とこのへや

とこの雑貨と、とこのお洒落着。とこは樺太に住んでいたことがあります。とこの嫁の体験談、日記、備忘など。

津波の後の

2019-07-29 23:28:00 | 旅行
先日帰省した折、夫も同行してるので、海に連れて行ってあげたくて、ローカル線を乗り継いで、種差海岸へ行くことにした。

うっかり直行ではない電車に乗ってしまい、前日父から「観光客には不便なだけ」と聞いたのに、まさかその電車に乗ってしまうとは!

自分も落ち込んだが夫の不興も買い、泣き面に蜂だが、気を取り直して。
乗り換えのその駅は、「鮫」という名だ。
駅から港の岸壁も見える。
改札で乗り継ぎで、と一言言うだけで、待合室に通してもらえて、20分ほど待つことに。
待合室から出て、外見をパシャリ、自由に散策。小さな駅前のロータリーには、バスも入れないので、駅のバス停は20メートルほど離れた、歩道も狭いふつうの民家前にある。

ちょっと歩けば、ウミネコの繁殖で有名な蕪島があるし、足を伸ばせばマリエントなる水産科学館や遊覧船乗り場がある。

蕪島は前回行ったから、今回は種差海岸の散策と、美味しいと聞いた波光食堂が目当て。鮫駅を後にし、種差海岸駅で降りると、鮫駅よりさらに簡素な造りの駅舎にノスタルジーを感じつつ、もう坂道の向こう、青い海が広がってることに気分を良くして歩き始める。ロータリーは鮫駅より広々している。ロータリーの隅に土地が空いているので、あそこに小さな家を建てさせてもらったら駅前だよなんて笑う。
一緒の電車から降りた他の観光客達の多くが、どうやら韓国からの旅行客のよう。駅前のバス停からワンコインバスに乗って行ったが、帰る時間は多分一緒になるだろう。電車がかぎられてるから。

種差海岸は天然芝の国立公園となっている。だだっ広い、なだらかな芝生の所々に岩が突き出ている。急激に落ち込んだ先は岩に囲まれた狭い磯。降りて行くこともできるが、磯遊びするには少し怖い。

天然芝の上をゆっくり、東屋へ向かって登って行くと、風はささやかで暑いくらい。こんなに風がないのは、珍しいのではないか? 何度か遠足やら花火大会やらで来たことがあるが、こんなに穏やかだった記憶はとんとない。

バス通りを挟んで、休憩所があり、駐車場やトイレが整備されている。これも津波の被害の後の復興で、こんなに洒落た場所になったなぁと、以前の少し寂れた様子からの脱却に、自分の中にこんなに冷めた気持ちがあるのかと空恐ろしい気もした。

波光食堂では美味しくウニ丼や磯ラーメン、刺し盛り定食をいただき、大満足。
帰りはワンコインバスで鮫駅まで戻ることにした。バスはクルクルと方向を変えながら海岸線を進み、ふと左折したと思うと踏切を超え、電車沿線では通らないホテルなどの施設の前を通っては、また海岸線に戻るのだった。そんなバスからの景色は少し楽しかった。






鮫駅からは、思った通り、行きの時の旅行客達と一緒になった。
この後は新幹線の発着駅まで戻るのみ。途中、前日に寄った実家がチラリと見えるところを過ぎると、あっという間に終着駅である。

帰宅して翌日、家のパソコンで、鮫 被害 津波などのキーワードで検索すると、八戸市の記録というPDFが見られた。
自分の見知った土地が、そして先日見たあの駅が、以前あった原形をとどめている、とどめていない部分全て包含して、どんなふうに波に蹂躙され、それを人々が見ていて、波が引いた後、粛々とがれきを撤去したのか、そのPDFは画像と数行のキャプチャのみを載せている。

鮫駅にこれを展示しておいたらいいのにな。20分の待ち時間の間に見る人も居るだろう。

写真が今の鮫駅だが、大きく口を開けた鮫のオブジェは、とある団体からの寄付だそうだ。駅舎側の近代的なトイレもね。
鮫駅と言えば、私にとっては市場がある駅で、いつも魚臭い、多少大きいけど何もない暗い駅、というイメージだった。市場は今も岸壁沿いにあるのだが、臭いは全くない。駅舎も豪華絢爛じゃないけど綺麗になってる。この大きく口を開けた鮫は実にあっけらかんとしていて、ここに似合っている。

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