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本日、9月30日のみ運転の快速「一村一山」号です。運転区間は上野-土合間です。
土合まで営業したあとは石打まで回送されるようなので、いっそのこと越後湯沢行きにすればいいのに。

(上野駅15番線にて)


(夜行急行「能登」と並ぶ快速「一村一山」号)

行き先はなんと土合。

朝6:25、さっそうと上野駅を出発していきました。
この後このホームには、一晩かけてはるばる仙台から回送されてくる特急あいづ号が入線します。
このあと入線する特急あいづの写真はここをクリック(該当ページへとびます)
土合まで営業したあとは石打まで回送されるようなので、いっそのこと越後湯沢行きにすればいいのに。

(上野駅15番線にて)


(夜行急行「能登」と並ぶ快速「一村一山」号)

行き先はなんと土合。


朝6:25、さっそうと上野駅を出発していきました。
この後このホームには、一晩かけてはるばる仙台から回送されてくる特急あいづ号が入線します。


GWや夏に、上野-中軽井沢間で運転されていた季節特急そよかぜです。
他に季節特急には上野-万座・鹿沢口間の「白根」やスキー特急「新雪」(上野-石打間)がありました。

新潟行き特急ときと並ぶそよかぜ。「そよかぜ」も「とき」も廃止になってしまいました。特急黄金期の上野駅にて。

常磐線特急「ひたち」と並ぶ「そよかぜ」
のと西岸駅です。交換可能駅で、写真を撮影する直前にも列車交換が行われていました。道路沿いなので車からもアクセスしやすいです。

ホーム側から駅舎を見る。

穴水方面を見る。ホームに比べて結構長い編成の列車が交換できる。長編成の優等列車の交換もできそうだ。こないだろうけど。

和倉温泉方面を見る。

ホーム側から駅舎を見る。

穴水方面を見る。ホームに比べて結構長い編成の列車が交換できる。長編成の優等列車の交換もできそうだ。こないだろうけど。

和倉温泉方面を見る。
のと鉄道穴水駅です。かつてはこの駅で輪島方面と珠洲方面の路線が分岐していましたが、まずは輪島方面が廃止になり、そして珠洲方面も廃止になりました。

穴水駅で発車待ちの列車を改札口越しに見る。


穴水駅全景。新旧車両が揃う。

2本の線路が途切れている。左は輪島へ、右は蛸島へ続いていた。

穴水駅で発車待ちの列車を改札口越しに見る。


穴水駅全景。新旧車両が揃う。

2本の線路が途切れている。左は輪島へ、右は蛸島へ続いていた。
先日金沢旅行に行った際、上越新幹線&はくたかを利用しました。ところが復路では、和倉温泉始発のはくたか19号が七尾線内で車両故障を起こしたため、やってきたのはボンネット型の旧車両。思わず写真に収めました。
車両が旧型なことと、青海川付近の濃霧のため、越後湯沢には7分遅れ。編成が違うので9号車以外の乗客は指定券に印字されている座席と、実際に乗車する車両が入れ替えとなり大変そうでした。結局、接続の上越新幹線ときの東京到着も7分遅れとなりました。
石川県の七尾線内の車両故障で、遠くはなれた東京駅の上越新幹線到着におくれがでるんですなぁ。

こちらは、上野発着国鉄時代のはくたか号

現役はくたか号。往路はこの車両でした。
車両が旧型なことと、青海川付近の濃霧のため、越後湯沢には7分遅れ。編成が違うので9号車以外の乗客は指定券に印字されている座席と、実際に乗車する車両が入れ替えとなり大変そうでした。結局、接続の上越新幹線ときの東京到着も7分遅れとなりました。
石川県の七尾線内の車両故障で、遠くはなれた東京駅の上越新幹線到着におくれがでるんですなぁ。


こちらは、上野発着国鉄時代のはくたか号

現役はくたか号。往路はこの車両でした。
能登線の終点蛸島駅です。金沢からだとかなり遠いです。自動車で珠洲道路経由で100km/hで飛ばしてもなかなかつきません。
奥能登中の奥能登ではありますが、半島のはずれではなく、大きな集落の中にあります(駅の裏は田んぼですが)。
地元のNPOの方と思われる人がお土産品を販売しており、車両の復活運転をしようとしているようです。
人がいるせいかこの駅もそれほど荒れていませんでした。
のと鉄道廃線跡体験運転(奥のと鉄道ファミリーパークHPへ)

