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並木たより

写真付き日記

学生コメント

2011-03-26 03:01:00 | 日記・エッセイ・コラム

・七郷中学校に物資を届けた際、意外にも米やカップラーメンよりいわしの缶詰が喜ばれた。というのも、おそらく摂取が絶対的に必要なご飯、パン等の炭水化物を自衛隊などの組織は優先的に運び、避難所ではそればかりが飽和してしまう状況になっていたからであろう。主食の十分な在庫がある一方で、塩気のある食べ物(おかず)が不足していた。

(安達先生曰く)被災地では生鮮品が足りず、ビタミン不足に陥りやすいとのこと。上記の避難所におけるおかず不足から被災地に届ける物資は「おしんこが最善」(塩気もあり、ビタミンもとれる)という意見もあった。

・同じ仙台市青葉区内の住宅でもインフラの復興状況に格差があった。仙台駅周辺マンション(安達さん宅)では水道水が利用可能であったが、青葉区西部の住宅(吉丸実家)では停止していた。(電気は全域で復興し、ガスは全域で停止)

・避難所と市民生活のニーズが違った。避難所では防寒具・灯油、市民生活は食料。避難所では、燃料不足もあって十分な暖をとることができない。市街地では圧倒的な物資不足になり、スーパーで23時間並んでバナナ一房買える程度。

・医者と職員の立場によって必要も違った。医師はガソリン、職員は食品。病院は物資の集積地になっており、当然医師には常時十分な食料が配給されるようだ。

・支援物資であるガスボンベを持って仙台市街地歩いていると、複数人の市民から「それはどこで買ったのか」と尋ねられた。

・東北大学附属病院にて安否確認の情報をデータベース化する作業をしていたところ、受付窓口に多数の苦情が寄せられていた。市民からの苦情は不安のはけ口がない悲しさであることが分かった。

・東北大学附属病院でボランティアとしてカルテ整理を行った際、紙のカルテだと散乱するととても整理するのが大変であると思った。電子化が進むとよいと思った。

・我々が行くことが最善で効率的な搬送手段であったか振り返らされた。本当に今回の運搬作業を早大YMCAが行うべきであったのか。もっと最良な(効率の良い)運搬方法があったのではないか。

・自分たちで行くにしてもその前に、他の運搬手段の可能性のもっと検討(他の組織に運搬依頼など)した上で行うべきではなかったか。

・地域のハブ病院であり、現在多事多端であろう東北大学附属病院に我々が行って手間をとらせ迷惑ではなかったのか、という意見もあった。

・仙台Yへの訪問時、隣の小学校が避難所になっていた。何か不足したものはないか尋ねたところ調味料(マヨネーズ・醤油)がないとのことだった。調味料は持ってきていなかったので、代わりに水汲みを手伝った。学校のプールから校舎へバケツで運び出した。少しの間だったが被災者の方から直接の「ありがとう」を貰えた。

・炊き出しをした商店街の店にガスボンベを提供できた。ツイッター情報で小規模分散型のボランティアができた。

・(文学部1年 吉丸響)実家に顔をだせて食品を運び、親孝行ができた。ボランティア隊と別れた後は家の散乱した本を片付けたり、閉まらなくなった窓に段ボールやシートを被せるなどを手伝った。

・(吉丸響の)友人(東北大学 農学部1年)を送り届けることができた。地震時は北海道に遠征していたが、震災の影響で仙台に帰れなくなったところを信愛学舎へ保護した。その後交通機関がマヒしている中ボランティア隊が親の元へ直接届けることができたのは意義のあることであったと感じた。

・最低限、迷惑をかけないことがボランティアでは大切だと思った。今回は東北病院の先生方に大変お世話になった。しかし震災でさらに忙しくしていらっしゃる姿をみて、私たちが活動することで1つ仕事を増やしてしまったと感じた。今後の対応を考える必要があると感じた。

・物資を渡したときに直接「ありがとう」と言われてうれしかった。七郷中学校でスタッフの方から物資を手渡したときとても喜んでいたことが印象的だった。

・宿泊場所を提供してくださった方々がとてもよい人だった。(新潟村上の菊谷夫妻、仙台市の安達教授)