KOBE Diary

神戸から、愛する人たちへ。

ぼくらは蒼穹を失ったのか

2008-09-10 | Weblog


秋空とはどんな色だったのだろう。

今日も神戸の空を見上げて歩くぼくは、

ふと記憶の扉を開けてみる。

六甲の山はくすんでいて、

東には都心の汚れた大気が見える。

どうやらぼくらは、

蒼穹という言葉を失ったようだ。


あれは二十歳前後のことだったか。

はじめて登る山の上で、

ぼくは満天を埋め尽くす星を見上げていた。

8月だというのに、くちなしの花が匂っていた。


ぼくらはもう、

天の川がどのように流れているのかを知らない。

夕空にかすむ半月は平面的で、

わずかに瞬く星は寂しげだ。

何よりも空を見上げる人は、本当に少ない。


ぼくらはもう、

具象的に宇宙を語れなくなったのか。

未来を生きる子どもたちに、

このような空を残すのだとすれば、

人間存在の希薄化を、さらに増すだけだろう。


ぼくらは再び、蒼穹を、天の川を、満天の星を、

手に入れなければならない。

そうでなければ、

この宇宙の中で、宇宙とともに生きている実感を、

人間は失ってしまうだろうからだ。

いま必要なのは、

抽象性と対をなす、生々しい具象性ではないのか。




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