道路には看板が出ているので、車で訪ねても分かり易い。

終点側から珠洲方向をみる。保存車両が1両とまっている。この日も家族連れが訪れていました。

珠洲方向から、終端方向を見る。駅の裏は田んぼが一面広がる。

保存車両が止まっている。

駅名標

線路の終端を見る。能登半島の線路の先端はココ。
奥能登中の奥能登ではありますが、半島のはずれではなく、大きな集落の中にあります(駅の裏は田んぼですが)。
地元のNPOの方と思われる人がお土産品を販売しており、車両の復活運転をしようとしているようです。
人がいるせいかこの駅もそれほど荒れていませんでした。


道路には看板が出ているので、車で訪ねても分かり易い。

終点側から珠洲方向をみる。保存車両が1両とまっている。この日も家族連れが訪れていました。

珠洲方向から、終端方向を見る。駅の裏は田んぼが一面広がる。

保存車両が止まっている。

駅名標

線路の終端を見る。能登半島の線路の先端はココ。
能登半島先端の町、奥能登の珠洲市にあるその名も珠洲駅。国鉄当時、急行列車はこの珠洲止まりでこの先蛸島までは普通列車のみが走っていました。
お土産品売り場として人が常駐しているようで、この駅もきれいに保たれていました。タクシーも駅前広場で客待ちしていました。

駅舎もう一枚。ここも廃線の駅とは思えないです。

駅舎からホームを眺めるとこんな感じ。写真奥は蛸島方向。

ホームから駅舎をみるとこんな感じ。列車からおりるとこんな感じに見える(走っていないけど)。写真奥は穴水方向。

駅名標
お土産品売り場として人が常駐しているようで、この駅もきれいに保たれていました。タクシーも駅前広場で客待ちしていました。

駅舎もう一枚。ここも廃線の駅とは思えないです。

駅舎からホームを眺めるとこんな感じ。写真奥は蛸島方向。

ホームから駅舎をみるとこんな感じ。列車からおりるとこんな感じに見える(走っていないけど)。写真奥は穴水方向。

駅名標
九十九湾小木駅です。写真左側の黄色い屋根の建物が駅舎です。この駅の道路を挟んだ反対側には九十九湾観光船乗り場があります。訪問日2006.8.7

ホームは島式1面2線。交換可能駅です。写真は珠洲方向を見たもの。

穴水方面を見る。左の建物が駅舎。この駅は宇出津駅や珠洲駅や蛸島駅とは違って駅舎は閉鎖されていました。

駅名標

九十九湾観光船。駅から徒歩すぐ、駅からは道路をわたった辺りに乗り場がある。


遊覧船乗り場のある集落の風景。

九十九湾クルーズをするとこんな感じです。

ホームは島式1面2線。交換可能駅です。写真は珠洲方向を見たもの。

穴水方面を見る。左の建物が駅舎。この駅は宇出津駅や珠洲駅や蛸島駅とは違って駅舎は閉鎖されていました。

駅名標

九十九湾観光船。駅から徒歩すぐ、駅からは道路をわたった辺りに乗り場がある。


遊覧船乗り場のある集落の風景。

九十九湾クルーズをするとこんな感じです。
のと鉄道宇出津駅です。恋路駅と同様、穴水~蛸島間廃止で列車は来なくなりました。ところが実際に駅にいってみると、結構人がいました。鉄道駅としては廃止されたもののバスターミナルとしては機能しているので、バスを待っているのかなぁとも思いましたが、バスが来ても誰も乗る様子は無くいつまでも駅舎前のベンチに座っていました。
駅の待合室も閉鎖はされておらず、中のベンチではお年寄りが昼寝していました(ホームレスか?)。駅のホーム跡も閉鎖されておらず自由に立ち入りできました。

列車は来ないのに、なぜか人々でにぎわう駅前。待合室内にも5、6人の人がいました。廃線の駅とは思えません。

宇出津駅ホーム。珠洲方面を見る。ホームの雑草の背の高さが列車のこないことを示している。

こんどは穴水方向を見る。

駅名標も壊されることなく無事に立っています。
駅の待合室も閉鎖はされておらず、中のベンチではお年寄りが昼寝していました(ホームレスか?)。駅のホーム跡も閉鎖されておらず自由に立ち入りできました。

列車は来ないのに、なぜか人々でにぎわう駅前。待合室内にも5、6人の人がいました。廃線の駅とは思えません。

宇出津駅ホーム。珠洲方面を見る。ホームの雑草の背の高さが列車のこないことを示している。

こんどは穴水方向を見る。

駅名標も壊されることなく無事に立っています。
すでに廃線になって久しいのと鉄道穴水~蛸島間にあった「恋路駅」です。能登の有名観光スポット恋路海岸に近いところに駅があり、ホームから海岸までは5分とかかりません。訪問日は2006.8.7

