山口県バスケットボール協会顧問の岩崎克之助氏が11月に逝去されました。謹んで御冥福をお祈り申し上げます。
小松徹氏と神崎泰宏氏の追悼文を掲載します。
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追悼 岩崎克之助先生
防府市バスケットボール協会 会長 小松 徹
平成25年11月11日の朝、岩崎克之助先生が逝去されたとの報がメールを通じて連絡網に載りました。
膵臓がんと告知されて7年間、「癌を受入れ、闘わずに穏やかな生活を続けていきたい。」と可能な限りご自宅で療養され、教え子たちとの談笑を楽しみにされていると聞かされておりました。言葉にならない寂しさを覚えます。
棺を覆いて事定まる、と言われますように、先生のご功績の甚大さには枚挙の遑もなく、改めて先生の偉大さを偲びたいと思います。
先生は、昭和49年から58年までの10年間、防府市バスケットボール協会の理事長として、重責を果たされました。その間の特筆すべき一つとして、バスケットボール振興と競技力の向上のために、ポートボールと小学生のミニバスケットボールの普及・浸透にご尽力されたことが挙がります。ゴールリンクがなくてもゲームのできるポートボールは、小学校の体育や防府市内子供会の冬季スポーツ大会として継承されています。ポートボールやミニバスケットボールの浸透・拡大によりバスケットボール人口の裾野が広がりました。興味関心を示す児童生徒が一人でも増えていくことは、将来のスポーツ愛好者の増大につながり、バスケットボール競技の発展に寄与することになると力説されておられました。スポーツ教室の開催をはじめとして、ミニバスケットボールの指導者の養成、チームや関係する組織の立ちあげ、中学校・高等学校の部活動・市民オープン大会の運営等々、数々のご実績は偉大な足跡として今日まで脈々と受け継がれてきております。
先生は、防府市立華西中学校で10年間、桑山中学校で9年間、保健体育の教員として、また男子バスケットボール部顧問として、その卓越した指導力で一人ひとりの潜在能力を引き出し、多くの生徒の運動能力を伸ばしてくださいました。
先生ご自身は、山口県教員団の国体選手の一人として、時間を作り出しては体育館でお一人、黙々とひとりシュートの練習に取り組まれておられました。そのお姿は、今でも脳裏に焼き付いております。ゴールリングを狙ってボールを放つその瞬間の先生の眼差しには情熱・芯の強さ・希望・優しさなどが入り交じっていたように感じられ、とても印象的でした。
その後、山口県教育庁指導主事、防府市教育委員会学校教育課長を経て、防府市立桑山中学校校長として定年退職されるまで、熱い情熱を教育一筋に捧げられてこられました。
教え子の多くは、練習中に先生の厳しい眼差し一身に浴び、練習後の優しい眼差しと微笑みによって、先生が描かれたように終生に亘りスポーツを愛し、バスケットボールを楽しむ生活を満喫しております。先生の播かれた種は、将来さらに多方面で開花し、実を結ぶに違いないと確信いたしております。
先生と一緒に共有できた時間と数多くの思い出を大切にし、先生のご期待に応えるべく、バスケットボール協会の発展に努め精進してまいりたいと思います。どうか、これからもずっとこれまでと同様にバスケットボールを愛してやまない私たちと山口県バスケットボール協会、防府市バスケットボール協会の発展をお見守りください。
心より先生のご冥福をお祈りいたします。岩崎克之助先生 これまで本当にありがとうございました。
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岩崎先生と過ごした日々の中で
桑山中学校バスケット部OB 神崎 泰宏
○出会い ~ほめて個性を伸ばす~
兄の影響もあって、桑山中入学と同時にバスケット部に入りました。背が低く、運動能力に乏しい私は、いつも周りを見上げながらも、上手くなりたいという一心で来る日も来る日も練習に励みました。そんな私のやる気のスイッチが入ったきっかけは、「おまえはここがすばらしいんだ。」とみんなの前でほめられたことです。なぜかその気になってくるから不思議です。シュートが下手な私は、ドリブルとパスに活路を見いだしました。運動能力の低さは、相手の「動きをよむ」ことで補いました。「先生にほめられたい・・・。」これは当時のバスケット部員全員が心の中で、ひそかに思っていたことです。
先生の方針は、身長でポジションを決めるのではなく、全員が同じメニューの練習をすることです。背が高くてもドリブルがうまい、背が低くてもポストプレーができるプレーヤーが自然と育っていったのです。そんな目に見えない競争の中で、ライバル心が芽生え、個性が生かされ、さらに伸ばされていきました。
○指導の厳しさとバスケットの魅力 ~先輩をこえる、まねして覚える~
