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Barrack Asaka

あばら屋あさか

黒部ルート見学会 その一

2015-10-03 22:36:38 | 旅行記

会社が休みだったので富山県の黒部川にある黒部川第四発電所を見学してきました。関西電力が定期的に開催している黒部ルート見学会に申し込み、参加できることになったのです。黒部川第四発電所は、先日のブログ記事の黒四ダムの貯水を利用している発電所で、黒四ダムはこの発電所のためにある、と言っても過言ではありません。

10月1日、台風並みの暴風雨を引き起こす低気圧が接近中との予報を聞きつつ始発の北陸新幹線で長野を発ち黒部に向かいました。まだ真新しい黒部宇奈月温泉駅で新幹線を降り、富山地方鉄道に乗り換えて黒部峡谷鉄道の乗り換え駅の宇奈月温泉駅へ向かいます。

富山地方鉄道宇奈月温泉行きワンマン列車

新黒部駅は無人駅でワンマン列車のため、乗車時整理券を取って後払い精算になります。この駅の乗客は私だけでした。

さて、この見学会、黒部峡谷鉄道の終着駅欅平に9:20集合となっています。それに間に合うためには、7:57宇奈月駅発の黒部峡谷鉄道のトロッコ列車に乗る必要があります。そしてこの列車の宇奈月温泉着は7:50なので乗り換えの時間は7分しかありません。見学のしおりでは乗り換えに約15分掛かるとあり、単純に考えれば間に合わないので前泊になります。そこで、申し込む前に果たして7分で乗り換えられるものなのかどうか検討しています。その結果、駅間の距離は200m程度であり、乗り換えに手間取らなければ大丈夫と見込んでいます。料金分の小銭を用意して精算に手間取らないようし、降車後迷うことのないよう宇奈月温泉駅から宇奈月駅へのルートをチェックしています。

列車は定刻に宇奈月温泉着。ささっと改札に向かい料金をスパッと支払って足早にまっすぐ宇奈月駅へ。黒部峡谷鉄道の乗車料金は前払い済みのため、窓口で書類を提出して乗車券を発券し、改札を通って無事7:57発の列車に間に合いました。今回は列車の遅延や改札で待たされることもなかったので余裕で間に合いましたが、乗客が多かったり団体での移動だったら7分で乗り換えるのは厳しいかもしれません。

二重連構成の後ろ側の機関車。

小さいながらも立派な電気機関車です。

窓付きの特別車で室井滋さんの切れ目のないアナウンスを聞きつつガタゴト揺られながら黒部川沿いに一路欅平へ。黒部川にはその有効活用のためにダムと発電所が連なっています。

最初に目に入ってくるのが国土交通省所管の宇奈月ダム(2001年竣工)。

そしてダム湖。

それからダム湖畔にある新柳河原発電所(1993年4月1日発電開始, 認可最大出力41.2MW, 有効落差93.20m, 使用水量50.92m3/s)

線路がそのまま発電所内に引き込まれているのが格好いい!この発電所は出し平ダム、二見取水ダムから取水して発電とのこと。

列車は途中駅を飛ばしてどんどん進みます。黒薙川に架かる後曳橋を渡るトロッコ列車

トロッコ列車はこんなトンネルを次から次へと走り抜けます。

トロッコ列車車内

狭いです。なぜトロッコ列車なのか、といえば、峻険な黒部峡谷の地に通常サイズの鉄道を引くのは技術的にも費用的にも合わなかったからでしょう。冬季この鉄道は運休し、積雪や雪崩に備えて場所によってはレールなども全て取り外すようです。
 
出し平ダム(1985年竣工)に、出し平発電所(2015年12月運転開始予定, 最大出力510kW, 有効落差37.16m, 使用水量1.76m3/s)。

写真中央右下に見える小さい建屋が出し平発電所のようで、従来からあった河川維持放流管の先に発電所を設け、河川維持放流も発電に利用するというもののようです。途中で見かけた看板には最大出力540kWとありましたが、どちらが正しいのでしょうか。

続いて黒部川第二発電所(1936年10月30日発電開始, 認可最大出力72MW, 有効落差177.02m, 使用水量47.20m3/s)

