晴れた休日は自転車に乗って! (akio)

古希も過ぎた爺の「気楽な自転車散歩」やチョット頑張った「サイクリング」の備忘録(ボケ防止かな?)

鳥辺野/さだまさし(2024/6/29)

2024-06-29 20:40:26 | 音楽

鳥辺野」は、さだまさしが1981年6月に発表したアルバム「うつろひ」に収録されている楽曲。(作詞・作曲:さだまさし 編曲:服部克久)

恋の破局を描いた曲。今「鳥辺野(鳥辺山とも言う)」と呼ばれる地は東山通五条東の大谷祖廟界隈を指すが、古くは頂上に豊国廟がある阿弥陀ヶ峰の北西一帯を「鳥辺野」、南西一帯を「鳥戸野」、さら双方を合わせて「鳥部野」と呼んでいた。かつて鴨川の東は人が住む場所ではなく、そこに位置する鳥辺野は葬送地の一つであった。さだの解説によれば本作は今熊野・剣神社から御寺泉涌寺の間の、距離にして700メートル足らずの山道を歌っている。この山道は阿弥陀ヶ峰より南西に位置しているため「鳥辺野」の表記は間違っており「鳥戸野」(あるいは「鳥部野」)とするのが正しい。なお山道の中間には一条天皇皇后定子・鳥戸野陵(藤原定子陵)がある。
鎌倉末期の随筆家、吉田兼好(本名卜部兼好)法師は、『徒然草』第七段の中で「あだし野の露消ゆる時なく、鳥部山の烟(けぶり)立ち去らでのみ住果つる習ひならば、いかにもののあはれもなからむ。世は定めなきこそいみじけれ」(意味:化野の露が儚く消え、また鳥部山の煙が忽ち消えるように人の命が尽きてしまわず、永久に続くのが世の決まりならば、しみじみとした趣など無いことだろう。この世は無常であることこそ素晴らしいのだ)と記した。平安期の都では、人が死ぬと遺体を埋葬せず山野に投棄し、そのまま朽ちるに任せる「風葬」が主流で、鳥が遺体を啄んで処理するので「鳥葬」とも呼ばれた。これはそんな葬送地の中で最大だった鳥部野を晩秋に歩く様子を描いた作品である。後にも「鳥辺山心中」(『さよなら にっぽん』収録)という楽曲が作られている。舞台は文京区湯島だが、打ち捨てられた愛の骸を鳩が啄むという同様の設定が「檸檬」で使われている。また、化野(あだしの)については「春告鳥」(『夢供養』収録)で歌っている。

 

寂しいからとそれだけで来るはずもない 鳥辺野
山道をゆけば 散り急ぐ様に
遠近に寒椿の紅 道を照らす春まだき
風景自身が 淋しがってるから
ひとこまに身を置いただけで 自分が救われる
風はさや 風はさやさや
竹はゆら 竹はゆらゆら
振り返るより速く あなたは立ち去っていた
人の心移ろい易く その傷癒え難く

鳥辺野/さだまさし



今日は、日が出ないうちに、巨大化した「トキワマンサク」の剪定(適用に刈るだけ)をした。

枝等を小さくカット。

太陽が顔を出したので乾かして袋詰め、ゴミ袋(大)2個に何とか収まった。

明日は、午後から「」らしいので、午前中は「芝刈り」かも・・・

コメント (4)
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