気持ちの入ったいいプレーには最大限の賛辞が贈られ、怠慢プレーにはとても厳しい檄がとびます。ルーズボールに必死にとびつくといった「ボールに対する執着心」が大切なのだと、記録には残らないプレーの中にたくさんのナイスプレーがあることなど、身をもって教えられました。今考えてみるとバスケットに必要な技術、精神力、体力が見事なバランスで鍛え上げられていったのでした。当時は練習中に水も飲めないし、休みもほとんどない環境でしたが、たまの休日でさえも、気がつけば仲間とともに外のコートでシュート練習をするほどバスケットが大好きになっていたのでした。
毎年、1月1日に体育館に現役、OBが集まって学年毎にチームを作って試合をする「正月試合」が行われました。負けた学年は先生のご自宅で奥様が作られた、あつあつのうどんをごちそうになって帰るのです。いつも温かく応援して下さる奥さんの存在は私たちの大きな心の支えでした。この試合では、先輩のかっこいいプレーに肌で触れ、また先輩のチームに勝つことが自信になり、さらに高いレベルを目指すようになったものです。
○指導者として ~基本に始まり、基本に返る~
私が中学教員になって、指導者としてスタートしてからも先生はやはり目標であり続けました。先生と過ごした日々の中で一番感じた事は、「何事もごまかしはいけない。」のひと言に尽きるのではないでしょうか。その意味するところは「本当の技術も精神力も「本物」を身につけるには時間がかかるし、なかなか結果がでないものだ。目先の結果にとらわれることなく、たとえ長い時間がかかっても信念をもって継続して指導し続けることが大切だ。」ということです。
いつも「心に汗を、頭に汗を、体に汗を」かく練習が良いと言われていました。私が肝に銘じている言葉です。また、まずは指導者の燃えるような情熱があってこそ、生徒が夢中になり、感動のあるドラマが生まれるということ。そのことを証明するように、先生の教え子の共通点は誰もがバスケットが大好きになったこと、いや好きにさせられたこと・・・毎年正月に開かれるOB会では、50歳前後のメンバーで試合ができるぐらいまだまだ現役でプレーしているのです。この年になってもやめられないぐらい大好きなのです。先生に出会わなかったら、きっと違った人生になっていたと思います。
振り返ってみると、大切なことは全てコートの中から学んだように思います。だからバスケットは人生そのものです。これからもバスケットの奥深い魅力を堪能するまでは、現役プレーヤーとして、夢の全国制覇を目指して走り続けることでしょう。我々は近い将来、必ず全国大会の決勝の舞台に立ち、自分たちの持ち味を思う存分発揮し、とことん楽しんでプレーする姿を見せたいと思います。
ただ・・・一度でいいから、先生を全国大会の優勝監督にしたかったなあ・・・
小松徹氏と神崎泰宏氏の追悼文を掲載します。
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追悼 岩崎克之助先生
防府市バスケットボール協会 会長 小松 徹
平成25年11月11日の朝、岩崎克之助先生が逝去されたとの報がメールを通じて連絡網に載りました。
膵臓がんと告知されて7年間、「癌を受入れ、闘わずに穏やかな生活を続けていきたい。」と可能な限りご自宅で療養され、教え子たちとの談笑を楽しみにされていると聞かされておりました。言葉にならない寂しさを覚えます。
棺を覆いて事定まる、と言われますように、先生のご功績の甚大さには枚挙の遑もなく、改めて先生の偉大さを偲びたいと思います。
先生は、昭和49年から58年までの10年間、防府市バスケットボール協会の理事長として、重責を果たされました。その間の特筆すべき一つとして、バスケットボール振興と競技力の向上のために、ポートボールと小学生のミニバスケットボールの普及・浸透にご尽力されたことが挙がります。ゴールリンクがなくてもゲームのできるポートボールは、小学校の体育や防府市内子供会の冬季スポーツ大会として継承されています。ポートボールやミニバスケットボールの浸透・拡大によりバスケットボール人口の裾野が広がりました。興味関心を示す児童生徒が一人でも増えていくことは、将来のスポーツ愛好者の増大につながり、バスケットボール競技の発展に寄与することになると力説されておられました。スポーツ教室の開催をはじめとして、ミニバスケットボールの指導者の養成、チームや関係する組織の立ちあげ、中学校・高等学校の部活動・市民オープン大会の運営等々、数々のご実績は偉大な足跡として今日まで脈々と受け継がれてきております。
先生は、防府市立華西中学校で10年間、桑山中学校で9年間、保健体育の教員として、また男子バスケットボール部顧問として、その卓越した指導力で一人ひとりの潜在能力を引き出し、多くの生徒の運動能力を伸ばしてくださいました。
先生ご自身は、山口県教員団の国体選手の一人として、時間を作り出しては体育館でお一人、黙々とひとりシュートの練習に取り組まれておられました。そのお姿は、今でも脳裏に焼き付いております。ゴールリングを狙ってボールを放つその瞬間の先生の眼差しには情熱・芯の強さ・希望・優しさなどが入り交じっていたように感じられ、とても印象的でした。