戦前竣工の建物ですが直線で構成されたデザインは、今でも十分ありそうな現代的なもの。

黒部川第二発電所の取水口のある小屋平ダム(1936年竣工)。

小屋平ダム上流。

ダムに土砂が相当堆積しているようなので、この貯水を利用する第二発電所の発電電力量も運用当初に比べれば相当落ちているはずです。いつか浚渫するのでしょうか。

トロッコ列車の終着駅の欅平に到着。駅のホームから黒部川第三発電所(1940年11月22日発電開始, 認可最大出力86MW, 有効落差275.60m, 使用水量36.31m3/s)が見えます。

先の第二発電所に遅れること4年後に竣工したこちらも戦前の建物とは思えない現代的な作り。1940年といえば太平洋戦争開戦の1年前で、1937年7月の盧溝橋事件に端を発する終わりの見えない日中戦争に日本国内は疲弊し、国際社会からも既に日本は孤立してしまっていた時代です。そんな重苦しい空気に日本が包まれている最中に、この秘境ともいうべき黒部峡谷で建設が進められたのがこの発電所です。そして、この発電所の取水口となる仙人谷ダムの建設資材を運ぶための軌道用トンネル掘削中に遭遇したのが、かの高熱隧道となるわけです。

黒部ルート見学会はここ欅平からスタートです!


黒部ダムから立山室堂平へ

2015-08-23 22:37:17 | 旅行記
盆休みの最終日の8月16日、立山黒部アルペンルートの立山室堂平へ行ってきました。黒部は学生時代に吉村昭の高熱隧道を読んで以来、自分にとって憧れの地です。

当日、晴れてはいるものの天候は下り坂の予報。朝7時55分長野駅東口発扇沢行きの特急バスに乗って、立山黒部アルペンルートのスタート地点である扇沢に向かいました。長野駅東口を出発後国道19号線を南下し、安庭から白馬長野自動車道に入って県道31号線で山を越え、大町市に抜け扇沢に向かうルートです。一時間半ほどバスに揺られ、アルペンルートのスタート地点である扇沢駅着。

ここですでに標高1425mあります。室堂までの往復キップを買い10:00発の黒部ダム行きのトロリーバスに乗車。窓口にて今日は室堂までの往復に今日は5~6時間かかりますとのこと。
トロリーバス。

外観はただのバスですが、注目すべきは上部の架線と集電装置。

トロリーバスはディーゼルエンジンと軽油で動く一般のバスと違って、電車と同じように架線から受電し電動モーターで走行します。そして、走るのはバスと同じく道路なので運転手はハンドルで進行方向を操作します。日本国内でトロリーバスが運行しているのは、この立山黒部アルペンルートのみとか。ちなみにこのトロリーバス、乗客は乗れるだけ詰め込みますので、席に座りたい場合は早めに改札前に行って並ぶ必要があります。ちんたら風景を眺めていたりしていた僕は立席。

さて、このトロリーバスが走り抜けるのは、関電トンネルという長野側から黒部ダムに至る北アルプス山脈を貫く全長5.4kmのトンネルです。このトンネル、黒部ダム建設時に様々な物資を供給する大動脈の役割を果たすために掘削されたものだそうで、トンネル掘削時、途中で遭遇した大破砕帯により工事は困難を極め、その工事の様子は黒部の太陽という映画にもなったとのこと。
これは帰りに撮影したものですが、関電トンネル内と破砕帯を示す表示。

トンネル内青く光っている部分が破砕帯のある部分で長さにして80m。この80mを突破するのに7ヶ月かかったとか。この破砕帯は岩盤が細かく砕けており、その透水性のために地下水も含んでいて、ここにぶち当たった途端、大量の地下水と土砂がとめどなく噴出してどうにもならなくなったようです。当時のハイテクを駆使してなんとか突破したそうですが、今でも地下水がどんどん湧出しているとのこと。数台でまとまって走行しており、前を走るトロリーバスの後ろが前方に見えます。

黒部ダム駅でトロリーバスを降り、220段の階段を上った先の展望台から見下ろす黒部ダム!

黒部ダムの全体が一望!展望台の標高は1508mです。
パノラマ写真も一枚。

野外階段を下りて新展望台へ。

ダム堰堤より低い位置からの観光放水!

ここには、黒部ダム開発の歴史を解説する特設会場もありました。

黒部の電源開発は大正時代から始まったそうで、高熱隧道の題材にもなった黒部第三発電所、そして黒部第四発電所の完成に至るまで苦闘の歴史だったのだなあ、と展示を見て感じました。この黒部ダムの貯水を利用する黒部第四発電所の最大出力は335MWで年間発電電力量が1TWhだそうですから、平均出力は114MWということになります。平均的な原子力発電所一基の出力は1GW程度で稼働率を80%と考えれば平均出力は800MWになります。それと比較すれば黒部ダムは再生可能エネルギーを利用した発電所としてかなりのパワーがあるものといえるでしょう。

そして特設会場の中になぜかゆるキャラ。

安全ヘルメットに背中にはショベル!

