日々は日常と呼ばれる

写真を中心に、諸々徒然なるままに。

7/29

2008-07-29 20:36:51 | Weblog
今日7月29日は、母親の一周忌でもあり、親友Yの14回忌でもある日だ。

親友Yは亡くなる少し前に「お前、絵が描けるんだから、マーラーの肖像画を描いてくれ」と突然言ってきた。
二つ返事で受けた俺は、久々に油で描いてみることにした。8号Fのカンバスの枠を買ってきて自分で画布を貼り、
経年変化で暖かみが出ることを計算して、下塗りはアンバー系の色で描いていった。
下絵が8割方出来上がった頃、Yがバイク事故で亡くなった。
お通夜には出たが告別式には出なかった。理由はひとつだけ。親友の骨なんか拾いたくなかったから。
そんなことをやらせようとした親友に腹が立った。
絵は未完成のまま残った。

母親とは入院中よく喋った。多分、第二次反抗期以降一番喋ったと思う。
残り時間は余りありませんと宣告された頃、俺のことやヨメの病気、残される父親の心配や孫の成長などを気にかけているのを見て、
それがこの人の総てなのだと初めて実感した。
平凡だが「母は強し」という言葉が思い浮かんだ。
最後の会話は覚えていない。その会話が最後になるなんて思っていなかったから。

3日前はヨメの誕生日だった。7月下旬はそんなわけで気持ちが忙しい。

やがて私の時代が来る

2008-07-07 21:55:29 | 音楽
いや、別に支配者になろうと思い立ったわけではありません。
今日7月7日は、愛聴する作曲家の一人、グスタフ・マーラーの生誕日なのであった。
で、マーラーの遺した言葉で一番有名なのが、この言葉だろうからちょっと書いてみた。w
かつてサントリーのCMのキャッチにも使用されたので、ちょっと独り歩きし過ぎの感があるが
70年代以降、日本では特に80年代以降、急激にマーラー・ブームなんてのがやって来たもんだから
この言葉も「おお、さすがマーラー、未来を予見してたんだね」なんてことになって名言として認知されているわけだ。

ま、実はこの言葉はこの手の話によくある『誤用』された言葉で、本来の意味とは全然違う使われ方をしているのだが
それを説明するほど親切ではないので、ここでは割愛する。だってキーを打つのが面倒くさいから。

理屈っぽい男だったらしいので、結構な語録を遺しているが、一番好きなのは
弟子にあたるA・シェーンベルクが無調への第一歩を踏み出した記念的作品『室内交響曲第一番』の
初演に立ち会った後に、妻アルマに言った言葉。
「私はシェーンベルクの音楽が判らない。でもきっと彼が正しいのだろう。何故なら彼の方が私より若いのだから」

ついでだから某巨大SNSの某コミュでも作られている某トピ的なmyベスト・マーラーでも書いてみようかな。
交響曲第一番/若杉&都響(花の章付き)
交響曲第二番/クレンペラー&ニュー・フィルハーモニア
交響曲第三番/ベルティーニ&ケルン放響
交響曲第四番/ギーレン&南西ドイツ
交響曲第五番/クーベリック&バイエルン放響
交響曲第六番/ベルティーニ&ケルン放響
交響曲第七番/クレンペラー&ニュー・フィルハーモニア
交響曲第八番/クーベリック&バイエルン放響
交響曲「大地の歌」/クレンペラー&ニュー・フィルハーモニア
交響曲第九番/クレンペラー&ニュー・フィルハーモニア
交響曲第十番/ギーレン&南西ドイツ

ちなみにバーンスタインとアバドのマーラーは大嫌い。
だからマーラー友達は全然いないんです。