道路からはこの階段を昇ってホームへ向かう。階段の奥に見えるのがホーム。

ホームを珠洲方面に向かって写す。ホームは片面1線。

駅名標

こんどはホームを穴水方向に向かって写す。

ホームから恋路海岸を見下ろす。海は駅からすぐそこ。

これが恋路海岸。

道路からはこの階段を昇ってホームへ向かう。階段の奥に見えるのがホーム。

ホームを珠洲方面に向かって写す。ホームは片面1線。

駅名標

こんどはホームを穴水方向に向かって写す。

ホームから恋路海岸を見下ろす。海は駅からすぐそこ。

これが恋路海岸。
事故続発で京福が廃止届けを提出し県によりえちぜん鉄道として存続が図られることになった越前本線の東古市から分岐していた永平寺線の終点です。
まだ、当時は京福電気鉄道でした。京福の福は当然ご当地の福井であり、京は京都を指します。嵐山を走る嵐山線は同じ京福電気鉄道でした。
平地から山に向かって伸びた線路が狭い谷に入り、川に沿って急な勾配を上った途中の川と山の間の少ししかない空間に永平寺駅はありました。2面あるホームは駅本屋側の1面しか使われていませんが、反対側のホームには鳥居があったりして、それなりにいい雰囲気を出していました。
【永平寺線】東古市(現永平寺口)~永平寺 6.2km 全線単線
東古市-諏訪間-京善-市野々-永平寺
まだ、当時は京福電気鉄道でした。京福の福は当然ご当地の福井であり、京は京都を指します。嵐山を走る嵐山線は同じ京福電気鉄道でした。
平地から山に向かって伸びた線路が狭い谷に入り、川に沿って急な勾配を上った途中の川と山の間の少ししかない空間に永平寺駅はありました。2面あるホームは駅本屋側の1面しか使われていませんが、反対側のホームには鳥居があったりして、それなりにいい雰囲気を出していました。
【永平寺線】東古市(現永平寺口)~永平寺 6.2km 全線単線
東古市-諏訪間-京善-市野々-永平寺
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折返し出発時刻を待つ単行電車 | 待合室から改札口を見る |
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永平寺駅の直前はカーブと急な上り坂になっていました。並行する川と国道も急な坂になっています。 |
石川県内に広域なネットワークを形成していた北鉄も鉄道線で残るは石川線と浅野川線のみとなっています。加賀一の宮から先、白山下まではから加賀一の宮までは「金名線」(金沢と名古屋を結ぶ線名)といっていましたが現在は廃止されています。今回は時間もなかったので、金沢からJRで1つ目の西金沢から石川線に乗ってみました。
昔は味のあるスタイルのいかにも地方私鉄然とした車両が走っていたようですが、現在は東急7000系の改造車が2両編成で30分おきに走っています。私は東急沿線に住んでいるので金沢にきたなあという感じがしませんでした(景色は別として)。
沿線は市街地をくねくねと急カーブで家々の軒下をかすめながらしばらく進んでゆくのですが、鶴来が近くなるにつれて車窓ものどかになってきます。関連HP
(石川線)野町~加賀一の宮 15.9km
(金名線)加賀一の宮~白山下 16.8km






駅舎の両横にも出口用の改札があります。でもそもそも無人駅なのでどこからでも入れます。


駅舎を出て正面方向を見るとこんな感じ

カーテンが引かれ、使われなくなった出札口。ガラスに「自動券売機」の文字が。一時は自動券売機も設置されるほどの需要があったのだろうか。

駅舎はホームから数段高いところにあります。

行き止まりです。かつては白山下まで通じていました。
北陸鉄道浅野川線・内灘駅はここをクリック!
昔は味のあるスタイルのいかにも地方私鉄然とした車両が走っていたようですが、現在は東急7000系の改造車が2両編成で30分おきに走っています。私は東急沿線に住んでいるので金沢にきたなあという感じがしませんでした(景色は別として)。
沿線は市街地をくねくねと急カーブで家々の軒下をかすめながらしばらく進んでゆくのですが、鶴来が近くなるにつれて車窓ものどかになってきます。関連HP
(石川線)野町~加賀一の宮 15.9km
(金名線)加賀一の宮~白山下 16.8km






駅舎の両横にも出口用の改札があります。でもそもそも無人駅なのでどこからでも入れます。


駅舎を出て正面方向を見るとこんな感じ

カーテンが引かれ、使われなくなった出札口。ガラスに「自動券売機」の文字が。一時は自動券売機も設置されるほどの需要があったのだろうか。

駅舎はホームから数段高いところにあります。

行き止まりです。かつては白山下まで通じていました。