くろにょん、さすがやで~。

展示会場を後にしてダム堰堤へ。
ダム堰堤上から放水を見物。

高い!
黒部湖。

Nice boat.
そしてダム下流の黒部峡谷下ノ廊下方面。

険しい峡谷です。高熱隧道の舞台となった阿曽原トンネルはこの下ノ廊下にあります。一度は行ってみたいものですがかなり危ない地域らしいので、それなりの下準備と山歩きに慣れた同行者が必要でしょう。

ダム堰堤の上を歩いて全地下式ケーブルカーの黒部ダム湖駅へ。

分厚いコンクリート製のトンネル入り口と鉄扉が冬季の厳しさをうかがわせます。
ケーブルカーのホーム。

ここで次の黒部平駅からロープウェイを乗るための整理券を渡されました。ケーブルカーで高度を373m上げ、到着した黒部平駅の標高は1828m。
ロープウェイ発着駅舎の屋上から立山連峰方面。

山腹に開けられたロープウェイの着発地点が遥か向こうに見えます。黒部平駅ではロープウェイの乗車待ちでしばらく待機。景色を眺めながら時間を過ごしましたが、立山方面はなんとも雲行きが怪しく、室堂の天候はあまり期待できないかと感じましたが、山歩きせずいける屋根付きハイキングですから気楽なものです。
ロープウェイに乗り、さらに高度を488m上げます。ロープウェイ到着駅の大観峰から見下ろした黒部湖

ここから、再びトロリーバスに乗り、立山トンネルを通って室堂平へ。
立山トンネル内でも破砕帯の表示。

立山トンネルは、関電トンネルと違い観光開発のために掘削されたトンネルだそうで、関電トンネルに比べると幅も狭いですが、こちらでも50mの破砕帯に遭遇し難工事だったそうです。
すれ違うための待避所に立山直下の表示。

立山連峰主峰の雄山の真下だとか。
そしてトロリーバスを降りるとそこは室堂標高2450mの世界!



そしてみくりが池

険しい山を登ってきた先にこのような風景が眼前に広がったら、きっと昔の人はここは極楽浄土ではないか、と考えたのではないでしょうか。
そんな室堂平を歩いていると、やがて硫黄の匂いがしてきます。
地獄谷。

火山活動が活発化しているとのことでこの地域は立ち入り禁止となっていました。有毒性ガスが噴出するこの谷は生物の存在を許さないまさに現世の地獄。
パノラマ写真も撮ってみました。

さらに血の池。

この極楽浄土と地獄が共存する室堂平の存在は、立山信仰と合わせて修験者が立山に入りはじめた平安時代以来、知られるようになったとか。
ただ生き続けるだけでも今に比べればはるかに大変な時代において、何があるかもわからない険しい山々に人々はいったい何を求めて登り続けてきたのでしょうか。

お土産を買い、来た道をそのまま辿って帰りました。

室堂駅にて、長野駅行きのバスを待っている間にサイダーで一休み。

関電トンネルの破砕帯から湧出する地下水から作ったサイダーでハサイダーだそうです。そのままですね~。
前から一度行ってみたいと思っていたのでよい思い出になりました。また違う季節に行ってみたいですね。

姨捨から善光寺平を望む

2015-07-26 07:37:17 | 旅行記
名古屋行きの特急しなのに乗ったとき、JR篠ノ井線の姨捨駅付近の車窓からの眺めがとても良かったので、海の日に姨捨駅を降りて周辺を歩いてみました。
列車からホームに降り立つと眼前に広がる善光寺平!