その後、山口県教育庁指導主事、防府市教育委員会学校教育課長を経て、防府市立桑山中学校校長として定年退職されるまで、熱い情熱を教育一筋に捧げられてこられました。
教え子の多くは、練習中に先生の厳しい眼差し一身に浴び、練習後の優しい眼差しと微笑みによって、先生が描かれたように終生に亘りスポーツを愛し、バスケットボールを楽しむ生活を満喫しております。先生の播かれた種は、将来さらに多方面で開花し、実を結ぶに違いないと確信いたしております。
先生と一緒に共有できた時間と数多くの思い出を大切にし、先生のご期待に応えるべく、バスケットボール協会の発展に努め精進してまいりたいと思います。どうか、これからもずっとこれまでと同様にバスケットボールを愛してやまない私たちと山口県バスケットボール協会、防府市バスケットボール協会の発展をお見守りください。
心より先生のご冥福をお祈りいたします。岩崎克之助先生 これまで本当にありがとうございました。
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岩崎先生と過ごした日々の中で
桑山中学校バスケット部OB 神崎 泰宏
○出会い ~ほめて個性を伸ばす~
兄の影響もあって、桑山中入学と同時にバスケット部に入りました。背が低く、運動能力に乏しい私は、いつも周りを見上げながらも、上手くなりたいという一心で来る日も来る日も練習に励みました。そんな私のやる気のスイッチが入ったきっかけは、「おまえはここがすばらしいんだ。」とみんなの前でほめられたことです。なぜかその気になってくるから不思議です。シュートが下手な私は、ドリブルとパスに活路を見いだしました。運動能力の低さは、相手の「動きをよむ」ことで補いました。「先生にほめられたい・・・。」これは当時のバスケット部員全員が心の中で、ひそかに思っていたことです。
先生の方針は、身長でポジションを決めるのではなく、全員が同じメニューの練習をすることです。背が高くてもドリブルがうまい、背が低くてもポストプレーができるプレーヤーが自然と育っていったのです。そんな目に見えない競争の中で、ライバル心が芽生え、個性が生かされ、さらに伸ばされていきました。
○指導の厳しさとバスケットの魅力 ~先輩をこえる、まねして覚える~
気持ちの入ったいいプレーには最大限の賛辞が贈られ、怠慢プレーにはとても厳しい檄がとびます。ルーズボールに必死にとびつくといった「ボールに対する執着心」が大切なのだと、記録には残らないプレーの中にたくさんのナイスプレーがあることなど、身をもって教えられました。今考えてみるとバスケットに必要な技術、精神力、体力が見事なバランスで鍛え上げられていったのでした。当時は練習中に水も飲めないし、休みもほとんどない環境でしたが、たまの休日でさえも、気がつけば仲間とともに外のコートでシュート練習をするほどバスケットが大好きになっていたのでした。
毎年、1月1日に体育館に現役、OBが集まって学年毎にチームを作って試合をする「正月試合」が行われました。負けた学年は先生のご自宅で奥様が作られた、あつあつのうどんをごちそうになって帰るのです。いつも温かく応援して下さる奥さんの存在は私たちの大きな心の支えでした。この試合では、先輩のかっこいいプレーに肌で触れ、また先輩のチームに勝つことが自信になり、さらに高いレベルを目指すようになったものです。
○指導者として ~基本に始まり、基本に返る~
私が中学教員になって、指導者としてスタートしてからも先生はやはり目標であり続けました。先生と過ごした日々の中で一番感じた事は、「何事もごまかしはいけない。」のひと言に尽きるのではないでしょうか。その意味するところは「本当の技術も精神力も「本物」を身につけるには時間がかかるし、なかなか結果がでないものだ。目先の結果にとらわれることなく、たとえ長い時間がかかっても信念をもって継続して指導し続けることが大切だ。」ということです。
いつも「心に汗を、頭に汗を、体に汗を」かく練習が良いと言われていました。私が肝に銘じている言葉です。また、まずは指導者の燃えるような情熱があってこそ、生徒が夢中になり、感動のあるドラマが生まれるということ。そのことを証明するように、先生の教え子の共通点は誰もがバスケットが大好きになったこと、いや好きにさせられたこと・・・毎年正月に開かれるOB会では、50歳前後のメンバーで試合ができるぐらいまだまだ現役でプレーしているのです。この年になってもやめられないぐらい大好きなのです。先生に出会わなかったら、きっと違った人生になっていたと思います。
振り返ってみると、大切なことは全てコートの中から学んだように思います。だからバスケットは人生そのものです。これからもバスケットの奥深い魅力を堪能するまでは、現役プレーヤーとして、夢の全国制覇を目指して走り続けることでしょう。我々は近い将来、必ず全国大会の決勝の舞台に立ち、自分たちの持ち味を思う存分発揮し、とことん楽しんでプレーする姿を見せたいと思います。
ただ・・・一度でいいから、先生を全国大会の優勝監督にしたかったなあ・・・