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打楽器は楽しい!オモロイ!ホンマやで。

打楽器奏者山本毅が、打楽器について、音楽について、その他いろいろ順不同で語ります。

「来たれ 創造主なる聖霊よ」BWV667

2007年05月19日 21時13分20秒 | バッハ アンサンブルフィリア
「来たれ 創造主なる聖霊よ」BWV667

2つ目の出し物、一曲目は「来たれ 創造主なる聖霊よ」BWV667だ。

この曲は題名からもわかるとおり、聖霊を呼び求める曲、聖霊なる神がテーマとなっている。

で、この楽譜を調べていくと、バッハが聖霊をどう認識しているかがよく判って面白い。
音楽による「聖霊論」となっている。

で、キリスト教で言う「聖霊」について知ろうとするなら、最もよい資料は新約聖書の「使徒行伝」だ。ヴァージョンによっては「使徒の働き」とか「使徒言行録」とも呼ばれている。

この使徒行伝の記事とこの曲とを照らし合わせながら調べていくと、すごく一致してるんだ。メッチャ面白いよ。

まず、ソプラノに聖霊を表わすコラール旋律が奏されるのだが、その下でアルト、テナーパートが非常にリズミックな、ダイナミックな動きを見せる。

それは使徒行伝の第二章に描写されている情景、
すなわち、聖霊が天から降ってきた時、人々が驚愕して大騒ぎになった様子を描写していると言えるだろう。

そしてバスパートはなぜか一拍目と二拍目を抜いて三拍目に短く咆哮する。
これは、人々の大騒ぎの元になっているのが「第三位の神」である聖霊の降臨によることをあらわしている。

この冒頭を聴いた人々は、
コラールのメロディによって、主題が聖霊とその降臨であることを、
アルト・テナーによって、それが大事件であったことを、
そして、バスパートによってその事件が三位一体の第三の神である聖霊によるものであることを認識する。
聖書とコラールをよく知っている人(つまりバッハ当時の聴衆)なら、条件反射的に使徒行伝の第二章を想起するだろう。

次に8小節目に入ると、今度は長く引き延ばされたバスのG音の上に三声部がめまぐるしく動く。
この動きのモチーフの特徴はタイで導き出されたり、シンコペーションとなっている部分が非常に多いことだ。
それは、この聖霊降臨という大事件によって、人々が突き動かされるように「なんだ、なんだ、どうした、どうした?」と現場に引き寄せられ、集められて来る様子を思わせる。
そのベースとなっているのはもちろん神の働きだ。(バスパートGの保続音、Godの頭文字Gだ。グローリア、すなわち神の栄光をあらわすG と解釈することもできる)

で、13小節目からまた聖霊のテーマが現われる。
しかし、今度はこのテーマ、ソプラノではなくバスパートに現われる。
バスパートであるから、当然、それほど目立たない。メロディーと言うより、低音の支えのように聞こえてしまうかもしれない。

実は、これが重要なことだ。

新約聖書「使徒行伝」の主人公は「使徒言行録」との名のごとく、使徒たち、人間たちだ。

しかし、その人間たち、使徒たちを導き、教え、育て、用いてみわざをなさるのは、
すなわち、陰の主人公、真の主人公は・・・・実は「聖霊」なのだ。

13小節目以降、テーマがバスに潜って奏され続けるように、
聖霊も人の影に回って、人を通して働かれる。

だから、バスパートのメロディー、そんなに目立つ必要はないのだ。
「わかる人にはわかる。知っている人には分かる」そんな程度に聞こえれば十分だ。

表向きの主役はやはり、上三声、つまり人間たちなんだ。

で、曲が進み終わりが近づくと、
最初、壮大に、ダイナミックに、劇的に始まった音楽なのに、だんだん暗く、もの悲しい雰囲気になってくる。

これは、聖霊の働きの中でも最重要なものの一つが、人間にその罪を示し、悔い改めに導くという事であるということだ。

そして、最後にはハ長調の属和音であるGの和音で曲が終わる。

ハ長調におけるGの和音ってのは、期待感や緊張感、解放へのエネルギーが充満する和音だ。
この和音はどうしても解決、解放を要求する。

だから、本来ハ長調の曲はGの和音がCの和音で解決して終わらなければならない。

しかし、この曲では「Cへ、Cへ!」というエネルギーがたまりにたまった状態で解放されることなく終わってしまうのだ。

聴き手の思いは否応なくCへの期待で、Cに到達したいという思いで満たされる。
演奏していても、この最後の和音を弾き終わって後、Cの音を弾きたい思いでウーッとなっちゃう。

これは聖霊の働きが最終的に人々をキリストに導く事であることを示している。
だって、聴き手の期待する「C」ってキリストのことなんだ。
キリストの頭文字はKではない。Cだ。
そう、メリークリスマスの「C」、キリスト「C] だ。

このわずか26小節、一分にも満たない小曲の中でバッハは

神が三位一体であり、聖霊は第三位の神であること、
その降臨は人類史上をゆるがす大事件であったこと、
その事件が多くの人を動かし、導き、変えたこと、
その後、多くの使徒たち、キリスト教徒たちが聖霊に導かれてローマ帝国中を駆けめぐって伝道したこと、
その影の主人公は聖霊であったこと、
聖霊の働きは人々に罪を示し、悔い改めに導き、最終的にキリストを指し示しすこと

等々を見事に描ききっているわけだ。

これは本当にすごい音楽だと思う。
バッハって本当にすごい人だ。
こんな音楽をバッハに書かせてしまう聖書って書物はすごいと思う。
そんなすごい聖書を生み出した神・キリストはすごいと思う。

しかし、演奏は結構むつかしい。
こんなに様々な要素が凝縮して詰め込まれているので、それぞれの要素をきちんと音にしていくのがとてもむつかしいわけだ。ともすると、内容があまりに豊かでわけが分からなくなって混乱してしまいがちだ。

実は、今のところ最も苦戦しているのがこの曲だ。
ウーン、なんとかせねば・・・・・。

(~ヘ~;)ウーン・・・・・。

あと一ヶ月半、がんばるぞ!
どう整理して描いていくかが課題だ。




コラールってなんや?