ホームに設けられている展望スペースからパノラマ写真を撮ってみました。

下に見えるのが篠ノ井線の本線で、左側が長野方面、右側が松本方面です。通過列車は姨捨駅ホームを通ることなくこのままこの本線を走り抜けます。それでは姥捨駅に停車する列車はどうするのかというと、例えば長野方面から上ってきた列車は、姥捨駅を一旦通り過ぎて停車し、バックして姥捨駅構内に入ります。逆に松本方面からきた列車が長野方面に向かう時は、駅を出た後一旦停車し、進行方向を変えて本線に戻ります。スイッチバックという方法で全国的にもわりと珍しいんだそうです。

無人の姨捨駅を出、左方向に進んで姥捨の棚田を見に行きました。


棚田の中を歩きます。

こんな傾斜地までも開墾し田畑にする必要のあった往時の人々の生活は、どれほど厳しいものだったのでしょうか。

姪石。

岩には注連縄が巻かれてっぺんにはお地蔵様。ただの地形と言ってしまえばそれまでですが、昔の人々はそこに岩があることに何か意味があると考えたのでしょう。

長楽寺。

かの松尾芭蕉を始めとして多くの俳人がこの姨捨を訪れ句を詠んでいるとのこと。境内には句碑が立ち並んでいました。

長楽寺の背後にある姨岩。


姨岩より。

昔はここが眺望ポイントだったらしいのですが、さすがに高度が下がってきているのがわかります。

姨捨公園に向かいました。途中の道路。

道の真ん中に排水路。

姨捨公園からの眺望。

あちこち見てきましたが、ここからの景色がいちばんお気に入り。姥捨駅から姨捨公園に向かうには、駅を出て右に向かい警報のない踏切を渡ります。

姨捨の上を長野自動車道が走っており姨捨SAがあります。もし通ることがあるのならぜひ立ち寄ってみるとよいと思います。雰囲気は今ひとつですが、高度が高いぶん見通しはよいと思います。

SAのフードコートにて味噌ラーメン。

わさび豚まんに、わさびコロッケ……。


最後に姨捨駅舎。

洋風な感じが好み。

ちなみに、特急しなのの指定席に乗って車窓から姨捨の景色を楽しみたいときはD席側になります。
次の機会には、ぜひ夜景を見てみたいものです。

ドイツ旅行記 7~8日目

2014-07-20 20:49:12 | 旅行記

ドイツ出国

7月4日(金)。旅行7日目。ドイツ出国の日です。いつもの通りホテルで朝食を食べ、荷物を持ってホテルをチェックアウト。午前8:55ミュンヘン駅発の空港バスでミュンヘン空港へ。うっかりターミナル2で降りそうになりました。危ない危ない。

帰りの飛行機も行きと同じ会社です。搭乗手続して荷物を預け、保安ゲートを通過。金属探知がかなり厳重でした。他のお客さんは、色々金属の飾りがついているコートをばらばらにされた上に、何度もX線チェックされていました。かわいそうに…。

出国審査を終え、まだお土産を買っていなかったので、免税店でお買い物。ダルマイヤのコーヒー粉、モーツアルトチョコレート、クッキー、絵葉書など。白ソーセージの缶詰を買ったところ、アブダビ行くんだったら、特別なセキュリティチェック受けることになるよ、と言われましたが、アブダビで降りるわけではないので問題ないだろうと判断。到着地まで開けるな、というビニール袋に入れられ、ビニール袋の口をがっちりシールされ、まるでバイオハザード物質扱いでした。

さよならドイツ。

012s

帰国

7月5日(土)。旅行8日目。日本に帰国です。機内で朝食を食べ、入国カードを受け取って眺めていると、持ち込み制限品の中にソーセージが入っているではありませんか。最悪没収かな、と思いましたが、そのときは仕方ありません。ほぼ定刻のお昼過ぎに成田空港に到着。

入国審査後、検疫にソーセージ缶詰を持参。担当の方は、缶を振ってなにやら確認していましたが、これは大丈夫です、と検疫済みのシールを貼ってくれました。水煮している缶詰は大丈夫なのですが、缶入りのものもあってそれはダメなんです。こうやって振ってみると分かるんですよ、と説明してくれました。ただし、缶詰でも持ち込めない国は多いですよ、と教えてくれました。なるほど。

税関でも検疫済みの旨説明して、無事税関通過。行きとは逆順に成田空港から北総線のスカイライナーに乗り、東松戸で武蔵野線に乗り換え無事地元に着きました。

まとめ

ひさびさの国外旅行でしたが、よい思い出となりました。そして行ったばかりだというのに、もう他の国にも行ってみたい気持ちがむくむくと湧き上がってきています。この気持ちってなんだろう?違う国、文化、人々に接触することが楽しかったということなのでしょうか。

