一に貢献しており、今後これを超える捕手が出てくる可能性は限りなく低い。
 打者としても、勝負強さが際立っていて、野茂英雄のノーヒットノーラン寸前の試合で、赤堀から逆転サヨナラ満塁本塁打を放った場面は鮮烈に記憶に残る。
 監督としても西武を率いて1年目で日本一を達成。西武一筋の現役生活ながらロッテの監督に就任したのも、伊東の野球に対する造詣の深さを示している。

伊東勤 記録と伝説
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主力でも代打でも大活躍した大島康徳

2015-02-15 01:12:25 | Weblog
 大島康徳と言えば、宇野のヘディング事件の巻き添えを食らったレフトであったことや、宇野の走者追い越し事件の走者だったことが記憶に鮮烈だ。
 しかし、大島の魅力と言えば、一発だ。本塁打王獲得はもちろん、シーズン代打本塁打の日本記録も樹立した。
 セパ両リーグで活躍し、当時としては異例の44歳までプレーしたという息の長い選手でもあった。中日では徐々に出場機会を減らしていたが、パリーグの日本ハムに移籍してからはまた主力として活躍し、選手生命を伸ばした珍しいパターンでもある。
 通算代打本塁打20本と言う記録もあり、早く殿堂入りしてほしいものである。

大島康徳 記録と伝説
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偉大なる先駆者は村上雅則

2015-02-14 01:16:09 | Weblog
 大リーグ挑戦の先駆者として語られるのは、いつも野茂英雄であり、エースとして輝かしい実績を残したという点においてはそのとおりなのだが、実は、その前の先駆者として忘れてはならないのは村上雅則だ。
 村上は、南海からアメリカのマイナーリーグへ留学して、結果を出し続けて大リーグへ昇格してしまった。偶然の産物とはいえ、主に中継ぎながら昇格1年目の 1964年に1勝1S、2年目に4勝8Sを挙げる活躍を見せて帰国した。
 当時は、大リーグでずっとプレーさせてもらえる状況ではなかっただけに、村上の大リーグ生活はわずか2年で打ち切られたが、現在なら大リーガーとしてビッグマネーを手にしていたはずだ。
 まさに早すぎた先駆者であり、その功績は当然殿堂入りがふさわしい。

村上雅則 記録と伝説
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