2007年05月19日 21時13分02秒 | バッハ アンサンブルフィリア
読者の一人から、「コラール、コラールって何やねん?意味わからんわ。それがわからんから結局全部わからんわ」と質問があった。
なるほどそれはそうだ。コラールって言葉の意味って知らない人がほとんどだと思う。

実はぼくも長いこと知らないままだった。
何となく、「宗教的な雰囲気をもったハーモニーのきれいな音楽」という程度の理解しかなかった。

あたりまえのように使っている言葉の意味を実際にはよく知らないってことよくあるよね。
でも、それって本当はよくない。  よね?

で、コラールって音楽ってどんなのものかを、山本風に解説しておこう。

正確な定義ってのは音楽事典でも引いて自分で調べて欲しい。
インターネットでもすぐに出てくる。ヤフーとかで検索したらあっという間にわかる。

以下は、あくまでぼくなりの説明です。

コラールとは

プロテスタント教会ってのがルターによって始まったってことは中学とか高校の歴史の授業で誰でも習ったことだろう。宗教改革って呼ばれてる。

この時にルターさんが着手した改革の中には教会音楽の改革もある。

そのころのカソリック教会、基本的に教会音楽はラテン語で専門家が演奏したり歌ったりしていた。
それを教会に来ているみんなで歌うものへと変革したのだ。

メロディーは単旋律。歌詞はドイツ語ってわけだ。
これなら、誰でも歌える。

でもって、そこにいる人たちは王様でも貴族でも、騎士でも、農民でも、商人でも誰でも声を合わせて一つになって歌うってことになった。

これは当時としてはものすごく画期的なことだった。  ハズだ。

そのために、造りだされた歌(今で言えば讃美歌とか聖歌、ゴスペルソングだね)をコラールって言うんだ。

このコラールって音楽、当時のクリスチャンたち、老いも若きも、貴族から庶民にいたるまでものすごく喜んで歌ったそうだ。

ルターからバッハまでは200年くらいあるんだけど、その間に数え切れないほどのコラールが生み出され、歌われた。

で、バッハの存命当時、教会に来てバッハの音楽を聴いていた人たちは、ほとんど例外なくこの「コラール」ってやつにどっぷり漬かっていたわけだ。

バッハ存命中だけでなく、1960年くらいまでのドイツのプロテスタント地域の人たちにとっても、この「コラール」って、われわれ日本人にとっての唱歌のようなもので、誰でも知ってる「あのメロディーとあの詩」であったわけ。

だから、彼らドイツ人プロテスタント地域の聴衆にとっては、
コラール旋律のほんのわずかの断片でも聴こえてきたらすぐさまそのメロディー全体とその詩が持っている概念が自動的に頭の中に想起されるって仕組みが長い歴史の中で出来上がっているんだ。

有名なマタイ受難曲とかヨハネ受難曲、カンタータなどもこのコラールが縦横無尽に引用されている。
「コラールはマタイ受難曲における屋台骨である」といわれるほどだ。

だから、これらのバッハの作品を聴く時、それがどんなコラールでどんな意味なのかを知っていないと、実際その曲でバッハが語ろうとしていることが、ほとんどわからないという羽目に陥る。

バッハの音楽を楽しむにはコラールとそれを生み出した聖書とキリスト教を知っておくことが、やっぱ必要なんだ。

バッハだけではない。ベートーベンだって、リストだって、ブラームスだって、ブルックナーだって、いやそれどころかあのワーグナーだって、聖書とキリスト教についての知識がなければ相当表面的な理解で終わってしまうだろう。

読者諸氏、お気を悪くなさらないでいただきたい。
これは本当のことなんだ。

だから、キリスト教徒になるとかならないとかの話は脇に置いておいて下さったらいいので、なんせクラシック音楽を楽しみたい、勉強したい、専門家になりたいと思われるのでしたら、是非、聖書とキリスト教についても関心を持っていただきたい。

人生、何倍にも楽しめること間違いありませんです。

二曲目はコラール前奏曲

2007年05月19日 21時12分44秒 | バッハ アンサンブルフィリア
二曲目はコラール前奏曲

2006年7月11日

コラール前奏曲はコラールを題材にした曲なので、
当然メロディーラインがあって、それはもちろんコラール旋律だ。

で、最初これらの曲を練習しはじめた時、ぼくたちはいかにしてメロディーラインをくっきりと描き出すかということに神経を遣った。

メロディーのまわりにある対旋律、低音部、和声のバランス、音色を整えて、何とかしてメロディーラインがきちんと聴き手に届くようにと努力していたわけだ。

しかし、最近になって、それは必ずしもいいやり方ではないということに気づいた。

考えてみれば、当時の聴衆たちはそのメロディーを熟知していた。メロディーだけでなく、歌詞もほとんど暗記していただろう。

とすれば、彼らの関心はメロディーそのものよりも、そのまわりにどんな対旋律とか和声がついているか?その前後にどんな前奏・後奏がついているかにあったということは想像に難くない。

