アセンションへの道 PartⅠ その理論と技法

2012年には銀河の中心と太陽系そして地球が整列し時代の節目を迎えます。アセンションの理論と技法について考えます。

第14章 道 ⑮ヨギの食事

2011-09-30 19:53:39 | 第14章 道
以前日経新聞の週末版(日経プラス)を何気なく見ていたら、日本全国にある宿坊の人気度ランキングが掲載されていた。未だ仕事に追われている身なのでなかなか時間が取れないが、いずれ退職したらどこかの宿坊に泊まり、霊的に浄められた静謐な環境のなか、瞑想三昧で1週間ほど過ごしてみたいなどと思ったものである。
実はその際のもう一つの楽しみは、そこで供される所謂精進料理なのであるが、当然それはその寺の修行僧の食べるものと基本的に同じものが出されるのであろう。つまり、解脱を目指して修行する者は、国内外を問わず(おそらく洋の東西も問わず)肉・魚やアルコール類は食べることを禁じられているのだと思う。
この食事の問題は、毎日のことであり、通常の生活を送っている霊的修行者にはかなりの負担を強いることになるので、改めてここで触れておきたい。

ところで、筆者は昨年(2010年)10月末にクリヤー・ヨーガの第一イニシエーションを受けたが、それから約2カ月かけて、徐々に菜食主義に移行し、2011年1月1日からは基本的に肉や魚介類、アルコールなどの摂取は止めたしまった(12章⑨参照)。重複になるが、その際のブログから簡単に引用しておく。

「(食事に関する制限の)その第一は、刺激物を避けること。具体的には、アルコール、カフェイン(コーヒー、お茶類)、たばこである。以前本ブログ(第9章⑤)で、バシャールと坂本政道氏の対談を引用し、コーヒーを習慣として飲むことは波動を落とすことになる(結果としてアセンションの妨げになる)ので、筆者は出来る限り飲まないようにしていると書いたが、多くの場合、コーヒーの代わりに紅茶或いは緑茶であれば良かろうと思ってそれらを飲んでいた。しかし、ここに至ってコーヒーも紅茶も、無論緑茶も飲むのは止めてしまった。」

「そして、その二が菜食である。講師に拠れば、それを求められるのは、瞑想に適しているからという理由だけであり、特に宗教的なバックグラウンド等の説明は無かった。又、この点に関して講師から厳密な指導が有った訳では無く、マクロビオテック若しくはアーユルベーダを参考にするよう薦められている。この飲食物の問題に就いても、筆者は昨年から肉体の振動数を上げることを目指して、先ずは肉類(特に牛肉)を出来るだけ食べないようにしたり、魚もマグロなど赤味のもの(色の濃いものほど波動を落とす)は徐々に減らしたりはして来ていたが、流石に即座に菜食主義に転向すれば、家庭や会社での付き合いにも影響するので、11月に入って間もなく、家族と会社の関係者に対し、2011年、1月1日をもってベジタリアンになることを宣言した。」

上記の通り、クリヤー・ヨーガの修行を本格的に始める際、食事に関する宗教的バックグラウンドの説明は特に無かったのであるが、その後いろいろな本を読み進むに連れて、ヨギの食事に関する記述がそこかしこに出てくるのに気付いたので、それらを纏めておきたい。

先ずは、ヨギの教科書(或いは聖典)とも云えるギーターからであるが、ここでは過食を戒めているだけで、細かい指示めいたものは一切書かれていない。

「アルジュナよ、ヨーガを行ずるには、あまり多く食べ過ぎてはいけない。また小食に過ぎてもいけない。眠りすぎても睡眠不足でもいけない。食べること、眠ること、仕事すること、又休養や娯楽についても節度ある習慣を持てば、ヨーガの実習により物質的苦悩をすべて除くことができる。」

以上の通り、要は節度のある食事をしなさいということのみである。それでは、これをもって先ずは断食をどのように位置づけるかが問題になるのだが、パラマハンサ・ヨガナンダは『人間の永遠の探求』の中で、「肉体と、心と、魂をバランスよく発達させるための具体的方法のいくつかを次に挙げてみましょう。」と言って次のように述べている。

