今日7月29日は、母親の一周忌でもあり、親友Yの14回忌でもある日だ。
親友Yは亡くなる少し前に「お前、絵が描けるんだから、マーラーの肖像画を描いてくれ」と突然言ってきた。
二つ返事で受けた俺は、久々に油で描いてみることにした。8号Fのカンバスの枠を買ってきて自分で画布を貼り、
経年変化で暖かみが出ることを計算して、下塗りはアンバー系の色で描いていった。
下絵が8割方出来上がった頃、Yがバイク事故で亡くなった。
お通夜には出たが告別式には出なかった。理由はひとつだけ。親友の骨なんか拾いたくなかったから。
そんなことをやらせようとした親友に腹が立った。
絵は未完成のまま残った。
母親とは入院中よく喋った。多分、第二次反抗期以降一番喋ったと思う。
残り時間は余りありませんと宣告された頃、俺のことやヨメの病気、残される父親の心配や孫の成長などを気にかけているのを見て、
それがこの人の総てなのだと初めて実感した。
平凡だが「母は強し」という言葉が思い浮かんだ。
最後の会話は覚えていない。その会話が最後になるなんて思っていなかったから。
3日前はヨメの誕生日だった。7月下旬はそんなわけで気持ちが忙しい。
親友Yは亡くなる少し前に「お前、絵が描けるんだから、マーラーの肖像画を描いてくれ」と突然言ってきた。
二つ返事で受けた俺は、久々に油で描いてみることにした。8号Fのカンバスの枠を買ってきて自分で画布を貼り、
経年変化で暖かみが出ることを計算して、下塗りはアンバー系の色で描いていった。
下絵が8割方出来上がった頃、Yがバイク事故で亡くなった。
お通夜には出たが告別式には出なかった。理由はひとつだけ。親友の骨なんか拾いたくなかったから。
そんなことをやらせようとした親友に腹が立った。
絵は未完成のまま残った。
母親とは入院中よく喋った。多分、第二次反抗期以降一番喋ったと思う。
残り時間は余りありませんと宣告された頃、俺のことやヨメの病気、残される父親の心配や孫の成長などを気にかけているのを見て、
それがこの人の総てなのだと初めて実感した。
平凡だが「母は強し」という言葉が思い浮かんだ。
最後の会話は覚えていない。その会話が最後になるなんて思っていなかったから。
3日前はヨメの誕生日だった。7月下旬はそんなわけで気持ちが忙しい。