実際、楽譜を解釈していく過程で、メロディーでない部分にバッハの音楽的意図、また、神学的解釈が、非常に生々しく描き出されていることを発見することができた。

中には5分程かかる曲で、最後のほうにほんの一瞬だけコラール旋律の断片がちらっと顔を出すだけという曲もあるのだ。

これは演奏の仕方もよほど考えていかないと・・・・・、メロディーではない部分こそ・・・、
ということが分かるようになってきた。

これだから、音楽ってオモシロイ・・・・・。


二曲目は

2007年05月19日 21時12分27秒 | バッハ アンサンブルフィリア
二曲目は

2006年7月5日

二曲目はコラール前奏曲。

これはどんな曲かというと、

コラール前奏曲という呼び名が適切かどうかは疑問もあるが、
とにかく、コラールの旋律を元にして書かれた短いオルガンのための小曲たちのことだ。
オルガン小曲集(Orgel Buchlein)等の名で呼ばれている曲集とか、シューブラールコラールなど、星の数ほどというのは大げさだけど、すごくたくさんの曲がある。

短い曲なら1分もかからないものもあって、長くても5分程度までの曲だ。

この膨大な作品群から6曲を選んで演奏する予定だ。
だから、2曲目というよりか2番目の出し物という方が適切かな?

これは石倉明日香が加わって4人で演奏する。

で、このコラール前奏曲ってのは、ものすごくおもしろい。

ものすごく、すごく、すごく・・・・!

それぞれのコラール旋律とそこに付けられた歌詞に対して、バッハの解釈とか信仰告白、それに状況描写などが伴奏部の音型によって提示されているわけで、「音楽による神学書」と呼ばれるにふさわしく、バッハの深い神学的理解が読み取れる。

この譜面を読んで、解釈して、音にしていく作業は一種の謎解きのようなもので、すごく楽しい仕事だ。
その謎解きには聖書とキリスト教に対する理解が欠かせない。
ていうか、聖書を知らなければ、その音楽の意味するところを理解することは不可能だ。
演奏する者はどうしても、聖書とキリスト教を知っておかなければならない。

え、「私は聖書もキリスト教も知らないからそんな曲演奏されても困る・・・」って?

大丈夫。それをわかりやすく提示するのも演奏家の仕事。
それぞれの曲がどういう内容を持っているかは、次回の更新からぼちぼち書いていくつもりなので、
乞う、ご期待!

今日はもう限界。眠い・・・・・です。

o( _ _ )o...zzzzzZZ


前奏曲とフーガニ短調 BWV539

2007年05月19日 21時12分11秒 | バッハ アンサンブルフィリア
あと二ヶ月で

2006年7月4日

9月8日のアンサンブルフィリアコンサートまで約二ヶ月だ。

今年のコンサートはずいぶんと様変わりをして、
たくさん新しい曲に取り組む。

これから少しずつ紹介していきたい。

コンサートの最初の曲は

 前奏曲とフーガ ニ短調 BWV539

有名な無伴奏ヴァイオリンソナタ第一番ト短調のフーガをもとに編曲されたフーガに、短く、しかし深いプレリュードをつけた作品だ。

原曲である無伴奏ヴァイオリンソナタ第一番のフーガは超有名曲なので、ご存じの人も多いだろう。
聴けば聴くほどいい曲だし、そのままマリンバで演奏されることもしばしばだ。

ボクも、18歳の時、種谷睦子先生の超絶的な演奏を聴いて以来、ベタ惚れの曲だ。

しかし、ヴァイオリン一本だけでフーガをやるってのは、なんてったってある程度無理がある。
そこは聴き手がその音楽的想像力でもって補いながら聴いていく必要があるわけだ。

今回とりあげるヴァージョンは、そのフーガをオルガン用におそらくはバッハ自身が編曲したもので、
オルガンてのは両手両足を使えば多分12の音を同時に鳴らせるはずなので、
フーガを展開するのに、なんの制約もないはずだ。

さすがに原曲に見られたヴァイオリン独奏であるゆえの制約が取り払われて、バッハが本来意図していたであろう対位法が明確に表現されていると思う。

付け加えられているプレリュードも短いが、美しい。音楽による祈りというにふさわしい。
佳品といっていいだろう。

それと、興味深いことに調が変わっている。
原曲はト短調だが、このヴァージョンはニ短調だ。

調ってのはすごく大切で、編曲するとき、下手に移調してしまうと雰囲気がガラッと変わってしまう。

だけど、ここではおそらくはバッハ自身が移調しているのだ。
しかも、オルガンてのはどんな調でもなんら問題なく演奏できる楽器であるにもかかわらずだ。

実は、同じ曲をちがう楽器のために編曲するとき、バッハはしばしば調や音域を変えている。
無伴奏バイオリンパルティータ、第3番のプレリュードはオーケストラのためにも編曲されているが、そのヴァージョンだとニ長調だ。(原曲はホ長調)
また、同じ曲をバッハがリュート用に編曲したバージョンではちょうど1オクターブ下の音域で演奏するようになっている。

だから、バッハの音楽、調が非常に重要な要素となっていて、変更することはあり得ない曲と、
楽器によって、編成によって、調をある程度移してもかまわない曲との両方があるということだ。

このことは、バッハの曲をマリンバで演奏するとき、頭に置いておかなくてはならない大切なことがらの一つだと思う。

そのままの調、そのままの音域で演奏するべきなのか、それともその楽器に合わせて調や音域を動かすのか、じっくり検討が必要だと思う。

ボクは個人的に、
バッハの無伴奏バイオリンソナタとパルティータをマリンバで演奏する場合、1オクターブ下げて演奏する方がいいと思う。

そうすると、マリンバの最も魅力的な音域にちょうどはまって、
つまり、へ音記号の一番下の線上のGを最低音に設定することができるわけだ。

そうすると、響きがぐっと豊かになるので、テンポもゆったり目に設定できて、余裕を持って演奏できる。聴き手もよりリラックスして楽しんで聴くことができると思う。

ところで、
レイ・スティーブンス氏は、バッハの無伴奏ヴァイオリンソナタ第1番ト短調、7度下げて演奏している。つまり、ト短調のソナタがイ短調ソナタとなるわけだ。

なぜか?

