どのタイミングで書こうかと迷いましたが…
『崖の上のポニョ』
(2008/宮崎駿 監督)
映像の師匠(例によって師匠の多いヲノです)佐々木アニキが貸してくれたので、今になって観ました。
どうせ息子とはDVDで観ることになるだろうと思ったので公開時スルーしていたけど(息子は映画館とかホールとかビビるので)映画館で観たらさぞキレイだろうなーと思わされた。1カット1カット、構図や色彩、ディティールの素晴らしさに見とれてしまう。宮崎アニメは久しぶりに観るけれど、こういう「いつ、どこかはわからないけど、なにかノスタルジックな町の風景」描かせたら独壇場ですね。
息子もすごく気に入って、しばらくの間は毎日1回フル尺で観ていた。ごはん食べているとフワーと目をつぶって椅子から崩れ落ちるので何かと思ったら「ポニョが寝るとこ…」と解説。再現ドラマだったのか。
そして、ポニョがパワーアップして脱出するあたりの描写が異様にドラッギーで素敵!(押尾&酒井事件の今このタイミングで言うのもアレですが)ディズニーの『ファンタジア』『ダンボ』『不思議の国のアリス』などにもこれ明らかにキメてるだろう!と思わされるトリップ描写は多々みられるけれど、あちらのサイケデリック感とはまた違った"飛び方"ですな。魚の絵が蠢きながら増殖していく感じとかの、妙に平面的な絵とかウツロな目の感じは、浮世絵のトランス感に近い気も。
トランスと言えば、ポニョの顔がすごい。
最初は日野日出志のマンガみたいだったのが
『シニカルヒステリーアワー』のキリコちゃんみたいになって
右下の子ね
宮崎アニメ顔になる。
メタモルフォーゼ!
あと、ちょっとわからなかったのが、波(が擬人化…じゃなくて魚化?した状態)の上で宗介を追ってタタタと走るポニョの描写。あれは同じ魚の背中(波)の上で駆け足してるように見えるけど。 だとしたらその魚(波)の前にポチャと落ちるのではないのだろうか?それともあれはマイケルのムーンウォークみたいなもので、同じ場所で駆け足してるだけなのだろうか…?あの仕組み、誰か解説してください。
もっと納得いかなかったのは、嵐の夜に5歳児を置き去りにして出かける母親!これは絶対ありえないシチュエーションでは?児童虐待だと思うのですが…
車にもチャイルドシートを装着していない! そして「シートベルト締めて」と幼児自らに締めるよう命令するだけで事実上放置している母親。これもマズいのでは…
『千と千尋の神隠し』でアカデミー賞を受賞、『ハウルの動く城』もノミネートされた宮崎アニメが、この作品では選にも入らなかったのは、こういった一連の行為は米国では刑事罰の対象となる犯罪なので、見てはならないものを見てしまったような気まずい思いで審査員にスルーされたのではないか?(『食人族』のラストで、試写を観たTV局のお偉方が気まずい面持ちでフィルムの廃棄を指示していたように)というのが、いま思いついた仮説です。
この母は嵐の夜に限らず、朝の通勤時も必要以上にブッ飛ばす人だ。息子に自分や夫をファーストネームで呼ばせているあたりも含めて、ちょっとDQN親な感じが…。佐々木アニキは「あれは"元ヤン"なんだよ!」と嬉々として語っていた(ヤンキーが好きなので)。車の色が普通ありえないほどピンクなのが、その証拠だという。
いや、宮崎アニメ的には、カーアクションのシーンを入れるためだけに、このように設定されているのだろうけどな。海辺の崖道を疾走する小型車…という構図は、『カリオストロの城』の冒頭を思い出させる。そう言えば、嵐が明けて水浸しの別世界になった町をボートで進む2人の子どもたちの姿には『未来少年コナン』も思い出した。『ぼくが守ってあげるからね』とポニョにつぶやく宗介は、ラナを守ろうとするコナンの相似形かな?
ところで音楽。ポニョのテーマがワグナーの『ワルキューレの騎行』そっくりにアレンジされているおふざけは、ちょっとどうなんでしょう…。(WIKIPEDIAには「ワルキューレの騎行が使用されている」と記述されていますが、あれはアレンジだけ借りてそっくりに作った"模作"ですよね)。ポニョの本名"ブリュンヒルデ"が楽劇『ワルキューレ』に登場する女神の名前だからなんだろうけど。ワグナーと言うより、どうしても『地獄の黙示録』のあのシーンを思い出してしまいます。
そして海の描写音楽のオーケストレーションは、ラヴェルの『ダフニスとクロエ』が元ネタではないかと推測しますが。どうなんでしょう。
米アカデミー賞にノミネートされるためには、小規模であろうとアメリカで期間内にロードショーされていることが前提になります。ポニョは昨年米国では公開されていませんでしたから、ノミネートされるとすれば今年度分のアカデミー賞になると思います。下らねえ些細な知識ではありますが、ご参考までに!
がちょーん!!!
アメリカでは未公開だったのですか。
まあ当方の「仮説」は冗談としても、彼の国でどのように評価・評論されるかは大いに興味あるところですね。
ご教授ありがとうございました。