yabanjin-soulのTシャツ魂

ロック魂を手描きで表現するyabanjin-soulのたわごと・ひとりごと

順調、順調。

2014年02月04日 | アートイラスト

まだまだ終わりじゃないけれど、

順調に進んでおります。

ジョンの顔は、デッサンだけだけど、中学時代から描いてきてるんで、

しかも、この時期のジョンばかり描いてるんで

もう何も見なくてもある程度描けちゃうんだよね。

まだ、もうちょいおかしなところがあるんで

そこらへんを修正するために

ときどきジョンの顔を確認しながら進めております。

あともう少しかかりそうだ。

がんばります。

Photo

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9 コメント

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みかん。さん、こんばんは。 (fu-taro)
2014-02-12 22:59:28
みかん。さん、こんばんは。

みかん。さんの名前は単なる「みかん」さんではなく、
句点が最後についてたんですね。
今まで気がつかなくてすみませんでした!

ところで、

精神的にも単なる未熟者というのはわたくしめもそうでございますよ(笑)

ボク自身、
インドの思想(アーユルヴェーダ)ですごく影響を受けた考え方があってですね、
それは「長所は短所にもなり、短所は長所にもなる。」というものです。

つまり
「持っている自分自身の本来の性質を発揮すべき時と場所を間違えなければOKで、それが『長所』と呼ばれているものなんだ。別に短所だからといってその性質を否定し、なくそうとする必要はなく、発揮すべき時と場所を間違えないようにすれば良いだけなんだ」
という考え方です。

そうとう開き直った考え方で、ちょっとびっくりしましたが(笑)、

それまで自分自身の短所を克服しようとしてもなかなかできなかった理由がよく理解でき、

なおかつ、そのおかげで自分自身の短所だった部分も長所として認めることが出来て

生きていくのもすごく楽になったように感じましたね。

だから、ほかの人の性質に対しても割りと肯定的に受け止めるようになっているので

ついつい良い方向で形容してしまうのかもしれません。

ですので、こそばゆいかもしれませんが

ときどきこうやって褒め称えることもあるかもしれませんので
そのときはご容赦くださいな。

こちらこそ、いつもコメントを残してくださるみかん。さんには感謝しっぱなしなんですよ。

あらためてありがとうございます!
返信する
こんばんは~ (みかん。)
2014-02-12 21:32:09
こんばんは~
本当にお詳しいのですね!色々と教えて頂きありがとうございましたm--m

なるほど、自分が最大限努力した上で、コントロールできない部分で神に祈るという事すか。
ただ、その「神」に何も力がない場合は、祈りが叶わないって事にも通じるなあとふと思いました。
なんていうか、やっぱり、「神」という存在にすがる・頼るのではなく、自分を強くしていける宗教がいいなって。宗教は、どこまでいっても人間のためのものなので、その人がその信仰でよりよく人間革命していけるものが理想っす。

ちなみに自分は多神教ではないと自覚してますが、いわゆる日本の多くの仏教にはあまり理解を示していません^^;
日本の仏教といえど、似て非なるもの?・・・・自分が理解と学びと実践に対して求道心があるのは、そんな宗教かもしれません。と、ここではかなり抽象的な表現にとどめます(笑)

ところで、「日常生活は~~~」のくだりっすけど、
私は子供の頃からふにゃふにゃの地球軸のわがままな未熟者でして、自分には苦労が必要だ!という気持ちが3年ほど前から強くなって、それでアルバイト始めたくらいの人間でして・・・、そんな自分を変えたいとモヤモヤもしていて、バイトを含めて新たに複数の事にチャレンジし始めて、その頃から、ああ、こうして日常生活を真剣に営んでいくってことは、毎日何かしらのほんのちょっとの勇気を要するものでもあったんだなあと、当たり前の事を、しみじみ実感した次第です・・・。

そうそう、いつもフ―タローさんはみかん。を良く形容して下さいますが、精神的にも子供で単なる未熟者ですし、尊敬されたり褒められるような人間じゃないんすよ~~(笑)まあ、だからといって自分を卑下している訳では全然なくて、マイナスな自分も普通に認めているすんけどね。
なので、どうかお気遣いなくです!

あと、お忙しい中いつも私のコメントや質問に詳しく誠実にお返事下さり、本当にありがとうございます!それだけで感謝感激っす☆
返信する
みかんさん、こんばんは。 (fu-taro)
2014-02-11 01:25:39
みかんさん、こんばんは。

『日常生活は、ほんのちょっとの勇気の連続』

↑いや~、素晴らしい!こういう考え方に到達できてるみかんさんは本当にすごいですね!