彼自身のことばによれば、
彼がその編曲に取り組んだ時期、通常のマリンバの音域は、ヘ音記号一番下の間のAが最低音だった。
だから、そのAが最低音となるように調を設定したとのことだ。

これは大変にフレキシブルな、グッドなアイデアだと思う。

ただ、たとえばト短調だと、イ短調になってしまうので、響きの質は相当変わる。
フラット二つの調が、シャープフラットなしの調になるわけなので、相当明るい響きになる。
これをどう判断するかは人によって意見が大きく異なってくるのではないだろうか?

その点、単純に1オクターブ下げるってのは、響きの傾向はそんなに変わらず、ただより深い響きになるわけで、かなりいい線いってるのではと思う。

ええっと、脱線してしまった。

というわけで、このプレリュードとフーガ、本当にいい曲だ。
練習の度に感激している。
ホントにいい曲だよ。ぜひ聴いてほしい。
もちろん、アンサンブルフィリアの演奏でね。

これは伊藤両姉妹とぼくの3人で演奏する。
石倉明日香の登場は二曲目からだ。

9月8日、ぜひ京都府民ホールアルティにご来聴を!



聖書を知ってないと、バッハは理解できませんか?

2007年05月19日 21時09分01秒 | バッハ アンサンブルフィリア
よく質問されるのだけど、

「バッハを演奏したり、聴いたりするにはキリスト教徒である事が必要ですか?」
「聖書を知ってないと、バッハは理解できませんか?」

この質問に答えたい。

先日の記事でも理解してもらえると思うが、バッハの音楽を思いっきり楽しもう、深く理解したいと思うなら、聖書とキリスト教に対する理解は必要不可欠と言っても言いすぎではない。

しかし、聖書とキリスト教を知っていないと、全く理解できない、楽しめないというものでもない。

かくいう私も、バッハの音楽に夢中になったのはキリスト教徒になる前、聖書もキリスト教も「それなあに?」って時代だ。

もし、聖書とキリスト教をよく知っている人にしか理解できない音楽をバッハが書いたのであれば、バッハの音楽がこれほど世界に普及することはなかっただろう。

バッハの音楽は、聖書との関連なしに聴いても、十分にすばらしい。

ただ、知っておいてほしいのは、

バッハは自分の音楽の目的をはっきりと意識していた。
それは「S.D.G」の三文字であらわされる「ただ神にのみ栄光があるように」ということだ。

彼は自分の創作活動、演奏活動、教育活動を通して、ただ神の栄光が顕われるようにと願っていた。

で、具体的なその手段としては、
その音楽を通して演奏者、聴き手が、より深く聖書を理解すること、確信すること、記憶することを意図していた。

それは、バッハの尊敬する先輩、マルチン・ルターが提唱した事だ。

ルターは新約聖書・コロサイ人への手紙3章16節にある「キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。」という箇所から

音楽の目的は「キリストの言葉、すなわち聖書の言葉をより深く理解し、覚え、信じ、その示すところによって生きるようになることだ」と提唱した。

で、バッハの音楽は一部の例外はあるかもしれないが、基本的にはそのことを目的としているのだ。

人がその音楽を演奏したり、聴いたりすることによって、聖書をより深く理解する。そしてそのことによって、神の栄光をあらわす。
それが、バッハの願いであり、意図していたところだ。

だから、聖書抜きでもバッハの音楽は十分すばらしいし、それを堪能することができるのだが、

バッハの音楽を楽しむことを通して、我々は聖書をより深く、また身近に味わい理解することができ、
また、聖書に対する理解が深まれば、それによって、バッハの音楽がより深く理解できるという、幸せなスパイラルに入ることができる。

そしてそれが、バッハ本人の切なる願いでもある。

だから、別にキリスト教徒になる必要は全くないのだけど、
皆さんの音楽人生をより楽しく充実させるために、
ぜひぜひ人類最高の文化遺産である「聖書」と「バッハ」の音楽の両方を知っていくことを勧めたいのだ。

ぜったいに損はないと思う。
聖書を知っているなら、得することはものすごくある。
逆に、マイナスになることは一切ないと思う。(たぶん・・・・でも、聖書を持っていたり、読んでいたり、他人に譲渡したりするだけで牢にぶち込まれる国もいまだたくさんあることも確かだ。日本のすぐそばにも複数ある)

一度読んでみられたらどうですか?

