バスケの島
(52号 2015年12月21日)
日本海に浮かんでいるこの島は「萩大島」です。萩港から定期船で25分、前から見ると長方形をしたその島に船は着きます。本当は円形で上から見ると中央の殆どは農地です。主力の産業はもちろんまき網船団や潜水漁などの漁業と台地での農業です。学校や体育館も新築されており、集団宿泊施設もあります。現在人口800名余、児童数30名ぐらいのこの島こそバスケのゆりかごの様なところです。私も長い間気になっておりましたが、この度、第23回冬季交歓会萩大会に参加することになり、この機会にと前日島を訪問しました。
島では25年前にミニバスを立ち上げた長岡さんや現在の指導者の方々とお会いすることができ、いろいろ興味深いお話を聞くことができました。
「この島の80才以下の男の半数はバスケの経験者です。」と最初に教えていただきびっくりです。それにはわけがあって、何十年も前に大島中学校に赴任してきた先生がバスケットボールの指導に熱心に取り組み、とても強いチームがあったそうです。その最初の種が蒔かれてから今日までその芽は育ってきているのです。萩大会に来賓として来られた野村市長さんも学生時代は大島にはかなわなかったと言っておられました。
平成2年、バスケの経験者である長岡さんを中心とした地区の人達が子供たちにバスケをとチームを立ち上げます。当時、男子にはソフトボールもありそれと競合してしまいます。親同士の問題、他の団体との問題もあってなかなかスムーズにことは運びませんでした。(そのことに関しては長岡さんも詳しく話されませんでした。)とうとう活動を停止してしまい、しばらく間を置いてひとつ若い世代の親たちがまたミニバスを再び始めます。大人はみんなバスケの楽しさを覚えていて、それを子供たちに伝えたいと望んでいます。やっと軌道に乗り始めますが、何と言っても問題は選手の数の少なさと練習相手がいないことでありました。しかし、練習相手については少しずつ交流の輪が広がり、大島に合宿を兼ねて訪問するチームが出てくるようになります。夏には昼間は練習・試合、夜は大人の交歓会となかなか充実しているようです。
最近では児童数も少なくなり、チーム員は2~6年生全員で11名とギリギリの状態を保っています。練習は週3日、指導者が漁に出ていないときは母親たちが代わりを務めます。今島全体がバスケで盛り上がり、船に乗っている時もミニバスの話題が出たりしているそうです。練習日には子供の数よりも大人の方が多いことがよくあります。
島だから簡単にチームができて、運営もスムーズに行ったと思いがちですが、どこにでもあるような問題を乗り越え、後を引き継ぐ人たちが次々と現れて現在に至っています。
さて、昨日の冬季交歓会の結果はどうだったでしょうか。決勝に進んだチームにはどこよりも多い応援団が来ています。ゲームは2・3点を争う拮抗したゲームでみんな熱い声援を送っています。夏の大会で見た時は、2名の6年生だけが目立っていましたが、今回は違います。コート上のどの子もしっかりゲームに参加をしています。これは他のチームにも言えます。マンツーマンディフェンスのお陰で全てのプレーヤーが自分の役割を果たすことが求められています。これは大きな効果だと感じました。
最後は萩大島が競り勝って23回の萩大会で初優勝となりました
(52号 2015年12月21日)
日本海に浮かんでいるこの島は「萩大島」です。萩港から定期船で25分、前から見ると長方形をしたその島に船は着きます。本当は円形で上から見ると中央の殆どは農地です。主力の産業はもちろんまき網船団や潜水漁などの漁業と台地での農業です。学校や体育館も新築されており、集団宿泊施設もあります。現在人口800名余、児童数30名ぐらいのこの島こそバスケのゆりかごの様なところです。私も長い間気になっておりましたが、この度、第23回冬季交歓会萩大会に参加することになり、この機会にと前日島を訪問しました。
島では25年前にミニバスを立ち上げた長岡さんや現在の指導者の方々とお会いすることができ、いろいろ興味深いお話を聞くことができました。
「この島の80才以下の男の半数はバスケの経験者です。」と最初に教えていただきびっくりです。それにはわけがあって、何十年も前に大島中学校に赴任してきた先生がバスケットボールの指導に熱心に取り組み、とても強いチームがあったそうです。その最初の種が蒔かれてから今日までその芽は育ってきているのです。萩大会に来賓として来られた野村市長さんも学生時代は大島にはかなわなかったと言っておられました。
平成2年、バスケの経験者である長岡さんを中心とした地区の人達が子供たちにバスケをとチームを立ち上げます。当時、男子にはソフトボールもありそれと競合してしまいます。親同士の問題、他の団体との問題もあってなかなかスムーズにことは運びませんでした。(そのことに関しては長岡さんも詳しく話されませんでした。)とうとう活動を停止してしまい、しばらく間を置いてひとつ若い世代の親たちがまたミニバスを再び始めます。大人はみんなバスケの楽しさを覚えていて、それを子供たちに伝えたいと望んでいます。やっと軌道に乗り始めますが、何と言っても問題は選手の数の少なさと練習相手がいないことでありました。しかし、練習相手については少しずつ交流の輪が広がり、大島に合宿を兼ねて訪問するチームが出てくるようになります。夏には昼間は練習・試合、夜は大人の交歓会となかなか充実しているようです。
最近では児童数も少なくなり、チーム員は2~6年生全員で11名とギリギリの状態を保っています。練習は週3日、指導者が漁に出ていないときは母親たちが代わりを務めます。今島全体がバスケで盛り上がり、船に乗っている時もミニバスの話題が出たりしているそうです。練習日には子供の数よりも大人の方が多いことがよくあります。
島だから簡単にチームができて、運営もスムーズに行ったと思いがちですが、どこにでもあるような問題を乗り越え、後を引き継ぐ人たちが次々と現れて現在に至っています。
さて、昨日の冬季交歓会の結果はどうだったでしょうか。決勝に進んだチームにはどこよりも多い応援団が来ています。ゲームは2・3点を争う拮抗したゲームでみんな熱い声援を送っています。夏の大会で見た時は、2名の6年生だけが目立っていましたが、今回は違います。コート上のどの子もしっかりゲームに参加をしています。これは他のチームにも言えます。マンツーマンディフェンスのお陰で全てのプレーヤーが自分の役割を果たすことが求められています。これは大きな効果だと感じました。
最後は萩大島が競り勝って23回の萩大会で初優勝となりました