キリスト教に関してですが、
(もちろん、ボク自身そんなに詳しいわけではないですが・・・。)

その元になっているユダヤ教があのあたりの地域ではものすごく古い一神教の系譜で
まあ、その分ずいぶんいろいろと預言者によって枝分かれしているようですが
それらはすべて同じ神『全能の神ヤーウェ』をあがめています。
その中にイスラム教やキリスト教が含まれてるといった感じです。

イエスの弟子達はイエスの思想を広めるにあたってユダヤ教以外の人々にも広めようとして、
(なぜならユダヤ教からは異端としてずいぶん迫害されたので)
救うのはユダヤ人だけでなくそうでない人々にも拡大解釈できるようにしたと思われます。
それが「イエスは人類のもつ根源的な罪(原罪)をつぐなうために人類の代表として処刑された。将来、イエスは人類を本当の楽園に導くために再び復活するだろう」という考え方です。

だから、キリスト教だけでなく、
そのあたりの一神教のもつ、この世を支配している『全能の神』というものがいる時点で、
みかんさんが看破しているようにある意味「他力本願」だといえます。

でも、個人的な見解ですが、
仏教での「他力本願」とは少し違ってて、
彼らが神に祈るときは「人事をつくして天命をまつ」というようなイメージを持っています。
つまり、自分がやれるだけのことは、とにかくしっかりとやりつくして
それ以外の自分がコントロールできない部分を神に祈る、というイメージです。

みかんさんの「自力本願」的な考え方は
多神教ならではの考え方だと思います。
これは日本はもちろん、仏教の生まれたインドもそうですし、アジアでよくみられる思想です。

どちらが良い、悪いとは言えませんが
ボク自身も「どんなものにも神は宿る」という意味での多神教的な考え方が好みですね。

特に日本ではそういう神々が現代では「妖怪」として生き残っているのでは・・・と考えており、
それはそれですごく微笑ましくも感じてます。

日本古来の古神道(近代の国家神道とは全く別物ですが)は人、間だけではなく古くからある大樹や大きな岩、大いなる山(富士山だけではなく)、台風、へび、長生きした動物、古道具等、人知の及ばないものすべてに神が宿っているという考え方がルーツになっているようです。

まあ、なんだかまとまんない話になってしまいましたが・・・(苦笑)

とにかく、「自分自身で自分自身の人生を切り開いていく!」という決意をもった生き方をしようとしているみかんさんには
すごく尊敬の念を感じますし、
ボク自身も困難にめげずにがんばって生きていこうと
とても励みになります!
返信する
あ、何度もすみません(汗) (みかん。)
2014-02-09 22:56:16
あ、何度もすみません(汗)
書き忘れてました。
なんとなくっすけど、キリスト教には他力本願なイメージがあります・・・
(誤認識かもですけど)
まあそれは、日本の神社も他力本願のメッカですけれども。

うまく言えなくて難しいんすけど、
困難な状況に自分が置かれたとして、自分がキリスト教の信者ならきっと「神様、どうか救って下さい」と祈ると思うんすけど、キリスト教信者ではないし他力本願が苦手な私は、「自力で乗り越えていける自分にさせて下さい」とか「自分の中の力を最大限発揮できる自分にさせて下さい」と祈りたいし、「必ず乗り越えます」と決意もしたいです。

つまり、自分の中の力と可能性を最大限に引き出せるような祈りをしたいなと。そして行動したいなと。

神様お願い!だと、神様にしか救えないって事っすから、なんか納得いかないんす。

さっきのコメにも書いたんすけど、人間一人ひとりの生命の中にこそ、最大の力と可能性を持っていると考えているので、どういう難しい状況の中でも、救うのは、「自分」。神様なんかじゃなく。
自分自身が主体となって困難を乗り越えていく生き方に憧れますし、目標です。
(一人一人に限って言えば、結局、困難・苦難に負けない自分自身になる事が幸福とも言えると思っています)

・・・て、またまた長々と、何の話だよって内容を、すみませんでした!(汗)
返信する
こんばんは。 (みかん。)
2014-02-09 22:18:06
こんばんは。
キリスト教についての詳しいご説明ありがとうございましたm--m
キリストは人間で、神と祭り上げたのは弟子達である---なるほどですね・・。

キリスト自身は「ユダヤ教の改革」なのに、弟子たちが「キリストが人類を救う」と広く定義?したのは、どういう事なんでしょうね。
てか、何をもって「キリストが人類を救う」なのか、よくわかんないみたいな。
(「救う・救済」の定義がわからない)

ちなみに、私自身は、人間は一人一人特別で素晴らしい存在であると普通に思ってます。
人間の生命には、限りない可能性と仏性が具わっていると。
そして、自分が本気で変わりたいと願い、行動すれば、細胞と同じように(?)命も生まれ変われる(←蘇生されるとか、新しい息吹で躍動するという意味)と思ってます。