んでも「聖書ってなんかとっつきにくそう・・・・」って人には
中川健一著「日本人に贈る聖書ものがたり」全三巻を薦めたい。
また、三浦綾子著「旧約聖書物語」「新約聖書物語」もグーです。


バッハをマリンバで(その3)

2007年05月19日 21時06分25秒 | バッハ アンサンブルフィリア
バッハをマリンバで(その3)

2006年6月10日

正確な記憶はないが、多分1995年頃から、ぼくは自分のテクニックというものを根本から見直し、
メソードを変えることに取り組みはじめた。

それは、レイ・スティーブンスの講習会に参加し、スティーブンスグリップを知った事が一つのきっかけだ。また、長岡京室内アンサンブルを主宰する森悠子さんと出会い、彼女を通じてフランスの音楽家たちの音楽観、テクニックなどをかいま見たことも影響している。

このころからスティーブンスグリップを始めたのだが、それは単に4本バチのメソードをかえることにとどまらず、小太鼓、ティンパニ、マリンバ(二本バチを含め)全てにおよぶテクニックの変革となってしまった。

それ以前と今ではぼくのテクニックというかメソードは全然違う。
当然、そのテクニックによって生み出される音楽も全く違うものになっている。

まあ、どう違うかを説明するのは、ちょっと紙面ではムリだ。

とにかく変わったんだ。

PANKLANGの1998年、1999年のコンサートの録音を聴き比べるとその音色の違いは歴然だ。
方向性が全く変わったと思う。音の向かう方向だ。

その変化はぼくの生徒たちを相当混乱させたに違いない。何人かはどんどん変わっていくぼくの変化を見てとまどい、「先生はだいじょうぶだろうか?」と心配していたに違いない。

でも、ぼくには確信があった。
「今までのテクニック、メソードでは限界が来る。自分は変わらないといけない」と。

目に見える変化といえば、
マリンバのマレットを全面的にウッドシャフトに変えたこと、
スティーブンスグリップに変えたこと、
ティンパニのグリップを変えたこと、
小太鼓のグリップも変えた。
姿勢とか呼吸の仕方もずいぶん変わった。
練習の仕方も変わった。

とにかく、何もかも変わったといっても大げさではないかもね。

その変化に、とまいどいながらもついてきてくれた生徒たちのうちに、伊藤朱美子さんと伊藤多美子さん、山内りいち君がいる。

彼らは学生の時から仲が良く(けんかもたくさんしたみたいだが・・・)トリオを組んでいた。
トリオ・タリスというんだ。おもしろい名前でしょ。

そのトリオの中心的なレパートリーがバッハのトリオソナタだった。
それをけしかけたのはもちろんぼくだ。

で、彼らが卒業してからも、そのトリオでずっと活動していきたいとの意向であり、
ぼくも、彼らの演奏するバッハを聴いてずっと楽しませてもらおうと思っていた。

しかし、彼らが大学を卒業するとそのトリオは深刻な危機を迎えた。

山内りいち君が、邦楽打楽器の分野でどんどん売れっ子になっていき、バッハ演奏のために割く時間がなかなか捻出できなくなり始めたのだ。

前にも書いたとおり、他のレパートリーはともかく、バッハは途方もなく時間と手間とを要求するレパートリーだ。

トリオ・タリスの活動は続いていたが、その活動にバッハを組み込むことはなかなかむつかしい状況になり始めた。

そんな時期に、P.A.N.KLANGでバロック音楽をマリンバアンサンブルで演奏するコンサートを開いた。
1999年だ。

その時、バッハの作品を少しだけ演奏したのだが、ぼくが伊藤両姉妹と一緒に演奏させてもらった。
それをきっかけにぼくの中で「やっぱりバッハの作品、聴くだけではなく、演奏したいなあ・・・・」という思いが強くなっていった。

トリオ・タリスでのバッハ演奏が困難な状況になりつつある伊藤さんたちと、やっぱ、バッハやりたいなあというぼくとの、お互いのニードが一致し、

「んではイッチョー、一緒にバッハをやるトリオ、始めちゃおうぜ!」ということになったのだ。

しかし、ここで始めた新しいマリンバトリオ、これは全ての条件がそろっている。

メソード、テクニックは一致している。
音楽観、フレーズ感覚、リズム感覚なども、ぼくが4年間心血を注いで育ててきた生徒たちだ、相当なところまで解りあってきている。
楽器はこおろぎで統一。
そして、バッハを演奏するにあたっては、時間と労力を惜しまないという点でも一致している。

そして、さらに、
このトリオを組んだことがきっかけの一つかもしれないが、伊藤さんたちがクリスチャンになり、信仰の一致を持ってバッハに取り組むことができるようになったのだ。

そしてその後、もう一人のメンバーである石倉明日香が加わった。彼女も当然クリスチャンだ。
しかし、その後彼女はすぐにドイツに留学してしまい、たまにしか、一緒に演奏できなかった。
自主公演ではまだ一度も共演できてない。今度の9月、いよいよ自主公演でともに演奏できるのだが。

ということで、音楽性とメソードの一致、
楽器の統一、
音楽への献身度の一致、
信仰の一致という
バッハ演奏での不可欠な条件がそろったアンサンブルが奇跡のごとく生まれたというわけだ。
しかも、伊藤さんと石倉さん、それにぼくの家はすぐ近くだ。
いつでも声を掛け合ったらすぐに集まることができる。
まさに神様の恵みで成立したとしか思えない。

もう、これはやるっきゃないではないかぁ!

今は、6月17日の京都丸太町教会でのコンサート、9月8日の京都府民ホール・アルティでのコンサートに向けて猛烈にがんばっている。

6月17日は伊藤両姉妹とぼくの3人、9月8日は石倉明日香嬢を加えた4人でのコンサートだ。

皆さん、京都の近くにおられる皆さん、ぜひご来聴下さい。
遠くの方も、ぜひご来聴下さい。

どうかよろしく!

