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永年、社会事業に献身して来られた先輩方の褒章・受章のお知らせを頂く。おめでたいことである。経済至上主義の時代に損得を度外視して働いて来られた業績が認められるのは稀有なことで、文字通り「ありがたい」ことである。
永年、自分の事を二の次にして、他人のため隣人のために働いて来られて、褒章から無縁の方々が居られる。尊いことだ。主イエスは「世の光、地の塩」と言われた。塩がその効用を果たす時、その姿は融けて見えない。地の塩とは、見えないところで働く主の僕のことだ。
「世の光」も勿論大切であるが、光は顕在化するから、多くは要らない。灯台の光はひとつあれば沢山の船の標(しるべ)となることができる。一方、世の腐敗を防ぐ「地の塩」は、地域ごとに、町内ごとに、また、職場ごとに必要である。したがって、「世の光」に任ぜられるのは少数の「選良」であり、「地の塩」に任ぜられるのは多くの「市井の平民」である。
藤井武は「この世でも褒められ、あの世でも褒められようと言うのは、虫が良すぎる」と言ったと伝えられている。現世評価と来世評価は両立しないのかも知れない。
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「施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない。あなたがたの施しを人目につかせないためである。そうすれば、隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる」(マタイ伝6:3-4)
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(今日のお弁当)
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