旧約聖書の宗教は「律法」と「祭儀」からなる。律法が求めるのは「正しさ(義)」であり、祭儀の要求は「清さ(浄)」である。
これに対する人の現状は「罪」と「穢れ」。罪を贖われて義とされ、穢れを清められて浄とされることが信仰の希求するところ。
ロマ書の著者(パウロ)は「信仰によりて義とされる」と言い、ヘブル書の著者は「大祭司(イエス)の血により浄められる」と言う。
宗教改革者マルチン・ルターは「信仰義認」と宣べる。わが恩師酒枝義旗は「恩寵感謝」を証する。
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「われらの尚ほろびざるはエホバの仁愛(いつくしみ)により、その憐憫(あはれみ)の尽(つ)きざるに因(よ)る」(エレミヤ哀歌3:22)
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(今日のお弁当)
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