バッハをマリンバで(その2)

2007年05月19日 21時06分10秒 | バッハ アンサンブルフィリア
バッハをマリンバで(その2)

2006年6月10日

もちろん、ぼくの周りに奏者がいなかったわけではない。
すばらしい人たちがたくさんいたし、教え子たちもみなそれぞれにいい演奏者に育ちつつあった。

だから、P.A.N.KLANGとか様々な機会にいろんな人たちと楽しくアンサンブルをしたり、
オケの中で共演させてもらってきた。

その中でも、センチェリー交響楽団の安永氏との出会いはすごく幸せな出来事だった。
彼はぼくより10才くらい若いが、いつもぼくに啓発ともいえるチャレンジを与えてくれた。
彼とともに演奏することはぼくの喜びだった。
最近はぼくの方が忙しくなり、なかなか共演の機会がないが・・・。

しかし、バッハをマリンバアンサンブルで演奏するとなると、
単に優秀なマリンバ奏者が3-4人集まったというだけでは話しにならんのですわ。

ぼくにとって、バッハを演奏するなら、どうしてもはずせない条件がいくつかあった。
それは

 1 メソードの統一、つまり、音色感、テクニック、リズム感、フレーズ感の一致。
 2 楽器の統一。
 3 音楽への献身。
   (具体的にいうと、個人練習とリハーサルの回数を十分にとるということ)

等々だ。

特に 3の条件は必須だ。
通常の演奏会、どこのオケでもリハーサルは長くて三日間だ。
ほとんどのコンサートは一日しかリハーサルがない。ゲネプロだけで、即本番もめずらしくない。
よほど難しい曲の場合は4日間とか5日間とることもあるが、それは非常にまれな出来事だ。

室内楽でも忙しい現役の音楽家たちが集まってリハをするとなると、三日も日程がとれたらいい方だ。
しかし、バッハをやるとなると、それでは全く、全く、全く、全く、(×10000回)足りない。

どうしても長期にわたる、ハードなリハーサルを積み重ねていく必要がある。
バッハの音楽は心の最も深い部分から流れ出していかなければならない。
そのためには時間と手間がもう半端でなくものすごく必要なんだ。

それと、ドイツ留学中に洗礼を受けてイエス・キリストに対する信仰を持っていたぼくとしては、
バッハに関しては、同じ信仰を持った人と、信仰に裏づけられた演奏をしたいという思いもあった。

バッハの音楽は神との対話であり、祈りであり、神からの啓示でもある。

「I love you!」と語るのに、
本当にその人を愛して語るのと、演技で愛してるふりをして語るのとは、
やっぱり違うでしょう?

ぼくは真剣にイエス・キリストを愛している。ぼくにとって最も大切な方だ。
毎朝、起きて顔を洗ったら、すぐにイエス・キリストとの交わりの時を持つ。
聖書を開いて読み、祈る。一日の内で最も神聖でかつ楽しい一時だ。
バッハの音楽を通して、ぼくはイエス・キリストと対話したいんだ。
バッハを演奏するってのはぼくにとって、
「Jesus,I love you!」と語りかけ、Jesusからのメッセージを受け取ることなんだ。

んで、こんだけの条件を全部クリアーしたマリンバ奏者っては、周りに一人もいなかったわけだ。

ところが、驚くことにこれらの条件を全て満たした仲間が出現することになる。
ぼくとしてはほぼ完璧にあきらめかけていたのだが・・・・・。

w(@。@;)w  ~

バッハをマリンバで

2007年05月19日 21時05分51秒 | バッハ アンサンブルフィリア
2006年6月6日

確か大学にはいって間もないころだったと思うんだど、一年生か二年生、
「グループ3マリンバ」(ぐるーぷさんまりんばと読むんだ)のコンサートがあった。
種谷先生と菅原淳さん、岡田真理子さんのマリンバトリオ。

そこでバッハのトリオソナタ第一番を聴いた。
「んまぁ、なんちゅういい曲やぁ!」と感激しまくり、もう大興奮の一夜となった。

この時から、「いつか誰かとマリンバアンサンブルを組んでバッハのトリオソナタやりたい」と夢ができた。

で、大学の仲間とトリオを組んでこの曲とか3番のソナタとかを勉強しはじめ、演奏会でも演奏した。
しかし、大学の仲間は卒業するとそれぞれの道に進むわけだし、ぼく自身もオケマンへの道をまっしぐら、プロとしてアンサンブルを組んで活動を開始するには至らなかった。留学もしたしね。

でその後、神様の恵みで札幌交響楽団のオーディションに合格し、札幌住まいになってからはマリンバを弾くことはほとんどなかったので、(子育てがメチャ大変やったし、オケの活動で精一杯)、いつしかマリンバアンサンブルでバッハをやるって夢はどっか心の引き出しにしまい込んでしまい、忘れてしまっていた。

ところが34才になって、突然京都芸大から専任講師として招聘され、オケマンをやめることになった。
今までオケの打楽器にしか目を向けてなかったぼくが突然オケを離れたのだから、大学でのレッスンと大学運営の仕事以外は何もないって状態になってしまった。

で、その時から、またマリンバアンサンブルを組んでバッハのトリオソナタがやりたいという夢が心の倉庫の奥の奥から顔を出し始めたわけだ。

だけど、いったい誰とやったらいいの?
相手がいない。

34才まで京都を離れてたから、もうぼくの場所ってないんだよね。

で、学生たちにバッハを勉強することを勧めて、彼らの演奏を聴くことで、ま、いわば溜飲をさげていたわけだ。

バッハ大好き!(続き)

2007年05月19日 21時05分35秒 | バッハ アンサンブルフィリア
バッハ大好き!(続き)