おまけ

お土産セット。

005s

ちなみに、その気になればこれらのものって、ネットで買えばいくらでも日本に座して手に入る品々です。だがしかし、そんな野暮なことを言ってはいけません(笑)。

そして旅行中、通信機としてまるで役に立たなかったiPhone5sのその後です。

015s

使えなかったiPhoneなんと帰国後も使用不能のままでした。地元のAUショップに持ち込んでみてもらいましたが、SIMカードを交換しても直りません。ここではこれ以上のことはできないので、大宮の修理ショップに持ち込んで修理してもらってくれと言われました。

ところが、自宅に帰り、どうせ修理に出すのなら、とiTunes経由でiPhoneのiOSを7.1.1からちょうど出たばかりという7.1.2にアップグレードしてみたところ、何事もなかったように使えるようになったのです。なので修理に出すことなくそのまま使っていますが、今回のトラブルがOSの不具合だったのか、単にアップグレードしたことで何らかの異常状態が解消されただけなのかは分かりません。再び海外に持っていったら、また故障するかもしれませんし、しないかもしれません。ショップで聞きましたが、このように海外に持って行った後、使えなくなってしまうトラブルは結構あるそうです。

それにしても国外に持っていくだけで故障するって・・・おそろしいですね。


ドイツ旅行記 6日目

2014-07-20 20:45:15 | 旅行記

ベルヒテスガーデンへ

7月3日(木)。6日目。朝起きてホテルの窓から空を見ると、上空にはまだ雲が残っているものの、西方の空には青空が広がっています。出かける準備をして、早めに朝食をホテルのレストランで食べミュンヘン中央駅へ。

ミュンヘン駅にて、私の乗りたい7:55発ザルツブルグ(Salzburg)行きの列車は10番ホーム発ですが、番号の大きいホームから順に見ていくと11番ホームまでしかありません。10番ホームがない?地下ホームでもあるの?どゆこと?と戸惑いつつ、口ひげを蓄えたいかにも鉄道マンな駅員さんに聞いて発見。10番ホームは11番ホームまで行って右に曲がったさらにその先200メートルあたりのところにあるのでした。行かれる方はご注意を。

MERIDIANという列車。

004s

この列車でフライラッシング(Freilassing)まで行き、そこで乗り換えてベルヒテスガーデン中央駅(Berchtesgaden Hbf)まで行くことになります。なお、チケットは途中駅までの乗車券と、バイエルンチケットの組み合わせにしています。バイエルンチケットは平日は午前9時から有効なので、そこまでの乗車券は別途必要というわけです。

車内はガラガラでした。ローゼンハイム(Rosenheim)に停車中、のほほんと座っていた私に、通りがかった車掌さんが、この車両はここで切り離すので、ここから先に行くんだったら、前の方の車両に移ってくれとのこと。慌てて前の車両に移動。

フライラッシングで乗り換え。

009s

この駅から列車で10分足らずでオーストリアのザルツブルグとのこと。国境に近い場所です。

ベルヒテスガーデン

十時半過ぎにベルヒテスガーデン着。ICEは遅れましたが、ローカル列車はほぼ定刻で動いている印象です。

ベルヒテスガーデン駅舎。

017s

ここベルヒテスガーデンは山あり湖ありの夏の保養地らしく、日焼けしそうな日差しの強さでしたが湿度も低く快適でした。

来たからには山も湖も行ってみたいところですが、何はなくともまずは山でしょう、ということでヒトラーの山荘ケールシュタインハウス(Kehlsteinhaus)に向かいました。

ケールシュタインハウスに向かうには、まず駅から838番のバスに乗りますが、このバス思ったより本数が少なく約30分待ち。このバスは路線バスでバイエルンチケットで乗れます。このバスでDokumentation Obersalzberg (Kehlstein Busabfahrt)まで行きます。バスを降りると、そこは日本の道の駅みたいな感じになっていて、駐車場に売店やレストラン、ケールシュタインハウスに向かう専用の849番のバスの発着場と、オーバーザルツベルク資料館などがあります。専用バスのチケットの販売所と発着場は、バスを降りた道路から見下ろして目の前に見える駐車場の右下にあります。ぱっと見分かりにくいです。

バス料金は往復で?16.1で、ケールシュタインハウスに向かう専用エレベータの料金も含まれているそうです。バイエルンチケットは使えませんでした。また、各時刻のバスは定員が決まっているようで、時間的には11:50の便に乗れるタイミングでしたが12:15の便になりました。乗るバスの号車も指定されます。