「毎日の食事の中に、牛乳やその他の乳製品と十分な割合の生鮮食品と新鮮な果物を含めなさい。ナッツ類を粉にひいて、それを大きなコップ一杯のオレンジ・ジュースに混ぜて飲みなさい。肉類はなるべくすくなくし、牛肉や豚肉は止めなさい。また、信頼出来る栄養学の本を読んでそれに従いなさい。 一週間に一日、オレンジ・ジュースだけの断食をしなさい。この場合、同時にあなたの主治医の処方による、からだに合った生薬の下剤を用いなさい。」

以上は多くの聴衆を前にした講話であるので、比較的一般的な注意事項であり、もっと本格的に解脱を目指している修行者に対してはより厳しい制限があったのかも知れない。しかし、週一回の断食を勧めていることは注目に値する。この週一回の断食に関しては、聖書にも記載があるし、ヨーギー・ラマイアも、かれのヨーガ・センターの専従員には求めていたことが、『ババジと18人のシッダ』に記されている。

次は、『不滅の意識』という本に出てくるラマナ・マハルシと質問者の問答からの引用(記録者はポール・ブラントンとムナガラ・ヴェンカタラミア)である。以下、「 」は省略する。

質問者  身体は真我にとって何か価値をもっていますか。
マハルシ はい、真我が実現されるのは、身体の助けを通じてです。

質問者  食事制限についてはどうですか。
マハルシ 食物は心に影響を与えます。正しい食物は心をサトヴィック(サットヴァの性質をも
つ)にします。何らかのヨーガの実習には菜食が絶対に必要です。

質問者  菜食に馴れていない人々についてはどうですか。
マハルシ 習慣は環境への抵抗にすぎません。問題なのは心です。心が、ある食物が美味しいと思うように訓練されてきたというのが事実です。肉よりも野菜から栄養が取れるかもしれません。しかし、真我を実現した人の心は、食べた物に影響を受けることはありません。ですが、徐々に菜食に馴れるようにしなさい。

質問者  しかし、もしそれが不殺生の問題だとすれば、植物さえ生命をもっています。
マハルシ それではあなたが坐っているタイルもそうです!(筆者註:マハルシがタイルを挙げたのは、タイルであってもブラフマンの顕現であり、命を持っている、即ち菜食主義は不殺生の問題では無いのだと言っているというのが筆者の解釈)

質問者  人は肉を食べている間にも、霊的なイルミネーション(啓示)を受けることができますか。
マハルシ できます。しかし徐々にその習慣を捨て、サトヴィックな食物に馴れるようにしなさい。一旦あなたがイルミネーションを達成したら、食べるものの影響はより少なくなるでしょう(筆者註:そう云われてみれば、キリストもワインを飲んだ)。ちょうと大きな火にとって、どんな燃料が加えられるかは重要な意味を持たないように。

一人の帰依者が一日にごく軽い食事を一回しかとらない、厳格な節制を行っていた。
マハルシは朝食時に「なぜあなたはコーヒーもやめないのですか」と意見を述べた。
その含意は、食事制限に過度の重要性を置く事を咎めようとしたのであった(筆者註:
筆者の解釈は、そこまで厳格な節制を行うのであれば、コーヒーこそ止めるべきだと
マハルシが注意したものと思う、判定は読者諸賢に委ねる)。

質問者  あなたは肉やアルコールをやめることを勧められるのですか。
マハルシ そうです。そうすることが最初は有用な助けになるのです。それらのものを止めることが難しいのは、本当に必要であるからではなく、それらのものを摂ることが習慣になっているからです。心が真我の実現の内に堅固なものになるまでは、心にとどめるべき映像や観念をもたねばなりません。さもないと、瞑想は急速に眠りと(さまよえる)想念に道を譲ってしまうでしょう。すべての食物には微細なエキスがあります。心に影響を与えるのはこれです。そこで真我を見出そうとして瞑想を実習している人にとっては、それに従うことが望ましい食事規則が作られています。サトヴィックな食物は瞑想を助長しますが、肉のようなラジャシックな食物やタマシックな食物はそれを妨げます。

質問者  あなたはミルクを摂るのに、なぜ卵は摂らないのですか。
マハルシ 家畜として飼われている牛は、子牛が必要とする以上のミルクを生み出し、それを絞ってもらうことで喜ぶのです。卵には潜在的な命が宿っています(筆者註:因みに筆者は、無精卵は問題なかろうと解釈し、食べている)。