そんなわけで、いままでいやでしょうがなかったマリンバをがぜん熱心に練習しはじめた若き私は、毎日下手の横好き状態でひたすらバッハを弾いていたのだ。

しかし、まあ、やってみたら誰でも判ると思うが、
バッハの作品を、特に無伴奏作品をマリンバで弾くとなると、めちゃくちゃにムツカシイ。

自分一人で楽しんでやっている分にはいいが、試験やコンサートで弾くとなるとあまりにもリスキーだ。

そんなわけで、人前では、コンサートでは、バッハは弾かないと決めてしまったマリンバ奏者、それもかなりのメジャーなマリンバ奏者はけっこういるんだ。

ましてぼくはマリンバ奏者でもないし、試験ではバッハを弾いたが、プロの音楽家として公開の演奏会でバッハのソロ作品を弾くのは「ちょっとムリかなあ~」と、だんだんに思うようになった。

アハハ、現実を知ったってワケよ。現実はキビシイ・・・。

(;´o`)  トホホ

でも、自分の勉強として、また楽しみとして、けっこう熱心にバッハをさらい続けていた。
試験でも弾いたよ。無伴奏バイオリンソナタとか。
それに、四回生の時やったリサイタルでは前半のメインの曲として、無伴奏チェロ組曲の第三番を弾いた。

 ちなみにその時のプログラムは
 黛敏郎 シロフォンコンチェルティーノ(ピアノ伴奏版)
 バッハ 無伴奏チェロ組曲第三番
 一柳慧 アレンジメンツ
 ボリス・ピリン Duo for piano and percussion

このピリンって人のデュオは名曲だ。最近あまり演奏されないみたいけど、打楽器とピアノのデュオの中では突出した名曲だと思う。ピアノパートもなかなかむつかしいみたいだけど充実してる。なんせピアノと打楽器のデュオだから。普通なら打楽器とピアノのためのデュオって書くよね。

ぁ、脱線してしまいました。

しかし、それ以降、人前でバッハのソロ作品を弾いたことはない。

その理由の一つとして、ドイツ(ケルン)に留学したこともある。
そのころケルンにはバッハを弾けるようなまともなマリンバは存在していなかったし、オケマンをめざす者にとってはそんなヒマもなかったからだ。

なんせ、オケのオーディションに向けての練習とレッスンというのは、曲数がめったやたらに多くて、
毎日体力の限界までさらっても間に合うかどうかって感じで、実際大変だった。
(しかし、留学してた二年間でさらいまくるという経験をすることができたのは大きな収穫だった。なんせ、仕事もないし、学科の勉強もないし、さらうことと、メシの支度とコンサートがよいしかすることがないんだもん・・・・。ひたすらさらいまくった二年間だった。もっともその後半は彼女ができてしまって練習時間が少し減ってしまったが・・・・。あ、家内のことです。念のため)

そんなわけで、いつしかバッハをマリンバで演奏するってことは、自宅でのプライヴェートな時間でさえも全く無くなっていった。

もっぱらバッハは聴いて楽しむ生活になっていた。

だけど、いつかバッハを演奏したいという夢だけは持ち続けていたんだ。
ただし、それはソロではなく、アンサンブルなんだけど・・・・。

バッハ大好き!

2007年05月19日 21時05分17秒 | バッハ アンサンブルフィリア
バッハ大好き!

中2か中3のころだったけど、何気なくラジオをつけたら、なんかバイオリン一本だけの曲をやってた。何気なく聴き始めたのだが、一瞬にして戦慄が走ったような気がした。

  「なんちゅうすげえ音楽やぁー!」

    (◎_◎;) おっ!

とびっくりして、ラジオから出る音に釘付けになった。
で、その曲が終わって、アナウンサーがバッハの無伴奏バイオリンなんとかかんとかと曲名を言った。

なんせ「、バッハって誰や?」「無伴奏何とかって?」って状態だから、何が何だかわからず、とにかく、「バッハの無伴奏何とかってすごい音楽やなあ・・・・・」と、深く記憶に刻み込まれた。

それ以来、ぼくはバッハの音楽に惹かれ続けてる。

こんなすごい音楽自分でも演奏してみたいなあ、でも無理かなあ・・・・・。
と思いながら高校生時代を過してきた。

でもって、大学に入ったら、マリンバを勉強しないといけないはめになって、
(実は、子どものころマリンバを強制的に習わされていて、音楽は大好きだけど、マリンバは超大きらいだった。打楽器専攻で大学に入ったら、マリンバも勉強しないといけないとは思ってなかった。太鼓さえやってればいいもんだと信じ込んでいたんだ・・・・・)
種谷先生にレッスンをしていただくようになった。

で、先生のお宅におじゃまして、子どもが習うような曲からマリンバの勉強をはじめたわけ。
(最初にやった曲がスッペの詩人と農夫、朝吹英一さんの編曲だ。)
で、その2回目のレッスンかなんかの時、先生がバッハの無伴奏バイオリンソナタの第1番をなんと全楽章、それも、ぼくというたった一人の聴衆(?)の前で弾いて聴かせてくださったのだ。全部弾いたら20分かかるんだよ。

もう、びっくりしたなあ~。

そうかぁ、マリンバでもバッハ弾けるやんって思って、
それ以来一生懸命マリンバを練習することができるようになった。

大学時代は相当がんばってマリンバの練習をした。
それは、なんといっても、バッハが弾きたいという一念だったんだ。

バッハ、大好きだなあ。

記念日

2007年05月19日 20時57分48秒 | バッハ アンサンブルフィリア
記念日 2006年3月1日

今日はいろんな意味で記念日だ。

まず、
今日はショパンの誕生日!
芥川龍之介とグレン・ミラーの誕生日でもある。

そして、わが次男の高校卒業式。よくぞ無事卒業できた。おめでとう!

