この五月連休の備忘録、飯田編です。
なんの脈絡もなく唐突になぜ飯田?なのですが、長野の南端に位置する長野県飯田市は、NHK人形劇三国志で使われた人形の作家、川本喜八郎氏の出身地であり、氏の手による人形が収蔵された飯田市川本喜八郎人形美術館があって、以前から行ってみたいと思っていたのです。
さらに、日本のトンネル難工事についてあれこれ調べていた時に知って以来、気になっていた場所が飯田市近郊に。
それは、起点を長野県上田市、終点を静岡県浜松市とする一般国道152号線の通行不能区間の一つである青崩峠です。
地図の真ん中がその青崩峠で、静岡県と長野県の県境にあります。実はこの国道152号線の通る谷筋は、日本の大断層帯である中央構造線が侵食されてできたものであり、青崩峠はその中央構造線上に位置していることが青崩峠のトンネル工事を困難なものにしています。地図の下端にちょっと見えるJR飯田線も、青崩峠手前で進路を90度直角左方向に変え、以降は天竜川沿いにルートを移して青崩峠を回避しています。
そうはいっても21世紀に入って早17年、元号も平成から次の元号に変わろうというのに未だ国道未開通の青崩峠、世界的にもレベルが高いとされている日本のトンネル掘削技術を持ってしてもトンネルを通すことができていない青崩峠とは一体どんなところなんだ?と前から思っていた次第。
そんなわけで、前置きが長くなりましたが、五月連休の後半の曇天の日の朝、まずはその青崩峠を目指して飯田を出発!
国道153号線、県道85号線、そして富田から県道251号線に移動し、山中に突然現れる超リッチな国道474号線の矢筈トンネルで小川路峠を抜け、国道152号線の通る秋葉街道の谷筋に入りました。
国道152号線を快調に南下すること約20km。和田バイパスが終わると幅員減少。
ここから先の国道152号線。
これらは帰りに撮ったものですが、この道に入っていきなりセダンに出くわして、すれ違いのためバックしています。この調子で対向車がどんどん来たら大変だな、と思いましたが、幸いにもツーリング中と思しきオートバイとはよくすれ違いましたが、対向車はあまりいませんでした。
兵越峠を越え静岡県側から青崩峠へ!
林道青崩線。
途中にあるさば地蔵。
林道をさらに進むと足神神社。
碓氷峠の熊野神社もそうでしたが、峠に近い神社は健脚を祈願する神社があるイメージです。私も道中の無事を願いました( ˘ω˘)。
さらに林道を進むと、秋葉古道入口に。
苔むす石畳の道。
石畳を歩き、橋を渡り、山道を歩いて程なく青崩峠(標高1082.5m)に到着!
左手の道は熊伏山への登山口。右手の道は信州に向かい、長野県側の国道152号線につながっています。
青崩峠の水準点。
国土地理院の地図に入っている標高は、正確にはこの水準点の位置の標高です。
持ってきたサンドイッチとジュースでひと休み。
いったいどの辺が青崩なんだろう、と長野県側を探索。
静岡県側と違って深く切り立った谷。礫がむき出しになった斜面。
この斜面、写真ではわかりにくいですが、確かにちょっと青みがかって見えます。これが青崩峠の名の由来かと納得。
この石はとても脆く手でも簡単に剥がれます。これが青崩酸性岩類というものでしょうか。
それから峠のすぐそばまで通っている青崩林道を見物。
行き止まり!道の果て!(大げさ)
どうやってもここから先、長野県側に車で進むことはできず、長野に行くには山道を歩いて行くしかありません。ここから兵越峠へも山道が通じています。約二時間の道のりとのこと。
ダートの青崩林道を歩いて青崩峠を後に。
流れる水の音、さえずる鳥の声、新緑が耳に目に心地よかったです。
ここで、この難攻不落の青崩峠に対する道路工事の状況について。国道152号線のこの不通区間は、将来、浜松と飯田を結ぶ国道474号三遠南信自動車道の一部になる青崩峠道路として事業化されています。そしてこの青崩林道の途中に、その青崩峠道路のトンネル部分の調査坑工事現場の入り口があります。
工事現場入口の掲示。
山の断面図の下の赤い帯が掘削済みの部分を、断面図で斜めに引かれている点線は断層面を示しており、掘削ルートに23本の断層があることを示しています。距離的にはほぼ9割終わっていますが、工区全体の中でも断層が集中していて一番難しそうな所が残っており、今まさにその難しい部分に着手している最中のはず。
