聖書にいわゆる「罪」とは反逆である。ゆえにそのいわゆる「義」とは何であるかがわかる。罪とは反逆であるゆえに、義とは帰順である。すべての罪は反逆より来たり、すべての義は帰順より生ず。
義とせらるるとは単に義と宣告せらるることではない。子とせらるることである。ふたたび子として神に受け入れらるることである。
人は神にそむいてすべての不義に陥りしがごとくに、神に帰りてすべての徳に復するのである。聖書の示すところによれば、罪も徳も神に対せずしてあるものではない。神を離れて罪があり、神に帰りて徳がある。
宗教は本にして、道徳は末である。人類は罪を犯ししがゆえに神を離れたのではない。神を離れしがゆえに罪を犯すのである。そのごとく、徳を建てて神に帰るのではない。神に帰りて徳を建つることができるのである。 (内村鑑三)
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