そして、そして、そして・・・・・、



ぼくの49回目の誕生日であるのだ。

49年間生かされてきたことを、
そして16歳の時音楽の道を志して以来、今日までこの道を歩み続けさせていただいたことを、素直に喜び、神に感謝したい。
今まで出会ってきた人々にも感謝したい。

そして、もう一つの記念日でもある。

というのは大げさかもしれないが、
今日は9月8日のアンサンブル・フィリア自主公演に向けての初練習をした。

今年のコンサートは初めてマリンバ四重奏に取り組む。
メンバーの一人、石倉明日香が留学を終えて帰ってきたので、ようやく四重奏に取り組むことができるのである。

石倉明日香とは、今まで彼女が帰国した時にだけ細々と一緒に演奏してきたが、自主公演では初めての共演だ。
ぼくはこの日を心待ちにしていたのだ。

それに、四重奏になるとレパートリーがぐっと広がる。
今までできなかった曲ができるようになるのだ。

今年のコンサート、メインプロは「トッカータとアダージョとフーガ ハ長調」 もちろん、J.S.Bachの作品だ。
アンサンブル・フィリアはバッハを演奏することをメインターゲットとして組んだアンサンブルなのだから当然だ。

この曲も発足以来ずっとずうっとやりたくてたまらなかった曲だ。
もう、心震えるほどのメチャすばらしい曲だ。今日の練習でもなんか泣きそうになった。
ああ、なんてすごいええ曲なんやろか・・・。

しかし、9月のコンサートの練習を今日から始めるってのはずいぶん早いなと思われるかもしれない。
でも、早くはないのだ。

バッハの作品をマリンバで演奏するってのは、実際大変な事だ。やった事のある人はわかってくれると思う。前にも書いたけど、他のコンサートや夏休みでの中断期間とかを考えると実質三ヶ月チョイの準備期間ははっきり言ってぎりぎりのところだ。

それに、昔の偉大な演奏家たちは今よりずっとたくさんの時間練習(リハーサル)をしていたらしい。
一つのコンサートに長期間の準備をすることは普通のことだったそうだ。

当然だと思う。
音楽が本当に心の最も深いところから流れ出るためには、時間と労力をマジ必要とするんだ。

今年のコンサート、今日三月一日が練習開始記念日だ。
永遠に記録しておきたい。・・・・・ナンチャッテ。(それはオオゲサだな)

何はともあれ、今日はうれしい一日だった。


下関と熊本に行ってきた

2007年05月19日 20時54分13秒 | バッハ アンサンブルフィリア
2006-02-01 23:04:57

アンサンブルフィリアで六日間かけて下関と熊本に行ってきた。
往復で一体何キロ走ったんだろうか?さすがに体は疲れた。しかし、心は喜びで一杯になった旅だった。

下関では高齢者のケアハウスでのボランティアコンサートとキリスト教会でのチャペルコンサート、
熊本ではキリスト教会でのチャペルコンサートを行った。

プラグラムの中心はバッハのトリオソナタ第一番変ホ長調。
この曲はぼくがバッハをマリンバアンサンブルで演奏したいと思うようになったきっかけの曲だ。初めて聴いたとき(二十歳の頃)「なんていい曲なんだろう!」と魅了されてしまい、以来この曲を演奏するのが一つの夢となった。

今、アンサンブルフィリアの仲間たちと、この曲をはじめとするバッハの名曲を演奏できるのは望外の幸いだ。

しかし、本当に名曲だが、難曲でもある。
ただ、譜面そのものにはどこにも難しそうなところはない。それゆえ、練習を始めて二週間もあれば一応格好はつく。それでもって、楽しく練習を続けていると、二ヶ月くらいたって、どうにもこうにも身動きできなくなってくる。やれどもやれども、晴れ間が見えず、自信喪失もはなはだしくなってくる。

だけど、あきらめずに取り組む続けると、ある日を境にまたよくなり始める。「トンネルを抜けると・・・」といった感覚だ。

つまりは、この曲の難しさがわかるまでだけでも、けっこう手間と時間がかかるわけだ。
これはこの曲に限らず、バッハの作品に共通する特徴だ。この曲も、他のバッハ作品も、本番にのせるまでに相当ハードな長期にわたるリハーサルが必要というわけだ。

それだけ、奥が深い作品だと言えるだろう。やればやるほど、まだまだ奥があると思い知らされる。だからこそ、やりがいがあると言える。

今回のツアーではお年寄りのためのケアハウスで演奏した。
これが得がたい経験だった。
それほど音楽通とは言えないであろうお年寄りたちが、バッハの音楽を涙を流して聴いてくださるのを見るのは、すごくうれしいことだった。

それに、高齢者ケアの現場を訪問することが出来たことは特筆すべき経験だった。この問題は誰しも避けては通れない。いつか、必ず直面する問題だ。いろいろと考えさせられる面がたくさんあった。

だけど、ぼくたちが訪問した施設のお年寄りたちはすごく幸せそうだった。職員の方々が高齢者お一人一人を本当に尊敬をもってケアーしてらっしゃる姿がまぶしく、すばらしい施設だと思った。

この施設には音楽好きな理事長さんと施設長さんがおられ、なんとスタンウエイのグランドピアノ、タンノイのスピーカー(それもウエストミンスター!)、マッキントッシュのアンプ、リンのアナログプレーヤー等、音楽を聴くための設備が尋常ではなく充実している。

そして、なんと小さな音楽ホールまである。
だけど、ぼくたちはたくさんの人に聴いていただきたかったので、その小ホールではなく食堂で演奏した。吹き抜けの高い天井の部屋で、響きも極上だった。

そして、入居者の方々と同じ食事も経験した。実においしかった!「家庭の味」って雰囲気で、とても一度にたくさん作ってる食事とは思えないていねいな調理だ。

いい経験をさせていただいた感謝な旅だった。

この施設、「フロイデ彦島」という。