一人一人人間が、自分の生命をよりよく変え、たとえ理不尽な苦難(宿業とも言いますよね?)にも負けない強さを持てるようになるのが理想です。
人生何もない(無難、安穏そのものな)のが幸せなのじゃなくて、色んな悩みや課題や苦難もあるけど、結局それらに負けず乗り越えていける自分自身になるのがベストであり、皆そういう自分自身になれる素質を生まれながらにして持っていると考えてます。
でも、普段ちょっと忘れてしまって、なかなか自分の生命の底にある力(わかりやすく言うと、「勇気」)を出せずにいる時もある。
自分は、いざという時にその底力を出せる人間になりたいので、日常生活の中で、ちっこい勇気を出す癖をつけている、みたいな。
「日常生活はほんのちょっとの勇気の連続」だと思っています。

・・・て、何の話だよって感じですよね^^;すみません!
返信する
こんばんは、みかんさん。 (fu-taro)
2014-02-07 23:59:19
こんばんは、みかんさん。

「食いついちゃう」なんてそんな風に思わなくて全然大丈夫ですよ。

キリストに関してですが、
とりあえず現在のキリスト教信者の解釈では
「イエスは人類の原罪を償うために十字架にかけられた」となっているとおもいます。
原罪というのは「アダムが神との約束に背いた罪」ということで
その後のアダムの子孫である人類はすべて生まれながらに背負う罪です。

ボク自身の解釈では
イエス・キリストはユダヤ教の改革者に過ぎない存在だったのが
十字架刑により、弟子達が「救い主(メシア)」と解釈して
人々に広め現在に至っているという認識ですね。

イエス・キリストが十字架にかけられ
まさに絶命するというときに
「おお、神よ!なぜ我を見捨てたもうか?」と叫んだと新約聖書の中に記載されているので
きっと彼自身は神にとって特別な存在だろうと信じて奇跡が起きると信じていたんだろうとは思いますが
結局、奇跡は起きなかったんですよね。

人間というのは、やっぱり一人ひとりは自分のことを「特別な存在」と認識していると思うので
キリストは人間なのか?という問いにはやはり「彼は人間でした」という答になるし、
死んでから神になったのか?という問いには「弟子達が神として祭りあげた」という答が正解だと考えます。

つまるところ、「人類の救済者」のカテゴリーは弟子達が行い、
イエス・キリスト自身は「ユダヤ教の改革者」という認識だけだったんじゃないかと考えています。


返信する
こんにちは! (みかん。)
2014-02-07 13:32:24
こんにちは!
何度見ても、このジョンの顔にゾクゾクします><
ついでに、オアシス「i am the walrus」のイントロ部分の、音合わせ的なギターの音にも日常的にゾクゾクしてます!(始まるよ始まるよーーーって感じが凄くして、うおーってなります・アホ)
余談はさておき、いや~本当に、こんな絵が描けるfu-taroさん、凄いっすよね!
それこそ、神!みたいな。


キリストとこの頃のジョンは、確かにルックスがカブりますね(笑)
「自分以外の誰かのために自分の命を投げ出す」・・・と、ジョンに対して思った事はないっすけど、そういう風に感じるfu-taroさんもまた凄いっすね。

ところで、キリストって人類のために犠牲になったんでしたっけ。
私、キリストの事何にも知らないので^^;
ん?キリストは、人間なのですか?
死んでから、神になったのですか?(神として崇め奉られた的な?)

あ、なんか食いついちゃってすみません^^;
返信する
みかんさん、こんばんは! (fu-taro)
2014-02-06 00:13:08
みかんさん、こんばんは!

コメントありがとうございます。

イエス・キリストの顔って絵や銅像でしか見たことがないけど
ジョンはすごく彼に似ている気がするんですよね。
もちろん、イメージでしかないですが。

ボク自身は信仰心なんて持ち合わせてはいないんだけど
「自分以外の誰かのために自分の命を投げ出す」という生き方には一種の感動を覚えます。

ジョン本人は別にそんなつもりはなかったんだろうけど
ジョンの人生もそうだったような気がするんですよね。

たぶん、そういう気持ちが絵に表れているんだと思います。

PS.
もちろん、イエスキリスト自身ももしかしたらそんな風には思ってなかったかもしれないですよ。
人類のために犠牲になったというのは弟子が広めた考え方ですからねえ。(笑)
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こんばんは。 (みかん。)
2014-02-05 22:03:20
こんばんは。

このジョンの顔、すっげー!
すっげーゾクゾクきました!
目が覚めちゃいました!
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