質問者  喫煙を続けることは無害ですか。
マハルシ いいえ、煙草は毒です。それなしですますことは、よりよいことです。煙草はたんに一時的に刺激を与えるにすぎず、さらなる渇望が、必ずもたらされます。それはまた、瞑想の修練にとっても良くありません。

質問者  断食によって性欲をなくすことが出来ますか。
マハルシ できます。しかしそれは一時的なものです。心を堅固にすることが実際的な助けです。断食はそれ自体が目的ではありません。それと共に霊的な開発がなされねばなりません。完全な断食は心をあまりにも弱くしますし、霊的な探求のための力を引き出すことができません。もしそれが霊的な利益をもたらすものならば、霊的探求は断食中ずっと続けなければなりません。

質問者  瞑想を助長するドラッグがあるでしょうか。
マハルシ ありません。ドラッグを使った人は、それを常習的に用いないと瞑想ができなくなるからです。アヘンやアルコールを摂る人々は、無意識に本当の真我のこの上なく幸福な、想念の無い境地を探し求めているのです。彼等はドラッグによってそうした至福の暗示を得るのですが、しかし後には普通の状態に戻らねばならず、渇望はさらに強くさえなり、ついには慢性的常用者、その物質の奴隷になります。そのような人工的な興奮によって没落していきます。もし心が抑制されるなら、すべてのことは克服されます。

この食事に関する制限は、ラマナ・マハルシの記録をデーヴィッド・ゴッドマンが纏めた『あるがままに』において、より具体的に説明されている。以下、彼とはラマナ・マハルシである。

「(以前説明したヒンズーの四住期に関連して、)彼は彼の帰依者たちが瞑想的な生活の為に世間的な責任や義務を放棄することを、一貫して拒んできた。そして物理的な環境に関わらず、誰にとっても平等に真理を実現することは可能であると主張してきたのだった。・・・彼が唯一認めた物理的変化は食習慣についてだった。彼は食事のタイプが人の想念の量と質に影響を与えるという、ヒンズー教徒の間に広く行き渡った食養生についての理論を受け入れていた。そして適度な菜食主義の食事をすることが、霊的な習練にとって最も有益な助けとなるとして勧めてきた。シュリー・ラマナが認めたヒンズー教の食養生の理論は、それらを食べることで引き起こされる精神状態に従って食べ物を分類している。

1.サットヴァ(純質):乳製品、フルーツ、野菜、穀物がサトヴィックな食べ物とされる。これらの食品から成る食事は、霊的修行者が静かな心を保つ助けとなる。
2.ラジャス(激質):ラジャシックな食べ物は、肉、魚、唐辛子、たまねぎ、ニンニクのような香辛料の効いた食事を含む。これらの食べ物を食べることは活動的な心をもたらす。
3.タマス(暗質):腐りかけた或いは新鮮では無い食べ物、アルコールなどのような発酵過程を経る食製品はタマシックな食事とされる。これらの食べ物を食べると、解決力を持つ明晰な思考を妨げ、無関心で鈍感な心の状態をもたらす。」

因みに筆者は、ニンニクは野菜だから、てっきり問題無いと思って食べていたのであるが、ラマナ・マハルシによれば、霊的な修行者には好ましい素材ではないということになる。そう云えば、確かヴィヴェーカナンダも、ニンニクはその性質から、修行者には適さないということを彼の著作の中で触れていた。

以上を纏めると、次のようになろうかと思う。

(1) 過食を避け、適度の量の食事を摂ること
(2) 断食は、行うとしても週一回程度の流動食断食。無理な断食は好ましくない
(3) 新鮮な野菜、果物、穀物、乳製品を中心とした食事とする
(4) 肉、魚類、アルコール、煙草、ドラッグは厳禁
(5) 卵は、食べずにすめば、それに越したことはない
(6) ニンニクや唐辛子のような香辛料は避ける
(7) カフェインを含む飲み物も避けた方が良い
(8) 一旦自己実現に到れば、修行者が避けるべき食べ物の影響は軽微となる

以前触れたかと思うが、日本では(特に会社生活を続けていると)この菜食主義を徹底するのが大変難しい。というのも、会社の周囲の店で昼食を取ろうとすると、蕎麦でもうどんでも味噌汁でも、大抵カツオの出汁をきかせている。そこで筆者は、止む無く出汁だけは例外扱いとしているが、本来であれば出汁にも十分配慮するべきなのであろう。

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