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6月18日「ひめゆり」の解散の日である。61年前のこの日、少女たちは、高女や師範学校の「帰属」を解かれ、各自「単独の(すなわち自己責任の)」被災者として戦場に放り出されたのである。
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長い我が国の歴史上、体制の無責任、組織の不甲斐なさをこれほど痛烈に、例証する出来事も多くはあるまい。
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その不甲斐なき、護るに値しない「国体」の護持のために、彼女たちは、そして沖縄は犠牲になったのである。もっと早く「国体護持」を諦めて、被害を最小に食い止める「知恵と勇気」がなかったのであろうか。
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本土では、ナカナカ理解されにくい我が「構造的暴力」の被害体験を、ここでは、容易に理解してもらえるに違いない。
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「あれほどの大きな経験をしたことは、むだであったのか。まさか、むだではあるまい」(ガラテヤ書3:4)
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(今日の朝食)ユシドウフ
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