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2002年の秋、カンボジアのプノンペンで開催されたASEAN技術者会議(CAFEO-20)にご一緒に参加した帰路、お誘いするとバンコクに付き合ってくださった。
バックパッカーの若者たちと一緒にYWCAのホステル(客室にバスタブが無いとホテルとは言わない)に泊まり、翌朝、同ホステルの2階で開催されたバンコク日本語教会の日曜学校と聖日礼拝に(生まれて初めて)出席された。
バンコクYMCAが経営するエイズ孤児のケアセンター「ハッピーホーム」を慰問して下さった。「日本の技術者の代表として技術指導を行う」と言って、孤児たちに折り紙の技術指導をして下さった。日本人男性の評判が良くないバンコクで、YMCAの女性スタッフたちに深い印象を残された。
今日はその高城さんの葬儀が鹿児島のご郷里で行われたであろう。横浜では八景島の花火の日。夜空に大きく拡がる一瞬の輝きの中に、エノクの如く天駆けってゆく高城さんの俤を追った。
「エノクは神と共に歩み、神が彼を取られたので、いなくなった」(創世記5:24)
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(今日のお弁当)
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(今日の夕食)
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父の姿を発見し本当に嬉しいです。
ありがとうございました。
おかげさまで優しい父の葬儀も
一昨日無事に終わりました。
70歳になったら93歳の祖母がすむ鹿児島大口の
故郷に帰るという目標が形は違いましたが
達成でき父も満足だったかと
思います。
父の仕事は難しくよくわからないままでしたが
世の為になることをしていたのだと嬉しく思います。
生前は大変お世話になり本当にありがとうございました。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。