日々は日常と呼ばれる

写真を中心に、諸々徒然なるままに。

The Fish Are Allright

2008-06-27 23:11:47 | Weblog

魚が好きだ。
いや、食べ物の話です。
肉よりも好きになったのは20代半ばくらい。というか、子供の頃から好きだったのだが
肉よりも美味いな、とはっきり自覚したのがその頃だった。
好きなのは青魚。とくに血合いの部分。皮も好きだ。
鰺や鰯などを生で食べるのが最高だが、焼いても美味であることは否定しない。
白身魚も好きだ。鯛やひらめ、ちょっと高いのがマイナスポイントだが。
白身は生で食べるのが最高だが、鰈の煮つけも美味であることは否定しない。
食べ方もなかなか綺麗で、よく人に誉められる。数少ない人に自慢出来る点だ。w
鰺の塩焼きだったら頭と背骨を残して総べて食べる。
小骨を取る煩雑な作業は、著しく皿の上の審美性を汚すので総べて却下し、
口の中へと処理する。だから綺麗。

好きではないのがマグロ。日本中に喧嘩を売ろう。
そ ん な に ト ロ っ て 美 味 い で す か ?
ひたすら脂っこいだけで、魚自体の旨味は殆ど感じられないと思うのだが。
回転寿司屋の本マグロ解体ショーに嬉々として群がる方々の気持ちが、
まったく判らない。
しかし。
現代の日本において、マグロの解体ショーに理解を示さないのは、
およそ人としては大いに欠陥があるとの烙印を押されることと
まったく同義であるようだから、ひたすら大人しくしている。
所謂賢者の保身だ。生きていくって案外気を使うのだ。

たださすがに本マグロの赤身は美味かった。
父親が中トロをサクで買ってきたのを食べたのだが、味に深みとコクがあって、
なるほどさすがに築地辺りででかい顔をして
転がっているだけのことはあるんだな、と思った。
赤身だけ削いで食べ、トロ部分を残したら怒られた。w

ということで、魚は総て正しい。

クラス会

2008-06-09 13:23:44 | Weblog
昨日は高校3年時のクラス会があった。
順調に老けている者、殆ど変わらない者、
病に倒れ必死のリハビリをしている者と
メンヘル系病いに苦しんでいる者(当然欠席)などなど、
かつての学友達にも等しく時間の経過があり
自分にも一応の歴史があると実感させてくれる一日だった。

幼稚園を含めると16年もの学校生活があったなかで
自分にとっては高三時のクラスが最高だった。
なにせ最も良く遊んだのが、高三の夏休みだったというくらい
当時の受験戦争を真っ向から否定する、チャレンジャーな仲間達と共に楽しみまくった。
なんであれだけ遊んだんだろう。
今思い返しても何かに取り憑かれていたとしか思えないくらい
狂信的で刹那的な夏だった。

結構人生をやってきちゃった、その中のたった一年。
時間としたら他の一年と同じ長さしかないんだけど
振り返ってみても、今でも一番長く感じる一年だ。
不思議な感覚。

と、思い出に浸っていた頃、秋葉原では大変な事件が起こっていた。
お悔やみ申し上げます。
怪我をされた方々、一日も早い回復を祈ってます。

中庭

2008-06-03 23:26:05 | Weblog

最近、身の程知らずにも家が欲しいと思うことがある。
単なる住処ではない。「家」だ。
だからマンション購入とか、建売物件を購入したいという欲求ではない。
これまでの人生、ほぼキリギリスのようなスタンスで生きてきたので、当然蓄えなど無い。
江戸っ子は宵越しの金は持たないのだ。あ、純粋な江戸っ子じゃありませんが。
だからほぼ完全な「夢」であり、「欲望」でしかないのだが、何となく家が欲しい。

いや、もっとはっきり書くと、実は「中庭」が欲しいのだ。中庭が欲しいがために家が欲しいのだ。
だからマンションや建売じゃ駄目なのだ。
あ、中庭がある建売物件やライトコートなる設備を持ったマンションもあるでしょうけれども、
ここは言葉の綾として、既成物件は融通が利かないという社会通念に乗っ取り駄目なのだ。

今までヨメにしか語ったことはないが、実は俺は中庭フェチだ。
中庭、と口にしただけで、思わずくすぐったいような甘い青春の思い出と言うかムフフフというか
とにかく嬉しくなってくるのだ。
中庭の敷石の上に冬の柔らかな陽射しが降り注ぐ。それをガラス一枚隔てた暖かい部屋で
好きな音楽でも聴きながらのんびりと眺める。幸福である。
小市民と笑わば笑え。これは幼少の頃からイメージとして、脳裏にこびりついたひとつの「形」なのだから仕方がない。

ついでに俺の理想とする中庭は、意外と硬派であることも付け加えておこう。
まず植樹は一切無し。地面は石畳かコンクリート打ちっぱなし。
本当ならL・バラガン風に四方を3mくらいの高い壁で完全に囲んでしまい、見えるところは空だけって感じにしたいのだが
そうすると中庭を望むことはおろか、中に入ることも出来なくなるので、それは泣く泣く我慢することにする。
といいつつ、実ははしごをかけてよじ登って入るという手も考えてあるんだけどね。
このアイデアはちょっと気に入っている。自分と中庭が常に緊張した関係を保ち続けるという点で大変に素晴らしい。
しかしこれは前述した日だまりの中庭イメージを根底から覆す大矛盾であることは、予め自分で指摘しておく。

既製品としては、旧く厳めしい石造りの建物によくある中庭がよろしいと思っている。
これは欧州の街が好きな理由のひとつでもある。
時として忘れられたかのようにひっそりと佇む欧州製中庭は、俺の心を激しく叙情の世界へと誘う。
端が少し欠けた窓ガラスから見下ろしていると、黒マントに身を包んだ謎の人物が中庭を横切っていく。
そんなシーンに出くわしてしまったら、思わずその場で自己崩壊を起こしまくること請け合いだ。

ウィーンに行った時、王宮の中庭を望む窓にいつまでもへばりついて、ヨメを大いに困らせたエピソードは
遡って小学生時代の国会議事堂見学で、中庭を望む窓にへばりついていた記憶に完全にシンクロしている。

中庭。欲しいなあ。買っちゃおうかなあ。欲しいと思うと、つい衝動買いしちゃうんだよなあ。
いや。駄目だ。前回のブログで宣言した通り大人になったのだ。少し我慢しよう。

*写真はヨメの親友夫妻が建てたゲストハウス。俺の趣味ではないが、コンセプトにまったく破綻がない驚異の家。