ケールシュタインハウスに向かう道路。

024s

バスがすれ違える幅はありません。下りのバスは、所定の待避所であらかじめ停車してすれ違いを待っていました。終点のケールシュタイン駐車場でバスを降りると、まずは帰りのバスの時刻をチケットにスタンプしてもらいます。これも各便のバスの定員が決まっているようで、満員になったバスの便には乗れません。私は14:20の便にしました。

エレベータにつながるトンネルの入り口。上部には"ERBAUT 1938"の表記。

027s

トンネル内。

030s

外は暑いくらいでしたが、トンネルに入ると一転肌寒いくらいの冷気が身を包みます。ケールシュタインハウスが完成したのは1940年で、当時のナチスドイツは西部戦線を拡大しており、戦況はフランスを占領しイギリス本土へ空襲を開始したものの頑強なイギリスの抵抗を前にして、ヒトラーはイギリス上陸作戦を諦め、後に泥沼に陥る対ソ連戦を考えるようになった年とされます。

まさにたけなわ、の言葉がふさわしい戦況のなか、取り巻きを引きつれ完成したケールシュタインハウスに向かうべくこのトンネルを歩いたヒトラーの心境はどんなものだったのでしょうか。

トンネルの突き当たり右側にドーム状のエレベータホールがあり、そこから室内が真鍮製のピカピカのエレベータに乗って一気に124m上がるとケールシュタインハウスの中に到着します。

外に出ればそこは海抜1834mの世界が広がります。ケールシュタインハウスを出て、さらに上に向かって歩きました。左側風景!

060s

山間に見える湖がケーニヒス湖 (K�・nigssee) です。

ケールシュタインハウス!

055s

パラソルは平和の証。建物は当時のままとのことです。そして右側風景!

054s

さらに上った南側風景。

033s

絶景、というか高度感が正直ちょっと怖いです。パノラマ写真にも挑戦してみました。

045s

ベンチに座ってしばらく景色を眺めていましたが、そうしているうちに日々頭を悩ます諸事が瑣末なことに思えてくるのは不思議なことです。なかなか良いところでした。

あとはケールシュタインハウス内のムッソリーニがヒトラーに贈ったという暖炉などを見て、バスに乗ってケールシュタインバス発着場に戻り、そこのレストランで遅い昼食を摂りました。

089s

猟師風(マッシュルーム)ローストポークとシュペッツレ(J�・gerbraten mit Pilz Sauce und Sp�・tzle)というものです。写真ではよく分かりませんが、マッシュルームソースの下に豚肉が隠れています。あとはサラダ。

それからオーバーザルツベルク資料館へ行きました。

092s

この施設は、オーバーザルツベルクとナチスの国家社会主義の歴史がどんなものであったのかを振り返り反省する機会となることを期待するものだそうです。

ケールシュタインハウスはヒトラーの山荘でしたが、これとは別に、ベルクホーフ(Berghof)というヒトラーの別荘が、このベルヒテスガーデンのオーバーザルツベルクにありました。こちらは大本営機能も備えるかなり大掛かりだったものだそうで、その他ナチ要人の別荘もあり、歴史的にナチスとの関わりが深かったこの場所だったことから、ここに作られたのでしょう。

内容としては、主にナチスドイツの加害者としての歴史が主でしたが、第2次世界大戦の説明の箇所では太平洋戦争にも触れ、戦争の終結に広島の原子爆弾の原子雲の写真が掲げられていることが印象的でした。また、ヒトラーの愛人エヴァ・ブラウンについてのパネルは、女の人がやたら熱心に読んでいました。

それにしても失敗したことについて自ら省みて、同じ失敗を繰り返さないための再発防止策を考え、それを着実に実行していこうという態度は、成長する人にとっては当たり前のことですが、そうはいっても失敗の度合いが大きければ大きいほど、その苦痛も強くなるものです。それでもこうしてそれをちゃんとやっているのは大したものだと展示を見ていて思いました。

帰りは17:20分発の列車でベルヒテスガーデンを出発し、午後8時過ぎにミュンヘンに着きました。行きと違って帰りのミュンヘン行きの列車は混んでいました。

ミュンヘン

ドイツの最終夜を飾る夜の飲み物は白ビール(Schneider Weisse Tap 7 Unser Original 0.5L ?3.95)。

096s

そしてメインディッシュ。

098s

豚の脛肉ロースト(Schweinehaxe)とジャガイモ団子。ナイフが突き立っていました。ドイツに来てから牛肉を食べた記憶がありません。それとコールスロー。

ホテルの部屋から暮れゆく西の空。

102s

翌日ミュンヘン空港から帰国の途に就きます。