
さだまさし作詞(詩)・作曲、「フレディもしくは三教街~ロシア租界にて~」は1975年発売の「グレープ」時代のアルバム『コミュニケーション』に収録されている楽曲。
また、1986年発表のセルフカバーアルバム「帰郷(ききょう)」にも収録されている。
有名な話ではあるが、この曲の原題は「フレディ」というものだったが、川又ディレクターが電話で確認した際、さだが「”フレディ”もしくは”三教街”にしようと思う」と答えたのを川又が”フレディもしくは三教街”と聞き違え、ミスのままタイトルがクレジットされてしまったという経緯がある。
歌詞(詩)の背景は・・・
さだまさし氏の母、喜代子さんは、女学校を卒業後、中国で貿易の仕事についていたお兄さんを頼って、三年間、漢口(現在の武漢)に行き、海軍の代行機関でタイピスト兼秘書を務めたことがありました。(武漢と言えば、例の「武漢ウイルス(新型コロナウイルス)」が最初に確認されたところだ。)
会社までの道のり、三教街(ロシア租界=居留地)の北欧風の町並みを抜け、フランス租界、ドイツ租界へと毎日歩きながら、街角のレストランのおしゃれな店構えに感心したり、ヘーゼルウッドのケーキやアイスクリームを味わい、 花屋のウィンドウから立ち上る薔薇の香りにときめいたり。
そしてあるとき、ドイツ青年に出会い、 淡い恋心をいだいたこともあったそうです。しかし、戦争が激しくなり、爆撃で ドイツ租界があとかたもなく壊されると同時に、その青年の姿も見ることができなくなってしまった。
喜代子さんの自伝的著書「永き旋律 さだ家の母と子供たち 」の、「動乱期の青春」の中に書かれている。
そうした、喜代子さんの青春の一ページを、さだまさしさんなりに創作して生まれたのがこの曲とのこと。
「フレディもしくは三教街~ロシア租界にて~」
でも、お母様の著書は知りませんでした。早速買って読みます。
嬉しい発見で、思わずコメントしちゃいました♪
コメントありがとうございます。
私も〇十年来のファンです。
知識も豊富で、また話が上手く面白いですよね。
「永き旋律」是非どうぞお読みになってください。