この調査坑が開通した後の本坑の掘削は、トンネル入り口からだけでなくこの調査坑を横に掘り進んで中からも同時並行作業で掘削するはずです。本坑が開通した後は、調査坑は避難用通路として使われます。断層の部分はトンネルの断面形状を変えて強度を確保するといった技術が使われているようですね。それにしても、これでもトンネルを掘りやすいルートを選んだらしいのですが、それでもこんなに断層が入りまくっているとは思いませんでした。
もう少し青崩峠の区間の国道建設の経緯について記しましょう。国道152号線の未開通区間の解消を目指して青崩峠道路の事業化が決定され、当初は青崩峠を回避するため青崩峠に対して東側、草木峠、兵越峠をトンネルで抜けるルートが設定されます。まず草木峠を抜ける草木トンネルが着工され、中央構造線を貫くそのトンネル工事はかなり難航したようですが1992年に竣工。ところが、その次に続く兵越峠の地層は極めて脆弱でトンネル掘削に適さないことが判明し、結果トンネル掘削を断念、ルート再選定を余儀なくされます。
しばらく青崩峠道路の工事は中断状態になりましたが、資料にもある通り、より地層が硬い青崩峠の西側を抜けるBルートが再選定され、先ほどの調査坑の掘削が開始されて現在に至ります。そして三遠南信自動車道のルートから外されてしまった草木トンネルは、国道474号から国道152号線になったという次第。冒頭の地図でも、静岡県側の国道152号線が青崩峠を前にして右側に避けるルートをとって途切れているのもそういった経緯からです。
そんな草木トンネルにつながる静岡県側国道152号線。
道路に対して左側法面にコンクリートが打ってある辺りが先ほどの調査坑の工事現場付近です。高架はどうするんでしょうね。
そして草木トンネル。
走っている車はほとんどいませんでした。長野に抜けるにはこの先県道を通って兵越峠を越えるしかありませんが、その兵越峠はというと…。
いくら飯田に行けるといっても、こんな道を通らなければならないとなれば交通量が少ないのも納得です。それにしても長野県側の標識、倒されてるけどいいんだろうか…。
峠にある遊歩道。
先ほどの林道青崩線の行き止まりに繋がっています。
県道369号線から熊伏山方面。
ヘアピンカーブの続く此田の急斜面を下ると、青崩峠に向かう長野県側の国道152号線と兵越峠に向かう県道369号線の分岐があります。
ここから先、青崩峠に向かう国道152号線は、三遠南信自動車道の工事用道路にもなっており通行禁止。
そして草木に埋もれる国道標識。
青崩峠の国道開発は、おそらく三遠南信自動車道の青崩峠道路の開通をもって完了とし、国道152号線のこのルートは未開通のまま県道に格下げされると予想されます。この標識も陽の目を見ることもなく撤去されてしまうことでしょう。
ちなみに県道369号線の通る此田地区は、地区全体が地すべり地区に指定されているという特異な場所で、これも谷底近くを走る中央構造線により斜面全体の地層が脆弱なことによります。
飯田に戻って飯田市川本喜八郎人形美術館へ。
入場者をお迎えする諸葛亮孔明特大人形!
後ろには北伐にあたり孔明が劉禅に上奏した出師表。この演出最高じゃないですか?
展示はちょうど平家物語の特別展示期間中で、人形劇三国志の展示は縮小されているとのことでしたが、主要メンバーは全員揃っており、あの孔明が!劉備が!趙雲が!関羽が!張飛が!曹操が!目の前に!たまらん!と興奮。その他にも当時画期的とされたコンピュータ制御のメカ馬の展示もありました。
展示を見た後は、説明員の方から人形の造形、装飾、操作について話を聞き、人形操作は実際自分でもやってみました。人形のカラクリはもちろんの事、人形の表情は変えられないので、角度によっていろんな表情を表現できるような造形になっていること、通常は別部品を口パクさせるところを獣皮で一体化させ自然な口の動きにするのは川本先生のこだわりといった話を聞いて、人形一つとっても多数のノウハウの塊であることを実感。人形があって操演者の方がいて声優さんがいて人形劇は成立するわけですが、ともに超プロ級の方々が携わっていたのだなあ、と思いました。それほど規模の大きな美術館ではありませんが、展示されている人形はどれも素晴らしく、とても見応えがありました。
その後はミュージアムショップでお買いものをして高速バスで飯田を後に。学生時代に南信出身の同級生がいて、オートバイに乗って遊びに行って自宅に泊めてもらったこともあって、南信はこれが初めてではなかったのですが、なんだか南信の人々はフレンドリーというか親切な人が多い気がします。また来たいですね。
ミュージアムショップで買った図録から。
はーん素晴らしい。